ロリス
どおぉーん!!
外から爆音が聞こえ、同時に船が大きく揺れた。
「うわっ!なんだど?」
「こ、こりゃー砲撃か!?」
クルー達が次々に声を上げた。
船体の揺れに合わせて誰しもがバランスを崩す。
ルイーダもリオのベッドに手を付いた。
ひとりを除いては。
揺れに全く動じること無く、ゲルダは大きく手を広げると、天を仰いだ。
そして、まるで歌い上げるような伸びのある声で、高らかに放ったのだ。
「いっつぁ、しょぉーたぁーいむ!!」
「お前の差し金か!?」
「あなた達、信じてないのでしょう?
私が本気だって、こ・と♪」
「正気か★
こんな場所でドンパチ始めたら、お前らもオリンピック参加権を剥奪されるんだぞ♥️」
「おバカさんだこと!
あなた達が出場しないのなら、私達も出る意味なんてなくってよ。
そんな時間があるならば、直ぐにでもあなた達を殺して差し上げたいんですもの。」
「い、イカれてやがる♣️
ここにいれば自分だって危ないってーのに、それでも攻撃が優先かよ♦️」
「にゃはは♪
心配ご無用ですわよ。
私はすぐにお暇しますから。
私が戻ったら、一斉砲撃が開始されますわ。」
「あっそぉー。
んじゃ、あんたが戻らなければ、攻撃は始まらないんだねぇー。
良いこと教えてくれて、」
言いながらルイーダはロシツキーの体を押し退け、ぐいっと前に踏み出した。
その瞳の中では、真っ黒い光が更に強い輝きを放っていた。
恐ろしい程に自覚していた。
ここまで怒りを感じたことは、未だかつて無い。
「ありがとうねぇ!!」
ルイーダの姿を捉えたゲルダの顔から更に笑みがこぼれる。
これ以上の至福は無い。
そんな、とろけるような、狂気に満ちた笑顔だった。
「にゃははぁ♪来ましたわね!バカ女!!」
寺院の時と同じく、ふたりの女は同時に互いの精心術を発動させた。
もうひとりのルイーダは、穏やかな表情で。
もうひとりのゲルダは、悲しみの表情で。
ふたりの分身は、部屋のど真ん中で壮絶な打ち合いを開始した。
ルイーダの分身は時を止める力を持つ。
前回、ルイーダはそれを使わなかった。
使えば勝てるのは分かっているのに。
少しばかりの余裕がそうさせた。
今度は違う。
相手の力は理解している。
ルイーダは迷いなくゲルダの時を止めた。
つもりだった。
先に動いたのはゲルダの分身だった。
ルイーダの頭上から、突如として真っ白い翼が覆い被さった。
見上げる隙すらない。
ルイーダの視界は白い世界に遮られた。
「にゃははっ。」
ゲルダの哄笑が聞こえた。
「さぁ、これで世界中の時間は私の物。止まった時の中を動けるのは私だけですわ。」
ルイーダの視界が開けた。
ゲルダが立っていた。
手を差し伸べて。
指の先までピンと伸ばし。
ルイーダを指し示すように。
「貴女はこれから、私の分身によって弄ばれるのですわ。嬉しいでしょう?世界最強の力に蹂躙され、凌辱されるのです。
あぁ、素敵。
貴女はどんな声で鳴いてくれるのでしょう。
早くその声を聞かせて下さいな。」
ゲルダが一歩踏み出した。
その刹那だった。
ルイーダの分身は、ルイーダ自らの体を優しく包み込んだ。
「え?なんてぇ?」
ルイーダは耳に手を当てて見せた。
それには、いかにも相手をバカにしているという、最大限の挑発の意図が込められていた。
「あら?どうして動けるのでしょう?」
それでもゲルダは動じなかった。
まるで、机の上に置いたはずのペンが、引き出しの中に入っていた。
それくらい取るに足らない、驚くまでもない驚きを現した。
「ねぇねぇ、あんたさぁ、今、時間止めたぁ?」
「この世の全ての時間は私の意のままですわ。」
「へぇー。そぉなんだぁー。すっごいねぇー。私のことは止められなかったけどねぇ。」
「そのようですわね。どんな手違いでしょう?」
「私はねぇ、別に時間を止めてるわけじゃないんだよねぇー。
私はねぇ、時間の概念から外れてるだけ。
だから、私は誰かの時間を操れるけど、誰も私の時間を操ることはできない。
それは私自身ですらねぇ。」
「それは残念ですわね。貴女ごときの力ではその程度が関の山なのでしょう。」
「そーかもねぇー。でもさぁ、あんたの時間だって私は操れるんだよぉ。」
「私の支配に抗ってみますこと?きっと無駄でしょうけど。」
「やってみないと分かんないよぉ?」
「分かりますわ。何故なら、私は、
私の支配に抗うようなおバカさんを、殺して欲しいと懇願するまで遊んで差し上げるのが大好きなのですから。」
ルイーダの分身はゲルダの頭上に現れると、その大きな羽根でゲルダの体を包み込んだ。
「煩わしい・・・・」
ゲルダの言葉が途切れた。
動きが、時が止まった。
「・・・・・ことこの上ないですわ!」
ルイーダの分身を弾き飛ばすかのように、ゲルダの分身が殴りかかった。
それをいなすように、ルイーダの分身は宙を舞った。
「へぇ。大した精神力だねぇ。」
「にゃははっ。これで証明されましたわね。
貴女と私は、」
「どこまでいっても相容れないねぇ。」
ゲルダが止めた時間はほんの数秒だった。
これは、そんなほんの数秒の出来事。
寺院の時と同じく、ふたりの女は同時に互いの精心術を発動させた。
もうひとりのルイーダは、穏やかな表情で。
もうひとりのゲルダは、悲しみの表情で。
ふたりの分身は、部屋のど真ん中で壮絶な打ち合いを開始した。
「にゃっはっはっぁー!いい!実にいいですわぁ!!あぁー!
最高に感じますわぁ!!!」
「気持ち悪いんですけどぉ!このサイコ女ぁ!!」
「もっとよ!もっと来なさい!」
「うるっさいなぁ!ちょっとは黙れないの!!」
世界最高の精心術師同士の打ち合いは苛烈を極めた。
今度は前のような遊び半分の打ち合いではない。
互いに本気を出し合った、正真正銘の削り合いだ。
精確性においても最高クラスの二人の力は周囲に影響すら与えない。
互いに互いの急所しか捕らえておらず、一切的を外さないし、その全てを受け止め合っていた。
だからこそ、極限の力のぶつかり合いにも関わらず、船に傷ひとつ付けずの打ち合いが可能なのだ。
双方の力はほぼ拮抗しており、最上級の攻防の長期化は必至と見られた。
どぉーん!!
どぉーん!!
それを遮ったのは2発の轟音だった。
船が再び大きく揺れた。
「あら、もうそんなお時間なのね。
残念ですわ。」
言葉を放つや否や、ゲルダの分身はルイーダの分身の拳を受け止めずに逸らしながら、距離を取るように後ろに引いた。
勢い余ったルイーダの分身が船室の壁を大きくぶち破る。破片まで粉々の木っ端微塵にして。
と同時にゲルダはくるりと反転し、扉から甲板へと走り出て行った。
「待てぇ!このぉ!」
ルイーダを先頭に、ロシツキー達も甲板へと駆け出した。
そこで待っていたのは、
「な、なんだこりゃあ!!?♠️」
ドクロの背に翼が描かれた海賊旗を掲げた、無数の海賊船だった。
砲門を全開にし、放射状にエミレーツ号を取り囲んでいたのだ。
「にゃはは。
もし暫くしても私が戻らなかったら、総攻撃を始めるようにロリス船長にお伝えしていたのですわぁ♪」
大きく手を広げ、再びゲルダが天を仰いだ。
「最初からあなた達の負けだったのよぉ!」
「汚い!ほんっとに汚い!!」
思わずルイーダが声を上げた。
自分でも間抜けだと分かっている。
それでも、このやり場の無い怒りをぶつけないと気が済まなかったのだ。
そして発した一言。
「一体何がしたいの!」
その質問にゲルダの表情が一変した。
先程までの狂気に満ち溢れた笑顔は消え去り、言い様の無い不思議な視線でルイーダを見詰めていた。
「何も。」
しかし、頭に血の昇りきっていたルイーダはそれを見落とした。
「はぁ!?
私達を潰したいだけだったら、なんでこんなまどろっこしいことすんの!?
寺院でやれば良かっただけでしょーが!」
ルイーダの問いが、ゲルダの瞳に狂気を取り戻させた。
「それではつまらないでしょ。暇潰しは長い方が良くてよ。」
「あっそぉ!
あーっそぉなんだぁー。へぇー。長い方がいいんだ。」
ゲルダの言葉を反芻することにより、遂にルイーダの脳内に冷静さが蘇った。
誰も口にはしないが、クルーの誰しもが若干の安堵感を得ていたのは言うまでもない。
この狂った女の相手をするのはルイーダしか成し得ない。
ロシツキー達はルイーダの背中を見守っていた。
「んじゃーさ、こんなとこで終わりにしちゃっていいの?」
「あら、命乞い?浅ましいこと。」
「そー思いたければ思えばぁ?
でもさぁ、この先、私達以上に楽しめる相手なんていると思うの?」
「にゃは♪言いますわね。
でしたら、もう少し楽しませて頂きましょうか。そうですわねぇ。ではこうしましょう。」
「楽しいの頼むよぉー。」
「東の大陸、赤い岩山に囲まれた土地のどこかに、伝説の大海賊キャプテン・ベックスの財宝が隠された洞窟があるそうですわ。
本当かどうかも分からない噂に等しい伝説ですが、そこを目指してみませんこと?
どちらが早くそこに辿り着けるか、その速さで競いましょう。」
「へぇー。意外とまともじゃん。」
「長く楽しむ為ですわ。負けたらもちろん、
殺しますわよ。」
「自分が負けるって選択肢ないのぉ?あんたが負けたらどーするんよ?」
「そんなことあり得ないですが、その時は貴女の好きになさったらいいわ。」
「オッケーオッケー。考えとくよぉ。」
「では、スタートは本日の日没としましょう。
せいぜい頑張ることね。」
マストから吊り下げられたロープを使い、ロリスがエミレーツ号の甲板に乗り移ってきた。
「あら、船長。何しにいらしたの?」
「お前さんを迎えに来たんだろ?世話の焼けるお姫さんだ、全く。」
「あら、そうでしたの。ご苦労様。
聞いていましたわね?
今日の日没、出航ですわよ。」
「分かった。」
ロープの端に括りつけられた木片にゲルダを乗せると、ロリスは反動をつけてホワイトハートレーン号に向けて押し出した。
「おい、ロリス★」
そんなロリスにロシツキーが声を掛けた。
「なんだ?」
「あいつはまだ、帝国の軍部と繋がってるんだぞ♥️分かってるのか?♣️」
「そのようだな。」
「正気か?♦️」
「ふん。
俺達が海賊としての武力を上げる為にも、あの国の軍事力を取り込めるのなら願ったりだ。」
「奴は危険すぎる♠️逆に取り込まれるぞ★」
「させない。
今はまだイカれたままだが、その内変えて見せるさ。」
その言葉に、ロシツキーの顔が強張った。
「おいおい、まさか、惚れてんのか?♥️」
「どうだろうな。
だが、奴の経歴を知っちゃあ、放ってはおけないだろう。」
「経歴?♣️」
「奴は、軍部の生体実験の犠牲者だ。
人間を強化する実験で薬品を投与され、高い知能と引き替えに精神が不安定になったらしい。
そんなの知ってしまったら、なぁ。」
「お前、バカだろ♦️」
「ふん、何とでも言えよ。お前ならどうする?」
「俺なら関わらねぇ♠️」
ホワイトハートレーン号から、今度は空のロープが投げ渡されてきた。
「よく言うぜ。
ま、そーいうこった。
悪いが、付き合ってもらうからな。」
ロープに掴まり、飛び乗りながらそう言い残すと、ロリスは自らの船へと戻っていった。
「何だかんだで似た者同士ぃ?」
「うっせぇなぁ、ルイーダ★」
「ほぉんと、海賊ってなんでこー単純なんだろーねぇ。」
「海賊だけじゃねぇだろ♥️
お前んとこの勇者様だって単純じゃねーか♣️」
「意味がよく分かりませぇん。」
「ほんと、どこのお姫様も世話が焼けるぜ♦️」
つづく。




