第32話 伸びる理由
模試の成績表を見るたび、将太の胸には小さな引っ掛かりが残った。
自己最高順位。
嬉しい。
けれど。
これは本当に、自分で取った点なのか。
「また見てる」
隣で悠真が言った。
「何を」
「成績表。今日だけで四回目」
「数えてんの?」
「目に入るから」
冬期講習の開始前。悠真はもう、昨日返された数学の解き直しを始めていた。
「急に点が上がったら、どう思う?」
「嬉しい」
「それだけ?」
「理由を調べる」
「普通、もっと余韻に浸らん?」
「浸っても次の点は上がらない」
「出た。正論」
悠真は将太の成績表を受け取り、答案と見比べた。
「数学は途中式が増えた。英語は空欄が減った。国語は最後まで解いてる」
「それは分かってる」
「なら、上がる理由あるじゃん」
「でも、考える時間が人より長かったら?」
「時間が増えても、知らないことは解けないよ」
悠真はあっさり答えた。
「単語を知らなければ英語は読めない。公式を知らなければ数学も解けない。時間があっても、できることがなければ何も増えない」
その瞬間、答案から白い線が伸びた。
解き直しノートへ。
単語帳へ。
時間配分を書いた付箋へ。
線はすべて将太自身へ戻っている。
空席には一本も届いていない。
誰かにもらった点ではない。
観測地図は、そう示していた。
「……そっか」
「納得した?」
「ちょっと」
悠真の背後で、羽扇の老人だけが将太を見ていた。
正確には。
白い線の途切れた先にある、将太の空席を。
◇
数学の演習が始まった。
残り十二分。
将太は解けずに飛ばした図形問題へ戻る。
補助線が浮かばない。
その時、音が消えた。
鉛筆も、時計も、講師の足音も止まる。
停止世界。
将太は反射的に問題を見た。
ここなら、いくらでも考えられる。
『やめろ』
三成の声だった。
「何で」
『ここは答案を作る場所ではない』
「でも時間は止まってる」
『時計が止まっているだけだ。お前の脳は動いている』
三成は冷たく言った。
『ここで一時間考えれば、お前は一時間分疲れる。明日使うはずの思考を先に使っているだけだ』
将太は、最近の頭痛と眠気を思い出した。
「じゃあ、どうやって戻る」
『答えを探すのをやめろ』
「無理だろ」
『なら、ここに残れ』
将太は問題用紙を見る。
あと少しで解けそうだった。
けれど、ここで取った一問を自分の点だと思えるのか。
シャープペンを置く。
目を閉じる。
答えを手放した瞬間、教室の音が戻った。
時計は一秒も進んでいない。
将太は現実の十二分でもう一度考えた。
補助線を引く。
消す。
前の小問へ戻る。
条件を拾い直す。
残り三分。
式がつながった。
終了の合図と同時に、最後の数字を書く。
正解かは分からない。
それでも今回は、自分で解いたと言えた。
◇
休み時間。
心陽の席は空いていた。
「気分悪いって、さっき出ていったよ」
近くの女子が教えてくれた。
将太には、心陽の机から伸びる白い線が見えた。
線は保健室へ向かっていない。
壁を抜け、白い霧の中へ続いている。
その上に黒い文字が浮かんだ。
『第二観測点 同期開始』
続いて。
『接続まで、あと一日』
「明日、何が起きる」
三成が現れた。
『分からん』
「嘘つけ。知ってる顔だろ」
『知っているのではない』
三成は心陽の空席を見つめた。
『一度、見たことがあるだけだ』
いつもの皮肉はなかった。
その目にあったのは。
将太が初めて見る、後悔だった。




