「アタシの輝きに興奮してる?」 ネオンちゃんが見つけた夜の理科室
聖メンデーレフ魔法女学院の夜は、昼間の賑やかさとは打って変わり、静かで神秘的な雰囲気に包まれる。
初夏の夜空に輝く月明かりがステンドグラスを透過し、床に幻想的な模様を描き出す。
女生徒たちが眠りについた寮の窓からは、時折、微かな魔法の光や、夢の中の寝言が漏れ聞こえる程度だ。
その静寂を破り、二つの小さな影が古い理科室の扉に忍び寄っていた。
一人はアクアブルーの髪、もう一人はバーミリオンの髪。
水素ちゃんとネオンちゃんだ。
「しーっ! 静かにね、ネオンちゃん!」
水素ちゃんは指を口に当て、ネオンちゃんに注意した。
彼女は夜の学院の静けさに、少しだけドキドキしているようだった。
水素ちゃんが夜更かしをするのは珍しい。
彼女が今日理科室に忍び込んだ目的は、窓から見える学院裏の森の上空に広がる、満天の星空を観察することだった。
理科室の望遠鏡なら、もっとよく見えるかもしれないと思ったのだ。
一方、ネオンちゃんはというと、水素ちゃんとは全く違う理由でここにいた。
「大丈夫よ、水素ちゃん。アタシが来れば、どんな場所だって華やかになるんだから。夜の理科室は穴場スポットよ! アタシの輝きで最高にムーディーにしてあげる!」
彼女は目を輝かせ、すでに体から淡い光を放ち始めていた。
派手好きのネオンちゃんは、夜の学院という「秘密の場所」の雰囲気にすっかり興奮しているようだった。
誰にも見られない場所でも、彼女は輝くことをやめられない。
それは、誰にも干渉されない希ガスである彼女が、自身の存在を証明しようとする、ある種の無意識の欲求なのかもしれない。
二人は軋む扉を開け、理科室の中へ足を踏み入れた。
薬品の匂い、古い実験器具、骨格模型や臓器模型。
昼間とは違う、少し不気味な空気が漂っている。
ネオンちゃんは、この雰囲気を一層「ムーディー」にしようと、自身のネオン光を強めた。
赤橙色だけでなく、希ガス仲間のヘリウム(He)のような黄色、アルゴン(Ar)のような青紫色の光も混ぜて、理科室をカラフルにライトアップする。
「どう? 綺麗でしょ!」
得意げに周囲を照らしていたネオンちゃんが、突然息を呑んだ。
「な、何あれ…!」
ネオンちゃんの光が、部屋の隅に置かれた一体の人体模型に当たると、その模型がぼんやりと、緑色に光り始めたのだ。
暗闇の中で不気味に光る骨格。
水素ちゃんは「え? 何あれ… 怖い!」と小さな悲鳴を上げた。
そのスカイブルーの瞳は、恐怖で丸くなっている。
彼女は怖いものが苦手だ。
特に、夜の暗闇で光るなんて、想像するだけで足がすくむ。
しかし、ネオンちゃんの反応は違った。
恐怖よりも、奇妙な興奮が勝っている。
「キャー! ホントだ! 光ってる! でも、アタシの光に反応してるってこと? ちょっと嬉しいかも!」
彼女はネオン光を人体模型にさらに強く当ててみる。
すると、模型の光も少し強くなったように見えた。
それは、まるでネオンちゃんの輝きに引き寄せられているかのようだ。
ネオンちゃんは、自分自身の不活性ゆえに他の元素と反応できないという寂しさを、心の奥底で感じていた。
だから、自分の光に反応してくれる「何か」がいるかもしれないという可能性に、無性に惹きつけられたのだ。
怖がる水素ちゃんを見て、ネオンちゃんは得意げに胸を張った。
「大丈夫よ、水素ちゃん! アタシがバリアで守ってあげるから! 希ガス特有の安定性! これぞアタシの特技! 聖域展開!」
そう言って、彼女は自身の周囲に淡いネオン光のドームのようなものを作り出した。
それは物理的なバリアではないが、精神的な安心感を与えるような、静かで安定した光の領域だ。
水素ちゃんは、その光の中に身を寄せ、少しだけ落ち着きを取り戻したようだった。
恐る恐る、二人は光る人体模型に近づいてみる。
ネオンちゃんの光を頼りに、じっくりと模型を観察した水素ちゃんは、あることに気づいた。
「あれ? これ、なんだか塗ってあるみたい… キラキラしてる」
水素ちゃんが指で模型の表面をそっと触ると、微かに粉っぽい感触があった。
ネオンちゃんも興味津々に顔を近づける。
「ホントだ! これって… 蛍光塗料じゃない?」
ネオンちゃんは、自身の知識を披露するかのように言った。
彼女は派手なものが好きなので、光る素材にも詳しいのだ。
暗闇でぼんやりと光るものは、大抵の場合、光を蓄えたり、特定の波長の光(ネオンちゃんの光も含まれる)に反応して光を放つ蛍光物質が使われている。
「なーんだ… お化けじゃないんだ…」
水素ちゃんはホッと息をついた。
少しがっかりしたようなネオンちゃんは、安心したせいか気が緩んだ。
「なんだ、そんなこと。せっかくアタシの光に反応したのに、単なる化学反応だったなんて、つまんないの」
そう言いながら、ネオンちゃんはもっとよく見ようと、人体模型にぐっと顔を近づけた。
しかし、厚底ブーツを履いている彼女は、足元がおぼつかない。
「うわっ!」
バランスを崩したネオンちゃんの手が、人体模型に強く当たってしまった。
ゴロゴロと音を立てて、高さのある人体模型が、よりによって水素ちゃんの方へ倒れてくる!
「きゃー! 危ない!」
水素ちゃんは咄嗟に反応した。
恐怖で硬直しかけた体だったが、間一髪、彼女の特技が発動する。
「水の魔法! 受け止めて!」
地面に溜まっていた僅かな水分が、水素ちゃんの魔法に応えて凝集し、クッションのように人体模型を受け止めた。
大きな模型は、水の上でゆらゆらと揺れ、水素ちゃんの上に直接落ちることはなかった。
「もう! ネオンちゃんったらドジなんだから! 危なかったじゃない!」
水素ちゃんは顔を真っ青にしながら、ネオンちゃんに怒った。
水の魔法で模型を浮かせているため、彼女の体は少し震えている。
ネオンちゃんは、倒れた模型と水素ちゃんを見て、バツが悪そうにしている。
「あ… 悪かったわよ! でも、アタシのバリアがあったから、そんなにパニックにならなかったんでしょ! アタシがいなかったら、アンタもっと怖がってたでしょ!」
彼女は少し強がったが、確かにネオンちゃんの存在とバリアは、水素ちゃんに多少の安心感を与えていた。
そして、水素ちゃんの素早い水の魔法が、彼女自身を救ったのだ。
普段は反発しがちな二人だが、この危機を通して、お互いの能力が全く違う形で役に立つことを、無意識のうちに感じ取っていた。
「もう、早く戻そうよ!」
水素ちゃんは水を操り、ネオンちゃんは模型のバランスを取るのを手伝う。
協力して、なんとか無事、人体模型を元の位置に戻すことができた。
「ふう… びっくりしたね」
「まったく。散々な目に遭ったわ。でも、夜の理科室もたまには面白いわね… ちょっと寒気がするけど」
ネオンちゃんは肩をすくめた。
二人は顔を見合わせ、そして、時計を見た。
時間はすでに真夜中を過ぎていた。
「もうこんな時間! 早く寮に戻ろう!」
「え、早く! 見つかったら大変!」
さっきまでの恐怖も忘れ、二人は慌てて理科室を飛び出した。
闇夜に紛れて駆ける二つの小さな影。
理科室には、ぼんやりと光る人体模型と、微かに残るネオンの残光だけが残された。
そして、誰にも知られることなく、その人体模型がなぜ蛍光塗料で光るのか、その塗料がいつ、誰によって塗られたのか、学院の歴史の影に隠された小さな謎が、そこに静かに存在し続けるのだった。