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 陽も傾いて影が伸びる頃、廊下を歩いていた時のことだ。


「……タイシー!」


 遠くから大声で一人しか使わないあだ名を呼ばれ、今度はなんだろうとやや疲れたキースは緩慢に振り返る。

 廊下の先にいたのは予想通り淡いピンク色のワンピースに身を包んだフェリシアだった。


 そのフェリシアが膝丈のワンピースから覗く片足を後ろへと退き、両腕を曲げてなにやら構えた。


 その知り尽くした構えに嫌な予感がする。


 キースは声を張り上げつつ、自らも走った。


「……危ないから! 廊下を走ったら駄目だよ!!」


 叫びも虚しくフェリシアはよーいドンとばかりに廊下を蹴った。


 しかしたったの数歩で廊下の床に伸びる絨毯に足を取られ、体勢を崩す。

 走る勢いのまま倒れるフェリシアを胸に抱きとめ間一髪転ぶのを阻止できはしたが、いつも以上に近い距離だとか、髪から香る海の爽やかな香りだとかを気にする余裕はキースにはない。


 騒ぐ心臓を誤魔化すようにして叫んだ。


「……聞かなくても分かるよ! ジーンだね!? ケンタウロス族の求婚は足が速いかとかそういうのだな、これは!?」


 案の定胸の中のフェリシアは「よく分かったわね?」と首を傾けた。


「求婚の話じゃなかったんだけど、ケンタウロス族の集落では足が速い女の子がモテるそうなの。どう? わたし、速かった?」


「速いかどうかの判断をする前に転びそうになってたよ! ……お願いだから危ないことはしないで。君が怪我をしたら……その……い、嫌なんだよ……」


 そっと体を離しつつ言うとフェリシアは丸い目を瞬き、慌てて飛び退いた。自らが飛び込んだのがどこなのか、ようやく気付いたらしい。

 指先で乱れたスカートの裾を直して気恥ずかしさを隠すも、しかし薄桃色の口角はニマニマと上がって行く。


「分かった。次からは危なくないように求婚するわね」


 などと本当に嬉しそうに言われたら、もうキースには何も言えなくなるのだった。






 主に城を守る近衛騎士達が利用している修練場には多くの騎士達が剣や槍を持ち鍛錬に励んでいた。修練場の外周には見学者が腰を下ろせるようにとベンチがぐるりと備え付けられている。


 その中の一つに腰を下ろして汗を拭う大柄な男を見つけて、キースは疲れたように声をかけた。


「ジーン。お願いだからフェリシア嬢に変なこと吹き込まないでよ。人魚が走るなんて、危ないだろ」


「……んあ?」


 グラスというよりもジョッキといった方がいいほど大きな持ち手付きのグラスから水を一気に飲み干したケンタウロス族のユージーンは小さな目を丸くしたのちに──吹き出した。


「ははは! ってことは、あの嬢ちゃんの求婚のお相手ってのはあんたかい? そりゃあお気の毒になぁ」


 あの嬢ちゃんは他の種族からも求婚について聞いてたぞと添えられて、げんなりと肩を落としたキースだ。


「まだあるのか……」


「まだまだ。スライムの求婚だけはあの嬢ちゃんも実践できそうにないが、他は色々と準備もしているそうだ」


「……スライムの求婚って?」


 彼女にすら実践出来ないというのは少し気になる。

 ジーンは少し言いにくそうに首を傾けた。


「……ええっとなぁ。確か、お互いの体を一つにするとかなんとか……ん? 実践できなくもないか?」


 あまりの羞恥で全身に血が上る。


 フェリシアならやりかねない。


 やりかねないし、やられたらグランドーラ王室の恥として歴史に名を刻むだろう醜態を晒すこと必至だ。


「ほ、ほかに彼女はどんな方法を聞いてた? 先に聞いておかないと連日これじゃあ身がもたないよ……」


 のんびりした気質のユージーンは再び首を傾けつつ、少し困ったように笑った。


「──そうか。あんたは、人魚との結婚は嫌なのか」


ありがとうございました。

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