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 深く降りた沈黙を破ったのは、父王陛下だった。


 立派な拵えの椅子から立ち上がり、俯いたままの息子の前に歩み寄って、宥めるようにして言った。


「お前の気持ちはわかった。しかしそんな理由で結婚されるリディア嬢のことも考えてあげなさい」


「……はい」


 兄も、弟の肩に優しく手を乗せて微笑みを浮かべて言った。


「私もヴィオラどのも、ついでにアデルもな。お前とまた兄弟で仲良くしたいと思っている。今度二人で腹を割って話そう。お前が何に憤って悲しんでいるか、聞かせて欲しい。久しぶりに兄と呼ばれて嬉しかったよ」


 昔から変わらない兄の優しい声に体の強張りも解けて、僅かな逡巡とともにキースは口を開いた。


「…………兄上……」


「ああ。なんだ? ──ん?」


 躊躇う弟を優しく促す王太子は、執務室の扉の外が騒がしいことに気が付いた。


 父王もキースもそれにつられるようにして、同じ動作で目を扉へと向ける。


 立派な両扉がこれでもかと音を立て、これまたこれでもかというほど大きく開け放たれた。




 建国数百年にも及ぶ大国でも類を見ないほどの不敬を働いた主は、丸く滑らかな頬を赤く染め、扉の真ん中に堂々と仁王立ちしていたのだった。


「タイシ! こんなところにいたのね!」


 国王の執務室(こんなところ)にいた国王親子は同じ仕草で目を丸くして、侵入者を見つめている。


「ずっとずっと探してたのよ! やっと見つけた!」


 どことなく怒っているように見えるフェリシアは憤然と足を踏み出し、固まるキースへと歩み寄る。


 普段は穏やかに弧を描く眉は険しく寄り、キラキラ輝く瞳は今や鋭く釣り上がっている。まつ毛の一本一本まではっきり見えるほど近くまで歩み寄ってきた人魚は、耳まで赤く染めながらも果敢に宣言してのけたのだ。


「タイシ。わたし、諦めないから!!」


「……え?」


 何を? と思ったキースを誰も責めないだろう。それはあまりに唐突で、主語がなかったのだから。


「えっと……お茶会のお菓子のこと?」


 だがこの一言はちょっとひどいなと王太子と父王はこっそり思っていたが、口は挟まなかった。

 フェリシアの赤い頰が林檎のように丸みを帯びてもだ。


「違う!! もうっタイシはわたしをなんだと思ってるの!」


 食いしん坊な人魚だと思っているが、それは口に出さないだけの分別はキースにもあった。

 しかしそれなら何をと首を傾けたキースに、とうとう特大の爆弾が投げつけられたのだ。


「わたしはタイシのお嫁さんを諦めないって言いに来たのよ!」


「………………」


 頭の中が真っ白になる。


「……い……今の話を聞いていなかったの……?」


 思わず聞いていた。


 重厚な両扉が廊下から取り次ぎを挟んで二重に備え付けられている執務室の会話が廊下に聞こえるはずはない。それは分かっていても、ほとんど願望を混ぜての質問だったが、フェリシアはきょとんと首を傾けたのだ。


「話って? 人魚族は猫人族と違って耳が良くないから聞こえなかったわ」


 どうして聞いていてくれなかったのか!


 理不尽な叫びは辛うじて口からは飛び出さなかった。

 しかしフェリシアの口からは次々に人間の言葉が飛び出したのだ。


「これはあなたへの宣戦布告なの! なせばなるよ! 勝って兜の緒を締めるの!」


「だから誰が君にそんな言葉を教えたの!?」


 相変わらず人魚の口からは妙な言葉ばかり飛び出して、その上意味が悉く食い違っている。最後のは勝っているし。


「婚約ってそんな……簡単にやめられるものじゃないから……!」


「それでも戦うの。戦う前から負けを認めてたら、人魚はみんなサメのお腹の中よ!」


「それ人魚の間では定番の例え文句なの……?」


 脱力して訴えるもフェリシアは憤然と宣言したのだ。


「わたし、負けないから!」


 キースの狼狽はピークに達していた。フェリシアの『好き』が本当に自分と同じものだとは思わなかったし、まさかフェリシアがここまではっきりと気持ちを伝えてくれるとは思っていなかった。


 何より普通の令嬢であれば婚約者がいる時点で身を引くのは当然の礼儀である。しかしこのご令嬢は普通ではないことは、とっくに分かっていたことだ。


 ほとんど睨んでいるような鋭い桜色の瞳から逃げるようにして、背後に立つ頼りになる存在へと言い募った。


「兄上! 助けてください!」


「ああ、ずるい! オーグ兄様はわたしの味方よね!?」


 二人分の必死な視線を受けて、オーグストは思わず呻いた。


 反抗期からやっと和解できた可愛い弟、出来たばかりの愛らしい妹。


 天秤は揺れに揺れた。


「……父上」


 そして兄はこの問題を頼れる父に投げた。


 二人のすがる目が目を丸くして傍観に徹していた国王へと移る。

 唖然としてこの騒動を眺めていた国王は、ほんの一瞬も迷わなかった。


「ふむ……お嬢さんにはペンダントを見つけてもらった恩があるからなぁ……」


 困った顔で苦笑する国王に向けられていた二つの目は、面白いほど両極端な光を見せたのだ。


「ありがとう、おじさま!」


「父上! 酷いですよ!!」


 愛する末息子からの非難にも父は動じない。


 大喜びのフェリシアは父陛下に感謝を込めて抱擁し、キースへと向けて勝ち気に笑みを向けたのだ。


「明日から覚悟してね、タイシ。わたしを諦めさせられるなんて思わないで!」


「あっ、ちょっと……!」


 また明日ね! と手を振り去っていくフェリシアに伸ばしたキースの手が虚しく空を切る。


 今、戦いの火蓋は切って落とされたのだ。

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