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SR満州戦記1  作者: 異不丸
第二章 八月二日
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二 遊撃戦


牡丹江省東寧県、興寧線老黒山駅近傍


 機動第一旅団第二連隊では、部隊の移動が始まっていた。昭和一六年一二月の連隊創設以来住み慣れた吉林の兵舎から、牡丹江省の老爺嶺山系に設営された出撃拠点に進出する。演習の名目で特別列車が編成され、早朝に出発、夕方には興寧線老黒山駅に到着する。今夜から、各部隊は完成したばかりの隠密兵舎に宿営するのだ。

 連隊長の羽須美大佐は、今日中に主力移動を終えるように命じていた。明後日には連隊本部と共に進出して、布陣の様子を視察する。本部は老黒山駅の満鉄社宅に置く。来週八日には、旅団司令部による対空遮蔽の空中査察が予定されていた。その二日前までには、留守要員を除く全隊員の進出を終わらせるつもりである。


 連隊前衛の第二大隊は第五から第八までの四個中隊と大隊本部から成る。老黒山駅東側の山中に六中、両脇に五中と七中を配置し、大隊本部は最南端に置く。第八中隊はほぼ総出で拠点陣地の構築にあたっていたから、大隊予備として大隊本部と一緒に最後尾におかれる。

 中衛の第三大隊は、老黒山駅から二つ南の狼渓駅を挟んで東西の山中に陣取る。第九中隊は大隊予備として大隊本部のある次の豊焼駅の西側の山中に置かれた。後衛の第一大隊は豊焼駅の東側の山中に配置された。

 戦闘が始まれば、連隊本部も豊焼駅まで下がる。第二大隊は連隊本部と三十キロ以上も離れることになるので、連絡には困難が予想された。おそらく、第八中隊は伝令用として二個分隊を連隊本部に差し出すことになるだろう。



 第二大隊長の石居大尉は主力移動の先遣隊長として、各大隊が出した下士官と共に、昨夜は豊焼駅官舎に泊まった。部隊主力を乗せた列車は、昼過ぎには汪清を通過して興寧線に入り、まだ明るいうちに各大隊の最寄駅に到着する。駅周辺には住民の目があるから、隠密兵舎への移動は夜陰に紛れるしかない。そこで、各中隊には今朝から兵舎を割り当てておくのだ。

 早朝から豊焼駅の第一大隊、狼渓駅の第三大隊と終えて、ようやく老黒山駅に着いたのは昼である。石居は査察が目的ではないから、一つ一つ兵舎を検分したわけではないが、十キロは歩いたであろう。機動連隊は完全武装三十キロを担いで、一昼夜で八十キロの走破を求められる。石居は疲れていたが、途中は車も使ったので、文句は言えない。同行した小山中尉も汗でびっしょりだが、平気な顔を装っていた。

 第二大隊の作業隊長、古沢少尉の出迎えで、大隊本部の監視哨に案内された。周囲の樹木が日射を遮り、涼しい風が吹く中で老黒山駅周辺を見下ろせる。兵隊があちこちで、分隊ごとに行軍していた。湯呑みが二つ、石居大尉と小山中尉に出される。手に持つと冷たい。一気に飲み干す。井戸でも掘り当てたのか、中のお神酒はひんやりとしていた。


「大隊長、昼食は中隊本部の兵舎でとっていただきます」

「そうか、たしかに腹が減ったな。ありがとう」

「こちらへ」



 一ヶ月での築陣だったので、兵舎は山の斜面を掘り起こして設営した。中から刳り貫いたのではなく、地面を引っ剥がしたのだ。機動連隊の隠密兵舎は、大きな階段のような造りだった。一段は、両脇が寝室で中央が通路である。斜面に合わせて、段々と置いていく。最後に土砂を被せ、周囲に合わせて草葉や樹木を植えて擬装した。

 寝室には一畳の寝台が二段で高さが一間、通路の幅が半間。一個小隊五〇名なら一六段、幅四.五メートル、長さ十五メートルとなる。三十度の傾斜地なら、深さ二メートル、斜面長二十メートルの穴を掘ることになる。地形によって幅と長さを調整し、途中に銃眼をつけた戦闘室を設けたりする。

 一番下が炊飯所で煙草もここで吸う。発生する煙は底部の煙道を昇って、最上部から排出される。火を焚いて発生する煙には、黒い煤煙、白い水蒸気、透明な陽炎がある。煤煙は炭素であり、燃料の種類や燃やし方によってほぼ無くすことができた。無煙炊爨法だ。水蒸気や陽炎は煙道を広く長くして拡散させれば抑制できる。そうして、一番目立つ炊飯の煙を解決していた。


 兵舎設営で炊事場の排煙と共に厄介なのが、汚水と便所である。兵隊は一日におよそ一升強の食物を摂り、二合ほど排便する。小便と合わせると排泄量は一升になる。小隊五〇人なら一日に五斗、一ヶ月で一五石だ。縦横深さが各一メートル半の穴が必要だ。深さはもっとあった方がいい。九割が水分だから、平時なら風を通して乾燥を待てばよいが、それは臭いを広めることを意味する。悪臭と病疫の源となるから、兵舎外に置く。

 その都度、穴に埋めるのが一番であるが、困ったことがあった。関東軍防疫給水部の研究によると、日本兵は同じ場所を好むのだ。もともと日本人は囲まれた中でないと排便できない。緊急事態で開けた野原で行なう場合でも、選択する場所は同じだった。支那、満蒙、朝鮮や露西亜の兵隊が選ぶ所はてんでばらばらで、地形・植生・見通しなどに共通点はない。しかし、日本兵が為す位置は特定できた。


 隠密拠点といっても監視哨や陣地は、戦闘が始まれば発見されるし、造作も簡易なものだから使い捨てればいい。だが、兵舎はそうはいかない。手間ははるかに大きく、新しく構築はできない。兵舎だけは隠密を維持しないと休息もできないし、便所がもとで安眠できないとなると優先順位は明らかである。

 戦闘開始後の排便は各自任意に行い、できれば土をかぶせることにして、それまでは分隊ごとに隠密便所を割り当てる。もちろん、便所の場所は兵舎より低位置とし、兵舎から一〇分の距離をおいた。


「要するに、戦闘開始までは、便所は厳しく管理されるのだな」

 満腹になった石居大隊長は上機嫌だった。

「そうなのです。隠密便所使用規範は、古沢少尉が起案しました。使用時の合言葉、ちり紙の使用寸法、使用分秒まで規定した立派なものであります」

「そうか、そうか。あっはっは」

 小山は、ここでとっておきを披露した。

「その大隊長と同じ名前の防疫給水本部長は、百人の兵隊を使って実験したのであります。本部長は、二つの地点を予想しました」

「ほうほう、それで?」

「六〇人が予想一番に、三九人が二番に集中したのであります」

「すごい的中率だな。残りの一人はどこだ?」

「一番地点のわずか五メートル手前で、武運拙く」

「暴発したか。あっはっは」




挿絵(By みてみん)



 大隊長が駅に戻った後、小山中尉は、第八中隊の小隊長と先任軍曹に集合を命じた。連隊の作戦計画が決定したのは作業隊が戦闘拠点の構築を始めた後で、まだ徹底されてないところがあった。

 関東軍総司令部が最終の『対露作戦計画』を決定し、隷下各兵団に訓令したのは七月五日だ。その骨子は、およそ四ヶ月の持久遅延作戦の間に満州南東部の複郭陣地を完成させ、政府要人や邦人の避難を完結させる。通化を中心とする複郭陣地で一年以上は籠城できるとされた。


 第一段階は開戦後最初の一ヶ月で、国境会戦である。既存の要塞と陣地に拠って、東・北・西の主要正面を死守する。国境線を守備する部隊には退却移動は許されない。迂回して浸透する敵は担任兵団が迎撃する。迎撃兵団は已むを得ざる場合は持久第一陣地までは撤退が許されるが、機に応じて反撃に出る。この一ヶ月の前線は国境線から第一陣地線までの間とされた。

 第二段階は、開戦後二ヶ月めから四ヶ月までである。第二段階発動時には、各兵団は持久第一陣地線にあるものとされた。拠点となる陣地に拠りながら、適宜に遊撃戦を展開して敵軍の進出を遅延させる。戦況と戦力に応じて、三ヶ月をかけて第二陣地まで撤退する。第三段階は複郭陣地での篭城戦である。


 総司令部は二つの前提が満たされれば、作戦成功は十分に見込めるとしていた。すなわち、奇襲がないこと、構築中の第二段階用の主要陣地が完成していることである。そのために数ヶ月、最低でも一ヶ月の猶予が欲しい。

 それゆえに、ソ連の参戦を早めないように、国境では静謐を保ち刺激しない。作戦計画を説明する司令部の参謀は、それを何度も何度も強調した。



 重苦しい沈黙を破って、古沢少尉が質問する。

「機動第二連隊は、第一段階から遊撃戦を展開するのですね」

「その通り。開戦初期から第二段階終了まで、一貫して遊撃戦にあたる。おそらく第三段階でも出撃するだろう」

 小山中尉は明確に答えた。一番肝心な点だった。全員が息を吐いて、沈黙は破られる。

「ふう。四ヶ月を生き残るわけですね」

「無駄に玉砕するなと言われているし、せっかくの遊撃戦だ。これまで鍛えた連隊の実力からすれば、数ヶ月の独立戦闘は望むところだろう」

「山中の拠点は完成しました。隊員には機動力もあります。足りないものは数ヶ月分の弾薬です」

 八中をはじめ第二大隊のほとんどが、小銃弾は六十発だけで、手榴弾は一人一個にも及ばない状況だった。

「爆薬と手榴弾がなければ遊撃戦は成り立たない。わかっている。吉林にもたいして残っていない」

「中隊長!」

 小山を見つめる全員の眼差しは真剣だった。

「駅の近くに倉庫があった。あれは第一五野戦兵器廠のものだろう」

「そうであります!」

 答える声が、兵舎内に反響した。


 昭和一六年の関東軍特種演習では多くの兵団が設立された。第一五野戦兵器廠もその一つで、兵器・弾薬・機材の補給を担当する。東寧南西の大肚子川に本廠を置き、倉庫を周囲に設けていた。狼渓駅には弾薬交付所、老黒山駅には出張所があった。

 第三軍司令部は延吉に移動したから、後を追って六月から備蓄兵器・弾薬の移出を行っていた。第一五野戦兵器廠も機動第一旅団も軍直轄である。同様に、東寧第一から第三の陸軍病院や連隊野戦病院も延吉周辺に移動となり、患者を移送中だ。老黒山駅には歩兵第二八四連隊本部と連隊野戦病院があった。


 どうやら弾薬と包帯の補給の目処は立つと、全員の表情は明るくなった。

「よし。では想定される状況を検討する。第一段階からだ」

「はっ!」

 答える声が、兵舎内に反響する。




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