五 惜別
奉天省、奉天市
第三方面軍の司令部では会同が終わり、兵団長がひとりひとり、方面軍司令官の前に出て別れを告げる。これが今生の終わりとなるかもしれない、後宮大将は丁寧に言葉を交わす。第四四軍司令官の本郷義夫中将が来た。
兵団長らは振り向いて、二人のやり取りを注視する。本郷家は陸軍一家で父親は陸軍大将、細君の父親も陸軍大将である。弟の忠夫も陸軍大佐だったが、二年前にニューギニアで戦死し少将に特進した。陸軍省人事局は、本人が大将まで進むべきだと決めて、沖縄から異動させたのだろう。大方の将官たちは、そう思っていた。
「できれば死んでほしくはない」
「後宮閣下、それは部下を死なすなということですか。戦ですから死人は出ます」
「必要な死はある、勝ち戦でもな」
「なるほど。必要であれば本郷は死んでもよろしいか」
「そうだ。爆薬の二〇キロも抱えて敵戦車に突っ込んでくれ。戦況が許すならばだ」
「これは失礼しました、司令官閣下。本郷は死ぬべきは死に、生きるべきは生き残ります」
「うむ。わしは卑怯とは呼ばんぞ」
「恐れ入ります」
本郷は、新品少尉ばりに踵を鳴らし、敬礼した。後宮は答礼しながら、頭を下げた。第四四軍は大きく西正面へ前進して布陣する。その防衛線を支援するために、第三〇軍や直轄兵団は配置替えされる。後宮の懸案はすべて成案を得たが、そうなるまでに本郷の発言は大きかった。
後宮は思う。沖縄戦は日本軍の玉砕に終わったが、戦闘には大勢の沖縄県民が動員されていた。年寄りも婦人も、そして少年少女らもだ。その人数は、幻のレイテ決戦のために引き抜かれた第九師団などの二万人に等しかったという。
西満州は平斉線や大鄭線を外れれば蒙古の放牧地帯であり、人口密度は少ない。だが、東や北ほどではないとはいえ開拓村は多く、邦人居留民も少なくはなかった。総司令部は彼らの避退のことを考えているのだろうか。
第三〇軍司令官の飯田中将は、方面軍情報参謀の志位正二中佐の肩を叩く。飯田は第一五軍司令官としてビルマ攻略を成功させたが、その時の軍兵器部長が志位の父親である。志位正人少将は今年五月に南方で殉職し、中将に特進した。同じ陸士二三期の岸川中将や鈴木中将も、志位中佐の肩を叩いて部屋を出て行く。
将官たちは互いに別れを交わすと、足早に去る。事態は急迫しているから、兵団司令部を長く空けておく訳にはいかない。一番遠い第一〇七師団の索倫までは六〇〇キロ以上もあり、列車で行けば日付が変わってしまう。方面軍司令部は、遠方の師団長らに輸送機を準備していた。
奉天飛行場には満州国航空隊の基地があり、そこに九七式輸送機と一式双発高等練習機が一機ずつ用意されてあった。空路なら索倫でも二時間ほどで着く。本郷中将は、隷下師団長の乗った輸送機を見送った後、飛行場司令部に足を向ける。奉撫地区防空司令官は、ノモンハンの空の英雄たちの指揮官、陸士同期の野口雄二郎だった。
国都新京、洪熙街
伊藤秘書が満人たちを第二スタヂオへ案内してきた。まだ撮影が終わっていないので、軍服のままだ。足早に歩き去る軍服の秘書と模型地図を見比べながら、要人たちは口々に言う。
「驚きましたな」
「シベリアへ連行されるかと思いました」
そうは言うが、まったく動揺していない顔つきだった。
「演習はどうでしたか」
当たり前のように聞かれた。今日の図上演習については特に連絡していない。だが全員が、終わったばかりの図演の結果まで知っていると思われた。甘粕は苦笑いするしかない。渋い顔で飯島が説明する。
「多くの教訓が得られました。大成功です」
実際に、問題点は明確になった。例えば、奥地ではトラックより馬車が有効なこと、徴用中学生を避退させると満鉄の運行便数に波及すること、警官の偏在を是正すること、等々。とりわけ重要と思われたのは、中継所を設けて区間内・時間内の移動人数を調整することだった。
「つまり、一回での大量輸送に固執せず、日程内で一定数の移動を継続するわけですね。なるほど良案だ」
一番若い国務総理秘書の張紹紀が真顔で感心する。その隣の新京市長の于鏡涛は笑いを堪えているようだ。飯島は顔色を変えないように努める。張が言ったのは、飯島が図演を総括した言葉そのものであった。要するに満人たちは試しているのだ。もちろん甘粕ではなく、試されているのは飯島だった。
よろしいかな、と甘粕が言うと、何事もなかったかのように総務庁次長の王賢偉は本題に入った。
「甘粕さんの策に乗ることでまとまりました。よろしくお願いします」
「わかりました。こちらの希望は邦人避退への全面協力、それだけです。そちらの条件をどうぞ」
しごく平静に甘粕は答える。慌てたのは飯島だ。でかい企みの件だとはわかったが、何も聞いていない。そこで、はっとした。飯島は証人なのだ。甘粕め、謀りやがった。
「はい。一つ、皇帝陛下と満州国政府は新京に留まります。通化には行きません。二つ、甘粕さんの出張には、国務総理秘書と総務庁次長が同行します。どちらかを副使の扱いにしてほしい。三つ、国軍の一部を大元帥の指揮下に戻す。関東軍指揮下から外してです」
飯島は唖然としたが、甘粕は穏やかに答える。
「三つとも異議はありません、了承できます。細部について、いくつか質問もありますが、今、ここでよろしいですか」
今度は経済部大臣の于静遠が答える。
「どうぞ、お願いします」
「二つめですが、わたしは私人として出向くのであって、政府公式の外交ではない。万全を期しますが、どう扱われるかは向こう次第で、未知です」
「はい、それでかまいません。ほかにありますか」
「三つめ、国境前線の部隊に関しては時間が必要です」
「ええ、それは理解しています。だが、緊急に対応が必要な部隊があるのです」
飯島にはぴんと来た。叛乱の兆候だ。
「興安軍官学校ですか」
「その通りです」
「どうやら政府は蒙古族や興安四省について万全ではないようだ。興安軍官学校や興安軍については、たとえば、間に徳王殿下を入れてはどうですか」
いつの間にか、飯島は熱弁を振るっていた。となりで甘粕がにやにやしている。しまったと思ったが、もう遅い。
「さすがは飯島さんだ。おっしゃる通りです。是非ともお願いしたい」
張が拱手した。ほかの三人も、それに倣う。
「え」
統計処の昨年の戸口統計によると、満州国全人口四三〇〇万人のうち四〇〇〇万が満人である。満人とは、満州族、蒙古族、漢族、回族、朝鮮族であるが、蒙古族の比率は低い。清国は満州族と蒙古族の同盟で成立したもので、満州は満州族の故地、蒙疆は蒙古族の故地で特別の扱いであった。
蒙疆のうち外蒙古がモンゴル人民共和国として独立した。内蒙古の東部が満州国治下の興安四省と熱河省である。内蒙古西部は蒙古自治邦政府の統治下にあるが、首班である徳王殿下は満州国内の蒙古人にも影響を及ぼしていた。
日本も無関係ではない。日本は、日清戦争の前から満蒙独立運動を支援し、蒙古人に独立を約束してきた。しかし、いまや反故に近く、独立から自治と言う表現に変わっている。徳王は現実主義者だから、独立や外蒙統一などはめったに口にはしない。しかし、蒙古人の不満は相当に蓄積しており、特に満州国政府や国軍に入った者に顕著だった。
徳王殿下が仲介すれば満州国内の蒙古族を懐柔できるかもしれない。だが、それは蒙古自治邦による内政干渉でもある。今でさえ関東軍の内面指導は不評なのだ。飯島には微妙な問題に触れてしまったという自覚はあったが、場の勢いもある。ままよ、と言い切る。
「軍事的に言えば、興安四省と熱河省はソ連との緩衝地帯である。鉄道沿線と大きな街を除けば放牧地帯で、時間を稼ぐに絶好です」
「歴とした満州国領土を緩衝地帯と呼ぶのはいかがかと思いますが、有り体はそうです。大興安嶺をうまく使えばソ軍の足止めは可能ですが、兵力が不足でしょう」
日本の陸軍士官学校を卒業し、スイス砲兵士官学校にも留学した于静遠が乗ってきて、飯島はほっとした。しばらく、二人の間では機動戦とか遊撃戦とか軍事用語が飛び交う。戦術論を戦わせているのだ。
二人が指差す模型地図を見ると、西満州を守る第三方面軍には戦車の駒が二つあった。独立戦車第一と第九旅団である。それぞれ、中戦車十二両、軽戦車四両、自動貨車十二両を主力とする戦車連隊二個を基幹とする。合わせて五〇両以上の戦車を保有していた。
しかし、対面するソ連のバイカル方面軍には、外蒙古だけで戦車の駒が十個あった。機甲師団が二個、戦車旅団が五個、戦車師団が三個である。ソ連軍の戦車連隊はおよそ五十両の戦車からなるから、日本軍戦車連隊の倍である。西満州に来襲するソ連戦車の総数は千を超えると思われた。
于市長が音を出してお茶を啜り、張が空咳を繰り返すと、ようやく飯島と于大臣は口を閉ざして周りを見る。議題は次に移っていた。
「ご要望の重要施設一覧です」
飯島は、回ってきた冊子を見て妙なことに気がついた。それには軍需の重要施設が記されてあり、各施設の保有する工作機械や諸元も書かれてあった。しかし、工場や発電所はあっても炭鉱や鉱山はない。その疑問を口に出すと、甘粕が答える。
「山は運べない」
満人たちが笑う。
「そうか、ソ連軍が接収する設備の予想なのか」
甘粕が無言で頷く。ヤルタで討議されたドイツの戦後処理の議定書には、現物賠償として国民資産の撤去、生産物の引渡し、労働力の使用とあった。実際に、ソ連軍はドイツの工場の工作機械を引っ剥がしてすべて持ち去ったという。
飯島は、判別できるように屋根を赤く塗れば、空襲を免れるだろうかと考える。うまくいけば、居留民の収容先として使えるかも知れない。まずは、模型地図上に専用の駒を置くべきだろう。
「こうしてみると、やはり奉天周辺が圧倒的ですね」
四人の父親たちが奉天軍閥として、張作霖の下で開発したのが奉天だった。張作霖に馬賊頭目の地位を譲り、警察行政を確立して治安と徴税を確保した。独自の幣制と兵器弾薬の内製化で、政権の基盤を堅固にした。辛亥革命の混乱でも内政の安定を保ち、臨機応変の外交で外国からの投資を中断させなかった。
「莫大な投資と開発を頂いて感謝しています」
王次長が言う。長い間、日本の進出と投資も奉天を中心とした南満州に集中していた。鞍山と撫順の製鉄、奉天と大連の機械などである。北満州の工業化が始まったのはここ十年ほどだ。
「北満で目立つのは哈爾浜の航空産業ぐらい」
「北に引きつける材料はないものかな」
「あれはどうです。満鉄調査部の資料にあった」
「ふむ。関心を引くには十分だ。入れよう」
「王次長は鉱山を専攻されましたから」
哈爾濱特務機関の分析は、昨晩の情報によって裏打ちされた。ヤルタ議定書で定められた連合国の戦後処理方針は、ドイツだけでなく日本にも適用されるのだ。ソ連の目的は満州での戦後処理を一気呵成に達成すること、すなわち『満州国民資産の撤去』である。
米英によれば、日本敗戦後の満州は蒋介石の重慶政府に帰属する。当然、早いうちに国府軍、国民政府が米軍の先導により進駐してくるだろう。それより前に目的を達成するためには、重要目標が集中する南満州までの占領を一気呵成に終わらせなければならない。そのための大兵力であり国境全線同時突破だった。
すでに哈特は判明したソ連の目的に対抗する戦略をいくつか策定していて、一部はすでに発動されている。戦争の主体である正面戦闘は哈特の任務ではなかった。もちろん甘粕機関の本領でもない。しかし、戦場とその周辺の環境を変えることは可能かもしれない。秋草や甘粕の目標はそこにあった。
満人を乗せた車が見えなくなると、伊藤秘書は夕陽に向かって伸びをした。それから、軍服の裾や袖を引っ張って皺を伸ばす。ニュース映画で見る独軍女性事務兵の制服は、いつもピンとしていた。ソ連軍も同じだろう、女性なのだから。
伊藤が合図すると、理事長車が玄関に入ってくる。助手席には上等の協和会服を着た比良社長が座っていた。すぐに後から足音がして、甘粕と飯島が出て来た。二人は車に乗り込み、次の会合がある湖西会館へ向かう。
今夜、湖西会館は関東憲兵隊に貸し出してあった。特別警備隊の再編成と大異動が続いているのだが、送別会を開く料亭を抑えきれなかったらしい。甘粕は大木司令官の依頼を快諾した。大木中将は昨年まで、東條陸軍大臣の下で勅令憲兵を総覧する憲兵司令官だった。もちろん、甘粕とは親しい仲だ。
後席でふんぞり返った飯島が言う。
「順調だ、愉快だな」
甘粕は一瞬考え込んだ後、破顔した。




