三 会同
奉天省、奉天市
第三方面軍の司令部では兵団長会同が行なわれていた。集まったのは、方面軍隷下の第四四と第三〇の軍司令官、第六三、第一〇七、第一一七、第三九、第一二五、第一三八、第一四八、第一〇八、第一三六の各師団長、それに戦車第一と第九、独立混成第七九、第一三〇、第一三四の各旅団長で、全員が将官である。
方面軍司令官の後宮淳大将は心の高揚を感じていた。今日の議事の進め方に関しては、今朝も参謀長と詰めた。満州各方面、東・北・北西の国境正面の緊迫した状況からソ連軍侵攻が迫っていることを共有し、方面軍全体の了解事項とする。その後、方面軍担任で最も危機的な西正面の現状を披露し、打開策を討議する。後宮は、今日は徹底的に議論するつもりだった。
通常、兵団長会同は上級司令部と司令官の意図を末端まで徹底する目的で行ない、討議は必要とされない。議論の中で上級司令部の作戦の瑕疵が露呈すれば、以降の上級司令部の指導に疑心を生み、逆効果になるからだ。だが今回は後宮自身が上級の関東軍総司令部の作戦や指導に疑問を持っている。さらに、各兵団が人員や装備について不満を持っていることも承知していた。
まず方面軍参謀長の大坪中将が、関東軍総司令部の情勢判断として、ソ連軍侵攻の時期は九月以降で来年春が最有力と判断されていると報告した。居並ぶ兵団長の顔色は変わらない。何度も聞いていることだし、もっと厄介な問題を抱えているのだ。どの兵団も人員や装備が充足されておらず、まだ戦える状況にはない。あと一月の猶予はありがたい。
特に後方の複郭陣地を担当する第三〇軍は深刻であった。対ソ開戦後の通化は、関東軍総司令部が移動して来て戦時司令部となり、また満州国皇帝と政府も移って来て臨時首都ともなる。しかし、何の準備もされてなかった。まず通信施設がない。軍用電話線もなく、鉄道電話や地方電話局を使うしかない。飛行場も貧弱なままで、皇帝の御座所もない。これらを一から造成するのであるから、半年以上はかかる。
だいたい、第三〇軍が設立されたのは先月末なのだ。隷下の師団長に見つめられて、軍司令官の飯田祥二郎中将は頷く。南方が長く予備役に入っていたので満州には疎いが、着任以来、軍司令部内でも課題と選択肢は協議してきた。師団や旅団で解決できない問題は上級の軍司令部が解決すべきであり、軍で解決できなければ方面軍司令部にあげるしかない。そのための兵団長会同である。
飯田軍司令官が問い質す。
「各方面からの情報によると、ソ連侵攻は相当に切迫していると思うが」
「軍司令官閣下、切迫しているのは事実です。ソ軍の戦備は充実して来ております。が、しかし、まだ時期尚早なのです。それはソ連参謀本部の作戦立案からもいえます。つまりソ軍は冬を利用するのです」
方面軍司令部の情報参謀、志位正二少佐が答えた。
「黒竜江の凍結以後、解氷以前ということか」
「はっ、そうであります、閣下」
「閣下、ソ軍の侵攻は慎重に二段階で行なわれると思われます」
高級参謀の末弘勇大佐が補足する。一月から二月の酷寒期の戦闘を回避し、かつ一一月以降の結氷を兵站に利用するとなれば二段階作戦となるであろう。第一期作戦は国境線の突破と北満州の要域確保を目的として九月から一一月、第二期作戦が北・東・西三方面からの同時進撃、本格侵攻で三月から四月となる。
飯田中将は頷いたが、西正面を一手に引き受ける第四四軍司令官の本郷義夫中将は納得しなかった。
「それは来たらざるを頼むということではないのか。戦備が充実していながら待つということはあり得ない。また来月でも悠長だ。本職は今月、それも明日か明後日に迫っていると判断する」
本郷司令官の疑義に何人かの将官が頷く。大坪参謀長や後宮も身を乗り出す。しかし、後宮に向き直った本郷の主張は妙な方向に展開する。
「総司令部が侵攻時期を来年とした事由は政府大本営の政略にあり、冷静に情勢判断をした結果ではないと思われる。要するに集まった情報のほとんどを無視しているのです」
真正面から言われて、後宮は答える。
「無視したとは、穏やかではないが」
「評価に失敗したと言い換えましょう。参本の作戦部が重要情報を評価しないのは今に始まったことではない。例えば、昨年の捷号作戦です」
いきなり捷号作戦を例に出されて、後宮大将は面食らった。最初の部分だけとはいえ、捷号作戦の策定には後宮も関わっていた。参謀次長として、基礎となる情勢判断に加わっていたのだ。サイパン失陥を受けて策定された捷号作戦は、海空邀撃戦から陸上決戦までを包括した陸海協同の一大作戦だった。その前提となる陸海軍航空戦力の協同と統一指揮についても、後宮は軍令部と協議にあたった。
あ号作戦の敗北で母艦航空隊を失った海軍は、戦力を基地航空隊に求めた。海軍だけでは不足なので陸軍航空も結集する。連合軍の侵攻は、ニミッツの米海軍がマリアナから沖縄へ、マッカーサーの米豪陸軍がビアクから比島へと、二つの主軸が並進すると予測出来ていた。ニミッツ軍を本土近海で邀撃し、マッカーサー軍はルソン島で要撃する。連合軍に甚大な損害を与えることは可能とされ、まさに一撃講和のために練られた決戦作戦だった。
実際に、連合軍の侵攻は予想通りに推移した。しかし、海空戦での邀撃も地上戦での要撃も不首尾に終わった。陸海空戦力の集中と陸海軍の協同に失敗したからだ。結局、作戦後半では陸海軍は個別対応に終始した。それは作戦進行上に発生した情報の評価と対処が一致しなかったからだ。
本郷中将は、沈痛な表情で続ける。
「捷一号作戦発動直前の台湾沖航空戦では海軍のもたらす過大戦果を作戦部は鵜呑みにした。直後に、情報部の参謀によって戦果確認がされたにも関わらず、それを容れず、陸上決戦場を既定のルソン島からレイテ島に変更してしまった。その影響は甚大で、半年後の沖縄戦にまで及んだ」
会議室の兵団長たちは、本郷が第六二師団長として沖縄に布陣していたことを知っていた。当事者だったのだから、当時の事情には詳しい。連合国上陸直前の異動がなければ、沖縄で戦死か自決しているだろう。それは将官たちにとっても人事ではない。死ぬのは厭わぬが、作戦には納得した上で死んでいきたい。
「今回も大本営作戦部は重大な情報を評価していない。それは二月のヤルタ会談で密約されたソ連の参戦である」
本郷の断定に全員が息を呑んだ。
「米英は帝国領土と満州利権の割譲を確約し、承諾したソ連はドイツ降伏前から極東軍の増強を始めた。この重大情報は参謀総長の梅津大将に届いていない。その前に握り潰されたのだ。そして、ソ連に対する静謐保持が決定された」
後宮は、あり得る事だと思った。結論ありきで作戦を立てようとすれば、有利・有用な情報だけを示し、不利・不用な情報は締め出したがいい。どんなに有能な指揮官でも、偏向した情報では偏向した決定しかできない。ただ、問題なのは、結論が政略であることだ。
後宮をはじめ居並ぶ将官たちは黙考し、部屋の中は静まり返った。その中で、志位少佐が立ち上る。
「軍司令官閣下、失礼ながら、政治政略の話は無用でお願いしたい」
本郷は訝しげに志位少佐を見上げる。兵団長たちも不機嫌に睨みつける。本郷の話はまだ終わっていない。大将と中将の意見交換を、少佐の分際で遮るとは。
「本会同は第三方面軍の作戦に関するものです。ソ軍侵攻時期に関しては重大ではありますが、西正面の防衛あるいは持久に関しては単独で討議できるのではありませんか」
志位の言うとおりではある。たしかに侵攻時期に関わらず西正面の防衛は危機的である。だが、本郷が披瀝する侵攻時期の話が興味深いのも事実だ。参謀長や兵団長の何人かは、後宮司令官を窺う。
本郷は静かに返した。
「情報参謀からとは意外だ。聞くところによれば、総司令部の情報課はソ連軍侵攻の兆候も証跡も、具体的日時を推理するに十分なほど持っている。関東軍総司令部との情報疎通が充分なされていれば、同じ結論に達するはずだ。そしてそれは、方面軍の作戦計画、特に西正面において決定的な影響を及ぼす」
本郷が言わんとすることを悟った後宮は、大坪参謀長に目で合図する。大坪は、さらに言い募ろうとした志位少佐を手を上げて制した。
「わたしは無警告急襲のことを言っている」
口を閉ざして座った志位少佐を見ながら、本郷は続ける。
「四年前、ソ連はドイツに奇襲された。充分に警戒していたにも関わらずだ。なぜか。警戒を行動に移すことを禁じられていたからだ。当時のソ連政府は開戦を望まなかったから、静謐保持の方針で臨み、国境を守る軍にドイツを刺激する一切の行動を禁じた」
全員の顔色が変わった。まさに、今の関東軍ではないか。状況は全く同じであり、すなわち、われは奇襲される。兵団長は全員が同意した。
後宮は感心した。これまで静謐保持を要求しておきながら、今日、どうやって切迫を得心させるか。容易ではないと思案していたが、本郷中将は数分で成し遂げた。そして意味ありげな視線で後宮を見ながら、間をとっている。
龍江省、斉斉哈爾
第四軍司令官の上村幹男中将は、陸軍飛行場の中で仁王立ちになり、上空の航空機を睨みつけていた。市とはいっても斉斉哈爾には高い建物はなく、周りも穏やかな起伏の丘陵地帯である。すでに市外は蒙古の放牧地帯であり草原だから、夏場はどこに降りてもいい。しかし、関東軍総参謀長を乗せた高速双発の百式司令部偵察機ともなれば、それなりの距離と平坦さが必要であった。
第四軍は昨夕から戦備演習に入っているから、飛行場の高射砲は仰角を取っていたし、高射機関銃座も回転する。もちろん、砲も機銃も半分以上が偽装である。めったに離着陸のない飛行場に固定するぐらいなら、前線に回した方が多くの敵兵を殺せる。戦備演習とは臨戦態勢の方便であり、模擬弾ではなく実弾が積まれてあった。演習用の模擬弾や弱装弾は今、兵団の兵器部で実弾に換装中である。
旋回するだけで、なかなか着陸しなかった百式司偵も、上村が無線電話で『臆したか』と怒鳴ると、途端に降下してきた。結構な勢いで急降下に近かったから、驚いた対空砲銃座が回転して指向する。すぐ傍で、ガチャンと槓棹をひく音がした。見ると護衛の兵隊だった。すぐに安全子がかけられる。上村は兵隊に頷いて見せる。兵隊は着陸する機体に顔を向けたまま、口元だけ緩めた。
降り立った総軍参謀長の秦彦三郎中将は、ご機嫌斜めだった。急降下の気圧差のせいだろう。上村は関知せず、用件に入る。すでに敬礼は終えて、機からも護衛からも離れていた。飛行場だから風は強く声は届かないが、二人は低く話す。
「第四軍は、軍司令官の権限において戦備演習を実行中だ。黒河正面および海拉爾正面の状況を受けての決断で、もちろん臨戦態勢のための方便だ」
置かれた椅子に腰を下ろし、しばらく陸士同期生の顔を見つめていた秦中将は、溜めていた息を吐いて答える。
「いいだろう。第四軍の決定に容喙するつもりはない。しかし早まるなよ。時期尚早、少し焦りすぎではないかと忠告はしておくぞ」
「貴様、腹を切る覚悟はあるのか」
「何のことだ」
「ソ連軍に破れたら山田総司令官と総参謀長の貴様は腹切って詫びるのが筋だ」
ふんっと鼻を鳴らして秦は答える。
「負けなければいい」
「勝てるというのか」
「戦わなければ負けることもない」
「何だと。どういうことだ」
しかし、秦は答えなかった。立ち上がると、両手を伸ばして背伸びをする。しばらくして振り向き、煙草をねだった。上村は煙草を出し、火を点けてやる。
「うん、うまい。この辺りは景色がいいな。血で染めるには勿体無い。そう思わんか」
上村は秦を凝視する。とても今言う言葉ではない。
「貴様はずっとロシア畑の精鋭だ。哈特の機関長もやった。明日、ソ連が攻めてくるのはわかるだろう?」
「わかるとも。そして、関東軍が敗北するのもな」
「なるほど、正気のようだ。哈特は状況四に入った。貴様の後輩の秋草少将は判断を行動に移したぞ」
「そうか。秋草部長が出元か。情報課は抑えたつもりだったが」
「どういうことだ。何か企んでいるのか、貴様」
上を向いて煙を吐き出した秦は、落とした吸殻を長靴で潰した。丁寧に、何度もつま先で押し潰す。
「上村」
「どうした、秦」
「日本はもうだめだ。勝てない、負ける」
「そうかも知れない。いや、そうだな」
上村には否定できる材料がなかった。
「それがわかっていて、これ以上、兵隊を殺していいのか」
「いまさら何を言う。攻められたら守る。撃たれたら撃ち返す。軍は国を守るのだ。兵隊の生き死には、その後の問題ではないか」
上村は咄嗟に答えたが、秦は上村をじっと見つめる。必死に見返すが、感情が出てないか自信がない。嫌なやつだ。
「戦争に負けた日本には若い力がいると、そう思った。若い男は兵隊に出ている。無事に帰してやらないと、日本は終わったままだ。本当に終わる。帰してやりたい」
「それは戦わずに降参すると言っているのか、関東軍の総参謀長が」
「関東軍総司令部は大本営の下で動いている。大本営命令を逸脱した独自の判断も行動も許されない。わたしはそのつもりだ」
「あっ」
「ソ連に対しては静謐保持。無用な刺激は不要で、これは大本営の意思であり命令だ」
「まさか、応戦せずに投降するのが大本営の」
上村は絶句した。しかし、秦は冷徹に告げる。
「上村、貴様こそ何か企んでいないか」




