緑のおじさん
知り合いから聞いた話です。
小学校の登下校の送り迎えをしている人たちをうちの地域では「緑のおじさん」と呼んでいます。
実際には定年退職をした方がほとんどなので、緑のお爺さんと呼んだ方がいいのかもしれません。
そんな頭の髪の毛が真っ白になったAさんが、私に話してくれた話です。
私は行きが40分、帰りが独りで速足で歩いて20分、毎日一時間をこの登下校のボランティアに使っています。1日のうちのこの一時間の間だけでも、心から子ども達の今日1日の頑張りや幸せを願って祈りながら犠牲を払わせて頂いています。
「今日も元気で行って来いよっ。」
小学校の校門までつくと50人の地域の子ども達に一人一人握手して学校に送り出します。
このボランティアは他人のためにやっているように見えるでしょうが、本当は自分の為になっているのです。
人の幸せを祈る訓練にもなっていますし、家族も私のこの予定に合わせて気働きをしてくれるので、家族にとっても良い心を使う訓練になっているのです。
どうして私がこういうことをしようという気持ちになったかと言うと、私の長女を助けてくれた社会にありがとうのお返しをしたいと思ったからなんです。
私の長女は中学校の時にいじめにあって不登校になってしまいました。小学校の頃には音楽会で指揮をするぐらい明るい元気な子だったんですが、ある時期を境に身体を縮こめて腰を屈めて俯いて過ごすようになりました。先生に言われて教室に見に行ってみると、顔を机に被せるようにして手をぶるぶる震わせています。
4人兄弟の長女の変わり果てた姿に、私たち夫婦は心を痛めました。
毎日毎日、長女のことを心配していても、私たちには変わってやることが出来ません。親として無力感にさいなまれていた時に、ふと気づきました。
私たちが長女をどうこうすることは出来ない。
私たち自身が自信を持って、他人の為に尽くしていく姿を見せるしかない。
そんな風に気持ちを切り替えると、私たちを助けてくれる温かい人たちが周りに集まるようになってきました。
長女の為に勉強を教えくれる教育学部の生徒さん、引きこもりがちの家までやって来て家族と明るく話をしてくれる人。大丈夫だよと私たち夫婦の肩を叩いてくれる人。
そんな人たちの励ましに支えられて、長女は通信教育で高卒の資格を取り、県外の介護資格を取る全寮制の専門学校へ行きたいと言い出したのです。
私たち夫婦は心配しました。家から出ることも出来なかった長女が寮生活を見知らぬ人たちの中で送れるとは思いませんでした。
止めさせようと思っていた時に、ある人に言われたのです。
「本人が前向きな気持ちになっている時に、応援してやるのが親の役割じゃあないの?」
ショックでした。自分たちが心配の名のもとに、長女の可能性や失敗する権利を奪おうとしていたのです。
長女を信じてやらなければならない。
オロオロする気持ちをグッと押さえて、長女を県外へと送り出したのです。
これが長女にとっては人生の転換点でした。
その県の人たちは長女に優しく対応してくれ、実習先の病院でも後々までアルバイトをさせてくださり、長女はとうとう介護福祉士の資格を取ることが出来たのです。
それからそちらで4年務めさせていただき、祖父の病気を機に家に帰って来ました。
こちらで働きだした時に縁にも恵まれて結婚することができました。今では小6と小4の子どものお母さんをやっています。
「まさか我が子がっ。」「どうして自分がこんな目に?!」
というような【まさかの坂、真っ逆さまの坂】は誰にも起こりうることです。
そんな時に、自分がどう考えてどんな方向に努力するかで結果は違ったものになるんではないでしょうか。
私は人生の借財の返済のため、長女を助けていただいた感謝の心を忘れないために、今日も緑のおじさんをやっています。
その人はそう言って、農作業で日に焼けた顔をくしゃくしゃにして笑いながら、私にそう話してくれたのです。
読んでくださって、ありがとうございます。