第三十二話 落手した目途
淡い緑色の薄いベールに包まれ、仄かに香る草木や土の匂いと共に、私の潰れた足も含め総てが癒やされてゆく。この呪法は……精霊魔術?
「流石、資格を得し者達ですね。まさかアレを力で屠るとは思いもしませんでした」
空間を歪ませ私達の直ぐ側に姿を見せたのは、七賢人緑のタロン。この湖底神殿ヴェルドゥーラの主にして、恐らくはラスボス。
「私は他の者達とは違い中立な立場なのですが、敬意と賞賛を込めまして今回だけは特別に関与させて頂きました」
見かけによらず彼女の力はとても大きく、私の足もあっという間に完治していた。こんなのを相手に私達は勝てるのだろうか?
「さて、ここではなんですから、場所を移しましょう」
タロンは指をパチリ。と、鳴らすと、瓦礫まみれの円形の闘技場から別な部屋に放り出された。
白いレースの様なカーテンがフワリと孕み、その風が私の肌を撫でて通り過ぎてゆく。湿気や蒸し暑さ感は無く、むしろ涼やかで心地良い。教室を横に合わせた様な広さの部屋には、白を基調とした様々な家具が置かれていた。
天幕が付いた三人で寝ても余裕がある程の広いベッド。意匠が凝らされたタンス。質素だけど機能的な机。高い天井からは煌びやかなシャンデリアが下がる。まるで大国の王女様の様な部屋。そんな中で、部屋の中央にデンッと場所を取っている大理石の様な素材で出来たテーブルと、窓際に置かれた枯れているとしか思えない木が植えられた鉢植えが、この空間には不釣合いだった。そして、私達を転移させたタロンは、私達から離れた、テラス側の席に座っていた。
「どうぞ、お掛け下さい」
タロンが掌で椅子を示し私達が席に着くと、それを待っていたかの様に部屋のドアが開かれ室内に入って来たモノは、さっき私達が戦ったマッチョゴーレムの人間サイズ。一体何の素材で出来ているのか、黒鉄色したボディはオイルでも塗っているかの様にテカっていて……何故裸エプロンだ?! ソレがキッチンワゴンを押す姿に、唖然とする以外の表情が出てこない。
タロンの側まで来たマッチョ裸エプロンゴーレムは、一礼した後にワゴンに乗せたティーカップに紅茶を淹れてタロンの前に置く。そして、タロンが一口紅茶を口に含んでいる間に、スイーツが乗せられた、銀で出来ているであろう皿をタロンの前に置く。
その動作は、コイツ本当にゴーレムか?! と、疑う程に流麗に行われ、私達の度肝を抜いた。その後、私達にも同じ様に紅茶とスイーツを置き、ゴーレムは部屋を後にする。あ、一応パンツは履いている様に作られているんだ。
「なあ」
スズタクはテーブルに片肘をつき、人差し指でタロンとスズタクとを往復させた。
「オレ達、ヤるんだろ?」
やっぱりスズタクも彼女がこのダンジョンのラスボスだと睨んでいるか。麻莉奈さんやミルクさんからも、ピリピリとした空気が伝わってくる。
タロンは口につけていたティーカップをカチャリと置いた。
「そんなに私と戦いたいのですか?」
タロンの魔眼が私達にギラリと鋭く向けられ、途端に彼女の身体から黒い靄が立ち昇る。スズタクはそれを見て言葉を呑んだ。
「そ、そういえば。脚を治して頂いて有難うございます」
私の一言で、タロンから立ち昇っていた黒い靄は霧散する。逸るなスズタク。この人も言っていたじゃないか。『自分は中立』だと。
「いえ、先程も言いましたが、あなた方の力に感心しましたからね。礼は不要です」
タロンは再びティーカップを手に取って紅茶を飲み干す。すると、絶妙なタイミングでドアが開き、マッチョ裸エプロンゴーレムが、ティーポットを持って入ってきた。
「このゴーレムって、随分柔軟に動きますね。それに、複雑な命令もこなせる様ですし……」
「分かるのですか!?」
タロンは前のめりに身を乗り出し、かぶり気味で私の言葉に食い付いた。
「コレは私のオリジナルなのですよ。従来の粗悪品とは違って、より高度な命令をこなす事が出来るのです」
それに。と、タロンが言葉を区切ると、マッチョで裸エプロンなゴーレムは、マッスルポーズを取り始めた。
「この素晴らしい胸筋に上腕二頭筋……如何ですか?」
次々とマッスルポーズを取るゴーレム。それをウットリ見つめるタロン。いや、私が聞いているのは外見じゃなくて中身の事なんだが。
「魔力で稼働するゴーレムに、魔力を吸収するオリハルコンを使うなんて常識じゃ考えられません」
タロンと同じくマッチョゴーレムをウットリと見つめる麻莉奈さんが言う。もうなんでもアリだなアンタ!
「製法は、ひ、み、つ、です」
世の男性方なら心を奪われかねない仕草と表情をしているが、同性から見れば、ただイラッとくる仕草でしかない事を、彼女はやってのけた。この中で唯一の男性、元芸能人であるスズタクには、この手の色目は通用しない様だ。
「そんなものなんか、どうでもいい」
「どうでも良くありません!」
声を張り上げ、テーブルに両手をダンッとついて立ち上がる。何故にアンタが反応するんだ? 麻莉奈さん。
「分かっています」
筋肉美のなんたるかを熱く語り始めた麻莉奈さんを尻目に、タロンは話を進める。
「鈴木拓さんの目的は、七徳の宝玉。そして、藤林麻莉奈さんの目的は、七つのアーティファクトでしたね」
タロンは席から立ち上がると、テラスの方に歩き出し、窓際に置かれた枯れ木の鉢植えから、木をズボリと引き抜いてまた席に座る。アーティファクトをそんな風に扱ってるの?!
そして、マッチョな裸エプロンのゴーレムのエプロン部分に、下から手を突っ込んで、仄かに緑に光るゴルフボール大の珠を取り出した。オイマテ、ソレどこにあったヤツだ?!
「こちらが、鈴木拓さんの目的である信頼の珠、そしてこちらが、藤林麻莉奈さんの目的である祝福の杖です。どうぞお納め下さい」
「そう言われてもなぁ……」
「ええ……」
スズタクと麻莉奈さん二人揃ってゲンナリとしていた。まぁ、あんな場所から取り出されたんじゃねぇ……
しかし、要らないとも言う訳にはいかず、二人は渋々と受け取り、スズタクは麻莉奈さんに渡して、麻莉奈さんの能力、四次元ポケ……じゃなかった。マジック・カーセットに仕舞って貰う。
「さて、それでは非常に名残惜しい事ですが、あなた方を元の世界に戻しましょう」
「元の世界?!」
タロンの言葉に驚いたスズタクは、彼女をじっと見つめる。
「ここはルドウェアじゃないよ」
私の言葉にも同様の顔を以って見つめる。
「そうね。あえて言うなら妖精界って所かな」
「流石美希さん。その通りです」
「どういう事なんだ?!」
私は麻莉奈さんから世界樹の話を聞いた時に、ふと疑問に思った。九つの世界が三層に分かれ一つに内包している。それが世界樹だと。だけど、湖の地下に存在するこの世界樹は、底は深く木の根は見えなかったが、上には枝が伸び葉が茂っていて、完結された個の木としてしか見えない。
だけどそれは、そう見えているだけだとしたら? 私達の目からそう見えても、この木は実際には九つの世界を次元を超えてぶち抜いて存在してるのでは? と、仮説を立てた。
各層に居たボスの存在については、一層の原始生命ティラノサウルス、二層の地獄の番犬ケルベロス……に似た狼。そいつ等はやたらと弱く思えたけど、第二層の中層に位置している私達人間からすれば、それより下の層に存在するモノより強くて当たり前。
そして、私達より上位の存在である第二層の上層、巨人の国ヨトゥンヘイムに住まう巨人(ゴーレムだけど)を倒した事により、私達は資格を手に入れた。上層へのアクセス権。と、でもいうのかな。
それを見て、タロンは私達に許可をくれた。第一層の下層である妖精界アルヴヘイムのへの入室を。『資格を得し者』とは、そういう事だったんだ。恐らくこの上には、アースガルズとヴァナヘイムの神界があり、更にその上には、九つの世界を統べるユグドラシルがある。
「素晴らしいですね。良くお気付きになりました」
タロンは私の話に拍手をして微笑む。
「ですが、あまり深入りはしない方が無難ですよ。ここから先は神の領域。人である事を捨てた私達はともかく、人に柵を持つあなた達には、入る事も出来ませんし、もし入れてもその身が無事である保証は何処にもありません。たちまちのうちに、その存在が霧散して無くなってしまう事でしょう」
「……人を捨てた?」
引っ掛かった言葉を私が口にすると、タロンの眉が僅かながら動いた。
「少々お喋りが過ぎたようですね。中立が聞いたら呆れてしまいます」
タロンはやれやれといった風で首を左右に振り、私を鋭い眼差しで見つめる。
「美希さん、深入りはなさらぬように。これは私からの忠告です。努々お忘れなきよう。……それでは、皆さんを最寄りの街に送ります。ごきげんよう」
「あ、ちょっ!」
タロンは有無を言わさずパチリと指を鳴らすと、突然私の肌を強い陽の光が焼いた。虫の喧騒、波の音と共に潮の匂いが風に乗り、焼き付ける私の肌をネットリと舐ってゆく。遠方には、若干湾曲した線が青と蒼を分かち、蒼には真っ白で聳え立つ雲が圧倒的なまでの存在感を放っていた。
視線を下ろせば、青に浮かぶような街があった。陸から僅かに突き出た小高い丘の天辺には高い塔があり、丘の斜面には白で統一された幾つもの建物が見える。まるで、映画や観光CMのワンシーンに出てきそうな街並み。更に視線を落とすと白い砂粒が太陽の光を目も眩むほどに反射し、それが街までずっと続いていた。
「あれは港町リーファか」
スズタクは顔の手前で手を翳し陽の光を遮る。そうしないと眩しくて見ていられない程に、白い砂浜は陽の光を反射していた。
「ええ、そうみたいです」
麻莉奈さんは言葉を区切り、『ですが』と、付け加えた。
「今の時期、観光客で一杯のはずなんですが、何かおかしいですね」
確かに、夏で海。といったら観光客が芋洗い状態で居てもおかしくない。だけど、この砂浜に居るのは私達だけで他には海鳥くらいしか見当たらない。
「街に行ってみましょう」
麻莉奈さんの言葉に私とスズタクは頷く、ミルクさんは暑さで項垂れていて返事も出来ないようであった。
「なんですかこれは……」
麻莉奈さんが現状を目の当たりにして、唖然としながら呟いた。城壁には幾つもの穴が開き、道は抉れて使い物にならない。一部の建物は崩壊し、土で塗り固められている壁には焦げ跡が付いて黒に染まっている。
街全体に戒厳令が敷かれ、まるでどこかと戦争をしているような状態。ビーチに観光客が居ない理由がこれでハッキリした。
「とにかく情報が欲しい。斡旋所に行ってみるか」
確かに。もしも、他国との戦争をしているのならば、傭兵の募集も当然行われるはず。人が居ればなんらかの情報を得られる。私達は焦る気持ちを脚に伝え、人が居るであろう斡旋所へと急いだ。