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嫌われし鳥の生涯  作者: 鳥無し
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第二話『海上』

 鳥は海が良く見渡せる岬に来ていた。あたりには海鳥達すらおらず、静かだ。

 鳥はしばらく、潮の香りの混ざった風を浴びながら、ただ黙って水平線の向こうを見つめていた。岬から見渡す限りは、海の向こうにはなにも無く、無限の青い水の地面が続いているように感じられた。


 鳥は翼を広げ、一度全身に潮風を浴びてから、海に向かって叫んだ。

「海よ! 私はこれからあなたの上を飛びます! 海上の空を駆け、何処までも飛んで行き、大陸を目指すのです!」

 海はその叫び声を、波の音で掻き消す。

「笑いますか? 私のことを? そうですね、あなたはきっと笑うと思います。たかだか数百キロ程度の島の中ですら、休み休みでなければ飛ぶことができない私です。何百、何千、あるいは何万km離れているか分からない大陸を目指して飛ぶのです。きっと私は力尽き、海の中に落ちてしまうでしょう!」

 鳥は恐らく渡り鳥ではない。島の中ですら、一息で飛びきることができないのだから、渡り鳥であるはずが無い。

 しかしだからこそ、島の中で仲間を見つけられなかったということは、世界にただ一羽の存在であるということを証明している。

「私はあなたの中に落ちてしまうでしょう。ですがこれは自殺ではありません! 私はあなたの中に向かって飛ぶのではなく、大陸に向かって飛ぶのですから、これはけっして自殺ではないのですッ! 私は……殺されるのです。大いなる存在であるあなたにッ!」

 海はただそこにあるだけで鳥を殺す。絶望の淵にある鳥を……。

「私の絶望を終わらせるには、もはや『死』以外にはないでしょう! ならば、あなたが与えてください。誰よりも大きなその懐で、私のことを包み込んでください! 私のその命のともしびと共にッ!」

 鳥は最後まで言い切り、大きくはためいて飛び立った。


   *    *    *


 鳥が岬から飛び立ってから、四時間ほどが経とうとしていた。

 飛行距離はせいぜい、一五〇km飛んだかどうかだろう。

 鳥は海上二〇〇mという、低い場所を飛んでいた。普通鳥が海を渡る場合、山を越えるくらい高く飛ぶ。それをしないということは、最初から海を渡ることをあきらめているのだ。

「………」

 鳥はさらに低く飛び、海から十数mの高さまで降下する。海の中に飛び込むつもりはない。自ら飛び込まなくとも、やがて力尽きて嫌でも落ちる。今だけは、美しい海を間近で見たいと考えたのだ。

「……ぅう」

 飛び込む気などないというのに、自分が海の中に墜落する姿が容易に想像できて、鳥の体は震えた。海に引き寄せられているような錯覚にも襲われる。

 さらに海を見つめていると、海の中に影が見え始めた。鳥が呆然としていると、その影はどんどんと数が増えて行き、人間の手のような形に見えてきた。その手の影は、海の中で手招きをして、鳥のことを呼ぶ。早く飛び込めと、早く死ねと呼んでいる。

 強い恐怖心に襲われながらも、鳥はその影を見ることをやめられない。やがてその影が、海の中から鳥に向かって手を伸ばし……。


「うわぁああああ!」

 鳥は叫び、首を大きく振って幻影を掻き消し、数百メートルの高さまで一気に上昇する。

「怖い怖い怖い! 私は死ぬのが怖い!」

 鳥は「怖い、怖い」と言いながら涙を流す。涙を流しながら、己の不幸を呪った。

 なぜ自分はこんなに苦しまなければならないのだ? 自分はただ仲間が居ないだけの普通の鳥だというのに! それを他の鳥達はどうして受け入れてくれない? 受け入れてくれないまでも、どうしてそっとしておいてくれないのだ? なぜ……自分はこんなところを飛んでいるのだ……?

 鳥はフッと空を見上げる。自分は今日死ぬというのに、空はどんよりと曇り、落ち込んだ気分が、さらに沈み込んでしまった気がする。今日くらいは雲ひとつない、青々とした空を見せて欲しかったのに……。

 いや、これでいいのだ。これから自殺するというのに、空が晴れ渡って、晴れ晴れとした気持ちを駆り立てられるようではまるで皮肉ではないか。どんよりとした空の方がこの場合はむしろふさわしい。

 ああ、それより雨が降りだしたらどうしよう? 雷が鳴り始め、嵐になったらいったいどうしたら? そうしたら自分は誰に殺されるのかはっきりしない。自分を殺した相手くらいは覚えておきたいというのに……。

(……変わらないか。誰に殺されようと、それは私より立派な存在には違いないのだから……)

 鳥は心の中でそう呟き、儚げに笑って目を閉じた。

「死にたく……ないな……」


 すると、空から温かな光が自分をさしたような気がした。雲に切れ間でもできたのだろうかと顔をあげると、鳥はその光景に唖然とした。

「怖い怖いと呟きながら、海の上を飛ぶのは一体誰ですか?」

 鳥が見た光景は、強い光をまとった人間の女性が、ゆっくりと雲の間から下りてくる姿だった。

「お前ですか? 悲痛な声が空の上まで聞こえてきましたよ?」

「あ、あなたは誰です?」

「私ですか? 私はこの世界を創った者の一人です」

 世界を創った。ならばそれは神だ。そのいで立ちからも、他の生き物とは違う次元の存在であることが感じられた。この世界を創った……創世の女神。


「お前はそんなに怯えながら飛んで、一体どこへ行こうというのです?」

「た、大陸です。私の住んでいた島には、私の住む場所が見つかりませんでしたから……」

「大陸へ……?」

 女神は鳥を見つめて、少し考えてから口を開いた。

「それはやめておいた方が良いですよ? お前の体はそんな長距離を飛ぶことができるようには見えませんし、こんな低いところを飛んでいたら絶対にたどり着けません」

 女神に大陸までたどり着けないだろうことを予言された……。ならば間違いなくたどり着くことなどできまい。途中で力尽きて落ちるのだろう。鳥は薄く笑った。

「それでいいのです。分かっていましたから……」

「お前……自殺するつもりですか?」

「自殺ではありません。……私は殺されるのです、海によって殺されるのです。私は大陸に向かって飛んでいるのですから、海に落ちて死ねば、それは海によって殺されたことになるでしょう?」

 不思議と穏やかな気持ちだった。最後に女神と出会うことによって、心の整理が付いたのかもしれない。しかし、女神は厳しい表情をしながら鳥を見た。

「いいえ、お前のそれは自殺です」

 鳥はハッとして女神を見返す。


「お前は、大陸にはたどり着けないことを知った上で飛び立ったのです。途中で力尽き、海に落ちて死ぬことを理解していたなら、お前は自殺するために飛びたったのと同じです。勝手に海を殺害者に仕立ててはいけません」

 鳥は俯いた。確かに女神の言うとおりだ。これは自殺以外の何物でもないだろう。だが……。

「私は……私には自殺する勇気などありません! 尻込みしてしまうのです! 死が恐ろしくて耐えられない……それだけの勇気があれば、とっくに海の中に飛び込んでいるはずです!」

「勇気という言葉を使うのはおやめなさい」

 女神はぴしゃりと言った。

「勇気とは尊いもの……。善の行為を行う時、その障害に立ち向かう思いのことを言います。対して自殺は暗い行為。どうしようも無く行き詰まり、生きる希望を失った者がする最終手段です。己の信条や思想から、何かを訴えるために死ぬ者もいるでしょうが、死はそれだけで暗いものなのです」

 今から死のうとしている鳥にとって、その言葉はつらいものだった。女神と顔を合わせないようにすっと俯く。

 女神はそんな鳥に構わず続けた。

「お前は『殺される』と言いました。確かにお前は殺されるでしょう。お前自身によって(・・・・・・・・)

「それは、どういうことですか……?」

「『自殺』は、自分を殺すと書きます。『自死』……自ら死ぬとは書きません。だからあなたは確かに殺されます。しかしお前を殺すのは海ではなく、お前自身。故に、お前がしようとしていることは、間違いなく自殺なのです」

 女神にはっきりと言い切られ、鳥は沈黙する。

「私は自殺が間違っているとも、自殺が悪だとも言いません。しかし、『勇気』という言葉を使い、自殺を美化するのはおやめなさい。どれほどの思いによって自殺を決意したとしても、自殺は所詮自殺です。非常に暗く、悲しい最終手段。それに対して『勇気』という言葉を使うのは間違いです」


 黙って聞いていた鳥が、その女神の言葉に語気を荒げて叫んだ。それは反論と呼ぶにはあまりに感情的で、悲痛な悲鳴のようにも聞こえた。

「だったらなんだというのですか? 神は私の問いかけに対し、『死ね』と答えました! 苦しみしか残っていないのならば、むしろ死んでしまえと言ったのです!」

 鳥は聞いた。天空に向かって、『どうすればよいのか?』と叫んだ時、『死ね』と答える神の声を……。

「神はお前の問いかけに答えてはいません。もし、そのような声が聞こえたとしたなら、お前自身が答えたのです。世界には絶望しか残っていない。生きることは拷問に過ぎない。ならば、死んで解放されてしまえ。お前の心の中がそういう思いで満ちていたから、神の代わりにお前の心の声が聞こえたのです」

「だが、他にどうしようもないッ!」

 鳥は女神相手に構わず叫んだ。

「私は孤独なんだッ! 世界にただの一羽も仲間が居ない。つつましく暮らそうと思っても迫害される。ただ生きることすら私にとっては苦痛になるんだッ! だったら、死んででも楽になりたいと思うのは当然じゃないかッ!」


 女神は表情を変えずに、静かに鳥に問いかけた。

「では……お前が静かに暮らし、迫害を受けることのない土地があったとしたなら、お前は生きようと思いますか?」

「当り前だッ!」

 女神は鳥の目を見据え、その言葉が嘘ではないことを理解する。

「ならば生きなさい」


 その瞬間、大きな雷が近くの雲から発生し、轟音を立てて海に落ちた。

 強烈な閃光と轟音で、鳥は一瞬視力を失う。気がつくと、女神は居なくなっていた。

「……幻? はは、絶望の極限状態にあるのだ、幻覚くらい見てもおかしくはないか……。ん? あれは……」

 そう遠くない所に、海にポツンと浮かぶ孤島が見えた。

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