第十九話『凶鳥』
「ガキは死んだぜ」
その言葉を聞いた瞬間、鳳郎は強い喪失感に襲われた。
出会ってからまだ数時間しかたってない。昔からの知り合いでも、知り合いの子供ですらなかった。
それどころか少年は人間だ。あれほど恨み、あれほど殺した人間なのだ。
血のつながりなど無論ない。親しくなったわけでもない。むしろお互いを憎んだとしてもおかしくない関係だ。
その少年が一人死んだくらいで何だというのだろう?
なぜあの時と……家族を殺された時と同じくらいの喪失感に襲われているのだろう?
「おい、檻が壊れちまったぞッ! どうすんだ!?」
「ビビるなって。相手はたかが鳥なんだぜ? 剣で串刺しにして檻の中に戻して、扉は手で押さえておけばいい。その間に片方が適当な錠前を持ってくるんだ。それで扉を閉めれば分からねぇさ」
失意の鳳郎を目の前にして、門番達はそんな会話をする。
門番の一人が剣を構えて無警戒に近づいてきた。
「笑えるねぇ。ガキ一人死んだのがそんなにショックだったのか? この国じゃ珍しいことじゃない。子供なんざ、毎日のように死んでる。餓死で、病気で、処刑されて。このガキもその一人だったというだけの話だ」
門番はそう言って剣を振りかざす。
「……った」
「あん? なんだって?」
鳳郎が小さく呟いたのを聞いて、門番の手が止まる。
「私は少年の名前も知らなかったんだッ!」
鳳郎がそう叫んだ瞬間、体から炎が噴き出して鳳郎を包んだ。
「うわぁ!」
門番は驚いてその場に尻もちをつく。
『鳳郎』
そして鳳郎は声を聞いた。それはどこかで聞いたことがある声だった。
あれは遥か昔……鳳郎が孤独に苦しみ、神に向かって嘆いた時に聞いた声。
あの時声は、鳳郎に自殺しろと言った。それを鳳郎は神の声だと信じた。しかし女神は、その声は神のものではなく、鳳郎自身の声だと言っていた。
ならばこれは単なる自問自答だ。だが、単なる自問自答が、今は重要なことに思えた。
『鳳郎よ、お前はまた怒りに任せてその炎を使うのか? お前はこの数十年、その過ちに気付き、悔い、苦しんだはずではないか。それにもかかわらず、お前はどうしてまた炎を使う?』
「私は知った。自分がどれほど罪深い存在なのかを、どれほど愚かだったのかを、ここに閉じ込められ、苦しむうちにそれを知った。今回は、それを理解した上で炎を使う!」
『なぜか? 理解したならば、二度とその過ちを繰り返さないように努めるのが筋ではないか。二度と殺害などせぬと、二度と罪を犯すまいとするのが道理であろう? 理解した上でそれをするのはなぜだ?』
「あの時の私には覚悟がなかった。ただただ怒りのままに力を使い、それによって自分がどのように思われ、どのような扱いを受けるかを考えなかった。それに気付いた時、私は傷つき、怯え、死を願った。だが、今回は違う。今回は信念を持って行動する」
『信念? その信念とはいかなるものか?』
「私の生み出した悲しみ、私の背負った罪すべてに責任を果たす。このまま逃げ出したなら、私はその責任からも逃げ出したことになる」
『しかし、他者から見れば同じこと。お前は大量の存在を炎で薙ぎ払い、巨大な恨みを買う。それはお前の願った……お前の愛した者の願ったことに反することになるぞ?』
「すべてから逃げ出し、今から凰子の願ったことに努めようとしても不誠実だ。むしろそれは、今まで以上に凰子を裏切ることになる。それに……」
鳳郎は少年の死体を見やった。
「『凶鳥なら最後まで凶鳥のままでいろ』……その少年の遺言だ。悲しみを生み出した責任として、人々の恨みのぶつける先になろうと思う。それが私のこれからの贖罪だ」
『そうか……凶鳥と呼ばれることを知りながら炎を使うならそれもいい。その瞬間、お前は凶鳥を受け入れることとなる』
鳳郎は一瞬だけ目を伏せ、儚げな表情を作る。
「私は生涯、嫌われし鳥だ……」
* * *
燗姫は玉座に座って頭を抱えていた。大陸侵略が思ったように進まない。
こちらには不死兵がいる。世界中どこの国を調べても、不死の兵を持っている国はないはずだ。これは大きなリードのはず。
だが、それにもかかわらず侵略は進まない。この島を統一するのにも、思ったより遥かに時間がかかってしまった。
不死兵が完全でないことなど分かっている。体中を砕けば不死の期間が大幅に減る。それでも死ににくいことに変わりはないのだから、とにかく突撃を繰り返せば勝てるはず。
戦場の隊長達にもそう指示を出している。勝手に姑息な作戦を立てていた隊長は罷免し、処刑してやった。それ以降隊長達は忠実に自分の指示を守っている。それなのに、なぜ勝てない?
兵士たちに飲ませる不死の血の量を増やすか? 駄目だ駄目だ! そんなことをしたら謀反を起こされかねない。
それに、血の量には限界がある。とにかく自分が飲む量だけは大量に確保しなければならないし、上層部の人間にもある程度血を配って求心力を保たなければならない。いくらでも代わりがいる、下っ端の兵士達に大量の血を与える訳にはいかない。
しかしこのままでは……。
「燗姫様ッ!」
玉座の間に、近衛兵が一人飛び込んできた。
「何よ、騒々しいわね。私は今考え事をしているの」
「火事です! 炎が城に広まりつつありますッ!」
窓から外を見ると、確かに黒い煙が上がっているのが見えた。
「お前ばかぁ? 火がついたんなら消しなさいよ。どうせちょっと体が燃えたくらいじゃ死なないんだから、炎の中に飛び込んで水ばら撒いてきたら? ちょっとは頭を働かせなさいよ愚図ッ!」
燗姫は近衛兵の報告を吐き捨てる。侵略がうまく行っていないだけでもイラついているというのに、火事くらい消せない低能な兵士しか居ないことに、さらに腹が立ってくる。
「そ、それが、火の元は地下のようでして……」
「地下? 何で地下なんかで火事が起きるのよ。普通酸素が無くなって自然に消えるものじゃないの? それに地下の大部分は土でできているはずだし、燃え広がるはずが……あッ!」
そこで燗姫は思い至った。地下から火の手が上がる原因に、久しく忘れていたその存在に……。
「なるほどね。じゃあ普通の火事じゃないわけだ。フフフ……」
「燗姫様?」
燗姫は意外にも愉快そうな表情だった。
この近衛兵は鳳郎のことを知っている。地下で火の手が上がったということは鳳郎が逃げ出したということだ。それを知れば激怒すると思ったのだが……。
「ちょうどいい暇つぶしだわ。イラついていた所だし、久しぶりに凶鳥をイジメて遊びましょう。城の中の兵士をすべてここに集めて! たぶんここに来るはずよ」
「は、はいッ!」
近衛兵は立ちあがって部屋を出て行こうとする。
「あ、ちょっと待って、それと他にも呼んで欲しい者達が居るわ」
* * *
鳳郎は炎を纏いながら地下の壁を打ち破って外に出た。久しぶりの空、しかしその空は曇っていた。このまま上昇し、雲の上に出て太陽の光を浴びたい衝動にかられる。
しかしその欲望を必死に抑え込む。太陽は逃げない。いつだってそこに居る。太陽の光は、誰にでも等しく降り注ぐのだ。その存在がある限り。
ならば、今は責任を果たそう。
鳳郎は城の上空を飛び、玉座の間を目指す。だがその場所を鳳郎は知らなかった。
だがその場所はすぐに分かった。禍々しい気配。燗姫の気配を、城の最上部から感じた。
燗姫が呼んでいるのだ。こっちに来いと呼んでいる。それを断る理由はなかった。
扉が開いていた。鳳郎はそこから堂々と玉座の間に入って行く。
「ようこそ赤き凶鳥さん? あなたに会えて嬉しいわ」
燗姫が居た。初めて会った時と同じ言葉で鳳郎のことを迎えた。
その姿は若く、変わらず少女のままだ。不死の血を飲み、老いることも病むこともなく今日まで玉座に座り続けている。
玉座の間は相変わらず広く、派手な装飾が施されていた。その部屋に兵士たちが集まって、弓や槍を構えている。
「どうやって檻から抜け出したのかは知らない。でも、門番が変わった瞬間にお前が外に出たということは、門番達に問題があったとみて間違いなさそうね。あいつら全員首にして処刑してやるわ。不死人間の処刑ってなかなか見ごたえがあるのよ? クスクス……」
燗姫には慌てた様子など微塵もない。常に上から目線で、他者を見下す態度を崩さない。
「変わらないな燗姫。その姿、その性格……そして他者を食い物にしようとするその思想は、どれだけ生きても改善しないらしい」
久しぶりに相対した燗姫が、まるで変わってないことを理解すると、鳳郎の中に哀愁の気持ちがこみ上げてきた。
「あら、褒められてしまったわ。もっとも、下位の存在に褒められた所でまるで嬉しくはないけどね。だって当たり前のことなんだもの。最上位の存在の唯一の悩みよ。称賛が称賛にならない。この苦しみ、あなたには分からないでしょうねぇ?」
鳳郎は首を振った。
「お前は本当に変わらない。お前のその姿勢が、どれほどの者達を苦しめているか分かるか? ましてやお前は国王なのだぞ? 上の者が下の者を思いやらないで、どうして国が豊かになる?」
「……はッ!」
燗姫は鳳郎の言葉を鼻で笑う。心底馬鹿馬鹿しいと思ったようだ。
「国を治めたこともない鳥風情が……。いい? 国土が広がれば、自然に国民の生活も豊かになる。私が統一するまで、こんな狭い島の中に四つも国があったのよ? 四つも国があれば、資源や人が偏り、成長の妨げとなる。これほど国民の利益を損なうことはないわ。今大陸に進出しているのも同じこと。国土が広がれば国は豊かになる。そうすれば国民の生活も楽になる。今貧困に苦しんでいるというなら、それはそいつが悪いのよ。己が幸せになれるかはすべて自己責任なんだから」
燗姫はそう言って周りを見渡した。すると、部屋中からそれを支持するように拍手が沸き起こる。
「お前の作った制度のせいで、苦しんでる者が大勢いる。それでも自己責任か?」
「自分の無能を環境のせいにされてはたまらないわ。同じ制度の中でも成功する者と失敗する者が出るのは当然。優秀な人間が生き残れるというだけの話よ」
これにも部屋中から賛同の拍手が沸き起こる。燗姫がそれに手をあげて答えると、拍手の音はさらに大きくなった。
鳳郎は部屋の中をざっと見渡すと、燗姫に向かって言った。
「だが、お前がその椅子に座れているのは、お前の父親が王だったからにすぎない」
シン……。
拍手が止んだ。解釈によっては、鳳郎の意見に賛同できなかったから拍手を止めたともとれる。だがその静寂は、明らかに図星を突かれたことの、気まずさを含んでいた。
「だ、黙りなさいッ! お前達もさっきから何をやっているの! さっさとあの鳥を撃ち落としなさいよッ!」
燗姫の命令で、やっと騎士たちは攻撃を始めた。
鳳郎に向かって、大量の弓矢が放たれる。逃げ場はない。そのままそこに居れば体中を矢が貫く。
鳳郎は翼を広げ、大きく羽ばたいた。すると、体を纏っていた炎が矢をすべて焼き落とした。その炎はそのまま下に向かって降り注いで兵士たちに燃え移る。
「う、うわぁああああッ!」
「熱いッ! 熱いッ! 熱いッ!」
部屋中に響く悲鳴。部屋中に広がる人間の肉が焼ける臭い。さながらその光景は地獄絵図だった。
「ひ、怯むなッ! お前達は不死兵だろうがッ! 休まず攻撃を続けろ!」
隊長クラスの存在が兵士たちにそう命令する。
だが無駄。どれほどの矢を放とうと、それは鳳郎に届く前に灰になる。仮に鳳郎の体に届いたとしても、鳳郎がそれで死ぬことはない。
「ああ、これは軍が丸ごと焼かれるのも無理はないわね」
燗姫は腕を組みながらぼーっと自分の兵士たちが焼かれるのを眺めていた。
最初から兵士たちが鳳郎を捕まえられるなんて思っていない。今城の中に居る兵士程度で捕まえられるものなら、赤き凶鳥などと呼ばれることはなかっただろう。
燗姫の目的は時間稼ぎ。燗姫は、兵士のほかに呪術師達も呼んでいたのだ。鳳郎がこの部屋に入ったのを見計らって、この部屋の外側に封印の呪文を施し始めているはずだ。後数十分もあれば作業は終わる。その間、時間を稼げばいい。
(馬鹿ね赤き鳥。あんたを閉じ込めていた檻は、所詮皿でしかなかったことを忘れたの? あんたを封じ込めるための呪術は、今も町中にしっかりと施されている。この部屋を丸ごと皿の役割にすれば、またお前は力を失うわ。鳥頭は所詮鳥頭でしかなかったってことね。アハハッ!)
燗姫は心の中で鳳郎を嘲笑う。
自分は優秀だ。長い間誰も捕まえることのできなかった凶鳥を捕えたのは自分だ。今もこうして罠を張り、凶鳥を手中に収めようとしている。誰も自分のことを馬鹿になどさせないッ!
鳳郎は、あらかた兵士たちを蹴散らし、一気に燗姫に迫る。
「お前が最後だッ!」
「あはははッ! 凶鳥、私のことを焼くつもり? いいわよいいわよ? 焼けばいいじゃないッ! でも私は、あんたを捕まえた日から血を飲まなかった日はないッ! 分かるぅ? それだけ私の不死は頑強なものになってるということよッ! 一度や二度焼いたくらいじゃ死なないッ! それでも私を殺すことにこだわる? だったらそうしなさいよ、その間にあんたを捕まえて見せるわッ!」
燗姫は勝利を確信して高笑いを浮かべる。そんな燗姫を、鳳郎の炎が激しく包む。
「うわぁあああああ! 熱いッ! 熱いわねッ! 忘れないわよこの熱さッ! この苦しみッ! 仕返ししてやるからね。お前をもう一度捕まえたら必ず味わわせてやる……前以上の苦痛をッ!」
燗姫は笑った。灼熱の炎に焼かれながらも笑って見せたのだ。覇王として、威厳を失うまいとして必死に笑って見せた。
「………」
鳳郎は厳しい目をして燗姫を見た。燗姫はそれを、鳳郎が焦っているのだと解釈した。
「ハハハッ! どうしたの? 私が悲鳴を上げなかったのがそんなに残念? 苦痛の表情を浮かべなかったのがそんなに悔しい? ざまぁあないわね。所詮あんたは私を超えられないッ!」
「私にお前を裁く資格などない。むしろ、私にも多くの罪があり、裁かれなければならない存在だ」
「はぁ……?」
燗姫は、突然鳳郎と会話が成り立たなくなって首をひねった。とうとう会話もできなくなるくらいに落ちぶれたか?
「だが責任は果たさなければならない。そのために、お前を滅ぼす」
「何言ってるのよ。私は死なないわ。ほら、私の体を……みな、さい……?」
燗姫は不思議だった。右腕を鳳郎につきだそうとしたが動かない。どうしたのだろうと右腕を見たら右腕が無くなっていた。
なら仕方ないと思って左腕を鳳郎につきだした。左腕はちゃんとあった。だが、左手は付いていなかった。
「な、何よこれッ!」
「言っただろう? お前が最後だと……」
燗姫は部屋を見渡した。
……居ない。部屋の中には誰ひとりいなかった。部屋の中にあるのは、黒いすすのような塊ばかり。
そんなはずはない! 燗姫ほどではないとしても、兵士たちだってそれなりの血を飲んでいる。一度や二度焼かれた程度で不死が消えるはずがないッ!
「私の使う炎は神の炎だ。すべてを焼き滅ぼす絶対の炎。己の不死を焼くことはできなくとも、他者の不死を焼き滅ぼすことはできる」
燗姫は鳳郎に視線を移した。生まれて初めて、命乞いをするべきか迷った。
「お前の不死ごとお前を焼く」
「い……嫌よ……死にたくない。どうして私が死ななくちゃいけないの?」
燗姫の左腕が焼け落ちる。
「燗姫様なのよ……? 国王様なのよ? 私が居なくなったら誰が国を支配するの?」
燗姫の両足が崩れ落ちた。
「冗談じゃないわ……私まだ百年足らずしか生きてない。これじゃ不死だなんて全然言えないじゃない……」
燗姫の体が消え去り、残りは首から上だけになった。
「いやぁあああああ! 誰か! 誰か助けてッ! お父様ぁああああ!」
首から上全てが灰になり、燗姫は死んだ。
* * *
「おい、城の方を見てみろッ!」
「何あれ? 火事?」
町からも城が焼けているのが見えた。しかし炎の量が尋常ではない。城をすべて包み込むように炎が暴れ回っているのだ。
そして、城の中心からは巨大な火柱が立ち、今まさに街にも降り注ごうとしている。
「に、逃げろー!」
「何よあの炎! 生きてるみたいに動いてるわッ!」
「み、見ろッ! 火柱のてっぺんだ! 鳥が……凶鳥が居るぞ!」
火柱の最上部に鳳郎が居た。まるで炎のような赤い翼、他の鳥とは比べ物にならないくらい巨大な体で、冠羽を揺らしながら飛んでいる。
その姿はまさに凶鳥。死を振りまく悪魔の鳥……。
そんな鳳郎の姿を、遠くの崖から見つめている者がいた。それは桔梗だった。
「鳳郎、あえて嫌われの道を行くのか?」
桔梗は問いかけるように呟いた。無論その声は鳳郎に届く訳もなく、空にとける。
「善き鳥として認められたいなら、いくらでも方法はある。戦争中の国のどちらか一方に味方すれば、守り神として崇められるだろう。そこまでしなくても、病魔に苦しむ者に、お前の血を少し分けてやれば、その者から感謝される。その程度のことで、お前は善き鳥として認められる。お前はそれをせず、わざわざ荒々しい姿を人間に見せるのか? その真意を隠し通して……」
聞こえるはずのない呟き。しかし桔梗には、炎を纏いながら空を飛ぶ鳳郎の姿を見て、返事を聞いた気がした。
「行くか……この島は炎に沈む」
桔梗は狐の姿に戻り、その場から立ち去った。
「呪え! そして恨め! 私こそが赤き凶鳥だッ!」
大きく羽ばたきながら、鳴き声をあげながら、嫌われし鳥は何処までも大空を飛んで行った。
ここでほぼ最終回ですが、後二話ほど使って完結させようと思います。