第十七話『少年』
桔梗が去ってから小さな変化が起こった。門番がすべて入れ替わったのだ。
はじめ鳳郎は、『聞き慣れない声の者達がいる』程度にしか思っていなかったが、聞き耳を立てると、門番はすべて新しく入れ替わったらしい。
桔梗の侵入が上の人間達に知られ、その責任をとって全員罷免されたのだろう。しかし全員を罷免するとは厳しい判断だ。落ち度があった者だけを罷免すれば十分だっただろうに……。
鳳郎にとってはどうでもよい話だ。門番が変わったところで、自分の待遇が変化することなどあり得ない。鳳郎はそう考えていた。
しかしこの新しい門番達は、ひどく不真面目な者達だった。
はじめはさすがに真面目に門番をしていた。何しろ、国の秘密兵器といえる赤き凶鳥を守護するのだ。門番達は気を引き締めて任務についたに違いない。
ところが、いざ仕事を始めてみると全くやることがない。任務について一ヶ月くらいは、見回りの者が来たりもしたが、それ以降は採血以外まるで人が来ないのだ。
そして、守っているものと言えば、ろくに動きも鳴きもしない、巨大な赤い鳥一羽だけ。しかも、その鳥は檻に入れられて何もすることができない。自分達がここに立っていることに疑問を感じ始めるまで、そう時間はかからなかった。
門番達は、次第に労働時間をいかに楽しく過ごすかを考えるようになった。本や暇をつぶせる小道具はもちろん、賭けの道具や酒までこっそり持ち込み、仕事を放り出して遊んだ。
採血に来る日は決まっている。その日だけ真面目に働けば、他の日は遊び放題なのだ。ひどい時になると、職場を投げ出して、こっそり街に遊びに出かける始末。そんなことをしても上の人間にばれないのだから、上の人間達も門番の仕事を重要視していないのだろう。
それくらい、鳳郎を閉じ込めている檻に信頼を寄せているということだ。侵入者を許しながら、結局鳥は持ち出されず、檻も無傷だ。桔梗の侵入は、警備の心を逆に弱めてしまったのかもしれない。
門番達が不真面目になる理由の一つとしては、鳳郎のことを良く知らないことがあげられる。
鳳郎が復讐に燃えていた頃は、『赤き凶鳥』と言えば、数えきれない人間を焼き払った恐ろしい化け物。傷を一つも負うことなく、国の軍を丸ごと灰に変えてしまうほどの力を持った恐ろしい存在だったのだ。
しかし今はどうだ? その鳥は檻に閉じ込められ、抵抗することも声をあげることもなく寝っ転がっている。赤き凶鳥の姿は見る影もない。
実は門番達は、肩すかしをくらったのだ。
赤き鳥は神林王国の救世主。王族と同等の扱いを受け、政治に意見を出している偉い鳥ということになっている。
新しい門番達もそう思い込まされていた。そのような重要な存在の守護なら、きっとやりがいも誇りも持てる立派な仕事に違いないと考えていた。
だがいざ対面してみると、埃っぽい地下室の真ん中に鉄の檻、その中に横たわる埃まみれの赤い鳥。
呆然としているところに真実を聞かされ、けして口外しないことを誓わされた。やる気が削がれたなんてものじゃない。
そうして門番達は遊び呆けるようになってしまった。
しかし、結局それくらいだ。やはり鳳郎のここでの暮らしが変わることはなかった。門の向こうから聞こえてくる話声の声質が変わった程度。
今の門番たちなら、煽ってやれば扉を開けかねないが、これは簡単に開けられる扉ではない。鳳郎の囚われの生活はいつも通りだ。
* * *
ある日、門番達は二人とも街に出かけて行ってしまった。今日は採血のない日だ。きっと勤務時間いっぱいまで遊んでくるのだろう。
今この近くに人間は誰一人いない。まるでこの場所が忘れ去られてしまったかのように……。
静寂が鳳郎の周りを包む。門番が変わってから、前以上にこの部屋は静かになった。音と言えば、ネズミの鳴き声やどこかで水滴が落ちる音がするくらい。
鳳郎は眠っていた。時折周りから聞こえてくる小さな音は子守歌だ。門番達の話声よりは遥かに心地よい。鳳郎は浅く長く眠り、夢の世界に浸る。
「……ん?」
鳳郎は人の気配を感じて目を覚ました。通路を歩く人間がいる。
鳳郎は門番達が帰ってきたのだと思った。しかし、それにしては様子がおかしい。
ひたひたと忍ぶように歩いているのだ。
門番だったらこんな歩き方はしない。もっと堂々と歩いてくるはずだ。それは見回りの者や採血員であっても同じ。こそこそとする理由がないのだからこんな歩き方をするはずがない。
「泥棒か……?」
泥棒と言っても、民家に忍び込んで金を盗むような泥棒ではない。鳳郎の血を盗んでやろうと考える泥棒だ。
ここは城だ。警備が厳重なのだから城の兵士が、こっそり盗みにやってきたというところか? 門番の警備がいい加減になると、こういうことも起こるようになるのか。しかし、血を盗もうと考えるとは、命知らずな発想だ。
鳳郎は、そんなことを考える人間に興味を持ち、体を起こして扉の方を見た。人の気配は、すでに扉の前まで来ている。何故かなかなか入ってこないが、部屋の確認でもしているのだろう。
ギィ……。
扉は開いた。最小限の音を立てながら、ゆっくりと扉は開いていく。
鳳郎は目を細め、その扉を開けた者の顔を見た。その者は……。
「……子供?」
入ってきたのは意外にも少年だった。鎧や剣を携えていない所を見ると、城の者でもないように思えた。
服は薄い布でできた質素なもので、所々破けてボロボロだった。体中に泥やほこりが付いており、まるで泥だらけの地面に寝転んだ後のように見えた。
体つきは貧弱……というより、ろくなものを食べていないように見えた。体は痩せこけ、顔色も良くない。
ぱっと見ただけで、貧しい子供なのだと分かったが、それがどうしてここに居るのか分からない。確かにここは地下で、華やかな城の中とは違うが、こんな子供がいる場所ではない。
鳳郎は困惑しながら少年を見ていたが、困惑しているのは少年も同じのようだった。周りを見渡し、檻を見て、鳳郎を見た。
そして、手に持った紙を確認し、慌てて外に出て、まわりを見渡したかと思うと、首を傾げながらまた部屋に入ってくる。
少年はしばらくそうやって落ち着かないように動き回っていたが、やがて鳳郎を見据えた。
「お前……喋れるか?」
「……?」
鳳郎は、少年の問いに言葉を返すことができなかった。ぼうっと少年を観察していたからというのもあるが、声を出す機会も少なく、一瞬声の出し方を忘れてしまっていたのだ。
「はぁ……喋らないよな……そうだよな」
少年は安堵したような、困ったような声でそう呟いた。その頃には鳳郎も、声の出し方を思い出していた。
「いや、私は喋ることができるぞ。すまない、声の出し方を忘れていた」
「!? お、お前……しゃべって……」
少年の顔が一気に険しいものに変わる。この部屋に入ってきたときよりも慌てた様子だった。
少年はしばらく黙ったまま鳳郎を睨んだ。しかし、やがてもう一度少年は口を開いた。
「お前……凶鳥か?」
「………」
鳳郎は答えに詰まった。できればその問いは否定したいものだった。
しかしどうだろう? 鳳郎は凶鳥でないと言えるだろうか? これだけ暴れ回り、人々を殺し、今では燗姫に不死の血を分けてしまっている。世界中に不幸をばらまいているという点では、鳳郎は間違いなく凶鳥で、それを否定することなどできない。
「そうだ。私が『赤き凶鳥』と呼ばれている鳥で間違いない」
鳳郎は、あくまで凶鳥は呼称的なものであると解釈できるような答えをした。
きっと自分は凶鳥なのだろう。しかし、それを自分でも認めてしまったら、心の底から凶鳥になってしまうような気がして怖かった。
だから少年にはぼかした答えを返した。
「そうか……お前が凶鳥か……」
少年は、鳳郎が凶鳥であることを認めると、目を見開いて驚いた。しかし、その目はすぐに据わり、手に持っていたボロボロの袋から何かを取り出した。
「お前がどうしてここに居るのかは知らない。ただ、お前が凶鳥だというなら、僕はするべきことをするだけだ」
袋の中には細長い棒のようなものが何本も入っていた。少年はそれを一本一本つないでいく。
その先端には、鋭い刃が付いていた。
「赤い凶鳥ッ! お前はここで死ななきゃならないんだぁああ!」
「!?」
組み立て式の槍を手に取ると、少年は鳳郎に向かってきた。一気に距離を詰めると、迷うことなくそれで鳳郎を突く。
不意を突かれた鳳郎は、避けることもできずに貫かれてしまった。
* * *
少年は、鳥を突き刺した確かな手ごたえがあった。鳥は避ける間もなかったはずだし、今もこうして自分が槍で貫いたまま動かない。完全に殺した。
「そうか……君は私を殺しに来たのか……」
「う、うわッ!」
少年は鳳郎が何事もなかったかのように話しだしたことに驚き、後ずさる。
「だが、私はその程度では死ねない」
槍で突かれた傷は深かった。しかしその傷はあっという間に塞がり、傷跡すら残らない。
「ク、クソ! 凶鳥めッ!」
少年は槍を強く握りしめ、もう一度鳳郎に向かってきた。鳳郎は少年をただ見つめていた。槍を振りかぶっても、それを突き出しても、己の体を突き刺してきても何もしなかった。
避けることもせず、声をかけることもせず、望むままに貫かれてやった。
「この! この! こいつめッ! 死ねッ! 死ねぇええええッ!」
少年は何度も鳳郎の体を刺し、切り、傷付けた。しかし無駄。
鳳郎の不死は完全。いくら傷つけようとも、いくら血が飛び散ろうとも関係ない。無限に塞がり、すべての傷が致命傷とならない。鳳郎は絶対に死ぬことはできない。
「まだ……だッ! ハァアッ! 喰らえ! この……化け物めェ!」
「………」
傷は治る。しかし痛みは感じる。だが鳳郎は悲鳴を上げなかった。槍で突かれる程度の痛みは、とうの昔に慣れてしまった。
「はぁ……はぁ……」
少年は疲れたらしく、その場に膝をついて荒く息を吐く。鳳郎は少年を気遣い、努めて優しい声を出して話しかける。
「少しは気が済んだか? 少年」
「うるさいッ!」
まだ怒鳴り返してくる力はあるようだ。少年はその場にあぐらをかいて座り、鋭い瞳で鳳郎を見返してくる。
「お前さえいなければ、この島はこんなことにならなかったはずだ」
敵意を持って少年は言った。だが鳳郎は、実際島がどうなっているか詳しくは知らない。あの燗姫が国王になって政治を行っているのだから、ある程度は想像がつくが……。
「……よかったら、島がどうなっているか教えてくれないか?」
「!? お前ッ! どの口で……」
少年は激怒し、再び槍を構えて立ち上がった。だが、鳳郎と目があった瞬間、動きを止めてしまった。この部屋に入ってきた時と同じ、困惑したような表情を浮かべて。
「………」
鳳郎は黙って少年を見つめる。少年の表情からは怒り以外の感情も感じ取れた気がしたのだ。
それは『怯え』の感情。噂の凶鳥と話しているのだから、多少怯えるのは当然かもしれない。だが、少年の怯えはそれとは少し違う……何か不安を感じているような、そんな怯えのように思えた。
「……僕……僕が生まれるずっと前、神林王国は他の三国に対して宣誓布告をした……」
「! ……」
少年は、ポツリポツリと話し始めた。どんな心境の変化があったのかは分からない。だが今は少年の話に耳を傾けるべきだ。鳳郎にはその義務がある。
燗姫は赤き血の効力を十分に実験してから、他の国に対して宣戦布告をした。神林王国は、険しい山脈と厳しい天候に守られ、他の国からの侵略からは非常に強い国だった。
だが神林王国は、同じ島にある他の三国と比べても、資源がかなり少ない。守ることはできても、他の国に攻め入る力は無かったのだ。
そんな国が、突如他の三国すべてに宣戦布告をした。
他の国からすればありがたい話だ。風の噂で、国王が死に、幼い娘が後を継いだと聞いた。
その娘が勝手に暴走し、臣下達もそれを止めることができないくらい力を失っているということだ。神林王国を自分の領土にすることができる。
しかし、現れたのは不死兵たちだった。予想外の敵に軍は総崩れ。何とか対策を立てる頃には、もう神林王国の優位は揺るぎないものになっていた。
「島は統一されて、燗姫の独裁が始まったんだ。おじいちゃんの話だと、その日から島から笑顔が消えたんだってさ。気持ちは分かるよ。現状を見ていればね……」
「……それほどひどいのか?」
鳳郎のその問いを、少年は鼻で笑う。
「ひどいなんてものじゃないよ。増税、厳罰化は当たり前。死刑方法が六つに増えて、公開処刑場も作られた。それに参加しないと、国民義務違反で処罰されるんだ」
鳳郎は顔を伏せた。燗姫に残酷趣味があるのは知っている。自分も長い間それに苦しめられた。
それは自分への罰であるとも思い、苦しみながらも納得はしていた。しかし、罪もない自分と同じ人間達にもそれを押し付けるとは……。
「僕達だって黙ってられない! 昔の三国の人達が集まって反王国軍を作って対抗している。でも、不死の兵には敵わないし、例え燗姫の所まで行けても、燗姫自身が不死の血を飲んでるに決まってる。だから、島中に散らばって、国の兵士に苦しめられてる人達を助けるようなことしかできない……」
それだって勇気のいることだろう。そんな軍団に支援してくれる団体があるはずがない。自分達で武器を集め、自分達で人員を増やし、巨大な国に対して戦いを挑むのだ。生半可な覚悟でできることじゃない。
「でもこのままじゃ終わらない! だから考えたんだ。燗姫じゃなくて、すべての元凶の赤き凶鳥を何とかしようとッ!」
「すべての元凶……」
鳳郎は自分で呟いて悲しくなったが、それを否定することもできずに口を噤む。
「僕の父さんは反王国軍の一人だった。なんとかこの中央都市に入り込んで、陣を敷いた。当然、この 町は警備が厳重だったけど、この元々神林王国であった場所でさえ、国への不満が高まっていたんだ。父さん達に協力してくれる人達も見つかって、計画は具体的になって行った」
あの燗姫が、初めから自分の国に住んでいた人間を特別視するとは思わない。自分の役に立たない人間はすべて同じ扱いをするのだろう。
「調べて行くと、城の地下に何かを隠しているということが分かった。父さんたちはそれが凶鳥に間違いないと考えたんだ。どんな特徴をしているか分からないけど、燗姫の話から想像することはできた」
そして少年は、鳳郎を見下ろした。
「その鳥は燗姫を敬い、不死の力を与えた。でもそれだけでは満足できなくなって、自分も政治に介入したくなった。不死の血を分け続ける代わりに、鳥は色々と要求を始めた。さっき言ったのも、全部鳥が姫にやれと命令したことだ。そして豪華な部屋に住んで、臣下達を顎で使う。逆らえば不死の血を分けてやらないぞと脅して、それでも抵抗するときは己の炎で焼き払う。実質鳥が国を支配しているようなもの。燗姫の公式宣言や、噂話を聞くとそうなってる」
「………」
燗姫が、怒りが鳳郎に向かうように仕向けているというのは、桔梗からも聞いて知っていた。燗姫を含め、一部の者しか真実を知らない。鳥が王族を顎で使っているなんて言ったら、普通は正気を疑われる。
だが、不死の血という絶対の証明が燗姫にはあった。これを振りかざし、涙ながらに証言すれば、燗姫の話を信じたとしても仕方ないだろう。
きっと燗姫は、圧政を敷く中でも、赤き鳥の扱いだけには気を付けていたはずだ。
公式に宣言をし、噂を流し、偽の書簡をわざと反王国軍の人間に掴ませ、巧みに黒幕は赤き凶鳥であるということを擦り込んで行ったのだ。
無論、それで完全に燗姫への恨みが消えることはないだろう。しかし、鳳郎への怒りも同時に噴出する。それは鳳郎を永久に燗姫の物とするための鎖になる。
鳳郎の不死の血さえあれば、燗姫の独裁は失われない。
「それだけふてぶてしい鳥なら、見ただけですぐに分かるはずだ。場所と特徴は分かってる。後は、赤い鳥をどう処理するかが問題だった。とりあえず父さんたちは、協力して抜け道を作った。そして、子供一人分くらいの穴を掘ることができた。この穴を広げて、たくさんの人数が通れるようになれば鳥を処理する作戦も立てられる。だけど、いざ穴を広げようとしたら……」
少年は俯いて槍を握り締めた。
「途中で計画がばれたんだ! 父さんは僕をかばって殺された。他の人達も多く殺されて、残りは町から地方に散らばった。幸い、抜け穴の存在はばれなかったけど、穴だけ残ってもどうしようもない。計画は完全につぶれた」
少年の目からは涙がこぼれていた。
「僕はこの街に取り残されて、逃げ出すこともできない。だから、一人でも凶鳥を殺してやろうと思った。穴はあるし、僕だけなら何とか通れる。不意を突けば僕にだって殺せるはずだ。そう思って今日忍び込んできた」
少年はさっき持っていた紙を鳳郎に見せた。それは地図だった。恐らく、抜け道からこの部屋までの地図だ。
「僕はそうしてここまで来たんだ。扉を開ければ、そこには凶鳥がいるはずだった。恨んでも恨み切れない……僕の父さんの仇……贅沢し放題の凶鳥が……」
「だが、そこには想像していたのとは違った鳥が居たんだな」
少年は鳳郎のその言葉に目を見開いた。そして、もう一度俯く。
鳳郎は理解した。少年がこの部屋に入ってきたときに困惑していた理由を、少年が怯えている理由を……。
「ショックだっただろうな。燗姫の話では、私はもっと美しい装飾の施された部屋で、豪華な食事をしているはずだ。きっとこの部屋に入る者に対しては尊大な態度で応じ、燗姫など目じゃないくらい憎たらしい存在だったはずだ。だが、いざ入ってみると部屋は埃だらけ、土だらけ。日の光も入らない薄暗い部屋の中で、さらに狭い鉄の檻に閉じ込められている」
鳳郎は少年を優しく見た。
「君は不安になったんだ。これは反抗国軍をはめるために用意された罠じゃないかと。誰も見張りがいないのは、侵入を待つまでもなく、反王国軍を根こそぎ殺すことができたからじゃないかと。この部屋は用済み。用済みになった部屋に、用済みになった鳥が一羽いるだけの場所。君はそんな場所にきてしまったんじゃないかと不安だったんだ」
だが、国は抜け穴の存在を知らなかった。反王国軍の存在は知っていても、何を計画しているかは知らなかったのだ。何をするつもりだったかは知らないが、計画を未然に防げて良かった。だから鳳郎に対して警備を強化することも、場所を移すこともなかった。
少年の問いに対して鳳郎が答えた時、少年の不安はとりあえず解消された。しかし……。
「今度は別の思いが君を襲ってきたんだ。私が本物だというなら、噂は嘘だったことになる。部屋の様子を見れば、私がどんな扱いを受けているか一目瞭然だ。部屋に飛び散った血を見れば、どんな方法で採血がされているか想像できる。君は思ったんだ。鳥も被害者だったんだと……。その鳥に対して自分がしたことが怖くなって、怯えてしまったんだろう?」
少年は怯えた。自分は、自分と同じく苦しめられている存在に対して罵声を投げかけ、怒りのままに槍で刺してしまった。怒りをぶつける相手を間違えた。
罪なき者に対して槍で刺してしまったのか? 自分は罪を犯してしまったのか? 知らなかったとはいえ、自分はそれをしてしまったのではないか?
大きな罪悪感。罪を犯してしまった不安から来る恐怖に、少年は怯えたのだ。
「自分が苦しい状況に居る中でも、他者の苦しみを考えられる。君は優しい子だね」
「うるさいッ! 凶鳥のくせに! 凶鳥のくせに!」
少年は同じ言葉を繰り返して槍を構える。しかし、呟くばかりで、鳳郎を刺そうとはしなかった。
鳳郎は、この少年が勇気に溢れ、優しい心を持っていることを理解した。
「君の認識は何も間違っていないよ」
「……え?」
少年はフッと力を抜いたように見えた。
「私は凶鳥だよ。私がここに居ることで、島の人々を苦しめてしまっている。だから私がすべての元凶というのは、何も間違っていない。私が捕まらなければ……いや、罪を犯しさえしなければ、この島の人々が苦しむことなどなかったんだ」
それは鳳郎が犯した罪。怒りに任せて行動し、この少年の様に、他者の苦しみを理解しようともせずに犯した罪。
あの時鳳郎が間違わなければ、この少年のような苦しみを味わう人は出なかったはずだ。
あの時鳳郎が間違わなければ、相崎のような家族と引き離されるような人は出なかったはずだ。
鳳郎には罪がある。償いきれない罪がある。鳳郎は、まぎれもなく凶鳥なのだ。
「君の私に対する怒りは正当だ。その槍でいくら貫かれても、私は君に文句を言うことはできない。殺されてやれれば一番いいが、それすらもできない」
罪を償うという究極の形が死だ。誰もがそれを最も重い罰であると認め、贖罪の方法として不完全であるとしながらも、重い罪を犯した者に対しては、それで償えと人々は訴える。
しかし鳳郎は、それをしてやることはできないのだ。ここで苦しむことでいくらかは償えるかもしれないが、ここに居ればまた別の罪が増えて行く……。
「君は若い。そして思いやりと勇気の心を持っている。今日はここから逃げるんだ。生きて、力を付け、仲間を見つけて人々を救うんだ。君にはそれができる」
鳳郎は努めて優しい声を出した。少年はきっと立派な人物になる。一人の力ではどうしようもなくても、仲間を見つければ、いつか燗姫の独裁を破ることもできるかもしれない。父親に報いる方法があるとしたら、きっとそれが最善の方法のはずだ。
「……さぃ」
少年は小さな声で呟いた。そして槍を再び構え、顔をあげて叫ぶ。
「うるさいッ! 僕は別に国を燗姫から解放してやろうなんて立派なことを考えてきたんじゃない! 父さんの……父さんの仇を取るために来たんだ! お前を殺せずにおめおめと帰れるもんかッ!」
少年はそう叫んだかと思うと、再び鳳郎を槍で刺した。
少年が槍を振るうたび、鳳郎の血の雫に混じって、違う悲しい水が宙を舞っていた。