第十六話『風船』
鳳郎ははじめ興奮して、脈絡もなく叫ぶように話をしていた。
しかし徐々に落ち着き、今は整理をして話ができるようになった。
これまで、鳳郎がこの島から飛び立ち、島で凰子や家族達と過ごし、その家族を殺され、海賊たちに復讐した所まで話し終わった。
そして今は、人間達を無差別に襲っていた時期について話している。
「数えきれない人々を、無差別に殺し続けました。これは大罪です。その罰が今の待遇であり、戒めがこの檻なのだと思います」
「ほう、人を殺すことは罪か」
桔梗は特に鳳郎を軽蔑することもなく、相槌をしながら酒を飲んでいる。
「はい、女神様もそう言っていました。この檻は、私にとって妥当な罰だろうと……」
鳳郎が目を閉じて思い浮かべたのは、最後に見た女神の後姿。女神は振り返ることなく居なくなった。
その後も現れる様子はない。十分な罰が執行されたことに満足し、言葉通り見捨てたのだろう。
「ふむ……女神が間違っているな」
桔梗は突然そんなことを呟いた。
「はい? 女神様のどこが間違っていると?」
「人を殺すことを悪と呼ぶのは間違っている。人が理由なく人を殺すことは人にとっては悪と言えるだろう。秩序が乱れるからな。しかしお主は人ではない、鳥だ。しかもそれなりの理由を持った殺人だ。それが罪だというならば、人が他の動物達を理由なく殺すことの方が圧倒的に多い。その罪に罰を与えず、なぜお主だけ罰を受けねばならぬ?」
鳳郎は一瞬賛同しかけたが、女神が言っていた言葉を思い出した。ひどく理不尽で、うまく理解できているか怪しい言葉だが……。
「神は裁きを与える時、その存在の立場になって罪を量るのだそうです。あの時海賊たちには罪が無かった。そして、私が自分の力ではなく、神の力を使って復讐することが罪だとも言っていたと思います」
「ほーう……」
桔梗は愉快そうににやけながら顎に手を当てた。神の理論を興味深げに受け取っているように見えた。
「お主に力を与えたのは女神だ。お前がなにをするかを見こして力を与えたなら、女神にも罪があることになると思うが?」
「それは……」
鳳郎自身、確かにそうだとは思うが、自分は女神ではないのだから答えようがない。
「その後のお主の行動を罪と呼ぶのも理解できぬ。お主は何も自ら人の村に出かけて行って虐殺をした訳ではない。通りかかった目障りな虫を潰したようなもの。お主には家族の墓という守るべきものもあった。それを守るために戦うことの何が罪か?」
桔梗は、空になっている鳳郎と自分の猪口に酒を注ぎながらそう言った。まるで神が目の前に居て、その神に対して不満を言っているかのようだった。
「熊が己の巣に迷い込んできた外敵を食い殺したら、罪があると言われたようなものだ。このような熊を罰しようなどと考えるのは人間くらいだろう。迷い込んだ方に罪があるとは微塵も考えぬ」
桔梗は若干怒りを覚えているようだった。表情や口調には現さないが、言葉に小さなとげがあるように感じられた。神という存在に対して否定的な考えを持っているのかもしれない。
「やれやれ、創世の神とは言っても所詮は人の神だな。難しい言い回しで煙に巻いているが、結局人間が一番得をするように理論構成している」
「ですが、女神様の力で復讐することができたのですから……」
鳳郎は、桔梗をなだめようとして自分から折れた。結局、女神がいなければ何もできなかったのだと。
「ふむ……そうだな。力を与えられたお主が、不満を言う資格はないか……」
桔梗は冷静を取り戻し、猪口に注がれた酒を一気に飲みほしてから立ち上がった。
「さて、私はそろそろ行くとしよう。考えていた程度には楽しめたぞ、鳳郎」
「私の方こそ助かりました桔梗殿。何もできませんが、ありがとうございました」
桔梗は頷き、入ってきたときと同じように扉から出て行こうとした。
しかし、扉を開けたと同時に振り返り、鳳郎に声をかけてきた。
「お主、もしそこから出られたとしたらどうするつもりだ?」
突然の質問。とっくの昔に諦めてしまったことだ。急に聞かれても、はっきりと答えることはできない。
「さて、どうするでしょう? 私は一歩外に出れば恐ろしい『赤き凶鳥』ですから、どのように生きるかはわかりません。凰子は他者に認められるようになりたいと言っていましたが、それも叶わず……」
「お主はもう認められているではないか。凶鳥という恐怖の対象として」
桔梗は鳳郎の言葉を遮ってそう言った。鳳郎はその言葉の意味が理解できず、首を傾げる。
「あの……意味が良く……?」
「認められるというのは何も好意的な意味だけではない。恐怖の対象としてであろうが、認知されればそれは認められたということができる」
桔梗は鳳郎に向かって右手を差し出し、その指先についている鋭い爪を見せた。
「私は悪狐だ。私に対する恐怖や憎悪は私にとっては賛辞も同じ。それが私の存在理由なのだからな」
「……しかし」
「悪という言葉に抵抗があるか? 悪とはいかなる意味か知っておるか? 悪とは、人間に害があるもののことを言う。悪狐や凶鳥などという言葉は、人間達が勝手に言っていることだ」
確かに思い返してみれば、鳳郎は人間達以外から凶鳥と呼ばれたことはない。
「人から見れば悪だ。しかし、私のような存在から見れば、お主は悪にも善にも見えぬ」
桔梗には鳳郎の行動が容易に許容できる。桔梗にすれば人を殺すのは当たり前の行為で、善や悪などという概念をあてはめるほどのことではない。だから鳳郎は悪とも善ともいえない。
「少なくとも、お主は赤き凶鳥として広く認められていることは断言できる。その名を聞けば震えあがる者達がたくさんいるだろう。お主はそれに誇りが持てるようになればいい」
桔梗の言葉をうのみにすれば、若干でも今の自分に自信が持てるかもしれない。
でも……。
「しかし凰子は優しい鳥でした。このように認められることは望んでいないでしょう」
鳳郎はきっぱりとそう言った。今桔梗が言った言葉は、何度か考えたことがあるものだ。だが、結論はいつも同じ。凰子はそんなことを望まない。恐怖の対象として認められることなど……。
桔梗はきっぱりと断ってきた鳳郎に少し驚いたようだった。しかし不快感を覚えたわけではなく、むしろその言葉が心地よかったらしい。
「あくまで善き鳥として認められることを望むか。それも良いだろう。なんにしてもその檻から出られなければ何も出来ぬ。その檻から出た時、お主がどう行動するか興味はあるが、もう去らねばならぬ」
「……それではまたいつか出会えることを、桔梗殿」
鳳郎の言葉を聞くと、桔梗は扉をくぐって部屋から出て行った。
* * *
コツコツという歩く音が地下通路に響く。ここには普段人はいない。だから、そこを歩けば嫌でも歩く音が響いた。
桔梗はその音を心地よく耳に感じながら歩いていた。この足音を聞きつけて兵士がやってくれば、殺される可能性すらあるというのに。
「……ん。来たか」
遠くの方からバタバタと走る音が聞こえてきた。一人や二人の足音ではない。何も無いのにこんなに慌てて走ってくることはないだろう。ならば、侵入したことがとうとうばれたようだ。
「挨拶中に邪魔が入らなかったのは幸いだった。あのような静かな場所に、怒声は似合わぬ」
桔梗は呑気にそう呟き、歩くのをやめて、ここに向かってくる者達を待った。すると、いくらも待たないうちに六人の男達がやってきた。そしてその中に……。
「あ、信二様! どうしたのです? そのような恐ろしい顔をして……」
桔梗は体をくねらせ、甘ったるい声と口調で一人の男に声をかけた。
「黙れ女狐ッ! せめてその穢らわしい耳と尻尾を隠したらどうだッ!?」
声をかけられた男は激怒し、顔を真っ赤にしながらそう叫んだ。もちろん、桔梗は正体がばれているのは百も承知。耳や尻尾を出したままにしているのも分かっている。
「そのように声を荒げて……お好きでしょう? 街を見ておりましたらそのような店を何件か見つけましたよ?」
「いい加減そのふざけた口調で話すのはやめろッ! よくも……よくも騙してくれたな……」
「ふふふ……」
桔梗は腕を顔に当ててクスクスと笑った。そしてその笑い声は次第に大きくなり……。
「ふふふ……クククク……くはははははは!! どうしたんだ信二様ぁあ? 布団の中で私にあんなに愛していると言ってくれたではないかぁ? 赤子のようにしゃぶりつき、乱暴に私を抑えつけ、あんなに激しく私を求めてくれただろう? まさか、また私の体が欲しくなったのかぁ?」
桔梗は挑発的に言い放ち、太ももを少し見せてにやりと微笑んだ。それが馬鹿にしていると分かっているから、門番の怒りはさらに高まる。
「やかましいッ! また欲しくなったかだと? どうも貴様の体は獣臭いと思っていたんだ! 八つ裂きにしてくれるわッ!」
会話していた男がそう叫ぶと、他の五人もそれぞれ武器を構える。
桔梗は焦るでもなく構えるでもなく、ただクスクスと笑いながら対峙した。
「ところでどうやって抜け出してきたのだ? 相方と共に、杭で壁に磔にしてやったはずだが?」
桔梗は散々門番から情報を聞きだした後、門番の両手首と両足首に杭を刺し、壁に磔にしたのだ。交代の時間まではかなりある。ならば、自分達だけで抜け出したということだ。
「いくらひどい怪我をしても治るんだ。手首を力づくで引きちぎってやった。百年近く不死のままでいる人間の狂気! いくら妖怪であっても恐ろしいだろう?」
門番は少し誇らしそうにそう言った。他の人間ならまずできない。不死である自分達を特別視しているのが良く分かった。
「誇らしげに言う割には随分と覚悟するまで時間がかかったようだな? 涙でも流しながら引きちぎったのか? うん?」
「こ……この糞狐ぇーー!」
門番は挑発に乗り、二人同時に襲いかかってきた。手には大きな斧を持ち、それが当たれば桔梗の体など真っ二つに切り裂かれるように思われた。しかし……。
「ぬぁあああああ……あれ?」
門番は奇妙な光景を見た。飛んだわけでもないのに、視界がいきなり上昇し、ゆっくりと回転を始めたのだ。そしてそのまま天井にぶつかり、受け身も手をつくこともできずに床に転がった。
「力任せに振り回すだけでは、私には当たらぬ」
「ひぃ……」
飛びかかった二人以外の者達が、小さく悲鳴を上げて後ずさった。
この者達は飛びかかって行った者達とは別の光景を見たのだ。目の前の女は軽く腕を振って前に出たようにしか見えなかった。それなのに、瞬きをした瞬間には、首が二つ宙を舞っていた。
「そこそこ力のある狐のようだ。しかし無駄だぞ」
桔梗の後ろから声が聞こえた。たった今殺したはずの男のものだった。
体の方が首を持ち上げ、その首を切られた部分に付けると、すぐに傷が塞がった。
「なるほど不死だな、面妖な」
桔梗は目を細め、いま自分が殺したはずの男達を見つめた。
「どうだ、傷一つ残っていない! これが我々の手に入れた力だ! いくら切られても瞬時に傷が塞がる。お前はいずれ疲れ果てて殺されるという訳だ! 我々門番達だけで十分お前を殺せる」
実はここに居るのは全員門番だ。化かされた男は、腕を引きちぎって壁から抜け出した後、すぐに門番達を集めに走った。
そして、門番以外の者達には何も言わずにここへやってきた。なぜなら、他の者達に自分達の失態が知れるのが嫌だったからだ。
門番の仕事は良い。退屈だが辛くはないし、給料もいい。六人三交代だから休みも十分ある。そして何より不死の血を飲むことを許されている。ここまで好条件がそろった仕事はそうない。門番達は国が存続する限りこの職についているつもりだ。
しかし侵入を許したとなるとそうもいかなくなるだろう。ミスが一度もないのが、今まで門番でいられた理由だ。今回の侵入は、間違いなく門番達の失敗。責任追及は免れない。罷免される可能性がかなり高い。下手をすれば拷問されることすらあり得る。
だから門番達は考えた。内密に処理をしようと……。
侵入の事実がばれなければミスもない。ミスがなければ責任追及はされない。自分達は不死なのだ。妖狐一匹狩るくらいなら全員でかかれば難しくないだろう。門番達はそう考えたのだ。
「同じ妖怪の類として情が湧いたか? 助けに来たはいいが結局檻を壊すことができずに逃げ出したと見える。ざまあみろ女狐めッ!」
「内心ホッとしているくせによく吠える。不死鳥を逃がしたとなれば罷免ではすまぬ。拷問の末の死……私の侵入を知って小便でも漏らしたのではないか? 臭うぞ臆病者」
桔梗は服の裾で顔を隠し、反対の手で払うように手を振った。自分達の方が優勢なのに、ここまで馬鹿にされ続けて、門番達の怒りはさらに高まった。
「言わせておけばまたしても侮辱を……許さんッ!」
門番はまた襲いかかってきた。桔梗は動かない。門番にはそれが観念したように見えた。
「いたぶってやりたいところだが時間がない! 首を切り落としてくれるわッ!」
「いたぶるのは私の方だ」
門番の目の前から桔梗の姿が消えた。
「なっ! 何処に!」
「後ろだ」
門番はその声を聞いて振り向こうとしたが遅かった。
「死ね」
桔梗は門番の背中に手を当て、軽く撫でた。するとそれだけで門番の体中に切れ目が走り、門番の体は破裂した。
「ひゃ、ひゃぁああッ!」
見ていた門番達は、今度は悲鳴を上げるだけでなくその場に尻もちをついた。首が飛ぶだけのとは違う。あたり一面に血が飛び散り、通路は真っ赤に染まった。
「ふ……ふふ、無駄だぁ!」
だがそれでも門番は死ななかった。飛び散った血と肉が一か所に集まって人の形を作り始める。
「死なぬ死なぬ! 不死の血は絶対だッ! お前がどんなに力を持っていたとしても意味がない! ハハハハハッ!」
復活した門番は笑った。しかし、笑ったのはその門番だけだった。
「ならば……その右腕はどうした?」
「右腕ぇ~?」
桔梗に言われて、門番は右腕を見た。だが、右腕があると思った場所に、右腕は無かった。
「あれ……え……? い、い……いてぇえええええッ!」
門番は自分の体から右腕が無くなっていることに気付き、自覚と共にやってきた痛みに転がりまわった。
「ハハハッ! やはり、お主らは勘違いをしているようだ。戦争に行ったことがないんだ。知らなくても無理はない!」
桔梗の顔に黒い悪意のこもった笑みが浮かび、口からは恐怖を駆り立てる笑い声が響いた。
「お主らはこう思っているのだろう? 不死鳥の血を飲めば、一定期間は不死状態でいられると!」
門番達は互いに顔を見合わせて困惑する。門番達の理解はまさにそうだ。コップ一杯血を飲めば、半年は不死でいられる。そうじゃないのか?
「ククク……違うのだ。不死鳥の血が体の中に混ざっている間は不死で居られるが正解なのだ」
鳳郎の血は、他の人間の体内に入っても吸収されない。血は血のままで滅びることなく巡り続ける。体のあらゆる管の中を回り続ける。そしてそれが体外に放出されると不死でなくなる。
「戦争で体がバラバラに吹き飛ばされても再生はする。しかしその時、不死鳥の血が体外に放出され、不死でいられる時間がかなり減る。お前達の不死は完全ではないのだ。少々手間をかければ殺すことだってできる。まあ、お主らの姫の様に、浴びるほど飲んでる者はそう簡単に死なぬだろうがな」
門番達はそれを聞いて狼狽した。自分達の認識が完全に間違っていたのだ。今まで侵入者なんて入ってきたことがないから、そんなことは全く知らなかった。
最後に血を飲んだのはいつだった? 数カ月は前のはずだ。仲間は今も片腕を抑えて転がりまわっている。自分達も、あのような激痛を味わうことに……?
「ひ……うわぁあああッ!」
門番の一人が逃げ出した。それにつられて、二人三人と逃げ出す。しかし……。
「!? 何だ、前に進めない!」
そこには壁なんてない。ただの通路だ。たった今ここを通ってやってきたんだから間違いない。ここは通れるはずだ。なのに前に進めない。そこに見えない壁があるかのように!
「そこにはなにもないぞ?」
桔梗がゆっくりと歩きながら声をかけてくる。その手には小石が握られていた。
「見てみろ」
桔梗は小石を軽く放る。門番達は何か仕掛けがあると身構えたが、それは門番達の横を素通りして床に落ちた。
……素通り? だって今ここは通れないはずじゃないか? 見えない壁で封じられてるはずだろう?
「お主らは化かされているのだ。そこに見えない壁があると思い込まされている」
「な……何がどうなって……」
門番はその場に座り込んで見えない壁を通り抜けようとする。しかし無駄、一ミリも前に進まない。
「化かされるのは意識のある者だけだ。小石は意思を持たないから化かされぬ。そこに壁があると錯覚などしないから素通りして床に落ちる」
「さ、錯覚……だって、ここに……ほ、ほら!」
門番は力強く見えない壁を叩く。しかし通らない。
だがそこには間違いなく壁などない。だって、そこに壁があるというなら、殴りつける拳に痛みが走るはずだし、音だってするはずだ。なのにそれがどちらもない。
つまり門番達は、この通路でパントマイムをしているのだ。逃げなければ殺されるというのに、今まさに命が尽きようとしているのに、命がけでパントマイムをしているという訳だ。
「さて、なかなか愉快な見せものだが、私もそろそろ参加しよう。水風船は好きか?」
桔梗は突然門番達に質問をする。門番達はそれに答える余裕などない。
「私はあれが好きでな。水を詰めて膨らませ、相手に投げつけて遊ぶのが好きだった。だが難点がある。膨らませるのが非常に面倒臭い」
桔梗は言いながら近づいてくる。門番は必死で何もないところを叩き、声を荒げて助けを呼ぶ。
「手の上に乗せ、針でさして割るというのも味がある。冷たい水がてのひらの中で広がるのは気持ちが良い。だが、続けて遊ぶには何度も膨らませなければならないのだ。一つだけでもいい。割ってもすぐに元通りになる水風船が欲しかった」
桔梗はついに門番達の手の届く場所までやってきた。門番達は何もないところを叩くのをやめ、桔梗の顔を見上げる。
「た、助けて……」
「さぁ、何度潰しても元通りになる水風船は、何回割ったら元に戻らなくなるかなぁ?」
この日……今まで一人も変わることのなかった門番が、すべて入れ替わった。




