060_動き出す隣国
――基盤歴640年03月01日(夜) コニック法国 法都ヘネシブランブル――
「先日発ったばっかりやゆうのに、呼び出して悪いねぇ。法王猊下からの火急の命令が下りてきたんよぉ。」
「いえ、とんでもございません。この身、法王猊下からお呼び出しとあらば、どこへでもはせ参じましょう。」
薄暗いバー。その奥にある、普通は入れないであろう個室に通されたミシェルは、ソファに腰掛ける使用者――大神官ジルエッタに頭を垂れる。目の前のジルエッタはいつもの仰々しい法衣ではなく、なんとも地味な装いだ。
薄暗い部屋を見渡す。
店の明かりは蝋燭だったが、この部屋に明かりを落とすのは蝋燭ではない。この世界で超希少、かつ我が法国のみがその交易を許される石、緑魔石だった。ここにジルエッタから呼び出されたこと、部屋の明かりが全て希少な緑魔石である事実から、おそらくこの部屋は、国の中枢に位置する者たちが非公式の情報交換に用いる秘密部屋なのだと理解する。
「気にならはる?」とジルエッタがフっと笑う。
「そう、この部屋の灯火はぜんぶ緑魔石や。あんたに授けたものと基本的には同じもんやね。まぁ、取り敢えずそこに座んなはれや。」
その勧めに、ミシェルはぎこちなくソファに腰掛ける。
『どうしようも無うなったら、その緑魔石を使いなはれ。そうやね、例えば敵に捕まったときとか、やね。』
王国への間者になるとき、そう言ってジルエッタから渡された緑魔石。この部屋を照らす石と同じものらしい。
「それでジルエッタ様、法王猊下からの火急の命令、とは?」
「ふふ、そないに急がんでもええやんか。ここは酒場、まずは乾杯や。」
ミシェルを遮り、ジルエッタがグラスに葡萄酒を注いでくれる。
杯を軽く掲げ、乾杯――。
ミシェルが葡萄酒を口に運び、固まる。酒には詳しくないし、今まで飲んできたのは場末の酒場で出される麦酒か粗末な葡萄酒くらいだ。そんなミシェルにも、この葡萄酒が高級品だと分かってしまう。
「うん、ええ味や。ミシェル、あんたにも分かるようやね。」
「いえ…ただ場末の酒場の酒より美味いということくらいは…。」
「それでええんや。醸造職人やあらへんのに、呑みながらお酒のうんちく垂れんのは野暮ってもんやで。」
「…恐れ入ります。」
この魔道士優位の法国において、その他多数の兵士や冒険者の辿る未来は限られている。ふんぞり返る魔道兵たちにコキ使われるか、冒険者パーティで魔術師の弾除けになるか。
そんな中で、自分の立ち位置はかなり特殊だと思う。
「ミシェル、あんたを引き立てたんは正解やったようやね。目端が利くし、何より真面目や。たかだか常人より魔法が使えるっちゅうだけで幅を利かせとる我が軍の魔道兵どもよりかよっぽど役に立つわぁ。」
「勿体ないお言葉でございます。」
「謙遜しなさんなや。あんたは剣だけや無うて弓も達者で、こんな国に生まれとらんかったらもっとええ待遇だったはずや。そやけど魔導師優位のこの法国では、あんたのような人間が脚光を浴びることはあらへん。それが嫌んなって他国に流出でもされた日には、それはそれで我が国にとっては痛手なんやで。あんたも薄々勘付いとると思うけど、そうゆう点でもこの国は矛盾を抱えてんのや。」
嘆息しそうな顔でジルエッタがグラスをくゆらせる。
平民のミシェルから見ても、今のジルエッタの発言は権力者としていささか軽率だとは思う。が、そういう考えでも無ければ自分がジルエッタに引き立てられることもなかっただろう。
「そやけど今のあんたのように、魔導師やあらへんからこそできる仕事がある。間者っちゅう仕事も脚光を浴びれる仕事やないから、心苦しく思ってるんやけど…。」
ジルエッタが何かを確認するように上目遣いで見てくるので「滅相もございません。今の仕事をお与えくださったことに、非常に感謝しております。」と即答する。
法王の目耳として他国へ浸透して情報を集める――大神官直属の間者という仕事に就けるのはミシェルにとって、法国の正規兵として剣を振るうよりずっと名誉なことだった。
魔導師の小間使いに終始するのは歯痒かったし、それ以外の生き方をしようにも武芸しか取り柄の無い自分に何ができるのか分からない。そんなとき、声を掛けてくれたのがジルエッタだった。
「そぉ? それ聞ぃて安心したわ。これからもあんたの力を存分に発揮してぇな。」
「はい。今後とも粉骨砕身、この国のために尽くす所存でございます。」
ジルエッタ・デュボワルタン。法王アンブルミーユ・デュボワルタンの次子にして法国権力のナンバー2。剣と弓は使いこなせても、魔道兵としての基準を突破できず燻っていた自分に声を掛けてくれたのが彼女だ。
まさか大神官から直々に引き立てられるとは夢にも思わず、恐れ多く震えてしまったことを今でも覚えている。
曰く、優秀な間者を探している。魔導師を間者として放ったら行った先の国々で軍に斡旋されてしまうから魔導師は間者として登用できない。魔法ではなく、剣や弓で腕の立つ者が必要だ――
その条件に合致したのが自分なのだという。今は王都ヴェレンタンに浸透し、冒険者として各種情報を集めている。
「その意気や。期待しとるで。」とジルエッタが満足そうにグラスを傾ける。
「そんでな、こんな贅沢なお酒を飲めるんも、お城でも教会でもあらへんのに希少な緑魔石をぎょうさん灯火に使えるんも、法国に富があってのことや。そうは思わんか?」
「え? ええ。それは、その通りかと存じますが…。」
口に運ぼうとしたグラスを止め、テーブルに置く。
「やろ? そやけど、それに危機が迫っとる。」
ミシェルは膝に拳を置き、背筋を伸ばす。ジルエッタが本題に入ると分かったからだ。
「ミシェル、あんたが見つけた王国の冒険者のことなんやけど、法王猊下がえらい危険視されてんねん。」
「はい。あのブロンズランク冒険者、ツカサのことですね。命令に従い調査を続行し、適宜ご報告いたしておりましたが…。」
ブロンズランク冒険者ツカサ。彼女を見つけたのは本当に偶然だった。
あるとき、依頼から帰ってきたら既に夜。城門が閉まっていたため、その晩は城門近くに野営した。翌朝早朝、外が騒がしくて目が覚めたのだが、見るとそこには小規模ながら王家軍が整列していた。急いで身を隠し様子を伺っていたのだが――
その中に、場違いな冒険者風の人間がいるのを発見した。気になって調べてみるとただのブロンズランク冒険者。調査を進めると興味深いことに、ダイヤモンドランク冒険者ユーナと行動を共にすることが多いという。ここまで来ると、怪しむなという方が難しい。
「そやそや、そのツカサ某や。あんたがヴェレンタ王国で色々と調べてくれた情報を、猊下はちゃーんとご覧になってはんのよ。」
「恐悦至極にございます。」
さらに周辺を探ってみると、頻繁に王城に出入りしていることも分かった。
ちょうど時を同じくして『王国北部で緑魔石の鉱脈が発見されたかもしれない』と目の前のジルエッタから聞かされた。
ここまで来れば、緑魔石鉱脈とツカサを結びつけない方がおかしい。
ただし肝心の緑魔石鉱脈については確認できず終いだ。冒険者ギルドの依頼を装い王国北部に調査に行ったのだが、王国軍が拠点を構築していてそれ以上は進めなかった。が、あんな僻地に軍を展開させていること自体が証拠と言えなくもない。
「緑魔石鉱脈と何らかの繋がりを持っとると見るのが普通や。そやから出来ればそのツカサ某から情報を聞き出して欲しいねん。それでな、法王猊下は慎重なお方。情報を聞けても聞けんくても、緑魔石鉱脈と関係があってもなかっても、その冒険者ツカサを亡きものにしてほしいねん。そういうご命令や。」
「暗殺、ですか…? ですが関係なくてもとは…」
ミシェルの戸惑いを見透かしたように、ジルエッタが薄く笑う。
「普通に考えてブロンズランク冒険者が頻繁に王城に行き来することなんてあらへん。そやから王国にとって重要人物であることは間違いない。なんせあんたも知っての通り、ツカサ某は南部反乱の鎮圧軍にまで加わって、そんで帰還した人物。私らが考えとるよりも遥かに要人かもしれへん。殺したらどんな影響があるか分からんけど、王国が弱体化するなら排除せん手はない。貴族でも役人でも、ましてや冒険者なんて、外で魔物に襲われて死んだらそれは事故や。なんも問題無あらへんのや。分からはった?」
汚れ仕事に身を浸して久しいが、こういう考え方には未だに慣れない。法王猊下は慎重なお方、疑わしきは罰せよ。それがまかり通るのがこの世界だ。
ミシェルの心情を読んだかのようにジルエッタが続ける。
「大丈夫や。別にあんたに直接手を下して欲しいなんて思ってへんわ。」
「それは、どういう…」
「これや。」
そう言ってジルエッタが親指ほどの石を取り出してテーブルに置いた。薄暗い照明の中で、黒ぐろとした石が異彩を放っている。魔物から捕れる魔石と似ており、見た目は美しいのだが、なぜか酷く陰惨な印象を受ける。
「…これは、なんでしょうか?」
「詳しいことは教えられへんのやけど、強力な魔物を生み出すことができる石や。使い方は簡単。この魔石を開放するだけや。」
「魔物を生み出す石…。」
「そうや、でもちょっと解放の仕方にコツがいんねん。」
「コツ…ですか?」
「ほら、入って来ぃや。」
ジルエッタがこの部屋の入り口とは反対側の扉に向かって声を掛ける。するとゆっくりと扉が開き、一人の少女が姿を現した。薄暗くてよく見えないが、だいたい10才くらいの子供のように見える。
「ジルエッタ様、この子は…?」
「鍵や。その石の力を開放するためのな。解放の仕方はあの子に教えてあるから詮索は無用やで。名前はえーと…うん、適当に呼んであげてや。」
「は、はぁ…。」
「うまいことツカサ某を釣って、石を開放して、その魔物と戦わせるんや。一応、魔物を生み出す実験的要素も兼ねとるから、ミシェル、あんたはどっかに隠れて見ておくとええ。ツカサ某はブロンズランク冒険者、強力な魔物には敵わへん。てゆうか、ダイヤモンドランクでも手こずると思うで。で、あんたは高見の見物を決め込んどくだけでええ。それだけの簡単なお仕事や。」
ジルエッタと『その子』を交互に見る。ジルエッタの子供の扱いに違和感を覚えるが…。
「ジルエッタ様、そんな強力な魔物を生み出してはその子まで戦闘に巻き込まれてしまいますが…。」
「あ、そこは大丈夫や。問題ない、安心しよし。」
笑顔のジルエッタに胸を撫で下ろす。いくらジルエッタの命令でも、こんな小さい子供を巻き込みたくはない。
「そうですか、であれば安心ですね。」
「そやろ。それで、早速やけど明日、その子を連れてまた王都ヴェレンタンまで赴いてほしいねん。で、着いたら作戦練って実行してほしい。なんか気になることはあらはる?」
「承知いたしました。一応確認なのですが、その子はどこの誰なのでしょうか?」
「それは、今回のあんたの任務とは何の関係もあらへん。」
つまり、聞くなということだ。
「…承知いたしました。他に質問はありません。」
「うん、宜しゅうな。ウチはもう少しここで飲んでいくさかい、ミシェルはその子を連れて明日の準備でもしておくとええ。」
「承知いたしました。それでは、失礼いたします。」
―――
夜のヘネシブランブルの街を、子供の手を引いて歩く。夜の帳が下りる中、各戸から淡い光が漏れているが、コニック聖教を象徴する教会や、遠くからでも見える大聖堂の聖教シンボルは煌々と輝いている。
「なぁきみ、名はなんというんだ? さすがに、名前が無いと会話しづらくてな。」
「…ラ。」
「ん?」
「…シラ。」
「シラ、そうかシラか。いい名前だな。宜しくな、シラ。私はミシェルだ。」
コクリ、とシラが頷く。この子がどこの誰だか知らないが、さっさと仕事を片付けて帰してあげなくてはならない。
「シラ、明日から遠く離れたところに旅立つことになる。ヴェレンタ王国の王都ヴェレンタンというところだ。旅など、子供のシラにはまだ慣れないこともあろうが、困ったことがあったら遠慮なく言ってくれ。」
シラがまたコクリと頷き、そして「…ありがとう。」と小さな声で告げた。出会ってからずっと暗い顔をしているが、案外素直な子なのかもしれない。
「うん、それでいい、シラ。今日は私の宿に一緒に泊まろう。」
ジルエッタから任務に供された子供だ。家に帰すというわけにもいかないだろう。そもそも、家があるのかどうか…。
「あ、なぁシラ、家はあるのか? 産母と授母はどこにいるんだ??」
シラの身体が強張るのが、繋いだ掌越しに伝わってくる。両親のことはあまり強引に聞かないほうがいいだろう。ジルエッタからも聞くなと示唆されているが、どうも…。
「シラ、ごめん。話したくないこともあるよな。そうだ、腹は減ってないか? 宿に帰ったら食事にしよう。」
今度はコクリと、シラがはっきり頷いた。
―◇―◇―◇―
――基盤歴640年02月某日(夜) スピタス連邦 帝都ストロワ皇城 皇王執務室――
コンッコンッ――
執務室の扉がノックされると共に「呼び出しに応じて参りました。」の声。
「イネッサか。入れ。」
「失礼いたします。」
扉が開かれ、ガチャリと閉まる。部屋には、外で荒れる吹雪の音が皇城の壁越しに響いている。緑魔石で照らしているとはいえ決して明るいとは言えない部屋、そして寒々しい限りの気温は、まさにこの国の雰囲気そのものと言っていい。
「我が国に協議の打診があった。」
「協議。この時世ですと、法国からでしょうか?」
「その通りだ。」
この部屋の主人でありスピタス連邦皇王――アナスタシア・ニコラエヴが顔を上げる。
「緑魔石の取引量と単価についての協議の打診だ。」
「法国のほうから協議の打診ですか。であれば、ヴェレンタ王国に緑魔石鉱脈が発見されたという話は信憑性が増したと考えるべきですね。」
「さぁ、どうだかな。肝心の王国から魔石取引についての打診がないから確定的なことは言えんな。まぁ、正直どちらでも良いというのが本音だ。」
アナスタシアが興味無さげに腕組みをする。連邦からすれば、取引先が法国か王国かだけの違いなのでどちらでもいい。いや、寧ろ王国からも調達できるなら、法国の言い値を崩せるのでそちらのほうが好都合ではある。
「お母様、どちらにせよ連邦の不利にはなりません。ただ仮に王国に見つかった場合、法国から厄介な打診があるかもしれませんね。」
厄介な、と言いながらそれを楽しみにするような声音のイネッサに「ああ、お前を呼び出したのはその件だ。その時にどう対応するか、考えておいてくれ。用件はそれだけだ。」とアナスタシアが告げる。
「御意に。」
一礼して辞去しようとするイネッサに「ひとつ、面白い情報が入ってな。」とアナスタシアが声をかける。
「面白い情報、ですか?」
「サイレル公爵家を平定するために挙兵したララス第一王女だがな、ハクシーランを陥落させたという伝書が物見から届いた。」
「予想よりもだいぶ早い決着ですね。長引くようなら後ろから突いてみるのも一興と、楽しみにしておりましたのに。」
「ああ、我が国が背後を突く間もなく終わってしまったな。さすがに経緯の詳細までは分からんが、噂によると、前哨戦で敵兵3千を皆殺しにしたということらしい。」
イネッサの眉がぴくりと動く。
「…へぇ、あのララス王女が、ですか。それはまた、非道なことを。」
言葉に反して、相貌が崩れるのを止められない。3千を皆殺し。隣国の王女ながらなんと愉快なことか。3千を皆殺し。なんと甘美な響きか。
何年か前に王国を表敬訪問したときのことを思い出す。ただのくだらないお人好しかと思っていたが、認識を改めなければならないようだ。次に会うときが楽しみになってきた。そこときが外交の場か、はたまた戦場か。出来れば後者であってほしいものだ。
「王国も法国も、一筋縄ではいかない者ばかりだな。」
「だから楽しいんじゃないですか、お母様。」
そのイネッサの言葉に、アナスタシアが初めて薄く笑った。




