第四章 天魔窟のディレクターと非正規農夫
湯切りという異次元魔法。極上ソース焼きそばと忍び寄る影
悪徳代官の成敗から数日が過ぎ、ポポロ村には再び、のどかで怠惰な日常が戻ってきていた。
澄み切った青空の下、トラクター代わりのロックバイソンがのんびりとあくびをしている。
『サカガミPX』の店内もまた、平和そのものだった。
「坂上さーん! 今日のお昼ご飯、なんですかー!」
昼時を迎え、いつものように紅蓮のアーマーをガチャガチャと鳴らしながら、S級賞金稼ぎのダイヤがカウンターに張り付いてきた。
その後ろでは、人魚姫のリーザが「パンの耳以外がいいなぁ……」とヨダレを垂らしている。
「……お前ら、ウチを定食屋か何かと勘違いしてないか?」
ネイビーブルーの作業着(タローマン製)に身を包んだ真一は、苦笑しながらも『酒保』のスキルを起動した。
代官邸への討ち入りで見せた、あの『阿吽の仁王像』を背負う修羅の面影は微塵もない。今はただの、面倒見の良い売店のオヤジだ。
「まあいい。今日は少し趣向を変えて、地球の『B級グルメの王様』を食わせてやる」
真一がカウンターの上にポン、と置いたのは、四角いプラスチック製の容器だった。
パッケージには赤と黒の派手な文字で、**『特製スパイス香る! 極旨ソース焼きそば』**と書かれている。
「四角い箱……? お弁当箱ですか?」
ダイヤが不思議そうに首を傾げる。
「即席の麺だ。ちょっと待ってろ」
真一は慣れた手つきで外側のフィルムを剥がし、フタを半分だけ開けて中から小袋を取り出した。そして、ヤカンで沸かした熱湯を容器の注ぎ口からたっぷりと注ぎ込む。
「これで3分待つ」
「お湯を入れて3分……! お出汁のいい匂いがしてきましたよぉ!」
3分後。
ダイヤとリーザが箸を持って身構える中、真一はおもむろにフタの反対側にある『ツメ』をペリッと剥がした。そこには、小さな穴がいくつも開いている。
「さて、ここからが地球の魔法だ。よく見ておけ」
真一は容器を持ち上げると、流し台に向かって容器を傾け、中のお湯を一気にジャーッと捨て始めた。
「――――ッ!!?」
その瞬間、ダイヤとリーザ、そして店の奥で缶コーヒーを飲んでいた龍魔呂までもが、目を見開いて硬直した。
「あ、あああっ! 坂上さん、何してるんですかぁぁっ!? 大事なお出汁が! 美味しいスープが全部捨てられちゃいましたよぉぉっ!?」
ダイヤがこの世の終わりのような悲鳴を上げる。
スープこそが命である異世界の食文化において、『茹で汁を完全に捨てる』という行為は、狂気の沙汰以外の何物でもなかったのだ。
「騒ぐな。これが『湯切り』という儀式だ。……こいつの真骨頂は、ここからだぞ」
真一は完全に湯を切った麺の上に、先ほど取り出していた液体ソースの袋を封切り、とろみのある漆黒のソースを一気にかけてかき混ぜた。
――ジュワァァァッ。
熱々の麺にソースが絡みついた瞬間。
焦げた醤油、フルーティな果実の甘み、そして強烈なスパイスの香りが爆発的に立ち昇り、PXの店内を蹂躙した。
仕上げに、特製の『青のり』と『スパイス』、そして『マヨネーズ』を網の目状に美しくトッピングする。
「な、なんですかこの匂い……! 脳みそが痺れるみたいに暴力的な……ッ!」
「完成だ。食ってみろ」
ダイヤは震える手で箸を伸ばし、ソースの色に染まった縮れ麺を豪快に啜り込んだ。
「――――あ、あぅぅっ!」
ガツン! と脳天を殴られるようなジャンクフード特有の旨味。
モチモチの麺に絡みつく濃厚な甘辛ソースと、青のりの風味。そこにマヨネーズの酸味とコクが合わさり、一度噛みしめるごとに快楽物質が脳内に溢れ出す。
「お、おいひぃぃぃ……ッ! なにこれ、スープがないのに、味がメチャクチャ濃くて……! キャベツがシャキシャキしてて……ジャンクなのに止まらないですぅ!」
「ずぞぞぞっ! パンの耳挟んで焼きそばパンにしたら最高ぉぉ!」
二人はあっという間に理性を失い、顔をソースまみれにしながら四角い容器を貪り始めた。
「……相変わらず、地球の資本主義が生み出す飯は、毒みたいにヤバいな」
いつの間にかカウンターにやってきて、自分用のソース焼きそばを啜っている龍魔呂が、呆れたように呟く。
「美味い飯は平和の証さ。こういうバカみたいなメシが食えるうちは、ポポロ村も安泰だ」
真一が満足げにハイライトを咥え、マッチブックで火を点けようとした、その時だった。
カランッ!
けたたましくドアベルが鳴り、財務担当のニャングルが血相を変えて飛び込んできた。
いつもは飄々と算盤を弾いている猫耳の商人が、全身に脂汗をかき、耳を伏せている。
「……司令。えらいこっちゃ」
ニャングルのただならぬ気配に、真一はマッチの火を消し、静かに目を細めた。
「どうした。また偽造品か?」
「いや……もっとタチが悪い。『人』が消えとるんや」
ニャングルは、ガタガタと震える手で一枚の羊皮紙をカウンターに広げた。
「ウチのPRO型弁当やシガーを卸すために、隣街の『ベルク』へ向かわせた行商人たちがな……ここ数日、誰一人として帰ってこんのや。まるで、神隠しにでも遭ったみたいにな」
「……神隠し、だと?」
真一の低い声に、焼きそばを貪っていたダイヤたちの動きもピタリと止まる。
「ただの野盗やない。護衛につけとったBランクの傭兵たちも、通信の魔導具すら残さずに綺麗さっぱり消滅しとる。……ウチのシマの人間が、何者かに『意図的』に狙われとる可能性が高いで」
静寂が下りた店内で、真一は再びマッチブックを擦り、ゆっくりとハイライトに火を点けた。
紫煙が、焼きそばの香りが残る空気を切り裂くように細く昇っていく。
「……龍魔呂、ダイヤ」
「おう」
「はいっ」
「昼飯を食い終わったら、少し出かけるぞ。……隣街のベルクまで、『買い出し』のついでにな」
出雲の海将・坂上真一の瞳の奥に、再び冷徹な『将官の眼光』が宿る。
ポポロ村の平和な日常の裏側で、彼らを標的とした悪辣な『台本』が、すでに動き始めていた。




