四 治安維持
「九谷さん、ここは絶対自由が保障されている上に、生・老・病・死にまつわる悩みから解放される世界です。住民は、真の平和と安心の意味を悟り、生前の願望を実現できて、それぞれが充実した暮らしを楽しんでいます」
管理人は椅子から立ち上がり、池の見える窓辺に片手を置いて熱っぽく話し始めた。
「ところが残念なことに、そんな状態が長いあいだ続くと、魂は中世の貴族たちのように醜く堕落します。人間とは、そういう生き物なんです——」
「そうだろうな、欧州貴族にしても平安貴族にしても吐き気がする」
「それでも、記録されているのは、ほんの一部分ですからね」
「貴族の生き様を描いた〈源氏物語〉だって、あんなもの貴族の色恋沙汰をクドクド長ったらしく書き連ねたゴシップ誌ぐらいの評価でいいんだよ」
決して現世には届かないと判断したのか、源氏物語に携わる著名な作家たち全てを敵に回すような、九谷の大胆な発言だった。
「魂は堕落しないなんて、私に言わせればポエムでしかありませんからね。結局のところ人間は体毛が薄くなったのと、肉体的に楽をする技術や人間を殺す技術が発達しただけなんです」
「来世に来たことで魂は進化するんだろうか?」
「現世で経験を重ねるのが基礎、来世はその応用編という事ですな」
些細な文化の違いや宗教の違いがあるだけで人間は簡単に殺し合いを始める。
同じ種が互いに憎しみ、目的を持って殺し合うのも人間以外に存在しない。
たった今も世界のどこかで、サメが共食いするように獰猛に殺しあっている。
「そもそも今の人間は精神的なものや、自分以外の生き物の命に無頓着すぎます。狩猟で命をつないでいた古代人のほうが、よっぽど生命に対する畏敬の念があったと思いますよ——ホラッ居るでしょう? 肉料理を堪能した直後に、牧場の牛や豚を眺めてカワイイ~と言えるブッ飛んだ感性の人たちが——あれ何なんですか、まったく」
「そうだよね」
おそらく〈神々の代理戦争〉として、殺し合いは果てしなく続くのだろう。
神の教えに従順というより、神の奴隷となって戦うのだ。
「ところで九谷さん、どう思います? 物質の素になる量子にしても、まず存在するのを前提に理論が組み立てられていますよね。〈ビッグバンで産まれたんだ、文句あるか〉 とか言われても、どうして何もない空間からそんな超大規模イベントが始まるんだ? って疑問に行き着くんですけどね」
窓の近くを行ったり来たり、身振り手振りを交えながら熱く語っていた管理人が、椅子に戻るなり、ややこしい話を始めた。
「そういえば、神が宇宙を作ったのか宇宙が神を作ったのかって、鶏が先か卵が先かみたいな話があるよね。来世の管理人として、どう思う?」
九谷は返答に窮してしまい逆質問で逃げた。
「なに言ってるんですか九谷さん、私は神も仏も認めておりませんよ」
「ごめん、そうだったね」
面倒な話を始めやがったなぁ、九谷は思わず天を仰いだ。
必ず存在するという九谷の信念が作用して、来世はビッグバンと同じように何もない空間から始まった。
管理人にしても、その一部なので、来世の広がりと連動して知識を蓄え経験を重ねることで自らも成長する。
妙に人間臭い管理人の反応を見て九谷は納得した。
それにしても、見た目と比べ、なんと落ち着きのない男だろう。
椅子に座ったかと思えば立ち上がり、今度はガラス窓を大きく開け放つ。
池を渡った爽やかで心地よい風が室内に入ってきた。
「繰り返しますが、放っておけば魂は堕落します。ですから、魂が、つまり住民が堕落しないように何らかの対策が必要なんですよ。この世界では、たとえ管理人といえども強制は出来ませんのでね」
「そうは言ってもさ、道徳や倫理というものは、それぞれ解釈が違うからね。個人差が出るだろうし、無視する人だって多いんじゃないの?」
「まぁ、そうですけどね。それぞれの道徳観や倫理観に差があるのは確かですな」
「来世で堕落するようじゃ救いようがないよね」
そのうえ、面接をすり抜けて異界の魔物まで出没するんです——奴ら、好みの相手に憑いたら最後、生半可な方法じゃ離れませんからね」
魔物たちは遥か古代から現代に至るまで、あらゆる時代に出没している。
人に憑き、その当人だけでなく周囲の人たちにも悪影響を与える存在だ。
ごく稀に、現世と来世を自由に行き来する魔物もいるという。
先の大戦(アジア・太平洋戦争)で魔物憑きが何をしたのか。
お国の為だから死んでくれ、俺たちも必ず後に続くと言い聞かせて二十歳前の少年たちにヒロポン(覚せい剤)を打って特攻を強要しながら、戦後は責任を取るどころか隠ぺいを図った軍令部。
戦死した軍人を神に祭り上げることで戦争遂行装置の役割を果たした神社。
兵士を無謀な作戦に従事させて多数の餓死者・病死者を出しても、戦後に責任を取るでもなく長寿を全うした無責任で無能な指揮官。
庶民は食糧難で困窮しても夜ごと宴会にうつつを抜かしていた将校たち。
中国北部地域で、現地住民を、殺し尽くし・焼き尽くし・奪い尽くす〈三光作戦〉を実行した帝国陸軍。
捕虜を人間扱いせず「丸太」と呼んで人体実験を繰り返した731・石井部隊(戦後、石井の免責と引き換えに多くの実験成果が米国に渡った)
何よりも驚くのは軍人・軍属を合わせ二百三十万人を超える戦死者の六割超が餓死者であり病死者だったという、()悲惨で惨い事実だ。
日本人なら決して忘れてはならない。
しかも、戦死者の九割は敗戦までの僅か一年間で死亡している。
非戦闘員を含めた日本人の戦病死者数は三百十万人超。
戦争は魔物が嬉々として能力を発揮する場であり、かろうじて魔物に憑かれず影響を受けないにしても、人間自身を一瞬で魔物に変えてしまう。
——魔物とはまぁ穏やかでない話になったが、ここは来世、つまり〈あの世〉。
たとえ魔物や鬼が住みついて夜ごとダンスパーティーを開き、来世ライフを楽しんでいるとしても、そう驚くことではない。
それに、奴らが人に与えることが可能な悪影響は限定的という。
なにしろ来世には生・老・病・死が存在しないので、病気や死を取引材料にして人間を騙したり脅迫することが出来ないのだ。
このような環境なら魔物本来の活動は極めて制限される。結構なことだ。
「運わるく奴らに憑かれたら、なるべく早く身体の外に追い出して一体化を防がねばなりません。その辺のところを少しお話しましょうか」
「へぇ、追い出せるんだ?」
「意外と簡単ですよ——私か助手、九谷さんの誰かが〈その人から出て行きなさい〉と命令すれば良いのです。奴ら抵抗しないで従いますからね。身体から出たら、あとでお渡しする銃で魔物の本体を撃ってください。跡形もなく消え去りますから」
外に出た魔物は不気味な正体を確認できる場合もあるし、または青い影としか見えない時もあるそうだ。
「ということで、魔物退治の役目は九谷さんと助手にお願いすることになります。頑張ってくださいね」
すでに決定事項らしい。威厳たっぷり厳かに言い渡された。
「え、なんで? おれ来たばっかりの新人だし——」
なにが〈ということで〉だよ、冗談じゃない。
「おやおや、お忘れですか。というより、まだ思い出せないのですか?」
「え、何を?」
九谷さん、あなたは、この世界を創った張本人なんですよ? ここは、あなたの意識エネルギーが、あなたが亡くなるのと同時に実体化した世界なんですよ」
「どっ、どういうこと?」
「しっかりして下さい、製造物には製造物責任が伴いますからね。あなたは、この世界のオーナーであると同時に最高責任者でもあるんですから——宜しくお願いしますよ、ホントにもう。お知らせするのが遅くなって申し訳なかったですけど、そういう事ですから」
この世界のオーナーと言われ、九谷は開いた口を閉じることが出来ずアゴが外れそうになった。
「お、おれが創ったの……? オーナー?」
「ここは九谷さんの〈個人的な来世〉なんです。この世界は、あなたをお迎えすることだけを目的として生まれたのですよ。私や助手、あなたの身内や知人、ここで暮らしている方々の全てが、あなたの『来世は存在する』という強い信念に()応えて生まれたのです」
「そんなこと言われても……」
その後、オーナーとしての自覚と心得について、クドクド念を押され、九谷は神妙な顔をして管理人の説明を聞いた。
分かった、そういう事ならひとつ頑張ってみようかな——なにしろ時間だけは有り余っていることだし。




