十 演説する魔物
「お二人に重大なお知らせがあります——驚いてはいけませんよ。奴ら、ここから出て行くそうです。イヤ、良かった良かった」
「ええっ、ホントかよ——なんで?」
「つい先ほど古風な契約書が届きましてね、私サインしました。どうやら九谷さんが滅ぼしたのは魔物界の大物だったらしくてね。それが、あっけなく始末されたもんで慎重な知性派は戦々恐々。そこで連中、慌てて緊急対策会議を開いたそうなんです」
会議の場所は、このあいだ雪乃と一泊した温泉宿の並びにある旅館らしい。
「ところが、その会議中にアジ演説ぶつ奴が現れましてね、こう言うと不謹慎ですけど、もう面白いのなんの」
隠れて一部始終を見ていた管理人によると、集まったのは五十人前後。
いつもは人間側の意識が生活上の主導権を握っているが、さすがに大事な会議なので魔物の意識が表に現れていたそうだ。
管理人が記憶していた演説内容とは、こういう事らしい。
「さて、親愛なる同志諸君。既にご承知の事とは思うが、いま我々は重大なる危機に直面している——はっきり言うと、人間たちが我々の種族に対して宣戦布告した、まさに種族にとって存立危機事態と言っていい状況なのだ。我々は現在、非常に深刻な事態に陥っている。だが諸君、決して怯んではならない! 我々は強く賢いのだ、逃げずに真正面から対峙しようではないか! 事態を直視して最善の解決方法を探し、なんとかして現在の困難な状況を打破しようではないか!」
大声で喚くものだから、久し振りに逢ってお互いの近況報告に励んでいた温泉好きの魔物たちは、私語を止めて演説に集中した。
「そもそも我々には人間を徹底的に欺き、どん底の不幸に陥れるという崇高なる使命と、それを躊躇なく実行する義務と責任がある。だが、どうしたことか人間たちは不幸に転落するのを極端に嫌がって拒否するのみか、我々を敵視して攻撃するという恐るべき暴挙に出たのだ」
ここで、アジ男はテーブル上の水差しから並々とコップに水を注ぎ、一気に飲み干して演説を続けた。
「そして、ついに仲間が卑怯千万な奇襲攻撃を受けて滅ぼされてしまったのだ。諸君、我々には今回の理不尽で卑劣な攻撃に対して、沈黙するという選択肢はないのである。仲間の犠牲に報いるためにも、今こそ我々は一致団結して人間たちに立ち向かわねばならないのだ! そうだろ諸君!?」
「そうだ、その通りだ、もっともだ——異議なぁし!」
異議なしの声にアジ演説は、ますます調子づく。
「幸いなことに、私には現在の苦境を打開できる妙案がある。そして必ずやり遂げてみせる覚悟を持ち、それに伴う能力も持つと自負している。諸君、今回の危機を解決できるのは私だけだ——賢明なる同志諸君、どうか私を信頼して今回の対応を任せてほしいのだぁ!」
自己陶酔が極限まで進んで徐々に酔っぱらい状態になり、男は選挙に立候補して街頭演説で口から出まかせを、わめき散らかす候補者のようになった。
「とはいえ、穏やかな暮らしが続いて我々の能力が徐々に薄れ、人間に与える影響力が衰退したのも事実で既に誰もが気付いているはずだ。諸君、危機感を共有しよう。このままでは我々の能力のみか存在そのものが消滅してしまう——我々に残された時間はあまりにも短いが、今ならまだ間に合う。諸君、いまこそ旅立ちを決断しよう! 誇り高き我が種族の存続を最優先して、この世界を共に去ろう——そして希望に満ちた新天地に、夢を道連れに移住しようじゃないかぁ!」
「てなことを演説して、結局わけの分からない結論に至ったそうですわ。私、姿を消して現場で聞いてましたが、奴らにも穏健派と過激派がいるようでして会議は、かなり紛糾してましたな。それでもまぁなんとか、この世界を出て、もっと居心地のいい世界に移住することで決着しました」
「ええっ、そうか出て行くのかぁ——よくも決断したもんだね」
「自主的に出て行くのですから、私も少し気の毒になりましてね、とりあえず全員が立ち去るまで五年間の猶予を与えました」
「執行猶予五年ってことか——少し甘くない?」
「猶予期間中に、奴らが猫のシッポを踏んづけて猫がギャッと悲鳴あげたり、カラオケバーでヘッタクソな演歌を二回続けて歌ったりしても、その時点で送還が決定します」
「それはそれで少し厳しすぎない?」
「そんな事ございませんよ。過去の行い、特に奴らが戦時中に何したかは私だって十分すぎるほど承知しておりますからね」
管理人の言う戦時中とは、帝国陸・海・空軍が大日本帝国の先兵として、中国や南方諸国などを侵略した先の戦争を指す。
中国においては、兵士だけでなく子供や女性を含む膨大な数の民間人を殺傷したが、その証拠といえる映像・画像は、現在でも戦勝国に保存されている。
それは今でも、厄介な外交問題として現代日本に影響を与え続けているのだ。
思い起こせば明治以来、日本という国は脱亜入欧を謳って白人に媚び、同族であるアジア民族を見下すという、極めて横柄な国柄だった。
現代においては、庶民が政治権力を批判する声を上げると、それがすぐ別の庶民からの批判対象にされる現象、つまり民主主義ではなく奴隷根性というべきものの蔓延として現れている。
そういう国の軍隊が中国人に対して何をするかは容易に想像がつく。
九谷としては、帝国軍隊が中国や南方諸国で行なった数々の蛮行は、指揮官が奴らに取り憑かれたのが原因と思うようにしている。
そうやって魔物の影響を受けた戦争とでも思わないと、父母や祖父母の時代とはいえ九谷としても居たたまれないものがある。
戦争後半の大本営は、勝てば発表して負ければ沈黙あるいは戦局を捏造し、世論操作を行ないながら戦争を継続していた。
経済界は、明治から続いた戦争で戦争特需の旨味を知り尽くしていた。
特に軍需産業に至っては、戦争が無ければ禁断症状を引き起こす、戦争中毒の様相を呈していたようだ。
そういう状況下で適用されたのが治安維持法で、政府は戦争に反対する文化人や知識人たちを、特高を使って有無を言わさず引っ張った。
特高は容赦なく拷問を加えて、時には死亡させ、または罪状の確定に関わりなく投獄し、多くの平和主義者に恐怖心を植え付けたのだ。
大日本帝国は、そうやって戦争反対の声を上げ辛くし、情報が十分とは言えない、当時の国民意識をコントロールしたのである。
いよいよ戦局が危うくなり、日本の敗色が濃厚になった頃に聞こえたのは〈神国日本が負けるわけがない、必ず神風が吹く〉の大合唱だ。
さすがに誰でもそうだという訳ではなく、神がかり状態に陥っていたのは、国家神道に染まって自我が半ば崩壊した職業軍人や、大本営が主体だった。
その一方、前線で飢えに苦しむ兵士や内地で空襲に怯える庶民たちの方は冷静に、そして極めて的確に敗戦を予測していた。
それにしても、物資は枯渇し誰もが食糧不足で飢えている状況下で、〈神風〉が吹き荒れて敵を殲滅してくれ、と一般人が願うのなら理解もできる。
それは理解できるが、いくら絶望的状況だったにしても、神風を軍人が願うのは少し違うんじゃないかな——? と、例のごとく空間の一点を見つめていた九谷の肩がポンポンと叩かれ——ここで九谷の脳内タイムスリップは終了した。
うっかり戦時中の話題に触れるもんじゃないなと反省しながら、管理人は九谷を戦中世界から現実世界に引き戻した。
「実を言うと、奴ら放っといても構わないんですわ。どうせ来世の波動に耐えきれず消え去る運命ですからね。あと五年もつかな——クックック」
「それさ、まえから知ってたよね?」
「なっ、なんのことでしょうか?」
「たしか、来世で長いあいだ暮らせば魔物の力は少しずつ弱まって、数年で消滅するって言ってたよ」
「なぁんだ、覚えてたんですか……チッ」
「勝手に消滅するんなら、なんで魔物退治なんて面倒なこと頼んだんだよ?」
「いや、九谷さん来世に来て退屈するかなぁって思いましてね。リクレーションとして楽しんでもらうとするか……なんちゃって」
「まぁ、いいんだけどね」
「なんにせよ、厄介者たちが消えてくれて良かった。これで万々歳ですわ」
「じゃぁ、懸案が一挙に片付いたという事で、三人でパ~ッと行くか!」
管理人の話を面白そうに聞いていた雪乃が提案し、これから例の多目的バーだか居酒屋だかでお祝いすることに。




