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零細社長令嬢のボヤき記録

作者: 炭酸水

Twitterで書いたのが、そこそこ面白く書けたので、載せてみました。

魅力不足のコンセプトで、サンプルを量産して、それを「世界観」と作り手は信じる。


が、ある程度才のある人が、そのコンセプトに時間と労力をかけるのが無駄だと判断して手を出さないだけなのを、本人は「個性」だと思っていたりする。「没」として淘汰されただけなんだけど。


これ、現場から離れた社長あたりが、開発に手を出して失敗する。


まぁ、うちの父親の過去話なんだけども。

そう、零細社長令嬢って、私。


今回、ザックリとボヤかせてもらうわけ。


ちょっとお付き合い下さい。




「他の人がやってない画期的」に陥って、いくら、それに需要が無く、推し要素が足りないかと説明するも、「お前は何でも反対する」と、社長は突っぱねる。


私がより具体的に説明しても、苦言を呈する者の意見を排除する。社長としての立場に胡座をかき謙虚さが無い。


「他の人がやっていない」理由を覆す為のアイディアが無いのに、期待ばかり膨らませる。「やらない理由」を考えようとしない。


自分と同等の人に、自分の立場を利用して意見を求める。その人は大体現場にいないし、企画を判断しない人間だったりする。


褒めてもらう為に相手を選ぶ段階で、企画開発する資格がないんだけど。社長はアホだったよ。



しかも、企画開発は経験あるけど、営業未経験の私に営業を任せるとか、本当、舐めていたし。私も、引き受けるんじゃなかった。


教えてもらえない。


そして、なんと、「お前、営業やってないの?」と言いやがった。私、美大出、前職は開発に入ったわけで、雑務は仕入れから品出し、展示会までやりましたけども。


お前、学費出したくせに自分の娘のスキルも知らずに巻き込んだのかよ?と。


そして、宣伝費は残ってなくて、ほぼ開発費に費やしていた。自惚れでヒットすると思っていた社長は、宣伝費など計算に入れてなかった。


そう、うちはメーカーに品物を収める会社で、小売技術が無いんだよ。しかも売り先は、業界違い。


企画開発の経験のない父が、アイディアだけでデザインを外注に出し、しかも、そのフリーデザイナー(職人)も、受注メインの人間で……デザイン画を原型に起こす事は出来ても、自分の作品が売れてる様子はない。


技術はあるが、大衆性を理解しているとは思えない女性でしたね。こだわって頑固な人でした。その人の生活を心配する父親は、浮気でないにしても、発注受注の関係は歪んでいる。そこで終わってましたね。


さて、パンフレットだが、画像のくり抜きを頼んでも、上がってこないし、パンフレットの構成も何年も上がってこない。


これは、社長のどんぶり依頼を印刷会社が放置していたからだ。社長同士が異業種仲間として仲良く、ズルズルと決まらなかったらしい。それを私に丸投げしたら進むと考えていた。


この異業種仲間ってのが厄介で、異業種交流会なるものが、地元の活性化のために、自治体が推し進めていたもので、ぶっちゃけ政治家たちの票田になるものだったね。


で、交流しても、小さなうちの会社にはメリットがない付き合い。社長は会社にいるよりも、異業種交流会の仲間といる時間を選ぶわけさ。


よその会社の役に立つ情報や、手伝いを無償でして褒められて喜んでいるわけだよ。本当、クソ社長だったね。


うちの社長は、商工会議所などから助成金を得るためのノウハウを持っていたのが他社の社長から好まれた理由だ。


うちの父親。印刷会社に、開発費(助成金でゲット)を何故か200万円ほど貸してたんだよ。マジクソだったね。なにその、媚び?金貸して仲良くして、なんなん、それ。


で、その印刷会社の社長、銀行からロゴデザインから印刷までを頼まれたんだと、その資料を私に見せて喜んでて、今思えば、アホだよ。


社長令嬢として、舐められてバカにされてたって話だ。


お前の会社を回すために、うちにあるはずのパンフレット印刷代がプールされてるとか、クソ過ぎるだろ。異業種交流会なんて、マジクソいらんね。何が、地域活性だよ。


キレ始めた私は、その200万円のプールを戻せ!開発費だけで商品が売れるとか思うな!宣伝費のない商品開発とか、有り得ないだろ!


父親に迫ったね。取り返して、他の印刷会社に頼んだら、半分以下で作りましたけども、それで、じゃ、その開発商品が売れるかっていうと、売れませんよ。


私が最初っから企画開発に携わっていたのなら、結果は分かりませんよ?4年間外で働いてましたから、ロングセラー商品を出してましたからね。


私が前職で4年の間に作った商品は、その後も10年は生きましたからね。その開発部が無くなるまでは、主力でしたよ。仕方なく、父の会社でデザイン開発を始めた。


父の会社の主力の分野を開発した方がマシだってことでしたよ。2、3年無駄にしましたね。


そして、職人さんたちの教えを乞うて、デザインしたものが、この会社で最も本数が出た商品になった。大手のメーカーに卸したのもありましたし、職人の腕が良かったのも大きかったですね。


当時、兄に、「実家の稼業に入るのなら、借金を背負う様な覚悟がないのに、何故、未来のない様な仕事をしてるんだ」と、言われましてね。


兄よ、お前、家族で実家に同居していながら、私にそれを言うのかね?黙って聞いて、覚悟の無さに打ちのめされて、否定された私の立場よ。


会社には、車が3台あり、一つは父のシーマ。一つは元父のシーマを営業の叔父が使ってて、もう一つはワゴン。


叔父もなかなか色々と…まぁ、いいわ、父よりマシなのかもしれない。色々教えてもらったしね。商品開発では、この人の判断は大事だった。


ワゴンは、父が、外の名誉職で社会奉仕に使ってる機会が多過ぎて、維持費がバカにならないから、処分させた。


父よりも立派な会社との付き合いで、協会やら組合やらの展示会などのための運送用にワゴンを使っていた。


年で腰も痛いのに、カッコつけて荷物を運ぶわけだよ。ワゴンを処分したら、父親の業界奉仕は半減されたね。それでも、色々やってたけどね。


地下のゴミを数トンほど、私は半月ほど掛けて捨てたり……。これも、色んな経緯がある。


ダメ社長の娘の私も、時々、ウトウト寝ちゃったり、ロクな仕事にならない日も多かった。


企画開発ばかりではダラシなくなるので、職人たちに混ざって、職人見習いなどもする様になりましてね…


色々やりましたが、職人さんは「昔ならたくさん失敗していいほどの物量があったけど、今は少数生産、若手を育てる機会がない」と。


日本経済の弱さがここから出てましたね。

海外に売れば売れるんだけど、ルートや法的なもののノウハウがなく、二の脚踏みましてやめました。高額品でリスクが高い。



私も、性格が悪く、闘う人間だったし、ロクに技術もない上に、経理のことも分かってないし、ダメダメ社長娘でしたけどね。


母が亡くなったのをキッカケに、逃げましたね。主人の実家に移りましたよ。それからフリーランスから、フランチャイズしたり、今に至りますね。



ご拝読ありがとう御座いました。


長編のファンタジーも書いてるので、宜しくお願いします。

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