中刻
ーーカーンーー
早刻の鐘がなった。
草原の塔では、アイラと四人の侍女が神妙な面持ちで固く手を握っていた。
「行くわよ」
アイラが発する。皆無言で頷いた。
「ジーナ、昼刻の鐘を合図に王様にこれを渡すのよ。それと、これをレオン様にお渡しして」
アイラは一度その文を胸にあてた。そして、ジーナに渡す。
「はい、かしこまりました。皆さん、どうか、どうかご無事で。お気をつけて……」
不安そうなジーナをアイラは抱き締めた。
「頑張るわ。だからジーナも頑張ってね」
ジーナはアイラの腕の中でうんうんと頷く。
「じゃあ、行ってくるわ」
ジーナは出発する四人を見送った。そして、足早に海の塔に戻っていった。
エレーナはその非難通路を歩きながら、これがレオンが言っていたことなのだと理解した。特殊な非難通路。薔薇の通路。確かに闇雲に突っ込めば、傷だらけになる。前を歩くアイラもクレアもセリアも、それを理解していた。アイラはそっと、薔薇に触れる。
「あなたたちも……」
その後の言葉は敢えて出さなかった。
「アイラ様、もうすぐ抜けます」
先頭のクレアが言うか否かで、薔薇の通路を抜けた。クレアを先頭に、農機具小屋に入る。
「アイラ様、もう……」
「ええ、そうね。もうここを通ったことがわかっても良いわ。ただ、外の城壁からはわからないようにしないとね」
クレアとセリアは頷く。エレーナはただただアイラの横に立っているのみ。クレアが壁板を外す。そして、セリアは解錠していく。セリアは仕掛け引き戸を開けた。先にクレアが外に出る。
「大丈夫でございます」
「行きましょう」
アイラはそう言うと、仕掛け門を通り外に出た。エレーナ、セリアと続く。
「セリア、ちゃんと施錠して。こちらからわからないように」
「来るわ」
アイラはそう呟いた。遠くから蹄の音。
「出ましょう」
城壁の前の低い木に隠れていたアイラ達は、草原へと出る。遠くから二頭の馬が駆けてくる。アイラの前まで駆け寄ると、二頭は静かにアイラに撫でられていた。
「頼むわね」
朝の放牧をされている馬を、アイラは呼んでいたのだ。アイラの声を草原が伝えていた。植物から、大地から、天から、声を伝える。それに二頭の馬が反応してくれた。
「アイラ様は、馬の声も聞けるのですか?」
エレーナは突如現れた馬に驚き、アイラに訊ねる。
「いいえ、私の声をね、届けてもらったの」
エレーナはそれだけで、なんとなく理解できた。
「お兄様の馬をね、時々呼んでいたのよ。フフッ、あのイタズラがこんなところで役に立つとはね」
クレアがニンマリ笑い出す。
「姫様は、いつも太子様を振り回しておいででした」
「もう、クレアったら、そんな子供の頃の話をして。ちょっと手伝って」
セリアはそんな話をしている間に、昨日急きょ作った布の手綱を馬に取り付ける。それが終わると、クレアに微笑んだ。クレアはアイラを支える。アイラはその支えを上手く使い馬に股がった。クレアは次にセリアを支え、馬に股がらせる。アイラはエレーナの手を取り、馬に上がらせた。セリアもクレアの手を取りに上がらせる。鞍はない。ただ布の手綱だけ。
「お願いね」
アイラは、馬を優しく撫でた。四人を乗せた馬が静かに、優しく進む。四人は必死にしがみつく。港が近づくと、馬はゆっくりと歩を止めた。
「降りましょう」
遠くに見える人影を気にしながら、アイラ達は馬を降りた。岩山沿いの道に移動する。二頭はアイラ達を隠すように岩山沿いの道まで歩いてくれた。
「ありがとう」
アイラは二頭を撫でた。二頭はアイラに寄り添うと、小さくヒヒンと鳴き、そっと離れていった。
「さて、昨日言った通りよ。私達は、青の国人。巫女様を楽の国にお連れするため港に来た」
エレーナが巫女様。クレアとセリアが巫女様付き、アイラが巫女見習い。エレーナの青の国の木札で海を渡るのだ。
「行きましょう。エレーナお願いね」
エレーナが頷く。四人は、朝刻の港に立った。
「青の国の巫女様です。楽の国に向かいます。船に乗せていただけませんか?」
セリアは一番大きな船の船頭にお願いした。
「青の国の巫女様かい? 一応確認させてくれよ。城から伝令がきててよお。ちゃんと木札を確かめにゃならんのだ」
エレーナは青の国から持参した木札を見せる。船頭はフンフンと確認しながら、船賃を言った。
「どうぞ。女だけの旅でございます。個室がありましたらお願いします。船賃は……」
セリアは船頭に懐の金を見せる。船頭はニンマリ笑って、手を擦る。
「一等いい個室がありますぜ。おーい、お客さんだ! 案内しろ」
甲板の船員が、アイラ達を個室に案内した。
中刻の鐘が鳴る。船は出航した。花嫁道の最初の港に戻るのだ。彩の国の港ではなく、陽大陸の港に。
***
時はさかのぼる。
レオンはマークが出ていった後、『三宝の力』を読みはじめた。あるページで心臓がドクンと跳ねた。
『花弁の贈り物』
最後の時まであなたを想います。咲き誇る華の時だけでなく、散った花弁の時までも、ずっと見ていたい。そう……最後の時まで。
「アイラ……」
レオンは名を口に出した。
ーーコンコンーー
執務室の扉がノックされる。ルークが一礼し入る。
「レオン様、そろそろ会議が始まります」
ーーカーンコン カーンコン カーンコンーー
夜刻の鐘が鳴った。
マークが準備した書が読み上げられた。
「なっ! は、反対でございます!」
リョクが異を唱える。
「譲位など受け入れられません!」
リョクは叫ぶ。
「リョク殿、これ以外にどう解決できるのだ?」
涼の国王は静かに発した。
「ですが!」
「これ以外の最良の方法があるなら、是非聞かせていただいきたい」
リョクは考える。沈黙の会議が続く。皆、リョクの答えを待っている。
「今夜、考えさせてください」
リョクは俯きながら言った。
「明日の昼刻に書簡を出す。中刻に会議を開く。それまでに答えを」
涼の国王は立ち上がった。リョクに進み出る。リョクも立ち上がり涼の国王と視線を重ねた。
「すまぬ」
「いえ」
短い会話であるが、故にその信頼の度合いが見てとれた。
リョクの文とともに準備された涼の国王の文は、リョクとって厳しいものだった。リョクを人質とした涼の国の要望は、国王の譲位。そして、リョクの国王就任。その上で、両国力を合わせての害虫駆除であった。当然、リョクは譲位を受け入れられないと言った。父である国王にその座を譲れと言っているのだ。それも国内でなく他国から。それがリョクの意思とは違っても。
「最良の方法……」
リョクは考える。要求をただ取り下げてもらうだけは出来ないのかと。
「……それではダメか」
ーー自分の命と引き換えに、要求を取り下げる。ではシェリーはどうなる?ーー
「要求を取り下げ、シェリーの命も保証させる。どう文を書けばいいのだ?」
状況は涼の国の方が有利である。今はまだ自身がここ涼の国に居るとは知らず、彩の国は自国が有利であると思っているであろう。
「答えが見つからない」
リョクは大きく息を吐き出した。互いの人質の引き渡し……リョクの頭に浮かんだ一案。
「それでは、シェリーは我が妃ではなくなってしまうではないか」
ーー自分の力で彩の国は建て直す。何年かかってもだ。他国から奪った力で栄えても、きっといつかは崩れるだろうーー
リョクは再度息を吐いた。
「ハァ」
それだけではない。ダラクの処分もある。他国の妃を拐うなどあってはならないからだ。未遂であっても、涼の国からすれば……
ーーなぜそのような暴挙に出たのだ?ーー
リョクはさらに考える。
「最良の方法……譲位……」
リョクはそのまま眠りについた。
ーーカーンコン カーンーー
中刻の鐘が鳴る。
王間に皆が揃う。リョクは立ち上がり、深く頭を下げた。
「ギリギリまで、皆さんの知恵をお借りしたいのです。譲位より最良の方法を……お願いします」
……
……
誰も何も言葉を発せずにいた。
「昼刻まで、皆考えようではないか。リョク殿は我が息子だ。我が息子のために皆、考えてくれ」
その王の言葉に続いてレオンも発する。
「シェリーは我が妹。リョク殿は我が弟なのだ。皆の知恵を」
レオンはリョク同様深く頭を下げる。
「我々は王子様方より、少々長くは生きてるではないか! ここで年輩者の力を見せようぞ」
マークはガッハッハと笑う。会議の参加者も揚々とした顔で二人の王子に頷いた。
中刻の鐘とともに、
レオン達は会議をはじめ、
アイラ達は出航し、
セドは……
シェリーは……
マリ婆は……
ダラクは……
それぞれが中刻で動き出していた。
***
セドは王に、華であったものの船への積み込みが終わったことを報告した。
「これを持っていけ」
王はセドに書簡を渡す。
「……はっ」
寸の間の返事の遅れを読み取った王は、セドに一瞥すると言い放つ。
「豊の姫を渡さねば、涼の国からいただいた華を刈ると書いてある」
セドはグッと腹に力を込めた。華とはシェリーのことだろう。
「では、昼前に出発いたします」
「待て、まだだ。書簡の続きをな」
王はセドに耳打ちする。
「使者の船に豊の姫を乗せよ。帰港の船に姫が居なければ、……華をただちに刈るとな」
王はセドからすぅーっと離れ、周りに聞こえるように宣言する。
「書簡の返事は要らぬ。わかったな、セド!」
「はっ!」
セドは返事に力を入れた。間を持ってはいけないのだ。退室するセド。頭の中ではある企みが進んでいた。
***
「あのお、医師をお呼びしましょうか?」
シェリーを監視している兵士がおずおずと申し出る。
「いいえ! 結構よ!」
シェリーはそう怒鳴り声を上げる。
「ぅっ」
シェリーはスカートを少し上げた。トイレの合図である。この行為もすでに五回目。朝食後五回目となるトイレの合図なのだ。
「やはり、医師を」
「結構よ!!」
ーーコンコンーー
そこに侍女が登場。マリ婆である。
「お菓子をご用意しました。どうぞ」
シェリーと兵士の間をすり抜け、テーブルに置いた。
「どうせ、腹下しが入っているのでしょ?! ずいぶん卑怯な真似をするもんね、彩の国は!」
シェリーは兵士と侍女を睨む。
「な、なんのことでございましょう?」
侍女のその答えに、シェリーはさらに激高する。
「私を動けなくするため、……逃げられなくするため、食事に混ぜたのでしょ! 腹下しの薬を!」
「そ、そのようなことはございません」
侍女が答える。シェリーは侍女を睨んだ後、兵士に視線を向ける。
「あなたが混ぜたのね!」
シェリーはツカツカと兵士に近寄り、キッと睨む。
「わ、私は監視しているだけです。食事にはいっさい手をつけていません!」
兵士は侍女を見る。
「ヒッ、私はなにも、なにもしておりません」
シェリーは二人を睨んで言った。
「じゃあ、そのお菓子を食べてみなさいよ!」
と。
「なにもしてないのなら、食べられるでしょ?」
シェリーの勢いは止まらない。
「外の兵士も呼んできなさいよ! 皆で食べて見せて!」
兵士はシェリーの勢いに圧倒されながらも、言った。
「持ち場を離れるわけにはまいりません。すみません」
シェリーはツカツカとテーブルに進む。お菓子を手に取り、兵士に持っていく。
「食べて」
兵士は固まった。どう対処していいかわからず、目が泳ぐ。
「わ、私が先に食べてもよろしいでしょうか?」
兵士に駆け寄り侍女が言った。
「ええ、どうぞ」
侍女はシェリーからお菓子を受け取ると、パクりと食べる。
「そのままこの部屋に居てね。……フフッ、見ものだわ」
……
……
「あのお、なんともありませんが」
侍女はボソボソと言った。シェリーはバツが悪くなり、小さく『こほん』と咳払い。兵士はほっと胸を撫で下ろした。
「……ごめんなさいね。ちょっと気が立っていたわ。だって、こんな塔に隔離されているんですもの……」
シェリーの頬に一筋の涙。
「いえいえ、お気になさらずに。……お気持ちは十分にわかります」
兵士はシェリーの涙に心が揺れたようだった。
「あ、もうすぐ交代の刻でしょ? お茶でも飲んでいって。ね?」
シェリーは可愛く小首を傾げて兵士を見る。兵士は赤面し『はっ、では』と遠慮しながらも、シェリーの入れたお茶を飲んだ。そこに交代の兵士が入ってくる。シェリーはその兵士を労いながら、お茶を進める。中と外で交代するだけの兵士達なのだ。顔を見知った二人疑いもなくお茶を啜る。無事交代が済み、兵士は入れ替わった。
午前中はこの二人の兵士がシェリーの監視をしている。午後になると別の兵士の二人組。隔離された当初は、監視の兵士も多かったのだが、今は二人だけ。
マリ婆はシェリーに微笑む。兵士にわからぬように。
「ではお下げします」
マリ婆はお菓子とお茶を下げるため、退室した。兵士は戸口に。シェリーは席につき、本を読みはじめる。部屋はページを捲る音だけ。
……
……
ーードサッーー
シェリーは音の方を確認した。近寄る。本の端でツンツンと押す。びくともしない。
ーーコンコンーー
シェリーは身構えた。扉がそーっと開く。マリ婆が満面の笑みで顔を覗かせていた。
「成功にございますな」
マリ婆が言った。
「フフッ、上手くいったわ。さあ、準備しなきゃ。セドが来るんでしょ?」
マリ婆は頷く。
「では、シェリー様はこの兵士にシェリー様のドレスを着せてくださいまし。私は外の兵士の物を着ますゆえ。シェリー様はこちらを」
シェリーはマリ婆から侍女服を受け取った。
「ええ、わかったわ」
中の兵士はドレスを着さされる。
外の兵士はパンツ一丁で侍女部屋に。
シェリーは侍女服を。
マリ婆は兵士服を。
そしてセドを待つ。
前日、セドからマリ婆に渡った物は二つ。眠り薬と、作戦の手紙。シェリーとマリ婆はその作戦をやってのけたのだ。
***
「めんどくせえな。っと」
ダラクは船上から中央大陸を眺めていた。昨晩出航した船は、陽大陸を南下し、中央大陸の大河を上っていた。
「ダラク様、そろそろ到着いたします」
その声は商会長の声。ダラクはまたも彩の国の商会の船に乗り、収集へと出発していた。
「セドの奴、腹立つ野郎だ。っと」
その収集の命は、夕食後にダラクの下された。セドが進言したのだ。
『涼の国から豊の姫が来るよりも先に、ダラク様が彩の国に生きたままミュウ虫を収集すれば、……次期太子として認められるのでは』と。
そして、こうも続けたのだ。
『豊の姫の収集に失敗したままでは、……我が隊は太子として受け入れがたいんですよね』と。
それを聞いた王は大いに笑った。
「ダラクよ。セドの部隊は……リョクの部隊なのだ。確かに失敗したままでは立つ瀬がないだろう?」
「必ずや、ミュウを収集してまいります!」
ダラクは珍しく、激情のままに答えたのだ。
「ハァー、めんどくせえな。っと」
いつもなら、いにしえ国から中央大陸に上陸し各国に行くのだが、生きたままでのミュウ虫の収集は、船室の温度が重要になる。中央大陸の南方から大河を上り、青の国に繋がる桟橋に船をつける必要があった。寒すぎず、暖かすぎずの温度を保つためだ。
「セド様との対決にございますな」
商会長はニヤリと笑う。
「涼の国が簡単には豊の姫を差し出さないでしょうから、ダラク様の方が有利にございます」
商会長はダラクの後見人である。この太子承認のための収集に、乗り気であった。ダラクは眉を寄せる。激情のままに収集を受け入れたが、何か引っかかっていた。なぜ、セドが勝敗がわかりきったこの収集を進言したのかと。
「……まさかな。っと」
一瞬過った思考に頭を振る。ダラクの頭に過ったそれは、シェリーの笑顔。
「王の命に逆らえるわけねえよな。っと」
セドがシェリーを逃がすため、自分を収集に出させたのではないか? ダラクはそう思案したのだが、彩の国王に歯向かい、そのようなことをするはずがないと否定する。そう、否定はするのだが、引っかかっていた。
「長よ。急ぐぞ」
長は真剣な顔になる。ダラクが思う急ぐと、長の思う急ぐは違っていた。ダラクは収集を急ぎ帰国し、シェリーを確認し見張るために。長は収集を急ぎ帰国し、ダラクの太子就任を急ぐために。
船は桟橋につく。
遠く見えるは青の国。ミュウ虫が生息する唯一の国。ダラクは一歩踏み出した。
そう、その頃も中刻であったのだ。




