130.掴んだ誇り、こぼれ落ちる涙
プログラムでは、この後、途中で休憩時間がある。
さっきの休憩時間から次の休憩時間までの間に演奏した団体の審査結果が、 ウェブサイトで発表される。
もうすぐ——俺たちの学校の審査結果がアップされる頃だ。
今日はみんなタブレットを家に置いてきている。
盗難のリスクを避けるためだ。
頼りは先生のスマホのみ——。
荷物を持って、会館の前にある芝生の広場へ集まる。
何か話しても——おしゃべりは続かない。
そわそわと気まずい空気が流れる。
何人かの先輩は、すでに感情がバグって泣いている。
俺は——。
オブリガードの途中で遅れがあった。 伸ばしの音程が途中で下がった。
息が持たなかったんだ。
いろんなミスが蘇る。
もう——息苦しい。
早く結果を知りたい。 楽になりたい——。
先生が何度もスマホをタップしている。
先生だって、結果を知りたいはずだ。
ぴたっと、先生の動きが止まった。
部員も、それに気づく——。
先生の動きに注目し、静まり返る。
内田先生は、部員の方を見渡した。
そして——。
目をぎゅっと強く閉じ、うつむく。
喉の動きで何かを飲み込んだように見えた。
顔を上げる。
目を開く。
深呼吸を一つ——。
そして、再度息を吸い込んで——。
大きな声で——。
「ゴールド金賞!」
叫んだ——。
部員たちは歓喜する。
泣き出す者。 叫ぶ者。 飛び跳ねる者。 抱き合う者——。
俺も知らないうちに涙が溢れていた。
いろんな先輩や1年男子と肩を組み、 笑ったり、泣いたり——。
良かった。
先輩たちの実績を引き継げた——。
銀賞や銅賞になってしまうかもしれない——。
そんな危機感から、ようやく抜け出せた。
本当に安心した——。
部員はしばらくその場で泣いたり叫んだりしながら、一休みする。
内田先生が告げた。
「代表選出発表は17時半の閉会式となる。
それまで時間があるので、学校に戻り、片付けをして待つこととする。」
「はい、移動!」
山田先輩が声をかける。
みんな、泣いたり、笑ったり、 疲れでふらふらしながら——駅へ歩き始める。
俺は宮田先輩のところへ行った。
「さっきはすみません、ありがとうございました。
あの、おれの吐いた、あのビニール袋…。引き取りたいです。」
宮田先輩は軽く笑いながら言った。
「あー、大丈夫大丈夫!」
「いや、さすがに持たせるのは…。」
そう言うと、宮田先輩は肩をすくめる。
「小さい子って、よく吐くんだよ。
幼稚園、保育園の先生なら、この対応は基本スキルだから。
実習でやったの。」
「幼稚園、保育園……。」
「中学生も、大体同じ。
だから大丈夫。」
「すみません、ありがとうございます。」
「うん。」
近くにいたすばる先輩が、ふいに声をかけてくれた。
「たくみ君、今日が一番音出てた。
正直驚いた。
良かったよ。」
ちょっとほっとして——。
「ありがとうございます。」
そう言った。
学校へ戻る。
音楽準備室の楽器や荷物が少ない今のうちに——。
床を軽くワイパーがけをし、埃を取った。
結構な埃の量——。
シートを3回交換し、最後の1回は水拭き。
夏休み期間、結構な人の出入りがあったのに——。
忙しくて誰も掃除ができなかった。
こんなことになっていたんだ。
もしかして——体調が悪かった原因のひとつはこれだったのか?
その後——。
大きな打楽器、チューバなどの楽器を音楽準備室へ運び込む。
同時に、音楽室の掃除も進んだ。
ほうきとちりとり、ワイパーがけ——。
そして、椅子と机を輪になるように並べる。
これも、いつもとは違う——。
パートごとにまとまって座る。
軽食として——サンドイッチ、お茶、ゼリーが配られる。
代表選出の結果待ち。 反省会、話し合い——。
みんなが席につく。
そして——内田先生が話し始めた——。
「みんな、よくやった!」
その言葉とともに、部員たちが笑顔で拍手する。
しかし——内田先生は、手で制止した。
「審査員の講評では、共通してこうあった——。
全力で新しい挑戦をしたことで、新しい音楽の可能性を開いた。 そのことに対する賛辞。
そして——『演奏に点数をつけられないくらい感動した』というコメント。
ぎりぎりまで、大変な苦労があったと思う。
しかし、それらはすべて報われた。
ここまで、一緒に来てくれて——本当にありがとう。」
そう言って、内田先生は深く頭を下げた——。
部員たちが、拍手する。
内田先生は、拍手を手で制して——。
「じゃあ、みんな、お茶で乾杯するぞ。 キャップを開けて——いいか?」
「乾杯!」
部員たちも隣同士で乾杯しながら、ペットボトルのお茶を飲む。
軽くサンドイッチとゼリーを食べて——閉会式までの歓談タイム。
さっき吐いたけど——サンドイッチもゼリーも美味しく食べられた。
「たくみん、ありがとね。」
「え?」
隣の絵馬先輩がお礼を言ってきた。
「たくみん、いなかったらホルン私1人だったんだよ。
ホルンって難しいから、急に楽器変更ってなったところで、 できるようになんて絶対ならない。
やりたい、っていう子も少ないし——。
下手でも、音出さなくてもいいから、ホルン専属っていう子がいて欲しかった。
でも——短期間でめっちゃできるようになって。
すっごく楽しい!って思えた。
まだまだ、よろしくね!」
そう言われて——また泣きそうになる。
「そんな…こちらこそ、ありがとうございます。」
色んな温かい思いがあるけど—— 何て言葉にしたらいいんだろう。
「俺って、幸せだと思いました。」
5月には中学に絶望していたのに——。
今は——ここに来て、本当に良かったと思う。
わずか2か月で、こんなことが起こるんだ。
何がきっかけでどうなるか——それはわからない。
悪いことがあって、良いことがあって——。 その違いを、今までとは違う感覚で掴んできた気がする。
「あ!」
内田先生の声に、部員たちが静まり返る——。
そして——。
「代表にはなれなかった……。」
その言葉に——先輩たちは泣き崩れた。
今年こそ——!
そう思ったのに——!
「ちくしょう!」
叫ぶように泣いていた。
俺は、完全にもらい泣き状態だった。
もっと——できたよな。
あんなギリギリの時にできるようになったことを、 もっと前倒しでやればよかったのに——。
どうしてできなかったんだろう。
やっぱり——甘えていただけだったんだ。
ホルンの人が編曲したから、ホルンが吹きやすくなっていたのに——。
良さを出せなかったんだ。
いろんな足りないところが、見えてくる。
しばらくして——内田先生が静かに語り始めた。
「代表になったのは、赤梅区立第2中学校——。
うちと同じ課題曲で、自由曲は『元禄』。
方向性が似ていた——。
しかし、違ったのは——**。
あの学校は、楽器と人間だけで舞台に立った。
椅子も譜面台も使わず——全員暗譜で、舞台で立ったまま演奏していたんだ。
人間が出す楽器の音だけで、勝負していた。
そうなると——審査員は、『採点? えーっと……』となってしまった。
考えるのを忘れるほど、安心して聴き入ってしまったんだと思う。
それって、この吹部でも、できることではないか?
そう考えたら——不足していた努力は、より具体的になってくるだろう。」
全国って——そんな簡単なものじゃなかった。
そのことが——はっきりと分かった。
この悔しさを、先輩たちは知っていたんだ。
だから——。 あんなにも、一生懸命だったんだ。
俺は改めて——自覚の甘さを後悔した。
先輩たち、特に3年生は——泣いても泣いても、涙が止まらない。
「ごめんなさい——もっと話を先に聞くべきだった。」
「練習も、しておけばよかった。」
「課題——わかってたのに、もっと潰すように集中すればよかった。」
「もっと、基礎練で腹筋を使っておけばよかった。」
もっと……もっと——いくらでもやれることはあったのに。
先輩から言われたことにいちいち反抗するくらいなら、 練習しておけばよかったんだ——。
そこから、どれくらい時間が経ったのか——わからない。
しかし——下校時間になったため、強制的に学校を出ることになった。
みんな、泣きながら学校を歩き出す。
すれ違う人が——泣きながら歩く吹奏楽部の部員を、ちらちら見ている。
分かっていても、涙は止まらない——。
吹部の夏は——今日、終わった。




