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拓海のホルン  作者: 鈴木貴
第4章 吹奏楽コンクールへ練習と準備の日々
123/132

123.演奏とウイルスとの戦い

疲労と焦りの朝

昨日は疲れ果てて、帰宅後の記憶があやふやだった。

シャワーを浴び、食事はした。

目覚まし時計をセットしたはずなのに、昨日の早い時間のままだったらしく、二度寝してしまった。


気がつけば12時半。

慌てて体育着に着替え、菓子パンと牛乳をかき込む。

歯磨きをしながらバックから昨日使ったジャケットと靴を放り出し、楽譜とチューナー類を確認。

そのまま家を飛び出した。


外は相変わらず、肌が焼けるような暑さだ。


緊張続きで休憩らしい休憩もなかったせいか、ホール練習を終えて、本当に舞台で演奏するんだという実感が湧いた。


小学校の学芸会はコロナの影響で、 打楽器だけだったり、音声を別録りして動きだけを合わせたり、 ダンスになったり、マスクをしたまま演じたり……いろいろと息苦しいものだった。

あの頃に比べたら、今の状況は格段に恵まれていることは理解している。


昨日は雑談どころか、愚痴すら誰も言わなかったな。

それだけくたくただったのに、本番までこれが続くのか?


すでに出発前から疲れているし、精神的にも落ち着かない。


急に楽譜が変わって、本番までさらに変わるって聞いた。


なんとなく体がだるい。

本当に、ついていくだけで精いっぱいだ。


慌てて家を出たわりには、音楽室にはかなり早く到着した。


部屋にはまだまばらにしか人がいない。

いつものメンバーや男子の先輩たちの姿がない。


とりあえず合奏時の自分の席に腰かけ、譜面を出して譜面台に置いた。


すると、山田先輩が入ってくる。


「ちょっと大変かも。」

いつもと違って、少し焦っている。

「今日、発熱とか倦怠感で休む人が7人。 コロナかインフルだったら、もっと増えるかもしれない。」


驚いてタブレットを開き、吹部roomを確認する。

『体調不良のためお休みします。』

『39度の発熱のため、お休みいたします。』

『発熱と倦怠感で動けないため、欠席させてください。』 『すみません、咳が止まらないので取り急ぎ病院行ってきます。』

『体が痛いので、回復したら向かいます。』

『喉がとても痛いので、念のためお休みします。つばを飲んでも痛い。』

『ごめんなさい、頭痛で何も考えられないので、お休みします。』


……うわぁ……。


俺のだるさも、もしかして感染?


山田先輩は続ける。

「最近スケジュールを詰め込みすぎたから、過労かもしれない。

ただ、昨日の満員電車でも結構咳き込んでいた人いたしね。

もし感染が発覚したら、コンクール出られるかな……?

……出られないな。

いや、学校じゃなくて課外活動だから、いいのか?」


先輩も混乱している様子。


「え?」

と聞き返すと、山田先輩は少し真剣な表情で答えた。


「コロナとかインフルって、出席停止期間があるでしょ。

たしか7日間。

だから、病院の検査で確定したら、その人はコンクールに出られない。」


……そんな……。

ここまで来て、そんな事があるのかよ。


「まだわからないから、できる人はできることをやるだけだよ。

鈴木くん、今日ホルン1人だから、頑張ろうね。」


……?え?


もう一度タブレットを見返すと、

『39度の発熱のため、お休みいたします。』

という投稿が 絵馬先輩 だった。


うわあっ!!

無理無理無理無理!


取り乱した俺は、

「すいません!俺も実はだるかったんす!帰ります!」

と言って、バックと楽譜を持って立ち上がった。


すると、山田先輩が

「待て待て、わかるけど!」

と俺を押さえた。


「どういうことですか?」

山田先輩は声を潜める。


「さっき、実は絵馬ちゃんからLINE来た。

解熱剤を飲んだらすぐよくなったんだけど、またすぐ熱が上がるらしい。

もう少ししたら検査キットを使うって。

結果が出たらまた連絡するって言ってたよ。

たくみんに、ごめん、よろしくって伝えてくださいって。」


……えー……。


「俺、絵馬先輩の音と合図でやってたんです。

いなくなったら、音出せない。

その中での合奏で注意されるって、俺へのダメ出しでしかないと思うんですけど。」


すると山田先輩は

「まあまあ、やってみようよ。」

と俺をなだめた。


「本来なら病院行って、薬飲んで、ゆっくり過ごすところを、 コンクールに懸ける思いとか、のぞみちゃんのこととか、 あと『何よりたくみんが』って。

絵馬ちゃんは色んな思いで、スレスレの手段を考えてる。

鈴木君、1人じゃないからね。」


俺はしばらく言葉が出なかった。


「朝、本当にだるかったけど、今は何ともありません。

さっきは逃げたかっただけです。

すみません。

ちょっとやってみます。」


「うん、お願い。

でも、体調悪かったら無理しなくていい。

元気だったら挑戦してみて。」


……挑戦……。


「わかりました。」


俺がそう言うと、山田先輩は

「よし!」

と声をかけ、この場を去って行った。



再び座り直し、タブレットを開くと、休みの連絡がさらに増えていた。

10人か……。

もしかすると、出場できる人数が減るかもしれない。


万が一、コロナやインフルで出場できなくなったら……。

それはそれで、どうにかなるだろうか。


いや、そうじゃない。

絵馬先輩もそうだけど、俺だって感染している可能性がある。

もしかしたら、部活内で感染が広がったら、どうなる?


出場できる人が減れば、演奏の質が落ちる。

全国大会出場どころか、金賞すら危うくなるんじゃないか?


考えれば考えるほど、不安が募る。


音楽室には、だんだん人が入ってきた。


「ホルン鈴木くん!」

「はい!」


呼ばれて思わず返事をすると、目の前には大橋先輩がいた。

スコアをめくりながら、指を指して説明する。


「ホルン1stがいない分、テナーが一緒にやるところは合図出すから見てね。

あと、どうしても音が足りないところはスコアを見て、ここだと思う。

ここで休符になってるのがトランペット2ndだから、持ち替えでフリューゲルホルンが補う予定。

絵馬ちゃんが来れば、さらに響きが増して、よくなると思う。

後で船田に伝えて、船田から内田先生に相談してもらうから。

鈴木君はいつも通りやればOK。

わかったかな?」


大橋先輩はニコニコしながら話している。


「分かりました。ありがとうございます。」

俺は頭を下げた。



そのとき、大橋先輩の後ろを沢田先輩が通った。

一瞬、目が合ったが、沢田先輩はすぐに視線をそらした。


勘違いかもしれないけど……。

もしかして、テナーの持ち替えが楽しそうだと思ったのか?

それとも、絵馬先輩が休んだことを自分のせいだと反省してるのか?


いつものつんとした雰囲気はなく、ふっと下を向くような姿勢になっている。


正直、沢田先輩とは関わらなくて済むなら、それが一番楽だ。


1年男子は、黒沢、小松、斎藤も休んでいた。


藤井は相変わらず元気そうだ。

「バカは風邪ひかねえって言うけど、コロナにはかかるんだなあ。 コロナは風邪とは違ったんだな。」


そう言いながら、俺の顔を見てくる。

「藤井、何言ってんだ?」


藤井は肩をすくめながら答えた。

「いやー、俺、バカの自覚あるし、一時期、誰かが『コロナなんて風邪』って言ってたから完全に油断してたんだけど、俺、5月にかかったんだよ。

風邪とは全然違ったよ。

詳しいことはわからないけど、風邪だったら学校行けてたんだよな。

でもコロナの時はマジでしんどくて、『このまま起き上がれないかもしれない』って思ったし、『咳が苦しすぎる』って思った。

たった3日で体重が5キロ落ちた。

今しばらく免疫ついてるかなー?」


……強いな、藤井は。


彼は続けた。

「しんどかった。

ゴールデンウィークだったのがまだ良かったけど。

家族全員ダウンして、もう、地獄だったわ。

でもさ、コンクールに出るための免疫獲得期間だったんだなって思ったわ。」


「ポジティブだな。」


「うん、多分熱でネガティブが頭から蒸発したよ。」

ふっ。

思わず笑ってしまった。


俺の倦怠感は、ただの友達とのコミュニケーション不足だったみたいだ。

今、この瞬間、倦怠感が吹き飛んだ。




「鈴木君、藤井君、ちょっと廊下来てくれる?」

大橋先輩が俺たち2人を呼び出した。

表情が穏やかすぎて、逆に怖い。


廊下に出て、音楽室から少し離れたところで、大橋先輩は切り出した。


「沢田のことなんだけど……。」


なんだか、嫌な予感がする。

2年なのに、3年の先輩に気を遣わせるって……逆にすごいな。


「あの子ね、私の推測だけど、多分白川のことが好きなんだと思う。」


「はぁ!?」

俺と藤井は同時に声を上げ、お互い目を見合わせた。


藤井が戸惑いながら聞いた。

「何でそれを俺たちに……?」


大橋先輩は、少し言葉を選びながら答えた。

「アルトサックスが好きっていうより、白川のことが好きでサックスをやってるっぽいのよ。

今回コンクールで一緒のアルトサックスになると思っていたら、ものすごい態度に出てたの。」


……なるほどな……。


藤井は小さくつぶやいた。

「なんだそれ、僻み妬みってやつですか?」


「そうだね。本人がそれを自覚してないから、厄介なんだ。」

大橋先輩は少し困ったような表情で続ける。


「白川もそういうの、めっちゃ鈍いし、聞いたら多分テンパると思う。

態度も不自然になりそうだし……。」


俺は慎重に聞いた。

「それ、確実ですか?本人が言ってたんですか?それとも誰かが話してたのを聞いたんですか?」


「いや、推測。でも、あの子の白川への態度や言葉の違い、見ればわかると思うよ。」


なるほど。

俺は大橋先輩の話を飲み込んだ。


「理解できないし、共感もしたくないけど、今は飲み込んで、さっさとやれって感じですか?」


大橋先輩は目を見開いた。 そしてニッと笑って言った。

「これか。白川が鈴木君に絡みたくなる理由は。

沢田とは違った感じの、反抗的なところがあるって言ってたけど、よく絡むなと思ったら、こういうことね。」


……反抗的って言われてたのか……。

「すみません、俺の理解の仕方がこれで合ってるか確認しないと、また間違って落ち込んだら迷惑になるかもしれないので。

表現が下手で、ごめんなさい。」


謝ると、大橋先輩は笑って言った。

「ふっ、別に大丈夫。その解釈で合ってる。

藤井君もよろしくね。

ただ、1年男子にはこの話は共有しなくていいよ。

騒いだり、万が一女子に伝わったら大変なことになるから。」


俺は少し不安になりながら聞いた。

「どうなるんですか?」


「集団で絡まれたり、からかわれたりして、ストレス増やされるよ。」


ゾッとした。


「気をつけます、な?藤井。」

藤井を見ると、彼も震えあがっていて、激しくうなずいている。


廊下の向こう側から、内田先生と山田先輩が音楽室へ入っていくのが見えた。

大橋先輩は「私たちも入ろう」と言い、俺たちは後ろにくっついて音楽室へ入った。


すぐにミーティングが始まる。 内田先生が、厳しい表情で話し始めた。


「もう来週はコンクールだが、体調不良者が続出している。

1人でも抜けると、どうしても音のバランスが変わるので、できるだけ出てほしいが、 こればかりはどうしようもない。体調を優先してほしい。」


部員たちは「はい」と返事をする。


「インフルやコロナの場合、出席停止期間がある。

部活とはいえ、学校に関連するため、法律に従う必要がある。

インフルは5日、コロナは7日が目安。

今後、インフルやコロナになった者はコンクールに出場できない。

休養、栄養を十分にとり、備えてほしい。


もう無理はしないように。

練習中も体調に異変があれば、すぐ早退するように。


特に音楽室は、どれだけ換気しても、空気清浄機を入れても感染しやすい。

本番まで、具合が悪くなったら早退していい。むしろ、早退しろ。」


……厳しい口調だった。

これまでの練習の厳しさとは違い、今はウイルスとの闘いになっている。

練習でどうにかなる段階ではない。


ワクチン、打っておけばよかったかな? 今になって不安になる。


前に母さんが仕事先でワクチン接種した翌日、40度の熱を出したことがあった。

解熱剤を飲んでもほとんど下がらず、2日間寝込んで、何もできない状態になっていた。

俺と久実は、ご飯を炊いて、インスタントの味噌汁や冷凍食品、納豆、卵かけご飯、カップラーメンで過ごした。

食事だけでも大変だったけど、それ以上に母さんが心配だった。

このまま目を覚まさなかったらどうしよう、と不安になり、あまり寝られなかった。

そのせいで、俺自身も体調を崩してしまった。


母さんの副反応の激しさを目の当たりにして、ワクチンが怖くなった。

予防効果はあるんだろうけど、もともと注射嫌いなこともあって、避けられるなら避けたいと思っていた。


でも、今頃後悔しても遅い。


もしかしたら、もう感染しているかもしれない。

せめて、発症しないように、食べて寝る。

うがい、手洗い、消毒を徹底するしかない。

暑いけど、マスクもつけるべきだな。



内田先生は話を続ける。


「今日は、昨日のホール練習とゲネプロの映像を見て、それぞれ反省点を上げてほしい。 音楽面でも、その他の面でも。

後で吹部roomにアップする。

また、この反省点もまとめて共有する。

練習に来れない部員にも情報を伝え、 本日最後の合奏では録画し、それもアップする。

これで、本番に向けて準備してもらう。

江口、記録をまとめて。」


江口先輩は無言で立ち上がり、タブレットとプロジェクターをつなぐ。

内田先生が指示し、スクリーンに映像が映し出された。


打楽器を運び込む場面から始まる。


一生懸命やっていたはずなのに、なぜか映像で見ると、そんなふうには感じない。

その後、入場して椅子や譜面台のセッティングをするが、意外と時間がかかっているように見える。

慣れていない形の譜面台に、手こずっているのがわかる。


椅子や譜面台も、「これでいいのかな?」と迷いながら置いている。


そして演奏——。


……もう、聴くのが嫌だ……。


外している、ずれている、音程が揺れている。

いちいち、もうダメだ。


音を伸ばしたつもりが、実際にはずいぶん短く切ってしまっていた。

自分の聞こえる範囲で合わせたはずなのに、どうしてこんなことになってしまうんだ?


細く、目立たないように演奏しているつもりが、逆に浮いて聞こえる。

自意識過剰なのか?


……精神的に地獄だ……。

自分の演奏を聴いて、心をえぐられる。


内田先生が映像を止めるよう指示し、江口先輩が操作をして画面を切り替える。


「気がついたこと、修正すべき点はあるか?」


先生の言葉に、部員が次々に意見を述べる。


「打楽器の搬入、もう少し手際よくできる方法を探したい。」

「音楽室でやった時ほど、音が響いていない。音量も出ていない。」

「姿勢が丸くなっている人が目立つ。譜面を見すぎているせいかも。」

「同じメロディを吹いているのに、譜面を見て制止している人と、指揮を見て体が動いている人でずれが生じている。音は合っていても、視覚的にばらついているのって審査対象になるのか?それとも演奏のみが判断基準?」


次々に意見が出て、それらが画面に表示される。

自動で文字起こしされているようだが、ところどころ変換ミスがあり、それを江口先輩が修正していた。


途中で音楽室の戸が開いた。


「寝坊しました、すみません。」


白川先輩が入ってきた。


俺は、思わず沢田先輩を観察する。


沢田先輩は白川先輩を見て、一瞬目を見開いた。

そして、席につくまで、ずっと目で追っている。


俺は藤井と目が合う。

その後、大橋先輩を見ると、口角を少し上げ、ウインクした。


……あー、なるほどな。

適当な推測で面白がって噂していたわけではなく、これが根拠か。


今日絵馬先輩がいないから、沢田先輩の気持ちは平穏なはずだ。

そして、アルトサックスで大好きな白川先輩と一緒に演奏できるから、 荒れたり、八つ当たりしたりすることはないだろう。


内田先生が尋ねる。


「白川、体調が悪いのか?」


白川先輩は答える。

「うーん、疲れ?起きれなくて。」


先生は少し安心したような表情を隠すように、こう言った。

「今、コロナとインフルが流行している。

病院で診断が出たら、コンクールには出られない。

法律で出席停止が決まっているからな。

だから、具合が悪ければ、帰って家で休め。」


「そういうのじゃないっすね。大丈夫っす。」

そう話す白川先輩の顔を、沢田先輩はじっと見つめている。

次の瞬間、ふとプロジェクターに目を移し、画面を見る。

しかし、その後また白川先輩に視線を戻す。


プロジェクターと白川先輩の間を何度も目で追いながら、落ち着かない様子だった。


……そんなに白川先輩を見る??


これは確実に異常な反応だ。

大橋先輩が「推測だけど」と付け加えて話していたが、きっとその推測は正しい。


疑ってごめんなさい。

何をふざけて、「これだから女子は」と、いつもの女子2人とか、この前揉めていた女子と同じラインに並べてしまったんだろう。


これは、間違いなく確実な話だった。

そして、重要な情報だ。


せめて絵馬先輩には伝えたい。

たぶん、このことに気づかないまま、落ち込んでしまっていたんだろう。


もし知っていたら、無駄に傷ついたり、不安になったりすることはなかったはずだ。

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