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拓海のホルン  作者: 鈴木貴
第4章 吹奏楽コンクールへ練習と準備の日々
110/132

110.全身で語る演奏

休憩後の合奏練習は、ピリつく緊張感の中で進んだ。


全パートが内田先生の罵声を浴びる。

しかし、それに対して必死に食らいつく雰囲気へと変わっていく。


あっという間に13時。

合奏練習を中断し、楽器を置いて昼休憩となる。


俺は、いつもの1年男子メンバーに加え、田中先輩・白川先輩と輪になって弁当を食べ始める。

緊張が少し解け、どうでもいい話をしながら食べ進める。


そんなとき、放送前のチャイムが鳴った。


「本日14時より15分間、体育館にて吹奏楽部のコンクール公開リハーサルを開催いたします。

生徒・先生方・主事の方、どなたでもご覧いただけます。

お忙しいところ恐縮ですが、ぜひご覧いただけますと幸いです。


なお、体育館をステージとして使用するため、観客席は用意しておりません。

空きスペースの床に座るか、立ち見となりますことをあらかじめご了承ください。」


部員一同、一瞬にしてフリーズする。


黒沢が驚いた様子で尋ねる。

「これ、毎年あるんすか?」


すると、白川先輩が顔をしかめながら答えた。

「ない…こんなの初めて。

学校関係者に聴かせるなら、文化祭で『夏コンで受賞した曲です』って披露するくらいなんだよ。

冗談だと思ったら本当にやりやがった…。」


時計を見る。 もう時間がない。


既に、先生らしき人や、他の部活のユニフォームを着た生徒が体育館へ入ってきて、ざわざわとした雰囲気になっていた。


俺たちは慌てて弁当をかき込み、ダッシュでトイレ・うがいを済ませ、音出しを始める。


体育館のあちこちから話し声が聞こえてくる。


「なんで吹部なのに体操着なんだ?」

「体育館の真ん中でやるの?サントリーホールのマネ?」

「あー、あいつって吹部だったんだー。」

「体育館、涼しい!」


そんな中、体育館の隅で誰かがバスケットボールをドリブルし始め、 シュートを決めた瞬間、怒号が飛んだ。


「ごぉらぁ!てめぇ、何やってんだ!練習許可取ってんのか! 無断でやったら部活動停止って聞いてねぇのか!」

怒鳴ったのは、校長先生だった。

「今日、補習と指導で来てるんだろうが! 特別に吹部の見学を許可したらこの有様か!」

…ちゃんと怒れるんじゃん、校長。 やっと指導らしい指導をするようになったな。


校長として、もっと前倒しで成長しろよ。

何のために校長をやってるんだ?

金と権力と名誉のためか?

生徒や先生に対して、責任も自覚もなかったよな、あいつ。


…と、心の中で悪態をつく。


いや、お世話になってるし、口先では感謝を申し上げるけれども。


まぁ、それは俺も同じか。

ホルンに、音に、合奏に、責任も自覚も持ててない。

ちょっと前に見た校長先生と、情けない状況は変わらない。


校長先生は、バスケ部員と思われる生徒の襟を掴み、体育館の端っこで正座させ、 正面に座って強い口調で話をしている。


成長してんじゃん、おっさん。

もはや俺の中で、校長先生は“おっさん”として認知されている。

多分、電車の中で見たら、ただのおっさんだ。

おっさんは、まだ説教を続けている。


うっかりでもバスケットボールが楽器に当たって壊れたりしたら、コンクール前に絶望だしな。

そいつは、しっかり指導しとけよ。


…と、心の中で偉そうに、一応エール的なものを送る。




気持ちを切り替えて、公開リハーサルという、俺にとっての本番へ。


音出し、チューニングをして、譜面をさらい始める。

さっきの合奏で散々注意された部分や、砲火を浴びたところを集中的に練習する。


時間がない。


次々と体育館に人が集まる。


誰も仕切る人がいない。

この状況、どうするんだ?


生徒や先生は、前だけでなく、吹部を囲むように散らばって立ったり座ったりしている。


振り向くと、何人かと目が合い、慌てて前を向く。

後ろからも見られている。


意識しすぎたせいか、後頭部にも視線が刺さるような緊張を感じる。


体育館内に「ブツッ」というマイクのスイッチが入る音が響いた。


「本日はご来場いただきありがとうございます。

あと5分後に演奏開始いたします。

吹奏楽部員は中央にて演奏いたします。

部員にぶつからない程度に離れた場所でお座りになり、ご鑑賞ください。」


ばらばらに配置されているが、体育館はすでに埋まっている。

先生っぽい人も混ざっている。


船田先輩が立ち、チューニングB♭の音を出す。

それに合わせて全員が同じ音を出し、そろえていく。


体育館に再度マイクのスイッチが入る音がした。


「鶴花中学校、課題曲『月と姫』に続きまして、 自由曲は、佐藤敏直作曲、松下あおい編曲『ディベルティメント』。 指揮は内田亜沙子です。」


内田先生の声だった。


左側のドアから出てきた内田先生が、指揮台へ向かって歩いてくる。

観客が避けるように道を開ける。


モーセの十戒のようだ。


指揮台の横に立ち、礼をして上がる。


部員を見渡し、指揮棒を構える。 部員も楽器を構える。


内田先生の呼吸に合わせ、指揮棒の動きとともにブレスして音を出す。


さっきの合奏練習で言われたことはできている。

内田先生とのアイコンタクト、絵馬先輩との楽器の構え、ブレスのタイミングを横目で確認する。


先生の求めるニュアンスに応えられているだろうか?

神経が内田先生に集中する。

あっという間に課題曲が終わり、急いでページをめくる。


自由曲——ディベルティメント

この曲、すごく難しい。

何が難しいって、感動した通りに吹けないんだ。


好きだから吹きたいのに、カットされたりする。

せめて音がもらえたところは全力で吹いてやる。

譜面を見るより、内田先生についていくことに集中する。

最後の音、いつもより出たんじゃないか。


内田先生が指揮棒を下した。 手で起立の合図を出したので、立ち上がる。

内田先生が振り返り、お辞儀をすると、体育館に拍手が鳴り響いた。


後ろの方から「アンコール!」の声が聞こえた。

拍手が徐々に手拍子になって、観客があおってくる。


まさかのアンコール

どうするんだ、これ。 もう1回やるのか?


内田先生は振り返り、座らせると、部員たちに言った。

「アルヴァマー用意。」

みんなが慌ててファイルをめくる。

中には楽譜を持っていない人もいて、完全にテンパっている。

同じパートの間で急いで譜面台を間に置き、準備を整える。


コンクールまで他の曲は練習するな、って言われてなかったっけ?


追い込まれているから、こうなるのか?


ファイルをめくって、つば抜きをしながら準備する。


いきなりだけど、できるかどうかわかんない。


——仕方ねぇ、やるしかねぇ。


観客に囲まれていたら、逃げ道なんてない。


内田先生が観客に向かって礼をし、再度指揮台に上がると、拍手がピタリと止んだ。


先生が構える。

部員たちが楽器を構える。


指揮棒が動いた瞬間、音が鳴る。


前に吹いたの、いつだっけ?

その時より、タンギングがしやすくなっている。

メロディもオブリガードも、ついていける。


——楽しい。


緊張というより、興奮に近い。

静かに、力強く、ただ内田先生についていく。


とにかく好きなメロディ。

久しぶりだけど、ものすごくワクワクする。


「聴くより演奏するほうが楽しい」って言われたことを思い出した。


確かにそうだ。

練習では格闘していたけど、こうやって演奏すると——やっとその意味が実感できた。


先生の指揮棒が止まり、下りた瞬間、楽器を下げる。


内田先生が指揮台を降り、振り返り、礼をする。


さっきより拍手の音が大きい。

しばらく続いた拍手がアンコールの手拍子に変わりかけたところで、 内田先生は口元で人差し指を立てて「シー」とすると、体育館が静まり返った。


「公開リハーサルは以上となります。

8月7日に、最初に演奏させていただいた2曲でコンクールに出場してまいります。

今年こそ、全国大会出場します。

どうぞ応援よろしくお願いいたします。 本日はありがとうございました。」


礼をすると、割れるような拍手が響いた。


どこからか、

「がんばれー!」

「かっこよかったー!」

「全国いけー!」

「応援してるよ!」

と、声が飛んできた。


涙が出そうになる。


内田先生は再度礼をし、体育館の出口へ向かう観客に丁寧に手を示す。

観客は名残惜しそうに出口へ向かっていった。


全員を見送った後、体育館のドアが閉まる。

ドアを閉めて戻ってきた先生は片倉先生だった。

そういえば、今日審査員役をやるって話だったのを、すっかり忘れていた。


内田先生は言った。

「今日の演奏について、片倉先生からコメントをいただきます。 よろしくお願いいたします。」


片倉先生がゆっくりと話し始めた。


「演奏、お疲れ様です。

自分も中高と吹奏楽部にいたので、今の時期に皆さんが感じていること、 少しは理解できるつもりですし、いちファンとして応援したい気持ちもあります。

ただ、今日は審査員役ということでしたので、 演奏の内容について、少し厳しくお話させていただきます。

皆さんの技術は、まだ向上するはずです。

細かい部分の見落としが気になります。


できている人と、できていない人の差があり、演奏がぼやけています。

同じメロディなのに、音を切っている人とつないでいる人がいる—— そういうところで演奏の説得力が落ちてしまいます。

また、出来て当たり前の舞台でできないことは、大きな損失です。

そして、熱意が感じられないのはなぜでしょう…。

アルヴァマーでは急にスイッチが入った印象を受けました。

同じものをコンクール曲でも求めます。」


片倉先生が言葉を締める。

部員たちは、はい、と返事をした。


——伝わっちゃうんだ、バレてる…。


片倉先生は「じゃ」と言って体育館を出て行った。


内田先生は、すぐに合奏の続行を宣言した。


「自由曲、白川、ソロのところ、立ってできるか?」


白川先輩は「はい」と答え、アルトサックスをソプラノサックスに持ち替えて立ち上がる。


内田先生がハーモニーディレクターのメトロノームをオンにし、 「1、2、3、4、1、2」とカウントを取り、メロディが流れ始めた。


2小節で演奏を止める。


「装飾音が重い。

響かせるのは大事だけど、重要なのはその後の2分音符。

今は『タタター』って聞こえてるけど、 『タララーー、ター』——ここは音を十分に鳴らしてから上がっていき、 さらに『タララー』——高音になったら、柔らかい音色で大きく響かせる。」


内田先生は身振り手振りを交えながら歌ってみせた。


白川先輩は「はい」と答え、もう一度吹く。


「上に上がるときの音! 音量を出そうとするあまり、雑になってる! 響かせるんだ、と言ってるんだ。」


内田先生は、両手を広げ、大きく上に上げる仕草を見せる。


内田先生と白川先輩のやりとりは1時間に及ぶ。

ふと、内田先生が体育館の後ろのドアへ向かった。

部員たちが少しざわつき始めた瞬間、 内田先生の声が上から響く。


——キャットウォークに立っている。


「白川!ここにメロディを届けるつもりで、今やってみろ。」


「はい!」


白川先輩のメロディが、よりのびやかに響いた。


内田先生はさらに指示を出す。


「全身で音を出せ、表現しろ!

こっちから見てると、ただの棒立ちで棒演奏になってる。

何も伝わってこないぞ!

思っていること、全部口先だけじゃなくて、体ごと表現しろ!

踊ってもいい!やってみろ!」


白川先輩は「はい」と返事をし、再び演奏を始めた。


今度は体が揺れ、最後のロングトーンで楽器が上に向き、肩も開いていった。


音楽のエネルギーを全員で共有する

内田先生は、さらに部員たちに指示を出す。


「じゃあ、ソロ2小節前から全員。

白川のニュアンスを引き継ぎ、さらに発展させる形で表現する。

吹くときは、口先だけ、指先だけじゃない。

思っていることを、音を通じて全身で表現するんだ。

白川はソロが終わったら座る。」


部員たちは「はい」と返事をし、演奏が始まる。


内田先生の歌声が、体育館の上から響く。

大きく体を動かす指揮と歌に合わせるように、楽器の音が広がっていく。


気づけば、すでに18時。


内田先生は指揮台へ戻り、

「練習は終わる。」

と告げる。


「今、音楽室は椅子しかない状態で、物が少ない。

まずは掃除機をかける。

その後、モップ掛けをして、打楽器類を運ぶ。

体育館が空になったら、体育館全体をモップ掛けする。

完全下校まで時間がない。 急げ!」


部員全員が「はい!」と返事をする。


山田先輩の指示で、 掃除をする人、 打楽器を音楽室前まで運ぶ人、 体育館のモップ掛けをする人、 それぞれの役割に分かれて動き始める。


音楽室では、内田先生と3年の女子先輩が掃除機をかける。


その後、クイックルワイパーで拭き掃除。


打楽器は打楽器パートと男子部員を中心に、体育館から音楽室まで運ぶ。


その他のメンバーは、楽器・楽譜・譜面台の片付け、 パイプ椅子の収納、体育館のモップ掛けまでを実施する。


——作業時間はわずか20分。


人の力って、すごいよな。


指示を聞いたときは「1時間はかかるだろ」と思ったけど、 あっという間に終わった。


気のせいかもしれないけど、掃除された音楽室の匂いが変わっている。


汗だくになりながら、自分のバッグを持って音楽室へ入る。


帰りのミーティングは簡略化され、すぐに解散となった。

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