108.体育館練習、本番を想定したシミュレーション
体育館での合奏練習——本番への準備
朝のミーティングで、内田先生が
「たまたま体育館が空いているので、急遽入場から退場までの練習を行う」
と告げた。
この前はお手伝いの人がいたけれど、今回は手伝いなし。
すべてのセッティングや対応を自分たちで行う練習となる。
本番の演奏時間は14時頃の予定だが、午前中から動きを確認することになった。
午前中のスケジュールを本番の時間に置き換えたタイムテーブルが配られる。
午後も受付、チューニング室、舞台袖、演奏時間まで、すべて本番通りに進行する。
動きを確認するため、楽器やバッグの移動はケースに入れた状態で行う。
急に緊張してきた。 昨日レッスンがあったから、個人練やパート練をして見直ししたかったのに…。
そんな俺の気持ちを察したのか、内田先生は言った。
「前から言っているが、もう仕上げの段階だ。
体育館での練習はあと1回だけ。
その後はホール練習になる。
だから毎日、本番だと思って取り組むこと。
当然、私もその気持ちで毎日緊張して過ごしている。」
内田先生も緊張しているのか? 毎年コンクールに出ているのに?
失礼だから口には出さないが、絶対に20~30回は経験しているだろう。
それでも緊張するのか?
だとしたら、俺が緊張するのも当然なのかもしれない。
内田先生はさらに続けた。
「今日は審査員の代わりに、数学の片倉先生に来てもらう。
片倉先生は中高時代、吹奏楽部でトランペットを担当していた。
本番時間には、客席に見立てたスペースで演奏を聴いてもらう。
また、興味のある生徒や先生にも見学してもらうよう、放送で呼びかける。」
なんて無茶なことを…。
ただでさえ本番を想定した練習でガクブルなのに、先生や他の生徒まで来るのか?
とはいえ、夏休みで部活に来ている生徒だけなら、そんなに人数は集まらないだろう。
当日の仮スケジュールを、それぞれタブレットで確認する。
今日は体操着だけど、コンクール当日は学校の制服と黒の革靴だ。
電車で移動し、受付後、楽器搬入・楽器置き場に楽器をまとめる。
バッグ、楽器、楽譜、チューナー、チューナーマイク。
そして、いつもとは違う「吸水シート」というものが配られた。
チューニング室では、つば抜きの際にこのシートを使うとのこと。
会場を汚さないよう、徹底するよう指示された。
怖いんだけど…。
チューニング室:20分間。
舞台袖待機:5~6分。
ステージ演奏:セッティング後、課題曲の音が鳴り始めてから、自由曲の終わりまで12分間。
チューニング室で調整しても、袖で待機している間に楽器が冷えて音程が変わる。
少しでも安定させるため、音が出ない程度にゆっくり息を吹き込んでおく。
袖では音が舞台に抜けるから、話さないこと。
舞台のセッティングでは、打楽器をスムーズに配置し、各自の楽器の準備を迅速に行う。
演奏後は、先生の合図で立ち上がり、先生だけがお辞儀をする。
合図があったら退場し、打楽器の運搬、移動、大型楽器の積み込みを行う。
そして、一番重要なのは、 前の団体の演奏は一切聴かないこと。
聴こえても、無視する。
楽器運搬や移動の時に音が耳に入るかもしれないが、それでも意識を向けない。
「同じ曲をやっている」
とか
「あのパート、自分より響く音を出している」
とか そんなふうに思うと、自分の弱点をえぐられる感覚になり、 本番のパフォーマンスが下がる。
それが何よりもアホらしい、と内田先生は言った。
ただでさえ演奏で頭がいっぱいなのに、やることが多すぎて、頭から煙が出そうになる。
体育館での本番シミュレーション——緊張と課題
ミーティングが終わり、まずは楽器を元の状態に戻す作業から始まった。
体育館全体をステージと見立てる。
中央に合奏隊形で椅子と譜面台を並べ、 普段ステージとして使っている場所を楽器置き場やチューニング室として設定し、移動練習を行う。
音楽室からコンクールで使うすべての道具を運び出す。
普段の通学バッグに楽譜やチューナー類を詰める。
フルート、クラリネット、トランペットなど、自分で運べる楽器は自分で運ぶ。
…ホルンは?
運ぼうと思えば運べるけれど、重さを考えると、運搬してもらった方がいいかもしれない。
長時間持ち歩くと手が疲れるし、混雑する場所ではさらに負担になる。
「ユーフォは持って行きたいです!」
藤井が、ほぼ叫ぶように言った。 ユーフォの先輩がにこやかに微笑んで答えた。
「うん、ダメだよ。気持ちはわかるけど。」
しかし藤井はさらに食い下がった。
「俺、トラックに乗せるより、自分が一緒に連れて行きたいです!」
先輩は困ったように、慎重に言葉を選びながら説明した。
「分かるよ。でも、大きくて重いからね。
運ぶ途中のリスクを考えてほしい。
電車や歩きの移動中にぶつけたり、落としたりしたら、 ケースに入っていたとしても壊れる可能性がある。
それに、ケースを持ち歩くことで、手や腕、指への負担や怪我のリスクもあるんだ。
どうしても持って行かなきゃいけない時を除いて、 周りに頼ることも考えたほうがいい。
楽器運搬のプロがいるんだから、任せるのも大事だよ。」
藤井は小さな声で「分かりました。お願いします。」と答えた。
楽器への思い入れの違いって、演奏の上手さにつながるのだろうか?
俺は最初から「重いから、運んでもらえるならお願いしたい」と思っていた。
ホルンは運搬してもらえることになり、密かに安堵する。
体育館のステージ奥に楽器を運び込む。
そこを楽器ケース置き場と想定する。
内田先生を先頭に、バックを持って体育館に入場。
受付で書類のやり取りをし、中へ進む。
先ほど楽器を置いた場所に荷物を並べる。
置き方も2列に向きを揃え、整理する。
打楽器を取りに行き、体育館のステージ上に配置。
地味に体力を消耗する。
ここをチューニング室と見立てる。
実際の会場はもっと広いとのことだった。
楽器を持ちステージに上がると、想像以上に狭く感じる。
限られたスペースでチューニング音を出し、課題曲と自由曲の冒頭・終わりのフレーズを それぞれ8小節ずつ確認する。
舞台袖へ移動——緊張が走る
チューナーの電源を切り、ポケットにしまい、楽譜と楽器を持って舞台袖で待機する。
先生の合図で、楽器と楽譜を持ち、自分のポジションへ移動。
打楽器セッティングを終えた後、それぞれの席に座る。
内田先生はしばらく部員を見渡し、 静かに自分らとは逆方向へ向かい、一礼。
振り返って指揮台へ上がる。
部員と目を合わせ、指揮棒を構える。
部員も楽器を構える。
緊張で息が詰まる。
指揮棒が動く。
演奏開始
ブレスして、最初の音を吹く。
そこからは、ひたすら内田先生の指揮に食らいつく。
——あ、外した。
——あ、ずれた。
——あー、音が出ない。
もう息が続かない。
今のクレッシェンドの音量、足りていたか?
絵馬先輩の音が遠い。
他のセクションの音が聞こえない。
昨日まではできていたのに、今日はできない。
なんでだ。
あっという間に自由曲までが終わる。
内田先生が指揮棒を下ろし、手で立ち上がるよう合図する。
先生だけが礼をする。
俺たちは頭を下げないのか? なんでだろう。 あとで聞いてみるか。
退場の時——絵馬先輩の言葉
「たくみん、楽器と楽譜持つから、打楽器お願い。」
その声ではっと我に返る。
「ありがとうございます、お願いします。」
ホルンと楽譜を絵馬先輩に託し、打楽器へ向かう。
打楽器を移動させ、体育館の隅に集合する。
「この後どうする?」
不安が募る。
何をすればいい?
誰に聞けばいい?
戸惑う。
「座れ。打楽器は椅子を用意して後ろに座れ。」
低く響く声。
まるで地鳴りのような重さ。
男性かと思うほどの迫力。
なぜか内田先生の後ろに黒い煙が見える。
火の気はない。
俺は霊感があるわけじゃないけど、これが「オーラ」というものなのだろうか?
まるでマンガの世界。
目元が暗く、光っている。
おそらく、とても怒っている。
演奏への怒り。
俺には心当たりしかない。
信じられないほど、できなかった。
静かに部員が座り、場が凍りつく。
内田先生が、鋭い眼光で部員を睨みつけながら言い放った。
「おのれらたちの演奏は、ただの雑音だ。 息を入れて音を合わせているだけだ。」
身動きができない。
そして、さらに大きな声で、鋭く吐き捨てる。
「おのれらたちの演奏は クッソつまらん!! 」
再び、静寂。
「今日が本番だったらどうする? そう思って、これから毎日練習しろ。」




