104.感じ取れない音
怒涛の午前中の基礎練と昼休憩を終えた。
午後は低音セクションの練習——パート練習、もしくは個人練習となった。
パート練習の部屋で、絵馬先輩と2人。
なんとなく、音出しやチューニングを進めていると——ノックの音が聞こえた。
返事をすると、ドアが開き——そこにいたのは、松下さんだった。
絵馬先輩と2人で立ち上がり——
「お久しぶりです!」
と、お辞儀をすると——松下さんは微笑んで言った。
「なんかホルン、大変そうだって、うっちーから聞いたよ。 どれ、見るし、聴くから——やってみよう。」
そう言って、座るように促した。
教室の後ろスペースに、絵馬先輩と並んで座る。
松下さんは、教室の真ん中あたりに座り—— 机にスコアを開き、自分のホルンを取り出した。
シルバーのホルンって——かっこいいなあ。
松下さん:「じゃあ、課題曲から——もうin tempoで行けるかな?」
「はい。」
と答え、楽器を構える。
松下さんは、チューナーの設定をメトロノームに切り替え—— バックからスピーカーを出してつないだ。
「じゃあ、行くよ——3,4!」
絵馬先輩と一緒に吹き始める。
最初の8小節を吹いたところで、ストップがかかった。
メトロノームも止まる。
松下さん:「……人数の問題だとは思うんだけどね……。 ハーモニーのバランスがちょっと取れてないんだ。本来4人で和音ができるように書かれているから—— その半分となると、音量もそうだけど、響くようにすることが重要でね。」
……はい……。
(具体的にどうすれば?)
松下さん:「リズムを合わせよう、音を合わせよう、そこが合ったら音楽が合う——。 けど、もっと効果的になるように計算されているんだよ。例えば——私がドの音を出すから、絵馬ちゃんミの音を出してくれる? その時、音が合って響き合うと、その中にかすかにソの音が聞こえてくるはずなの。「ソの音ってこれね。」
そう言って、楽器を構えて音を出した。
教室中に響き渡る、きれいな音。
「じゃあ私、ドの音を出すから——すぐミの音を合わせて。」
と言って、松下さんはドの音を出した。
松下さんのアイコンタクトで、絵馬先輩がミの音を出す。
松下さんが音をとめた。
「音はベルから出るっていう物理的なことじゃなくて—— 音楽的に、もっと響かせる! っていう気持ちを持って。
楽器全体を鳴らす——もっと言うと、ホルンの響きを体でも感じて 体をスピーカーにするぐらいの気持ちで——毛穴からも音を出すぐらいで、 この教室中を音で満たす、っていう気持ちで息を吹き込んでほしい。
それも——心から温かいものを吹き込むつもりで。 寒い時、手に息かけるでしょ?
アンブシャーや技術的には、ブーッってやるんだけど—— 気持ちは、寒い時期に手にかける息、はあーって温める気持ち。 それでもう1回吹いてみよう。」
……温める息?
気持ちを変えると音変わるのか?
ほんとに?
松下さんが鳴らすドの音に—— 絵馬先輩がミの音を重ねる。
しばらくして、松下さんは音を止めた。 絵馬先輩も止めた。
「どう? 今、少し鳴っていたんだけど——聞き取れた?」
?いや? 全くわからなかった。
絵馬先輩:「なんとなく——うわずって聞こえているところがそれかな? って思いました。」
「そうそう! それなの!
「じゃあ、そのうわずったように聞こえるソの音が重なると—— どうなるか、っていうのを感じてほしい。」
「たくみ君、私、絵馬ちゃんと順番に音を重ねるから—— 合図を出したらソの音を出してくれる?」
「はい。」
楽器を構える。
松下さんの音——絵馬先輩の音—— それが重なって響いている。
その3つ目にある微妙な音—— 俺には、聞こえない。
松下さんがアイコンタクトをしてきたので——音を出す。
いつもは響かないような音になったのは、確かに感じ取れた。
松下さんが止める合図を出す。
「今みたいに——2つの音が重なったところで微妙に響いている音を 楽器でさらに出してあげると——さらに、この微妙な音が増えてくるの。」
「その具合が——きっと、学校独自のいわゆる『サウンド』っていうものになるんだ。音量だったり、音質によったり、編成だったり、先生の方針だったり——色々ある。
うっちーは、この学校独自のサウンドを出したい、って強く思っているから—— この響きに、こだわると思う。
ホルンができれば——4人いるのが理想なんだけど、 現実2人だから——4人分出すっていうのは無茶なんだけど……。音色と重ね方を工夫すればいい。今みたいに——2つの音が重なった時に、他の音も鳴っているか? って。もっと言うと——他の音って、今は1つしか意識してなかったけど、 おそらく審査員は——もっともっとたくさんの音が 同時に鳴っているのを聞き取っている。」
そんな音、あったか?
「たくみ君、ぽかん顔。」
「あっ、すみません!」
途中から話についていけなくなって——脱落したんだ。
松下さんは話を続ける。
「やれることは——ホルン2本で、今みたいな響きを作れるようにすること。
どうしても足りない音が出てくるかもしれないけど——。
課題曲は仕方ない。 自由曲は、その部分にテナーサックスやフリューゲルホルン、ユーフォニウムとか—— 同じ音が入ったりするから、セクション練習とかで音を作っていくといい。
多分——いろんな音が聞こえてくるようになるよ。」
和音……とか……サウンド?
聞いてはいるが——全く理解できない。
出来てる感覚も——ない。
でも——やっていくことで、つかめるだろうか?
譜面で音が和音になっているところを—— まずロングトーンで合わせて、響きを確認した。
俺は全くわからないけど—— 絵馬先輩の目を見たら、なんとなく察知できた。
その音を覚えて——今度は譜面に書かれたリズム通りに吹く。
とても地味な作業を——延々と繰り返して、時間ギリギリまで練習した。
正直——絵馬先輩と2人だけでは、ここまでの気づきもなかったし、 意識することもなかった。
無自覚なところを自覚させて—— 「今より上に行ける」と思わせてくれた。
プロに教わる価値。
音楽系のレッスン料って——なんであんなバカ高いんだ? って思っていたけど、 普段の生活や学校の授業では教わらない「特殊なこと」だったからなんだな。
実感してわかった。
高いのは高いけど——妥当な値段なんだな。
……高いけど。




