第六十四話 湯殿の戦い
「彼女はこの王都を助けるために帰ってきた。俺は、その付き添いみたいなものだ」
「……ティアとプリムローズ、あの二人をたぶらかしたか」
「……プリム……それは誰だ?」
ティアというのはリスティのミドルネームだとわかるが、もう一つの名前には本気で心当たりがない――だが、二人一緒に名前が出るということは。
「この期に及んで惚けるとは……まあ良い。まずそなたの血を啜るまで」
「――そいつはどうかな……!」
「かかれ、皆の者っ!」
湯煙の向こうから姿を見せたのは、身体の一部だけを覆っているだけでほぼ素裸の侍女たち――いずれもその動きは素早く、身体能力がおそらく通常より強化されている。
「「――やぁぁぁっ!」」
二人が同時に飛びかかってくる――俺はその場で湯船の底を蹴って、さらに水面を蹴って飛び上がった。
「なっ……!」
「なんて身のこなし……本当に人間なの!?」
水面を跳ねるように飛んで湯船の外に出る。すかさず襲いかかってくる女性が二人――繰り出された拳をいなし、蹴りを受け止め、相手の力を利用して投げる。
「「きゃぁっ……!」」
バシャッ、と二つの水柱が立つ。あまり激しく動くと身体に巻いた布が外れそうになる――結び直しながら、さらに襲ってくる侍女たちの攻撃を避け続ける。
「なんという動き……これほどの者が、魔族以外にいようとは……!」
――『アマーリア』が『アクアスプラッシュ』を発動――
それは王妃の元来持つ魔法か、水球をこちらに撃ち出してくる。
「くっ……!」
「――甘いっ!」
回避した直後、水球は空中で軌道を変えてこちらを狙ってくる。避けきれずに魔力を込めた手で弾く――次の瞬間。
――『アクアスプラッシュ』が『アクアバインド』に展開――
水球が割れ、飛散した水が生き物のように腕に纏わりついてくる――力で振りほどこうにも離れない。そうこうしているうちに四肢に水が絡みつき、動きを封じられる。
「魔力は感じるが、魔法の作法には慣れておらぬようだな。おのれの素養を知らずにいたか」
王妃は悠然とこちらに歩いてくる。そして俺の首筋に触れる――そこまで近づいても、王妃は俺が男であることにはまだ気づいていない。
「……なぜ、こうもそなたの血は美味に見えるのか……噛んでみれば分かることか」
「そいつは……どうかな……っ!」
――『アム』が『スライムバインド』を発動――
「なっ……あ、あぁっ……!!」
俺に噛みつこうとしたアマーリア妃の身体が、透明なゼリー状のものに絡め取られる――それこそが、非常時のために仕込んでおいたもう一つの保険だった。
『マスター……私が、助ける……』
「くぅっ……うぅ……ま、魔力を、吸われる……こんなスライムなどにっ……」
「アマーリア様っ……!」
総勢で15名もの侍女たち。アムは王妃の動きを封じることに集中しているので、俺一人でこの人数を一気に無力化しなければならない。
この場にあるものを有効に使う。浴場に大量にあるものと言えば、そう――水だ。
「――ふっ!」
手に握っていた水を、湯煙の向こうに立つ人影たちに向けて投げ放つ――その一つ一つに俺の魔力が込めてある。
「きゃっ!」
「あ痛っ……!」
「にゃぁっ!」
ほぼ同時に声を上げ、侍女たちが昏倒していく――ただ倒れれば怪我をするので、受け身を取る余地がある程度に意識を刈り取った。
魔力を込めた水滴は、コインほどの威力はもちろん無いが当たった際に衝撃が生じる。これを盗賊のときは『インパクトスロー』という技でやっていたが、今の俺でも再現することができた。
「……い、一体、何を……水……水しぶきを、飛ばした……?」
「そうだ。加減するのは難しいが、なんとか上手く行ったよ」
「そんなもので……っ、ふざけている……っ、その強さは、何なのだ……っ!」
「……王妃殿下。無礼をお許しください」
――『ロックアイI』によって『アマーリア』のロックを発見――
――『ロックアイⅡ』によって『アマーリア』の第二ロックを発見――
白い錠前が砕け、赤い錠前が姿を現す――だが。
「っ……ぐ……!」
赤い鍵を生成した瞬間、計算違いが起こる。水飛沫に魔力を込めたことで、鍵を生成した瞬間に魔力が枯渇し、意識が朦朧とする。
「この、ままでは……終わらせ、られぬっ……あぁぁぁっ!」
――『アマーリア』の『血の呪い』が発動――
エルクを追い詰めたときもそうだった。吸血鬼化の呪いは、他人を道連れにするような力を持っている。
分かっているのに避けられない。俺は自分の身体に迫る呪いの茨を、見ていることしかできない。
「貰った……最後に笑うのは……っ!」
「――私よ、お母様」
勝ち誇ったような王妃の声。しかし最後まで口にする前に、代わりに彼女が言葉を続けた。
「(リスティ……それに、皆も……!)」
――『リスティ』が『姫騎士の威光』を発動――
「くっ……!」
浴場を光が満たす――その光は赤い茨の動きを鈍らせ、その瞬間に俺は後方に飛ぶ。
「良かった……っ、その新しい技は、邪悪なものを寄せ付けない光で味方を守るの……!」
「そなたは……やはり、不甲斐ない私を……!」
リスティの正体に気づき、アマーリア王妃が声を上げる。倒れていた侍女たちも身体を起こそうとしている――しかし王妃を正気に戻しさえすれば、侍女たちも戦意を失うだろう。
「私たちは王都を救うために戻ってきた……王妃殿下のことも……!」
「ちょっとだけ動かないでくださいね……っ、ええいっ、お薬煙幕!」
――『プラチナ』が『乙女の献身』を発動――
――『ナナセ』が『焦燥のスモーク』を使用――
「きゃぁっ……けほっ、けほっ。何、これ……か、身体が……」
「む、むずむずする……嫌っ、こ、こんなの耐えられないっ……!」
「いてもたってもいられない気にさせる煙幕ですっ!」
リスティと同時に浴場に入ってきていたプラチナは、すかさず俺の背中に触れて魔力を回復してくれる。そしてナナセが投げた煙幕は、見事に侍女たちの動きを止めていた。
「そ、そんなふざけた戦い方など……私は認めない……認め……」
眷属化が進行していても、これから自分に起こることを予期したのか、アマーリア王妃の顔には恐れの色が浮かぶ。
「――鍵よ、王妃を解き放て!」
「――あぁぁぁぁぁっ……!!」
赤い鍵を、アマーリア王妃の錠前に差し入れ、ひねる。
錠前と茨はもろともに、光の粒になって消えていく。王妃の身体を包んでいた妖気は消え、彼女は浴槽に背中から倒れる――ばしゃん、と水音が立ったあと、青く長い髪が薬湯に広がり、王妃は仰向けのままで気を失う。
操られていた従者たちはその場に倒れる。血を吸われなくても、眷属に催眠をかけられて操られているということもある――その場合は、一人ずつ錠前を開ける必要はない。
「マイト、大丈夫!?」
「ああ……危ないところだったけどな。仕掛けてくると思ってはいたが、俺一人じゃ詰めが甘かった」
「そんなことないですよ、マイトさんが時間を稼いでいたから私たちも間に合ったんです」
「体調を崩しているという侍女たちは、やはり全員操られていたか……他王妃の侍女たちは、東の館で介抱をしてから、それぞれの館に戻ってもらうしかないな」
「プラチナもありがとう、説明しなくても魔力を回復してくれたな」
「何度も魔力の供給をしているので、見れば消耗の度合いが分かるようになってしまった……そ、それより、マイト。その、着替えてきた方が良いのではないか?」
「っ……わ、悪い。とりあえずここは頼む……っ」
浴室から走って出たあとで考えたことは、この状況で女装に戻るのか、それとも変装を解いていいのかということだった――今はまだ服を選択する余地がないので、従者の姿に戻るしかないのだが。
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