第六十三話 襲撃
◆◇◆
後宮にある三つの館の下働きは、全員共同で食堂で食事をする――のだが。
俺たちの東の宮だけでなく、中の宮、西の宮の侍女たちも人数が足りないように見える。後から姿を見せたコゼットさんは、食事の前に忠告してくれた。
「他の館でも、風邪が流行っているようです。常日頃からのことではありますが、お話などは控えるようにしてください」
「あの、お医者さんはどうおっしゃってるんでしょうか? こんなに流行る風邪って、何か対策を打たないといけないんじゃ……」
ナナセの質問にコゼットさんは表情を翳らせる。他のテーブルが離れているので話は聞こえないだろうが、それでも彼女は可能な限り声を抑えた。
「熱や咳もありませんので、本当は風邪なのかも分からないのですが……お医者様からはしばらく様子を見るようにと」
「……症状については教えてもらえるだろうか? 話すことで、何か対策の手がかりが見つかるかもしれない」
プラチナが質問すると、コゼットさんはやはり逡巡していたが、最後には答えてくれた。
「日中、なかなか起きることができなくなって……夜の間は目覚めるのですが、どこか上の空というのでしょうか。食事は血の滴るような生のお肉を好むようになって……」
「夜にはある程度元気になり、食べ物の好みが変わる……ってことですか」
コゼットさんはこくりと頷く。俺たちはといえば、彼女のいう『風邪』が風邪ではないことに確信を持ててしまい、思わず目配せをしてしまう。
「これはくれぐれも内密にお願いしたいのですが……私の同僚が夜中に、お料理場に出向いて、明かりもつけずに生のお肉を食べていたということもありました」
「っ……生で食べたりして大丈夫なんですか? 火を入れないと……っ」
リスティが焦るのは無理もないが、少々着目するところがずれている――『料理』の技を持っている彼女からすれば、生肉は加熱すべきということか。
「味の好みが変わって生肉が食べたくなるってことはある……いや、あります。ですが、明かりもつけずにというのはやはり心配ですね。コゼットさん、お気持ちはお察しします」
「ありがとうございます。しかし気がつけば私一人だけが昼間に起きていられるような状態で、他の館もそのような状況なのです……」
「それなら……他の館の人たちも、みんなのことが心配でしょうから。よかったら、集まって一緒に食べませんか?」
リスティは拳を握って前向きに提案する。今の話の流れでそれができるのは、ある意味で得難い才能だ。
「っ……さ、先程申し上げた通り……皆さん、お風邪を……」
「おそらくですけど、ちょっと話したくらいで伝染ったりとか、そういう病気ではないと思いますよ。私も知識はちょっとありますし、乙女の勘もそうだと言っています」
「うむ、では呼んでくるとするか」
「あぁっ、プララさん……っ」
コゼットさんが戸惑っている間に、プラチナは席を立って、外の館のメイドたちに声をかける。初めは戸惑っているようだったが、少し話すと事情が伝わったようで、夕食を銀のトレイに載せてこちらのテーブルに集まってきた。
「……コゼットさん、あなたのところの新人さんはなかなか大胆ね」
「ジャクリーンさん……それにミルラさんも。ご無沙汰しております」
「はぁ~……あ、ごめんなさい、今はちょっとだけ肩の力を抜かせて。なんか急にね~、うちの子たちみんな休んじゃってて。新人さんの研修もコゼットのところでやることになったじゃない? だから、いいな~っていうか」
「も、申し訳ありません……私も三人に来てもらって、助かっています」
「謝ることはないんだけどね、一人くらい戦力として貸してもらえると……あ、あら。この子、凄い……本当に新人? とんでもない『従者』の風格を感じるわ」
リスティはジャクリーンさんに顔を見られる前に、さりげなく布で口元を覆って顔を半分隠していた。見る人が見ればバレてしまうと思い、警戒したのだろう。
「新人のリリスと言います、よろしくお願いいたします」
「私はプララです。不器用ですが、防御力には自信があります」
「あら~、いいわね。護衛も兼ねられる新人なんて優秀じゃない。研修が終わったらぜひうちに欲しいわね。一人護衛の心得がある子が、外出先から戻ってこなくて……仕事がきつい素振りはなかったんだけどね」
外出先から戻らない――そんな話を聞くと、その人も吸血鬼に襲われたのではないかと考えてしまう。
「そちらの小柄なあなたも、話を聞かせてもらったのだけど、病気の知識があるというのは感心ね。侍女には知性も必要だから……それと……」
ジャクリーンさんとミルラさんの視線が、ついに俺に向く――王妃に仕える近侍の女性たちは、さすがに俺の正体を見抜いてしまうのか。
「あなたは新人なのに凄く落ち着いているわね。それに……」
「何ていうか……見てると落ち着かないっていうか。ごめんなさい、人の気分に影響するような技を持ってたりする?」
「いえ……私はただの新人です」
「ふーん……でも気になるのよねぇ。ジャクリーンとコゼットはそう思わない?」
「そう……ですね。一目見たときから、鋭い目をされているなと思っていましたが。もしかしたら、プラチナさんと同じように護衛の適性があるのでしょうか」
「え、ええと……確かにそれはそうかもしれません。何か荒っぽい御用向きがありましたら、任せて頂いても大丈夫です」
曖昧なことしか言えないが――男だということがバレていないというのは、喜んでいいのかどうなのか。
「では、私もいざというときはマイティさんに助けていただきますね」
「あ、コゼットが笑った。最近後宮の中も沈んじゃってたから、たまにはいいわよねえ。こうやって昔なじみ同士話すのも」
「休んでいる皆さんが復帰したら、いつも通りに戻りますが。それでも、別に喧嘩をしているわけではないのですから」
和やかに話す三人を見て、リスティたちが微笑み合っている。俺はといえば、無事にこの場を乗り切れたことに安堵するばかりだった。
◆◇◆
潜入している間も、身なりを整える必要はある。それでも沐浴程度でいいと思ったのだが、コゼットさんに原則的には入浴するようにと釘を刺された。
「ごめんね、一人で入ってもらうことになっちゃって……」
「こんなときなので、みんな一緒で良いとも思ったのだがな」
「いや、それはそれ、これはこれだからな」
「見てください、お風呂に浸かっただけでこんなにすべすべになりましたよ」
「さ、触らせるな。こんな格好だからって遠慮がなくなってないか」
就寝用の服は半袖で、ナナセが腕に触れさせてくる――確かにすべすべはしているが、リスティとプラチナの手前、感想など言えるわけがない。
「気をつけてね、マイティ。私も、お母様の動きを警戒するようになんて、あまり言いたくはないんだけど……」
「誰だってそうだろう。みんな無傷で助けないとな」
リスティにそう言い置いて浴場に向かう。誰もいない広い廊下を歩いて脱衣所に入り、従者の服を脱ぎ、一応腰に布を巻いて浴場に入った。
俺が最後なので、必要ないと思いはするが――念には念を入れ、胸にも布を巻いておく。
もう一つ、単独の入浴でのもしもの事態に備えての『仕込み』をしてあるが、それを使うことになるかは今のところ分からない。
「(生きた心地がしないが……変装を解いたら解いたで、気が楽になるな)」
身体を流して風呂に浸かる。この風呂は従者が使うもので、王妃は別の場所で入浴する――東の宮だけで浴場が二つあるということだ。
濃い湯煙の中で、色のついた薬湯に浸かる。王都べオルドの近くには温泉の湧いている湖があり、そこから湯が引かれているそうだった。
かすかにとろみがある薬湯は確かに肌には効きそうだが、ゆったりと湯を楽しんでいる場合ではもちろんない――ほどなく上がろうとしたそのとき。
「――やはり、一人だけ何か違う。そなた、マイティと言ったな」
「(っ……!?)」
浴場に入る引き戸が動いた気配はなかった。しかしいつの間にか、湯煙の向こうに誰かが立っている――それも複数。
初めに姿を見せたのは、アマーリア妃だった。白磁のような肌に、娘のリスティの髪色をより濃くしたような碧色の長い髪――二房に束ねられたその髪が、前にせり出した二つの丘を滑り降りている。
「王妃殿下……このような場所に来られては……っ」
「私が入る風呂は私が選ぶ。そなたが意見するところではない」
「で、では、私はこれにて失礼を……」
湯船の中で立ち上がり、出ようとする――胸に布を巻いても、骨格の問題で湯煙が晴れれば正体がばれてしまう。
「ふふっ……慌てることはない。そなたには私の陣営に入ってもらいたいのだ。その娘らのようにな」
「(……ま、まさか……!)」
――『アマーリア』が『サイレントミスト』を解除――
何らかの魔法か――湯煙の向こうに、今まで感じなかった気配が幾つも現れる。
というか、人数が多すぎる。コゼットさんが風邪を引いていると言っていた侍女たちは、すべてが眷属であるアマーリア妃のしもべとなっていた。
「……すでに他の王妃も、貴女のしもべにしたのですか?」
「それをするのは次の段階になる。実力行使に出ても良いのだが、『あの方』はサテラ様と違って、この国を手中にすることには興味が薄いようでな」
また『あの方』――だが、今の話で明らかになった。この街に入り込んだ眷属たちの主は『暗夜のサテラ』ではない。
「その『あの方』は、なぜサテラと入れ替わったんだ?」
男としての口調に戻すと、王妃は眉をひそめ――そして、妖艶な笑みを見せた。
「くくっ……そうか。そなたらは新しい奉公人のふりをして後宮に潜り込んだか。誰がそなたらを送り込んだ? その痴れ者の名を言ってみせよ」
「さあな……強いて言うなら俺たち自身の意志だ。アマーリア王妃、貴女はすでに重大な見落としをしている」
「……まさか……いや、そんなはずはない。あの娘が戻って来るには早すぎる……」
王妃はすぐに思い当たった――自分の娘が帰ってきているということ。直接声を交わしても確信に至らないのは、王妃なりにリスティのことを理解しているつもりだからか。
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