第五十六話 昔なじみ
「そう……クロウ、帰ってきたんだ。それなら丁度いいね」
「っ……!」
エルクが空を裂くような蹴りを繰り出す――プラチナはそれも受けるが、エルクの身体能力は吸血鬼化によって強化されていることが見てとれた。
「ふうん……私の蹴りを受けても平気な顔して。こんなに強い人がいるんだ……マイト、いいお仲間が出来たね……っ!」
「プラチナッ……!」
エルクはプラチナに向けて連撃を繰り出す――リスティも割り込もうとするが、エルクはそれも読んで立ち回っており、攻撃を差し込む隙ができない。
「刃つきのブーツか……だが……っ!」
プラチナは飛びそうになる眼鏡を抑えつつ、見事な体捌きでプラチナの蹴りを避ける――だが完全には避けきれず、服を切り裂かれる。
「なかなかやる……でも、今のは手加減しただけ。血を流させたら勿体ないから」
「甘いことを言う……っ!」
エルクは言葉通りに息一つ切らさず、鋭い蹴りを繰り出してプラチナを圧倒する――あれほどの防御力を持つプラチナが、ジリジリと後退させられていく。エルクのレベルは制限によって10以下のはずだが、明らかにその制限を無視している。
(血を吸われて能力を引き上げられている……吸血鬼化した人間も魔族に入るなら『誓いの剣』を使うか……いや、それでは致命傷を負わせるかもしれない。どうする……!)
「――こんなときこそ、ポーションの出番ですよっ!」
そう言ってナナセは、細長いガラス瓶を幾つかエルクに向けて投げつける――しかしそのままでは、エルクに弾き落とされるだけだ。
「そんなもの……っ!」
煩わしさを振り払うように、エルクが蹴りを繰り出そうとする。ポーションを浴びずに瓶だけを破壊することは、プラチナと戦いながらでも容易だろう。
――ならば、エルクの動きを少しでも妨害すればいい。
「そこっ……!」
コイン飛ばし――一枚のコインが矢のように駆け抜け、エルクはそれを手で弾く。同時に、瓶に繰り出そうとした蹴りは空を切った。
「くぅっ……!」
瓶の中の液体がエルクに降りかかる。俺もナナセが持っているポーションの種類を全部は知らないが、どうやら今まで見たことのないもののようだ。
「こんなもので……こんな……」
「っ……ナナセ、これは一体……」
「えっと……あ、あれ? 瓶に名前を書いてあったんですけど、割れたので名前が分からなくなっちゃいました」
「ええっ……それって大丈夫なの? ちょっとプラチナにもかかっちゃってるんだけど……ああっ……!?」
当惑した様子のエルクの後ろから、プラチナが組み付く――敏捷性は大きくプラチナを上回っていたエルクだが、力ではほとんど拮抗しているようだった。
(い、いや、そうじゃなくて……ナナセの薬で何か二人の様子が……)
「ふぅ……迂闊だな、簡単に後ろを取らせるとは。私はただの学生に見えるだろうが、実は護身術の心得があり、こうやって敵を拘束する術も心得ているのだ。どうだ、力が上手く入るまい」
「ふ、ふざけないで……あの変な薬がなければ、こんな、くらいで……っ」
「私にも薬が少しかかってしまったようだが、特に何ともないぞ……少し身体が火照るというくらいだが、これは正義の熱だ。私は今最高に聖騎士だ……!」
そんな謎の理由で吸血鬼の力を得たエルクと対等になっているというのは、少々理解を超えているが――ナナセを見やると、何も答えたくないのか瞬時に目をそらされた。
「――リスティ、今だ!」
「ええと……エルクさん、でいいのよね。私たちの言うことを聞いて!」
――『リスティ』が『気品』を発動――
リスティの存在感を無視できなくなり、その言うことに耳を傾けてしまう――それが『姫騎士』の固有技である『気品』の効果だ。それはレベルに差のあるエルクでも例外ではなく、動きが鈍る。
「っ……わ、私は……あの方以外に従ったりは、しない……っ!」
――『エルク』の『血の呪い』が発動――
「っ……プラチナ、エルクから離れろ!」
エルクの身体を赤い魔力が覆う――それはプラチナの身体にも絡みつこうとするが、間一髪で避けられた。
だがエルクは解放された直後に手を閃かせる。瞬きの間に、その手には短刀が握られていた。
「――来たぁぁぁっ!」
プラチナでもエルクでも、リスティとナナセでもない。その声の主はモニカだった。
――『モニカ』が『クイックキャスト』を発動――
月明かりに煌めく何かが、エルクの手元を狙って放たれる――そして短刀は宙を舞い、突如として現れたモニカの手の中に収まっていた。
「……釣り竿?」
呆然と呟くナナセ。モニカが俺に、恥じらいながら打ち明けてくれた彼女の職業は『釣り師』だったのだ。
「この時を待ってたのよ……私の技がそこはかとなく役に立つその瞬間を……!」
「そ、そんなふざけた技で……っ!」
動揺したエルクの声が震える。そして再びプラチナを狙おうとするが、すでに距離は開いている――俺も姿を見せ、エルクの前に立つ。メイベル姉さんも出てくるが、エルクの敵意は変わらない。
「ふざけてなんてないさ、この子も友達を襲われてるんだから。エルク、あんたをそんなにしちまった魔族はどこにいるんだい?」
「メイベル姉、私はもう盗賊ギルドの一員じゃない。夜を生きる種族の一員なの……私があの方々に近づくためには、乙女の血を吸わないと」
「近づくってことは、まだ完全に魔族の眷属になったってわけじゃないんだな」
エルクは答えず、ただ俺を敵意を込めた目で見てくる。友人として接していた頃とは全く変わってしまっている――それが魔族の精神干渉によるものであっても、ガゼルがエルクと戦えなかった理由が分かる。
「私がいなくなっても、あの方はこの国を手に入れる……夜に支配された国の女王となる。想像しただけで素晴らしいでしょう」
「さあな……俺も夜は嫌いじゃないが、手駒を増やすために若い娘を襲うのはいただけない」
「っ……格好つけないで。私たちを置いて急にいなくなったクロウなんかに、今さら偉そうなことは言われたくない」
それは魔族の眷属としてではなく、本来のエルクとしての言葉なのか――事情が飲み込めないリスティたちが戸惑っている。
「その……何だか、友達同士のけんかっていう感じがしてきてる?」
「間違いないですね、マイトさんは鈍感ですから」
「私たちと言いつつも、彼女本人が一番、マイトがいなくなったことを怒っているようだな」
「うわぁ……えっと、真剣な空気のはずなんだけど、私ってもしかして場違い……?」
「モニカは気にしなくていいよ、あたしもそれなりにこの空気にはやられてるからね……」
メイベル姉さんと再会した時も言っていた――「もっと辛辣なことを言いたかった」と。エルクはまさにそれを実行している。
「私は……ギルドの一員として、ガゼルとクロウと、三人で一緒にやっていけると思ってたのに」
「……済まなかった。俺も同じことを考えてたことはあったが、フォーチュンを離れてでもやるべきことがあったんだ」
「そんなこと……今更言われたって、遅いって言ってるの……っ!」
短刀を奪われても、まだ刃を仕込んだブーツがある。エルクは瞬く間に距離を詰め、鋭い蹴りを繰り出してきた。
だが、それは止まって見えるようなもので。片腕で蹴りを受け止め、そのまま俺は立ち続ける。
「っ……クロウ……どうして……私とガゼルは……」
俺が若返っていることに、エルクはようやく気づく。ガゼルとエルクは十年の間に大人になっている――俺は転職を経て、十五歳の姿になっている。
「ちょっと理由があってな。俺にも色々あったんだ……戦うのはもういいか?」
「そんな……そんなことって……」
エルクはすぐに追撃してくることはなく、蹴り足を戻し、呆然と俺の姿を見る。
「信用を裏切ったことを許してくれとは言わない。だが、魔族の仲間にされたなんて言われて放っておくこともしない。ガゼルだって心配してる」
「嘘……ガゼルが今の私を怖がってないわけない。だから逃げ出して……」
操られても正気の部分が残っている。そして話した限り、まだエルクは誰の血も吸っていない――それならば。
「ガゼルは生きてて、お前を助けてくれと言った。俺も同じことを思ってここにいる」
エルクは何かを言い返そうとする。反発しなければならない、魔族に操られている部分はそうしようとする――だが。
「……あ……」
――『ロックアイI』によって『エルク』のロックを発見――
エルクの胸の前に、光る錠前が現れる。例によって俺にしか見えていない――その錠前が、光の粒になって消える。
――『ロックアイⅡ』によって『エルク』の第二ロックを発見――
次に現れた赤い錠前には、血のような色をした茨のようなものが絡みついていた。
「マイト、あんた一体何を……」
メイベル姉さんが尋ねてくるが、やはり錠前は彼女には見えておらず、エルクの様子が変わったことを心配している。
この茨こそが、エルクを吸血鬼の眷属に変えようとしているものだ。この茨を取り除くにはどうすればいいのか――見えているなら、俺には何かができるんじゃないのか。
「……クロウ……お願い……」
ずっと俺に向けられていた敵意が薄れている。エルクの目に、正気の光が戻っている。
彼女が言おうとしていることに、今は耳を傾けるつもりはない。それはガゼルも、俺自身も望んでいないことだろうからだ。
「今の俺は『賢者』だ。ちょっと普通とは違ってるが……だからこそ、できることがある……!」
俺にはこの鍵を開けられる。二度も赤い錠前を目にして、何もできずに終わりたくはない――そう願った瞬間。
「っ……それ、前にも作ってた……」
「マイトさんの、魔法の鍵……っ」
「ということは……開けられるのか。エルク殿の、何かを……!」
――『マイト』のレベルが3に上昇 新しい魔法を習得――
――『マイト』が特殊技『赤の鍵』を発動――
『白の鍵』よりも大きな魔力の喪失と共に、俺の手のひらの上に鍵が生み出される。
抵抗する気配のないエルクの錠前に、その鍵を差し入れる。瞬間、錠前に絡みついていた赤い茨が消え去り――鍵が開く。
「っ……ぁ……あぁぁぁっ……!!」
エルクが仰け反り、その身体を覆う赤い光が薄れていく――そして。
前に倒れてきたエルクを受け止める。上手く行ったのかどうか――ひとまずエルクは息をしていて、眠っているだけのように思える。
「凄い……マイト、一体何をしたの?」
「鍵をエルクさんのほうに向けて……その、挿しちゃったように見えましたけど」
「う、うむ……大丈夫なのだとは思うが、魔法の鍵とはいえ、身体に入れるのは驚くべき光景だな」
「……マイト君、そんなに大胆な……じゃなくて、そんなに凄い魔法使いだったなんて」
初めて俺の魔法を見たモニカが一番驚いているようだ――プラチナは手の甲をさすっているが、こちらのやり方での鍵開けにも興味があるらしい。
「まあ……俺もこんなことができるとは思ってなかったが。魔族が眷属を作る時に使う方法も一種の魔法なんだろう。魔法に対抗するには魔法、っていうことかな」
「エルクさんはもう大丈夫なの? 気を失っちゃってるみたいだけど……」
「表情から険しさも無くなってるし、さっき身体を覆ってた赤い光も消えてる。とりあえず拠点に連れ帰って様子を見ようか、場合によっては医者も手配しないとね」
こういう時に方針を定めてくれるメイベル姉さんは頼りになる。エルクの件で一番張り詰めていたのは彼女で、それでも常に冷静だった。
「……何か言いたそうだね」
「い、いや……それより、まだ懸念があるんだが。事件を起こしてるのはエルクだけじゃなく、エルクを襲った魔族がいるってことだ。そして、その魔族の眷属も他にいる」
「では、夜回りを続けるべきか……今日中に他のところで事件が起きるということも考えにくいか」
「次はこっちから、犯人の居場所を見つけるくらいじゃないとね。マイトの魔法で、操られてる人も元に戻せるって分かったし」
「ああ、そうだな。だがそうなると……」
その都度『第二のロック』の鍵を開けることになるわけだが――これまでの経験上、関わった時間の長さなどが『錠前』が見えるようになる条件のようなので、相手によっては『ロックアイ』が発動できるかが分からない。
「私の新作ポーションも効果があるって分かりましたしね……プラチナさんにもかかっちゃってましたけど、大丈夫ですか?」
「ん? い、いや……私は特に何もないが?」
「あまり無理はしちゃだめよ、次は囮役を私と交代する?」
「犯人が来ないようならそういう手も必要かもしれないわね。その時は私もいるから」
「そういえばすごかったですね、武器の一本釣り……モニカさんが背負ってる袋って武器かと思っていましたけど、釣りに使う竿だったんですね」
「あっ……そっか、ばらしちゃったのよね……私の職業で冒険者なんてほとんどいないから、普段はちょっと言いづらくて」
全く隠す必要はないと思うが、それも乙女心ということか。
そういえばモニカの友達も襲われたとのことだったので、その人の錠前も開けなければ――このまま『赤い鍵』で上手く行けばいいのだが。




