第3章ー3
部屋は静まり返っていた。誰もが、あの魔王でさえその真実に驚き声が出なかった。
暗闇の中ですすり泣く声がする。ブリトラだった。語り部として伝え聞いていた真実とはまるで違う話にショックを受けていた。
タイガーの目は赤から黒に戻っていた。彼はパイプを取り出し火を点け、ついでにその火でランプを点けた。窓の外はすっかり暗くなっていた。煙を吐き出すとタイガーは言った。
「これが真相じゃ」
魔王でさえ目を見開き驚いている中で、最初に口を開いたのはテレコだった。
「この話……」テレコはうつむいていた。そして、顔を上げると「ちょっと長いわよ! 長すぎるわよ! 今、何時だと思ってるのっ!?」
「実はこの後にブリトラが護衛役“双剣”のジルーと全国行脚編に出るんじゃが、そこで起きたふたりのラブロマンスの話もあるん――」
「もう結構よ! これ以上ジジイのヨタ話には付き合ってられないわ! お腹が減っちゃって痩せちゃいそうよ!」
空腹で機嫌が悪いのかテレコが毒を吐き始めた。
「ぁあ、ごめんななさぁい。今、作りまぁすぅ」
ジンジャーが大きな体を縮込ませ慌てて部屋を出て行った。
「すまんが勇者とふたりだけにしてくれんか」
タイガーがブリトラを見た。
「あ、ハイ」と、ブリトラは袖口で涙を拭いた。「ねえ、テレコちゃん私達もジンジャー様の手伝いをしましょう」
気を利かしてブリトラはテレコの手を引っ張り退室。
「アタシは手伝わないわよ! 食べるの専門なのよ!」
と、テレコはグダグダ言いながら部屋を後にした。
薄暗い部屋に二人だけになった。パイプを大きく吸い気持ちよさそうに吐き出すとタイガーは魔王を睨み付けた。
「本当は何を考えてるんじゃ魔王? 何を出し惜しみしておる?」
「いや、本当も何もありません」
「貴様の力をもってすれば何でもできるハズじゃ」
「ハァ……」と、魔王は大きなため息をついた。「正直言いますが、私に力はありません。本当に何も無いんです。力があればノコノコと頭を下げにきませんよ。此の世で一番頭を下げたくない相手ですから。言いたくは無いですがこの体が今の私の全てです」
「なんと、その体が魔王の全てとは……弱いにも程がある」
「しかし、人間とは何と非力な生き物なのでしょうね」
しきりに首を振る魔王。
「全く力を感じなかったが、本当だとは。ククッ! グハハハハハハハ!」
「タイガー、笑い事ではありませんよ? 今の私はあなただけが頼りなのですから」
「これが笑わずにいられるか! あの魔王に頼りにされるとは! 愉快愉快!」
「まったく不愉快です。もちろん、魔王討伐にはついてきて頂きますよ」
「魔王の魔王討伐とは面白そうじゃな! 是非参加したいところじゃが、ワシはもう無理じゃ。残念だが行く事はできん」
「盟約を交わしたのでしょう? 反故にするつもりですか?」
「もちろん忘れてはおらん。だからと言ってはなんじゃがジンジャーを遣わすつもりじゃ」
「何とも頼りなさげなあの娘を?」
「使える使えないは別として連れて行け。とにかくワシは足腰が無理なんじゃ。どうにも走れん」
「まあ、良いでしょう。タイガーの孫ですから何も無いワケはありませんから楽しみです」
「ジンジャーには期待せんほうが……ただ料理だけは抜群にうまい」
「は?」
「いや、なんでもない。ん? 何か美味そうな匂いがしてきたわい」
「は? 匂いですか? 何もしませんが……」
腕を組みすまし顔の魔王は、クンクンと嗅ぎまわるが何もしなかった。
「ああ、そうじゃ魔王よ」
タイガーはゆっくり立ち上がり、これまたゆっくりと歩き出すと戸棚から何かを取り出した。
「なんです?」
「これを返そうと思ってな」
「それは……」
タイガーが手にしていたのはメガネだった。それは魔王が見慣れたフォルムをしていた。ただ、色が違っていた。それもそうだ二百年も経っているのだ。色も褪せる。それは間違いなく魔王がかつて大陸を支配していた時に掛けていたあのメガネだった。
「戦利品として取っておったんじゃ」
「ああタイガー! あなたを許しましょう!」
「い、いや、別に許さんでも……」
魔王はメガネをタイガーから受け取ると、ゆっくりと掛けてみた。ついにこの時が来たと胸が高鳴った。再び私の時代がやってくる。そう、漲る力……ん? ん? んん? 二百年ぶりに掛けたメガネに違和感を感じた魔王。
「タイガーこれは?」
「貴様のメガネじゃ」
「何も起こりません」
「知るか!」
タイガーが一喝した。
「まさか、あなた計りましましたね?」
「魔王! ワシを見縊るな!」
タイガーが魔王を睨み立ち上がった。
「フフフ、冗談ですよ。私自身に力がなくて使いこなせないだけってのはわかってますから。ええ、そうですともわかっていますから」
「ったく。ワシをからかうとは……」
タイガーは大きく息を吐き出し椅子に腰掛けた。
「しかし、メガネがただの飾りになってしまいました」
魔王はメガネの縁を押し上げた。
「ふん、いい気味じゃわい」と、タイガーは心から嬉しそうな表情をした。「そうじゃ、次はどこに行くか決まっておるのか魔王?」
「いえ、何も決めてません。今後はノープランです。正直な話を言いますと、タイガーさえいれば今の魔王なんて簡単に倒せると思っていましたので。あなたが来てくれるものと信じていましたから」
「ほほう、それは残念じゃな」
「さて、タイガー。これからどうしましょう?」
「そんなのワシが知るか!」と、タイガーは吼えた。と、その後でニヤリと笑った。「と、言いたいところじゃが、ひとつ頼まれてくれんか?」
「嫌です! と、言いたいところですが、もちろんタイガーの頼みであれば断れません。で、いったい私に何を頼みたいのですか?」
「アスラムナイン家の件なんじゃが……」
「フフフ、そう来ましたか」
「今の当主は若く、しかも己の血筋を呪い憎んで完全に自分を見失っておる」
「どうにもこうにも、とても楽しそうな話ですね」
「貴様にこんなコトを頼むのはおこがましい話とは思うが、どうにかあやつを正しい方向へ導いてはくれんか」
「なんで私が?」
「だって貴様は勇者なんじゃろ?」
「ハッキリ言ってお断りします」
「おいおい」
「冗談です。まずは会ってから決めます」
「うむ、頼んだぞ」
「会ってから決めます」
「わかっておる。が、昔からそういう事に首を突っ込むのが魔王よ」
「さあ、なんのことやら」
「まあ、よい」と、タイガーはニヤリと笑う。「どうやら馳走ができたようじゃ。美味そうな匂いがしてきたぞ」
魔王は頷くと部屋から出ようと歩き出した。その時だった。
「待て、魔王よ」
「ん? なんですかタイガー?」
魔王は振り向いた。
「つまりじゃ……つまり、百五十年振りなんじゃ。このワシと対等に話せる者が現れたのが。その、嬉しいんじゃ。あー、なんじゃ、その楽しいぞ魔王よ。どいつもこいつもワシの顔色ばかり伺ってビクビクしよってな。こうして話しているだけで笑いたくなるわい」
タイガーは柄にもなく照れながら頭を掻いた。
「その気持ちは私も二百年前に感じましたよ。アルマス達が私の前に現れた時にです。本当に楽しかったです。ずっーと続けばって思いましたがあなたが私の頭を食べて……」
「ああ、その、なんじゃ、その話は言いっこなしじゃ。グハハハハハハ」
「ハァ、思い出したら笑えなくなりましたよタイガー」
魔王はメガネ中央のフレームを右中指で押し上げた。
「まあまあ、もう勇者様なんじゃから、そんなコト気にしない気にしない! グハハハハハッ」
タイガーは重い腰を上げ歩き出した。どうやら足腰が悪いことはそれを見てとれた。これでは旅はおろか狼になり戦うこともできない。
「そんなコトとは……まあ、いいでしょう」
「流石は魔王じゃ!」
タイガーは魔王の小さな背中を大きな手で叩いた。その拍子で魔王は前のめりになった。タイガーを見上げ睨むが、彼は笑っているだけでお構いなしだった。
二人が並んで広めの居間に入ると、三人は魔王のメガネ姿に一様に注目した。
「まあ、そのメガネ素敵ね。ねえねえ、ソレどうしたの? 似合うわよ~」
テレコが目をキラキラさせた。
「タイガーから頂きました。ありがたいことです」
「ぇえっぉおじぃさまにぃぃ?」
ジンジャーが口を押さえタイガーを見た。ジンジャーにとって、こんな事は初めてのことだった。タイガーが誰かに何かをあげるなど見たことも聞いたことも無かった。
「勇者様! 見てください! いえ、食べてください! これ、ジンジャー様がちゃちゃっと作ったんですよ!」
興奮気味にブリトラが勇者の手を取り椅子に座らせた。
食卓に並ぶ御馳走。鶉の香草丸焼き、ヘラジカのテンダーロインレアステーキ、ヘラジカのランプ肉のミートパイ、ヘラジカのスネ肉とじゃがいものスープ、シナモンアップルパイに野葡萄のワインに自家製エールビール。そして、例によって食べる前には祈る。ブリトラの祈りの言葉をいつも魔王は不思議に思っていた。主? 神様? 精霊様? 季節に? 豊作に? 御先祖様に? 何故、祈るのでしょう? 祈っても意味が無いのに? 何も変わらないのに? いつもいつも本当によくも飽きませんね。みなさんが祈るので私も祈りますが……もちろん私は私に祈ります。真の魔王復活のために勇者は祈ります。
「……において主の恵みがあらんことを、そして――」
ブリトラが胸の前で指を組み目を閉じ祈りの言葉を言っていたが、それを魔王は遮った。
「ダラダラと祈るのはやめて食べましょう」
魔王はウンザリしながら勝手に食べ始めた。確かにブリトラの祈りはいつも長かった。
「ちょっ! アンタ行儀が悪いわよっ!」
テレコは渋い顔をし、ブリトラは「えっ、勇者様?」と、祈りをやめてしまった。
「ジンジャーの料理は絶品じゃぞ」
タイガーは得意げになって言う。彼も長い祈りに我慢できなかったのだろう。勇者を見て笑い出した。
笑いながら「コレほど美味い料理は大陸どこに行っても見つからんぞ!」と、勇者に言い放った。それをジンジャーは顔を真っ赤にして照れた。タイガーに褒められるなんていう事は十年に一回くらいなものだった。
「んん? これもこれも美味しいです。ええ、本当に美味しいです」
魔王は口に入れたまま珍しく気持ちを高ぶらせていた。冷静な魔王には滅多に無いことだった。
「アラ、本当だわ! コレ、おいしぃーわね!」
テレコは体に似合わずフォークとナイフで鶉の丸焼きを丁寧にそして上手に切り分け口に運んだ。
「本当ですね! これぞまさに神業ともいえる美味しさです!」
ブリトラも驚き混じりの笑顔が溢れた。ブリトラ自身幼い時からいつも精進料理のような、とても質素な食べ物ばかりの日々だったので、心から感動している様子だった。
「あなた」と、魔王は口一杯に頬張りジンジャーの方を向いた。「料理は天才的ですね。久しぶりに褒めたい気分です」
「ぁりがとござぁいますぅ。えへへ」
やはりこの娘は何も話さないほうがいい。何も言わなければ綺麗でかっこいいから。と、魔王は思いながらも、依然として食べ物を口に運ぶのが止まらなかった。そう、料理だけで幸せな気分になっていた。
そして、タイガーも百五十年振りに上機嫌だった。常に眉間に皺を寄せて鋭い眼光を放ち、決して人を寄せ付けないオーラを放ち続けていた男。しかし、食事を取りながらタイガーは笑みを浮かべ、その眼差しは優しさに満ちていた。その様子をジンジャーは驚き見ていた。何故、初めて会う勇者様と話しただけでこんなにも機嫌がいいのか? しかも、その勇者は見るからに若いし弱そうなのに。何故なのだろう? 何があるのだろう? そんな答えの出ない思案に暮れるジンジャーは完全にぼーっとしていた。
「さて、ジンジャーよ! 盟約に従い勇者について行き魔王を打ち滅ぼすのじゃ!」
唐突にタイガーはジンジャーに叫ぶ。
「ほへぇ?」
ジンジャーは頭の中が真っ白になった。自分に出来ることといえば舞台での演技と料理だけだ。狼になって戦うことは考えたことも無かった。そもそも狼化すると真っ裸になるので、そんな事をジンジャーは恥ずかしくてできない。
「でぇすがぁおじぃさまぁジンジャーはぁ……」
もじもじしながら困った顔をするジンジャーに「ワシが行けと言ったら四の五の言わずに行くんじゃ!」と、いつもの雷が落ちた。
「ひぃぃ」
ジンジャーは耳を押さえてうつむいた。
「まあまあ、タイガー。いきなり行けなないでしょう」
ナプキンで口を拭き、そして魔王は言った。
「むむ?」
眉間に皺を寄せるタイガー。
「そうですよね。いきなりはかわいそうです。ねえ、ジンジャー?」
魔王はジンジャーに優しく微笑んだ。
「ふぁあぁぃ」
「ですから、何も言わずに私に付いてきなさい。で、ないと嫌です」
「ふぇぇ」
「結局は同じコトじゃないのよっ! しかも嫌ですってなによ! 嫌ですって!?」
テレコは口の中の食べ物を飛ばしながら突っ込みを入れた。
「ジンジャーはぁ行きまぁすぅ」
「イイ子ですねジンジャー」
「イイ子ってこの子百二十歳のババアよぉ! アンタ十八じゃない!」
「テレコさんババアはジンジャー様に失礼ですよ!」
「ババアはババアじゃないのっ! 百二十歳って言ったら立派なババアよっ!」
「ひぃどぉーぃですぅ」
ジンジャーはうつむき泣き出した。
「なに泣かしてんですかー!? ちょっと若いからってイイ気にならないでください!」
ブリトラが立ち上がりテレコに食ってかかった。ブリトラは個人的に自分より、こんなテレコの方が若いというのが気に食わないのだろう。
「ゴメンなさい! 泣かすつもりはなかったのよぉ!」と、テレコは言うと椅子から飛び上がりジンジャーに土下座をかました。
「ぁあ、ぃーのぉぃーのぉ」
と、慌ててテレコの土下座を止めさせようとするジンジャー。それを冷めた表情で魔王は見ていた。
「アタシがバカだったのよっ!」とか「ぃえぃえぇジンジャァがぁ」というやりとりを横目で見ながらブリトラは、しらけ気味の魔王に「勇者様、その様子だと次に行く所は決まってますね?」と声を掛けた。
「ええ、もちろんです」と、魔王はうなずいた。「南に行きます」
「南? アスラムナイン家ですか……」
ブリトラは
「さあ、南に行きますよ」
「おおおおっ! くれぐれも頼んだぞ!」
タイガーは叫び、その後にエールを一気に飲み干すと魔王に向かって笑顔を見せた。




