表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Belief of Soul〜繋ぐ者達〜  作者: 彗暉
第1章
9/75

Episode-9

 シーナは何やら部屋の様子がおかしいことに気がつき、杼を滑らそうとしていた手を止めた。織機を動かしていたのはシーナだけだったようで、残りの者は全員が身を寄せ合って円屋の入り口から広場の方を見ている。まるで男前を見つけて隠れて眺める乙女のような姿だわ――シーナはそう思った。だが、姿はそれに近くとも、漂う雰囲気は全く違うものだった。

 誰もが不安そうに「なんで?」や「どういうこと?」「兵士?」「どこから来たのかしら」などと囁くように呟いている。詰めすぎた麻袋のようにふくよかなフィムスさえ、いつもの豪胆さを忍ばせて広場の様子を窺っている。

 と、囁き合っていた女衆達はいきなり口を閉ざしなりそれぞれが後ずさるように部屋の内側へ下がってきた。その顔には皆不安を浮かべている。

 一人だけ下がらない女がいた。フィムスは腰に手を当てて少しでも威厳を保とうとするかのように胸を張り一人だけ留まった。そびやかした肩と背中からは隠しきれない恐怖が滲み出ていた。まるで猫に虚勢を張る蛙のようだ。黙りこくった女達はフィムスの後ろに集まり様子を見守っている。女達の壁のせいでフィムスの姿が見えなくなり、シーナはもどかしい気持ちを覚えた。

 その静けさの中を使剣士のギースが歩くときに立てる音に似た、それよりも重さを感じさせる鉄と鉄が重なり合う規則正しい足音が近づいてくる。鎖帷子の軽い鉄の音の他にも鉄の塊同時を軽く打ち合わせたような音も聞こえてきた。何人いるのかしら? シーナは漠然とそんな事を考えた。鉄の足音が唐突に止んだ。


「我々はバルダス帝国マルダス皇帝陛下から命を仰せつかった兵である! 我らが偉大なる君主にて東方の守護者マルダス皇帝陛下の勅命により、この村の者達に臣民となる栄誉を遣わすためにきた! 広場に集まってもらおう。他の者達もそうしている!」


 女達はそわそわと聞き取れない言葉を交わしている。フィムスが何かを帝国兵に向かって言ったが、シーナは聞き取るほどの余裕がなかった。

 バルダス帝国ですって! あぁ! もっと早く村を出るべきだったわ! 婆やの言う通りにしておけば……。

 シーナは騒がしい部屋の中をこっそりと抜け出し、自分の屋根裏部屋へと向かった。

 屋根裏部屋の前の廊下に帝国兵が歩いている。鉄を少し磨いただけのくすんだ銀色をした装飾のない半球型の兜と鎧を纏った男が、抜き身の剣を右手にそれぞれの部屋を開けて見回っていた。一番端のシーナの部屋の扉を開けると、一歩部屋の中に踏み入った。その隙を狙ってシーナは音を立てないようにティルニーの部屋に滑り込んだ。きっと一度確かめた部屋は二度も確認しないわ。

 帝国兵の歩く音が聞こえてきた。立ち止まらずにそのまま階段の前まで来ると、そのまま階下に下りていった。

 部屋の外を確認すると、ティルニーの部屋から出て小走りで自分の部屋へと向かった。中は何も荒らされていなかった。背負い袋は寝台の横に置いてあるし、亜麻布の繕いだらけの茶色のマントは昨日の朝壁にかけたままの姿を保っているように見えた。

 シーナは背負い袋からを取り出すと、寝台の脚に縛りつけた。慣れた作業のはずなのに結び目は汚い。手にうまく力が入らなかった。まるで手が軽くなってしまったようだ。気づけば自分の鼓動が聞こえていた。落ち着かなきゃ。

 シーナは深呼吸をして胸に手を置いた。意識を外へ追いやりつつ自分の内側を見つめる。大丈夫、わたしは大丈夫。

 シーナは紐を引っ張り結べている事を確認すると、背負い袋の二つの肩紐に腕を通し背負った。革で補強され幅が広くなった肩紐のおかげでさほど重さを感じない。これなら山を登るのも苦労しなさそうだわ。シーナは得意げに背負い袋を上下させて背負い心地を再確認すると、縄を掴み円屋の外へと降りていった。

 地面に着くまでの短い時間がいつもの倍に感じられて、焦って降りたせいで手のひらがひりひりと痛んだ。地面に足が着くと、急にどうしたらいいかわからなくなって肩紐を握り壁に体をくっつけた。とにかく隠れないと……どこに行こうか決めてなかったわ。隣村のインスティンス村に……駄目だわそんなの、すぐに帝国兵に追いつかれる。そもそもどこから来たかもわかっていないのに、もしかしたらインスティンス村の方から来たかもしれないわ。

 シーナはしきりに辺りを見回しながら尚も考えた。山の中に逃げてほとぼりが冷めてから村に戻って来るのは……そんなことしたら村に入れてすらもらえないはずよ。それでもし帝国兵に捕まったりしたら。シーナは婆やによく聞かされた言葉を思い出した。


――帝国は他国の王家の血を根絶やしにする気です。


 シーナは乾いた笑いを洩らした。だとしても、どうして王家の人間だなんてわかるのかしら? シーナは頭を振った。今までのように逃げるのが一番安全だわ。そう思い足を踏み出そうとしたがすぐに動けなくなった。いつも婆やが物事を決めてくれていた。どこの村に行く、村から出る機会も婆やが作り、婆やが全ての事の流れを見てくれていた。婆やがいてくれたら。なんで死んでしまったの! わたしを守るって言ったのに!

 シーナはその場にしゃがみこんで意識を外に追いやった。自分の中がまっさらな空気に満たされるのを想像した。婆やはいつだって親切で大切にしてくれた。婆やは何も悪くない。わたしがしっかりしなくちゃいけないんだわ。婆やの気持ちに報いるためにも、しっかりしなくちゃ。

 そう思い立ち上がったのと同時に、村の中央から悲鳴と男達の怒号が聞こえてきた。シーナは焦げ茶色の木板で造られた壁と円屋の向こうにある広場の惨状を想像し、歯を食いしばり立ち尽くすことしかできなかった。男の叫び声と女の叫び声だけがなおも聞こえてくる。

 シーナのすぐ左手には小さな荷車くらいしか入れない西門があるが、そこを開けて何が起きているかを見る勇気は無かった。昔、別の村で帝国兵に歯向かって殺された人の姿を見たことがある。村の混沌とした人の恐怖が飛び交う姿を婆やはシーナに見せないために目を手で覆ったが、シーナはその様子を見ないことのほうが怖くて見てしまった。今同じようなことが村の中で起きていたとしても見る勇気はない。そんな事をしている時間があるのなら、すぐにでも逃げるべきだわ。

 シーナは北の森を目指して走った。北の森は狩人でも足を踏み入れるのをためらう。もしかしたら帝国兵も深くまでは踏み込んでこないかもしれない。時間があれば計画を立てられる。また一からだ。でも大丈夫、婆やはいないけど大丈夫、今まで生きてきたんだもの。

 シーナは息が切れるのを無視して森の始まりまで走った。森の始まりまで来ると、木に寄りかかり村を振り返った。

 離れたところから見る村は、いつもと変わらない平和な村に見えた。 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ