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Belief of Soul〜繋ぐ者達〜  作者: 彗暉
第1章
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Episode-11

 シーナがこんなにも森の中を歩いたのは久しぶりだった。もう、二つ星も歩いていないような気がする。

 森の様子は二つ星前と打って変わり、木の葉が地面を覆い始め葉は色付いている。この季節に森の深くまで歩くのは慣れていない。木の実や野苺を取りに行くのとはわけが違う。村では北の森は危険なのだとよく言われていた。普通の獣ではなく、大昔の森に住んでいた獣の生き残りが密かに暮らしているからだ。人が四つん這いになった姿をした毛むくじゃらの体を持つグズリや、人の胸ほどの高さまである狼に似たベイガロなどだ。実際に見た人とは会ったことがないが、本にはよく出てくる獣達だった。

 森は静かな不気味さを漂わせているだけで、気持ちの持ちようでなんとかなりそうだった。問題なのは重い荷物を背負いながら、歩きにくい落ち葉の上を歩くことだった。シーナは木の根に躓かないようにと地面を睨みつけ、時折魔法使いの背中を探して前を見た。

 シーナは魔法使いの背中が遠くなり、木立の間からまばらにしか見えなくなると焦りを抱き始めた。北の森には目印になる川が一つ、西から東に流れている。きっと魔法使いは川で休憩を取るだろうと思っていたから、最初は少し離れていてもなんとかなると自分言い聞かせて歩を進めていたが、魔法使いの背中が見えなくなると、途端に森の静けさが恐怖となって嘲笑うかのように心に滑り込んできた。

 シーナの焦りは大きくなり、周囲の物音をかき消し冷静であれば見分けられたであろう足跡を見失わせ、進んでいる方向が北なのかもわからなくさせた。もう空には太陽の光は無い。息が荒くなり、運動のせいで流れる汗とは別のものが胸をつたった。まずいわ。太陽もどこだかわからない。北はどっち?

 シーナは空を見て太陽が見えないと、歩んできた方向を無意識に振り返っては、また行先を見た。あれ? 今こっちに進んでで……きた方向は、ん? あの木の間を抜けてきたはずだわ……?

 シーナはどこもかしこも同じに見えて、どちらに進めばいいのかわからず立ち尽くした。(大丈夫大丈夫、とにかくあっちの方向から来たんだから、向こうに歩けばいずれ川に当たるわ、大丈夫)

 そう言い聞かせてもシーナの足は一歩たりとも前へ出ない。まるで自分の足が木になってしまったかのようだ。

 シーナは気を落ち着かせようとその場に座り込み森を見回した。どれだけそうしていただろうか。虫か小動物か、何かが立てた音に驚き、武器になりもしない落ち葉を握りしめて辺りに気を張り巡らしていると、落ち葉を踏む音が聞こえた。魔法使いさんが探しにきてくれたんだわ!

 だがそこに一瞬、空気を嗅ぐような獣の息づかいに似たものも聞こえた。極度な緊張が生み出した幻聴だったかもしれないが、シーナの足を動かすには事足りた。

 シーナは立ち上がると、音のしたであろう場所から対角線上に歩き始めた。なるべく音を立てないように獣道をできるだけ速く歩いた。四歩歩くたびに後ろを振り返り、止まっては神経を針のようにして音を探した。そうしてシーナはまた歩き始めた。シーナには数時間にも感じただろうが、実際には一時間ほどしか経っていなかった。

 木の途切れた先に影を落とし茫洋と浮かぶ山の姿が見えた。山の奥の空が白をおび、シーナの後ろの空は藍色の波が迫っている。こっちは西だわ! 目の前にあるのが〈嘆きの壁〉だもの。それなら右手が北……川のある方になる!

 進路を北に変えて後ろを気にしながら真っ直ぐと歩き始めた。幾つか小さな丘があり、四つん這いになりながら坂を登ったり、木を頼りに下ったりした。一つの丘を登り、同じように下ったところで右手からなにやら音がした。シーナが歩くときに立てる音にも似ていた。好奇心などではなく本能的にそれを確かめなければ気でも狂ってしまいそうで、抜き足差し足で落ち葉を分けながらその音の方向へ歩いた。薄暗い暗闇の中、木々の間で黒い塊が蠢いている。獣だわ……!

 シーナは酷く後悔の念を抱いた。だが、獣は食事をしているのかこちらには気づいていない。

 シーナは抜き足差し足で再び離れ、北に向かうべく丘を登り始めた。何度も何度も振り返りながら丘の上まで登ると、もう音も聞こえなければ姿も見えなかった。シーナは震えながら息を吐き、丘を下った。シーナは膝が笑っていることに気がついた。続いて安堵から声は出さないが笑いに似た息がこぼれた。それでも振り返らずにはいられなかった。

 シーナは息も心臓の音も一瞬聞こえなくなった。振り返った丘の上に何かが立っている……人だ。だがその思考はすぐにかき消された。

 筋骨隆々の男のように上半身は逆三角形をしている。だがあまりにも不恰好だ。下半身の比率が上半身に対して小さすぎる。立っているのにぶら下げられた腕の先は地面につきそうなくらい長い。自分の心臓が走れと太鼓のように音を立てている。脳が認めたくなくてその姿を見極めようと必死に目を瞠らせた。魔法使いに違いない、腕は長いし脚は短い……それでもきっと人だわ。

 空に輝く梢よりも高い位置に昇ったイレルの光が丘の上の生き物を淡い光で照らした。イレルの銀色の輝きが生き物の目に反射している。その生き物は荒い毛が全身をびっしりと覆っていて、顔の部分だけ毛がなく皺だらけだが人の顔にも見える。口が横に広く変に突き出ている。鼻があるはずの部分にその姿はなく、刃物で引き裂かれたような二つの縦の切れ込みがあり、それが開いたり閉じたりしている。その上にある二つの目はイレルの光を反射しているだけで感情らしきものは見て取れない。広すぎる口は笑っているように見える。あまりにも不気味で恐ろしい姿に、シーナは絶望した。

 獣は十メネンほど先の丘の上にいるが十歩も走れば十分な距離だ。獣は東の空を見上げた。シーナもつられて目を向けた。白く輝くまん丸のイレルが夜空に瞬いている。獣は興奮したように手を叩き引きつったような甲高い笑い声を上げた。

 シーナと目が合うと獣は舌を出して四つん這いになり勢いよく丘を下り始めた。獣の笑っているような顔にシーナの毛という毛が震え立ち、呼吸がわなないた。シーナは兎のように走った。足に感覚がない。つまづいて勢いよく地面に転がった。擦りむいた手の痛みすら感じずに、恐怖に急かされるままに無我夢中で走り続けた。吐き出される呼吸の一つ一つが恐怖と怒りを含んだ絶望のすすり泣きとなり鼻水と汗と涙で顔を濡らした。

 丘を飛び降りるように下り、転がり立ち上がって尚も走った。振り返ると獣は見えなくなっていた。痛いほど脈打つ鼓動と共に吐き出される息に安堵が混じったのも束の間、横の木立の合間に獣が立っていた。笑うはずのない獣の顔に笑みを見出だし、恐怖に恐怖を重ねて再び走った。背負い袋を捨てればもっと速く走れただろう。だが恐怖の中に働く思考は何一つなかった。

 獣の息遣いが近づいてくる。どんどん近づき、顔の横で感じた。


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