第25話 もう無理ってことっすか
「本題じゃ」
平坂が言った。
「あの石は、蘇生魔法の発動に必要なのだな」
「必要でございます」
「なぜじゃ。あれは、ただの綺麗な石であろう」
「それは正確ではありません」
僕は、思わず身じろぎした。
「ヴェイナそのものには、ある一点を除き、大した力はございません」
「ある一点とは」
平坂の声に、初めてわずかな揺れが混じった。
マンテは、答えた。
「ヴェイナは、魂を留めます。長い年月をかけて、そばに在るものを、少しずつ内に招き入れる」
店の中が、静かになった。
「そして、あの鉱石に囲まれて眠っておられるのは、歴代の魔王様方でございます」
彼は、噛んで含めるように言った。
「あの御廟の岩肌が光るのは、鉱石の性質ではございません。あそこにおられる方々が、そこにおいでだからです」
「……」
「私が持ち帰ったひと欠片には、御先祖様方の魂の、ほんの少しの断片が宿っておりました。蘇生魔法が必要とするのは、その断片でございます。石ではございません」
彼は、深く頭を下げた。
「あれがなければ、蘇生の魔法は、成しえません」
*
平坂は、動かなかった。
僕は、彼女の横顔を見ていた。
「……確認するわ」
その声は、いつもの声だった。
いや、少し震えている。
「先祖の魂を内包するヴェイナ鉱石、それの代わりになるものは」
「ございません。ヴェイナも、ご先祖様方の魂も、どちらもこの世界で手に入れられるものではございません」
「蘇生魔法をこの世界で発動することは」
「できません」
「転生魔法をこの世界で再現することは」
「……できません」
「儂が元の世界に戻ることは」
「……」
ついにマンテは答えることができなくなった。
「……そう」
*
そこで、彼女は口を閉じた。
僕はそのとき、本当に手詰まりなのだと思った。
もし最悪の展開になっても、平坂ならば次の手を考え付くと思っていた。
彼女はそんな、諦めない人間だ。
なのに、質問をやめた。
「そうなのね」
もう一度、彼女は言った。
それだけだった。
叫んだわけではない。泣いたわけでもない。表情も、ほとんど変わっていなかった。
それなのに、店の空気が変わったのが分かった。
宮森さんが、口元を押さえて彼女を見ていた。何か言おうとして、言葉が出ないという顔だった。
僕にも、何も言えなかった。
少しだけ残っていた希望の扉が、たった今、目の前で閉じられた。
*
「……ダリューゼ様?」
マンテが、心配そうに顔を上げた。
「いかがなさいましたか」
「――」
平坂が、口を開いた。
開いて、何も出てこなかった。
「ダリューゼ様。私めに何か、お力になれることが」
「…………」
清春がマンテとしての言葉を発するたびに、僕は焦りを感じていた。
清春が、戻ってこない。
あの雨の日。「やめんか」と言って、平坂が頭を叩く。それで終わりだった。
だが今、彼女は言葉すら出せずにいる。
「平坂さん、清春を」
僕が呼んでも、返事はなかった。
「宮森さん、平坂さんを頼む」
「わ、私、どうしたら」
「何でもいい。声をかけて、そばにいてくれ」
僕は、立ち上がった。
入口の傘立てに、それはまだ立っていた。
八月のあの日、店長が「なんだこれ」という顔で見ていた竹刀だ。持ち主が置きっぱなしにしたまま、ひと月以上そこにあった。
僕はそれを掴んだ。
久しぶりの重さだった。
みんなそれぞれ、何かのきっかけで記憶を取り戻した。
ならば逆もまた然り。この男に、清春を思い出すきっかけを与える。
清春の体に一番深く刻まれているものが何かは、僕が一番よく知っている。
小学生の頃、毎週、何百回と刻まれた記憶。
マンテが知らない、清春だけの記憶。
清春を呼び戻すには、これしか思いつかなかった。
*
「マンテ」
僕が呼ぶと、彼はゆっくりと立ち上がり、こちらを向いた。
「……勇者」
僕は、両手で竹刀を持ち、構えた。
「悪いな。清春を返してもらう」
打ったのは、右の小手だった。
面ではなく。胴でもなく。
僕が昔、あの子どもから一番よく取っていた場所だ。
かぱん、と乾いた音がした。
三年ぶりの音だった。防具もつけていない腕を打ったのだから、痛いはずだ。加減はしたが、それでも痛いはずだ。
マンテは、打たれた腕を見た。
不思議そうな顔をしていた。
変化はなかった。
僕はもう一度、構え直した。
「二本目、行くぞ」
*
二本目は、振り下ろす前に止まった。
「――っ、いってえ!」
彼が、腕を抱えて飛び上がったからだ。
「なんだよ! なんで殴られてんの俺!」
宮森さんが、悲鳴みたいな声を上げた。
清春は、腕をさすりながら、きょろきょろとあたりを見回した。
「え、なに。俺、なんかやった? え、なんで竹刀持ってんのお前」
僕は、竹刀を下ろした。
膝から力が抜けそうになるのを、こらえた。
「……おかえり」
「は?」
「清春さん!」
宮森さんが、彼の腕にしがみついた。
「よかった、よかったです、ほんとに……!」
「え、ちょ、なに。泣いてんの?」
「泣いてます!」
「なんで!?」
清春は本気で分かっていないようだった。彼の中では、たぶん数秒しか経っていないのだろう。
「腕を見せて」
声がした。
平坂だった。
彼女は椅子から立ち上がって、彼のところまで歩いてきていた。
「え、あ、はい」
彼女は清春の袖をまくって、打たれた場所を確かめた。赤くなっていた。
「骨は」
「大丈夫っす。全然」
「本当に?」
「痛いだけっす。ほんとに」
平坂は、しばらくその腕を見ていた。
「……そう」
そして、彼女は言った。
「よく戻ってきてくれたわね。ありがとう」
*
僕は、竹刀を握ったまま、その場に立っていた。
平坂。
現世でずっと望んでいた願いが、これ以上ないほど残酷な形で潰えて、それでも彼女は立ち上がり、友人の腕を見て、心配をしている。
強いのか、強がっているのか。そういう生き方しか知らないのか。
*
しばらくして、僕たちは席に戻った。
清春には、宮森さんが順を追って説明した。彼は途中で何度か「マジすか」と言い、最後には青くなって黙り込んだ。
「じゃあ、あれっすか。もう無理ってことっすか」
「そうね」
平坂が答えた。
「あなたたちのせいじゃないのよ。例え魔法が使えたとしても、石と、その中身があってこその奇跡だった」
「……」
「残念ね」
残念と言われてしまうと、もうお終いみたいじゃないか。
「――しばらく、会うのはやめましょう」
沈黙のあとで、平坂が言った。
「え」
宮森さんが顔を上げた。
「もともと、私が始めたことだったでしょう。私が帰りたいから、あなたたちを集めた。その目的がなくなったのだから、集まる理由もないわ」
「そんな」
「今までありがとう。本当に助かったわ」
丁寧な、丁寧すぎる言い方だった。
「待ってください」
宮森さんが立ち上がった。
「そんなの、おかしいです」
「宮森さん」
「もう友達じゃないですか」
彼女は、はっきりと言った。
「前世とか、関係ないですよ。私、永遠ちゃんが魔王だから一緒にいたわけじゃないです。宿題やって、かき氷食べて、金魚すくって、そういうのが楽しかったから一緒にいたんです」
「……」
「目的がなくなったら終わりなんて、そんなの、寂しすぎます」
平坂は、しばらく彼女を見ていた。
そして、少しだけ笑った。
「分かってるわ」
「じゃあ」
「分かってる。分かってるのよ」
彼女は、テーブルの上で指を組んだ。
「でも、少し、時間をくれる?」
*
僕は、何も言わなかった。
言うべき言葉はいくつも浮かんだ。宮森さんの言うとおりだと思ったし、それをそのまま伝えてもよかった。
だが、平坂は今日、積み上げてきたいろんなものを一度に失ったのだ。
彼女が言うように、時間が必要だと思った。
「分かった」
僕はそう言った。
「待ってるよ」
平坂が、こちらを見た。
何か言おうとして、やめて、それから小さく頷いた。




