第1話 ここから、僕たちの青春物語が始まるんだ
六月も半分が終わり、街は梅雨の合間の陽気に包まれていた。
僕の通う蓬莱高校の最寄り駅から、徒歩十分。初めて入った、ポラリスという名のその喫茶店には、客は僕しかいなかった。
同じ学校の連中が下校途中にたむろする駅近を避け、わざわざ人気のないこの店を選んだのは正解だった。
僕は約束の時間の三十分も前から、入口から一番離れたボックス席の椅子に座り、そわそわと落ち着きなく過ごしていた。
スマホでSNSアプリを開き、ダイレクトメッセージでのやり取りを再度確認する。
日付け、時間、場所、そして何より相手の名前。
間違いない。今日、ついに会える。
緊張のあまり手が震えていることに気づき、スマホをテーブルに置いた。
乾いた唇を、ぬるくなったブラックコーヒーで湿らせたが、苦い。
格好をつけるのをやめ、素直に砂糖とミルクを足すことにする。
待ち合わせの時間まで、あと五分。
あの美しかったリュミア姫は、この世界ではどんな姿になっているのだろう。
美しいだけじゃない。聡明で、慈愛に満ち、そしてなにより、僕のことを愛してくれたリュミア。
運命に引き裂かれてしまった二人が、時空を超えて再び出会えるなんて。なんてロマンチックなのだろうか。
窓に反射した自分の顔が、あまりにもだらしなく弛緩しきっていることに気づき、慌てて真顔を作った。
時計を見ると、間もなく約束の時間だ。背筋を伸ばし、襟元を整えた。
*
カランカラン。
ベルの音とともに、入口の扉が開いた。
突然のことに心臓が跳ね上がる。
腰も数センチ浮いていたかもしれない。
――ついに来た。
が、店内に入ってきたのは意外な人物で、僕は戸惑った。
そこにいたのは、クラスのマドンナ――いや、学校中の男子生徒の憧れの的といっても過言ではない、よく見知った顔。
平坂永遠だった。
入口付近で女性店員に声をかけたあと、こちらに顔を向けた。
僕と目が合うと少し驚いた顔をし、店内を見渡す。他に客がおらず、やはり待ち合わせの相手が僕だということに気づいたようだった。
少し息を吸い、意を決したようにこちらへ近づいてくる。
微笑みをたたえた整った顔だちは、高校一年生にしては完成されており、リュミア姫の生まれ変わりと言うための説得力を、十二分に与えてくれる。
制服の白いブラウスに胸元の赤いリボンは、まるで彼女のためにデザインされたかのようで、他の女子生徒と同じものを着ているのに、ここまで違うのかと感心させられる。
彼女の魅力は美しさだけではない。成績優秀でスポーツ万能で品行方正で――あと他にも、うら若き女性を褒め称えるための、すべての言葉が当てはまるようなこの存在が、同じクラスにいたというのに。
なぜ今までリュミアの生まれ変わりだと気づけなかったのか。
僕は大馬鹿野郎だ。大切なものは、すぐ近くにあったのだ。
リュミアは腰まである、少しウェーブがかった綺麗なブロンドだった。
光があたるとキラキラと反射して、まるで川のせせらぎのような美しさだった。
それとは全く対称的な漆黒のミディアム・ボブが、歩を進めるたびに揺れている。
艶のある黒髪が、彼女の陶器のような白い肌を際立たせていた。
僕は今日から、黒髪派に改宗することに決めた。
*
「不来方くん」
テーブルの横に立った平坂が話しかけてくる。
「……や、やあ」
極めて冷静を装って返事をした。
「誰かと待ち合わせ?」
「……うん。平坂さんも?」
平坂は答えず、数秒の沈黙があった。
まるでお互いに告白のタイミングを見計らっているような。
ゆっくりと平坂の口が開いた。
「そっか……不来方くんが、勇者ユグレトだったんだね」
目の前のコーヒーの表面に、小さな波紋が起こる。
まるで僕の心臓の鼓動が伝わったかのように。
瞳を閉じて噛み締めた。
ああ、間違いない。
あの平坂永遠が、前世での僕の恋人の生まれ変わりだったのだ。
まさか、こんな素晴らしいことがこの人生で起こるなんて。
幸運という言葉では言い表せない。
これも前世で善行を積んだ結果なのだろうか。
あ、なんか音楽が聞こえる気がする。
希望に満ちたイントロが。
ここから、僕たちの青春物語が始まるんだ――。
*
「バーーーーーーーーーーカ」
ん?
え? 今なんて言った?
想像もしなかった言葉が聞こえた気がして、慌てて平坂の顔を見る。
そこにはさっきまでの優しい顔とは正反対の、邪悪な表情が浮かんでいた。
眉間に皺を寄せ、汚いものを見るように細めた目。
今にも唾を吐きかけてきそうなへの字口。
「チッ」
え? 今チッて言った?
「かつての宿敵をからかってやろうと思って来てみたが、元勇者ともあろう者がだらしない顔を見せおって」
「え? しゅ、宿敵?」
「阿呆が。まだ分からぬか。儂は、お前が恋焦がれるリュミアなどではない」
ちょっと待って。言わないで。
まだ頭がついていけてないけど、とても嫌な事を言おうとしているのは分かる。
やめて――
しかし平坂は無情にも告げた。
「儂じゃ儂! 魔王ダリューゼじゃ!」




