第1節
白いリボンが揺れる。
大好きなママからの、贈り物。
私の、最後の誕生日プレゼント。
みんなに、自慢したかった。
だから、今日も、束ねた髪に、そっと紡いだ。
可愛く着崩した制服が、鏡を彩る。
微笑みを作り、恋心を包み込んだ。
パンの焼ける香りが、鼻をくすぐる。
リビングに差し込む朝日が、今日も楽しい一日になると教えてくれる。
「パパ、スマホを構っていないで、ご飯を食べて。」
私は、ティーポットに、お湯を注ぎながら、ため息を奏でた。
「すまん、気になるニュースがあってね。」
今日の香りは、パインとマンゴーのフレーバー。
「今日は、甘い香りだな。」
パンを頬張るパパの柔らかな音色が、リビングに響く。
「パパも、飲む?」
「そうだな。ありがとう。」
玄関に並べられた、二足の靴。
そこまで届く微笑みが、喪失を隠した穏やかな幸福を取り繕っていた。
「学校まで、送ろうか。」
パパの穏やかな旋律に、私は振り向いた。
「ありがとう。でも、平気よ。」
「会社までの道中だ、気にすることはない。」
「うん。でも、待たせちゃってるから。」
私は、玄関の扉に触れながら、微笑む。
「行ってきます。」
「いってらっしゃい。気をつけてね。」
青空に揺れる陽光が、私の頬を撫でた。
行き交う人の影に、私は漂う。
肩に触れた温もりが、私に微笑みを奏でてくれた。
「おはよう。」
重なる音色に、指を絡める。
「ゆり、今日も、そのリボンなんだね。」
柔らかな微笑みに、私は誇らしげに頷いた。
「私の大切な宝物だもの。」
「私も、それ、買おうかな。」
「あやめちゃんとお揃いなら、嬉しいな。」
少し熱くなった頬を隠すように、私は吐息を奏でた。
繋いだ手の温もりに、身を委ねながら、電車に揺られる。
「学校が終わったらさ、一緒にリボンを買いに行こうよ。」
あやめが、私の顔を覗き込んだ。
「いいよ。いつものショッピングモール?」
「うん。この前、そのリボンを見つけたんだ。」
「そうなの?何色にするの?」
「私は、黄色が好きなんだけど、似合うか、ゆりに見て欲しくて。」
「あやめちゃんなら、黄色が似合うと思うよ。でも、いろいろ見比べちゃおう。」
絡め合う指に、心が弾んだ。
大学受験を来年に控えた教室は、どこか張り詰めている。
飛び交う穏やかな旋律に、不安や希望が、少しずつ溶け始めていた。
ただ、私たちは、そこに触れることはない。
もう、進学する学校は、決まっていた。
県外の、誰でも受かる大学。
そこを選んだのは、一人暮らしができるから。
でも、そこには、小さな秘密がある。
それは、あやめと二人で決めたこと。
「一緒に住もうね。」
小指に奏でた、私たちの想いが、硬く結ばれていた。
ただ、それは、未だ、パパに言えずにいた。
家から出ることを、パパは、きっと許してくれない。
そして、私も、パパを一人にしたくない。
揺れるカーテンが、教室に冷たい風を彩っていた。
眠くなる授業に、頬杖をつく。
黒板に描かれた文字で、言葉を遊ぶ。
ノートの隅に描かれたうさぎは、みーちゃんと名付けた。
そよぐ風に、髪が揺れる。
でも、心にあるのは、一つだけ。
「パパに、言わないと…。」
ため息が、シャープペンシルを走らせる私の指へと流れた。
窓の外を覗くと、校庭に影が揺れている。
こんな時間に、どうして。
私は、それを見つめるのに夢中になっていた。
だから、先生に当てられていたことに、気づいていなかった。
「えっと…、わかりません…。」
慌てて立ち上がり、小さく俯く。
「いや、ここから先を読んでくれ。」
その奏でた音色に、教室は笑顔で満たされた。
私は、教科書を手に取り、ふと窓の外を見つめた。
もう、影は居ない。
「ママ…。」
誰にも届かない囁きが、思わず溢れていた。
突然、降り出した雨に、私の朗読が掻き消される。
遠くで響いた雷が、教室を静寂へと包み込んだ。
私は席に座り、その色彩を、呆然と見つめる。
空を裂く光が、私の瞼を閉ざした。
「予報、外れちゃったね。」
背中を撫でる音色に、私は小さく頷いた。
「リボンを買いに行くの、明日にする?」
「平気よ。折りたたみ傘、いつも持ってるから。」
囁き合う詩は、二人だけの秘密。
一つの傘に、二つの影が重なる。
ぽつぽつと、雨が弾かれる音が、心地いい。
二人で指を絡めながら、傘を揺らす。
その足跡に彩られたのは、濡れた肩。
その色彩さえも、私たちはお揃いだった。
冷たくなっていく腕が、何だか幸せに感じる。
「雨、止みそうにないね。」
あやめが、空を見つめた。
「そうね。でも、一緒に傘に入れるから、嫌じゃないよ。」
「私もだよ、ゆり。」
微笑み合う吐息が、そっと唇に触れた。
行き交う傘が、顔を隠す。
雨音が、私たちの微笑みに溶ける。
私の髪に彩られた白いリボンが、風に揺れた。
「ねえ、今の人…、さっきもすれ違わなかった?」
私は、あやめを見つめ、首を傾げる。
「似た服の人じゃない?」
あやめの穏やかな音色にカノンするように、私は小さな不協和音を隠した。
雨は、まだ止みそうにない。
駅前から乗るバスは、ショッピングモールまで停まらない。
「ゆりは、見たいものはある?」
「そうね、文房具と、リュックも見たいな。それに、お洋服も。そうだ、新しい茶葉を買いたいの。」
「いっぱいだね。」
「ごめんね。あやめちゃんとしか、ショッピングモールまで出かけないから。」
触れ合う微笑みが、二人だけのバスを包み込む。
不意に、バスの外の彩りが、窓に描かれる。
その色彩が、私の瞳の隅に紡がれた。
そこに立つ、一つの影。
私は、振り返り、窓の外を見る。
そこには、流れゆく街並みが、雨に切り取られていた。
「どうしたの、ゆり。」
あやめが、私の顔を覗き込む。
「ううん、見間違いだったみたい。」
私の微笑みの奥に奏でられた、校庭で見た影。
「何だか、辛そう。モールに着いたら、フードコートで休もう。」
優しく抱き寄せてくれる、あやめの腕に、私は小さく頷いた。
阿里山凍頂茶の繊細な華やかさに、チーズフォームの甘美が溶け込む。
「ゆりって、本当に、お茶が好きね。」
たっぷりのクリームに、ナッツが散りばめられたラテ。
それを、ストローで混ぜながら、あやめが微笑む。
「これは、ジュースよ。」
縁から口を離し、音色と共に、優しい香りにため息を紡ぐ。
「ここのお茶の淹れ方、好きなの。」
私は、小さく囁きながら、その店へと目を向けた。
店の前に立つ影。
それの顔は、わからない。
でも、こちらを見ている。
私は、慌てて目を逸らした。
「どうしたの?」
「知らない人と、目が合っちゃって。」
私は、微笑みを取り繕った。
「誰も居ないわよ。」
私の旋律に、店へと瞳を送ったあやめが、首を傾げる。
「あれ…、気のせいかも。」
私も、再び店へと振り向いたが、その影はなかった。
「もう、疲れすぎ。」
あやめが、私の頭を撫でながら、優しく微笑んでくれる。
私、疲れているのかな。
心当たりのない言葉の意味は、あやめへと返した微笑みの中に消えた。
あやめは、黄色がいいと言っていた。
私も、黄色が似合うと思っている。
でも、色とりどりのリボンを見ると、どれもが魅力的に感じる。
リボンが、次々に、あやめの頭を飾る。
「どれも可愛くて、迷っちゃうね。」
私は、付け替えるたびに、あやめを撮った。
スマホのシャッター音が、店内を明るく染める。
「黄色にしようかな。それとも、ゆりと同じ白にしようかな…。」
あやめはしゃがみ込み、二つのリボンを見比べている。
「どっちも欲しいけど、意外と高いのよね、このリボン…。」
「そうなの。二つ買うのは、無理よね…。」
私は、穏やかに微笑みを返した。
リボンを真剣に見つめるあやめを見つめ、私は、小さな幸せに浸る。
だから、背に感じる視線に、私は気づかずにいた。
その影は、穏やかに微笑んでいる。
不意に上げた視線、その先にある立て鏡。
そこに写っていたのは、私の背中越しに立つ影。
私は、思わず振り向いた。
幾つもの可愛い商品が、棚を彩っている。
それだけが、私の瞳へと注ぎ込まれる。
「あれ…?」
誰にも届かない吐息が、小さく漏れた。
私は、首を傾げ、あやめを再び見つめる。
流行りの曲が、店内に流れ出した。
「あ、この曲…。」
それは、あやめの好きな曲。
遂に、黄色にすると決めて立ち上がるあやめと指を絡める。
「お会計したら、早速、つけちゃおうかな。」
微笑み合いながら、私たちは、レジに向かった。
絡め合う指が、お互いの温もりを分かち合う。
賑やかな曲に紛れて、ぽつりと、雨音が響いた。




