1 婚約破棄の会場はこちらです
「私には心から愛するテレサがいる。君のような偽りの愛とは違う、魂で繋がった番なのだ。君との婚約は破棄させていただこう!」
声高々に獣人の王子はそう言った。
その言葉を受け、小国の姫である婚約者──イディナは絶望したように表情を凍らせた。
それをはやし立てるようにワァッと周囲は喜色で湧く。
この会場には獣人が多い。獣人の王子、エリリックの誕生パーティーだからだ。男性でも18歳になれば成人扱いで結婚できるようになる。2歳年下のイディナが仮の婚約者という立場から確定へと変わり、結婚の準備へと入る重要な祭典。
大規模なパーティーのため、隣国であるソリティアの姫クリスティーヌも招かれていた。
マイペースな性格だが意外と物事をはっきりと言う。
姫らしく多少我儘だが、可愛らしい範疇だ。
使用人にも無理難題や暴言を吐くことはないし、慈善活動にも参加する評判の良いお姫様。
兄である王太子の妻が身重のため代理として彼女が訪れていた。
演劇のような一幕。
成人を祝う誕生パーティーで幼い頃からの婚約者を切り捨て、新たな婚約者を自分で選んだエリリック。
会場中の拍手の中には戸惑ったように周囲を見回す人もいる。しかしそれは少数派だ。ほとんどの者──獣人たちは拍手をしていた。
世界的な人口から見れば獣人の割合は少ないが、ここは獣人の国コゼ、アウェイなのは人間側。
ざっと換算して獣人7割、人間3割といった具合だった。
獣人と付き合いのある国の貴族は獣人について学んでいる。
学ぶ内容の中には番についても記載がされているが、きちんと理解している者は少ないだろう。
番とは──運命。
生涯で出会えるのは1割にも満たないとされている。もし番に出会えた獣人は幸運であり、永遠の愛を捧げるのだ。
まるでお伽噺のような素敵なもの。その時までソリティアの王女もそう思っていた。
……だが、なんだこの茶番は。
クリスティーヌは苛立った。
歓迎ムードのこの雰囲気にも、誰一人としてイディナを慰めないことにも。
「はぁ……くだらない」
大きくため息を吐いた。
その人物と無関係なら無視したかもしれない。けれど彼女には借りがあるのだ。それに彼女ほど心根の優しい人間はいないとクリスティーヌは思っていた。
そんな憧れにも似た感情を持つ女性が、可哀想な目に遭っている。
この状況にも、そして獣人というものにもクリスティーヌはひどく落胆した。
スッと来賓に用意された豪華な椅子から立ち上がる。
護衛騎士は驚きながらも付き従った。
2段ほどの階段を下り、ゆっくりと中心部へ進んでいく。
ざわざわ、ざわざわ。
近くに来ると招待客は彼女に気づき、驚きながら場所を空けてくれる。
進みやすくなっていいわ、なんて思いながらちょっぴり荒んだ目をしたクリスティーヌはポカンと空いたイディナの前に出る。
クリスティーヌは聞いていなかったが婚約破棄の後に断罪が行われ、今にも連れて行かれそうになるところだった。
王子に命じられ、イディナに近づこうとしていた兵士はクリスティーヌの護衛騎士から姫に近づくなと睨まれて止まった。
それに気づいているのかいないのか、少しマイペースなクリスティーヌは打ちひしがれるイディナの手を取った。
「えっ……クリスティーヌ様?」
俯いていたイディナはようやく彼女の存在に気づいた。
「はい。お久しぶりでございます。覚えていてくださったのですね、嬉しいですわ」
にっこり。クリスティーヌは笑う。しかし彼女は怒っていた。
「イディナ様にお渡ししたいお土産がございますのよ。ぜひ私の部屋に来て欲しいですわ」
「う、嬉しく思います……ですが、私はその、たった今婚約破棄された身ですので。それに……重罪人とも言われました」
「重罪人? あなたが? 一体何をなされたの?」
白々しく、いや本当にクリスティーヌは聞いていなかったらしい。
観衆の前でイディナが婚約破棄された怒りでエリリック王子の声をシャットダウンしたのだ。
「彼女はテレサをいじめたんです!」
嬉々として彼はそう言った。まるで仲間を求めるように、自分の行動に共感することを当たり前のような顔で近寄ってきた。
ピクッ。
一瞬だけ眉間に皺を寄せたクリスティーヌ。長い付き合いの護衛騎士のみがそれに気づいた。
しかし王女として表情管理を学んでいるクリスティーヌはすぐににっこりとした愛らしい表情へ変えて微笑む。
「そうなんですか? エリリック殿下」
「ああ! そうだとも! イディナが長年僕を支えていたことには感謝している。しかし、番を虐げるなど言語道断だ。彼女はよりにもよって平等を謳う学園で身分を盾にテレサを糾弾し、暴言を吐いたのだ」
「はぁ……そうなんですのね」
「そうだ!」
「はい。で、その後は?」
「その後とは?」
「まだ続きがあるのでしょう? 他にもどのようなことがありましたの?」
それでそれで?と話の続きを促した。エリリックとしてはここまで言えばすぐに自分の味方をしてくれると思ったのにと少々呆気にとられた。
しかし他国にもイディナの非道さを訴えるよい機会だとばかりに請われるまま続きを話す。
「その後は……そうだな、『番を見つけたのだから彼女と結婚する』とイディナに伝えると『いくら成績優秀で特待生として学園に招かれていたとして彼女は平民です。殿下の妃には相応しくありません』と言われた。僕だってそれくらいは分かる。しかし番は別だ! 番であるなら平民とも結婚できる!」
(その場合は王位継承権を破棄した上で結婚されていたと思いますけれど……国王や王太子に平民が嫁ぐなど聞いたことはありませんわ。そもそも貴族が通う学園に来た特待生が番など本当にレアケース、前例はおそらくないでしょう)
今までも番が見つかった王族はいたが、王族が日常で関わるのは下級貴族も含めた貴族のみ。そもそも王族と平民が接する機会などほとんどない。
貴族であればどんなに貧乏でも結婚するのに問題はないし、何かあっては困るから王族の使用人や護衛は中級貴族以上なのだ。
それだけ貴族と平民の差は大きい。
平民がぶつかっただけで貴族に殺されるなんて極端な例ではあるが、ゼロではないのだ。
そんな平民と、貴族よりも上位の存在である王族が結婚? あり得ない。
クリスティーヌは鼻で笑いそうになった。
この王子は一体今まで何を学んできたのやら。
優秀だと言われていたのは才女イディナあってのことらしい。
イディナとエリリックの内情を冷静に分析し、ふむ、と扇を取り出して口元を隠した。
にやけそうになる顔を隠すためではなく、威厳を出すための行為だ。
「そうなのですね。私もそれは知りませんでした。不勉強で申し訳ありませんわ」
申し訳なさそうに眉を下げた。
番であれば平民でも結婚できるなど法律にはなかったはずだとクリスティーヌは思ったが、あえて誤解を指摘しなかった。
「ですがそれでも腑に落ちないことがあります。なんというか、これが普通なんですの?」
「普通、とは?」
「獣人にとって長年寄り添ってきた婚約者よりも番の方が大事なのですか?」
「そうだとも! 当然だろう?」
「……普通。そうなんですのね。
──なら、獣人と結婚したくはないわ」
不敬になるようなことをあっさりとクリスティーヌは告げた。
しかし彼女も国は違えど王族。これくらいのことは問題にもならない。
「なっ!?」
「恐ろしいですわね。運命といえば聞こえは良いですけど、それが今まで婚約者だった人間を虐げて良い理由にはなりませんわ」
「だが! イディナは俺の番をいじめていた!」
「そうなんですの?」
そこでようやく二人の会話から当人であるイディナにも話を振った。
「いいえ。私はその方と一対一で話したこともありません」
俯いていた表情から一変。強い眼差しでイディナは否定した。
「だそうですが」
「ふざけたことを! いじめられた本人が証言しているのだぞ! 人がいない所でお前に罵声を吐かれたと!」
「証拠は?」
「は?」
「証拠はありますの? イディナ様が殿下の番とやらをいじめた証拠が?」
「ふん! 証拠ならある! 俺の側近や、他にもいじめていた現場を見たものがいるのだ!」
唾を飛ばしそうな勢いでエリリックは声を発する。興奮した彼は尻尾を毛羽立たせた。
獣人は良くも悪くも感情的な者が多い。理知的な者も存在はするが、人間に比べると荒っぽい者の割合が高いのだ。
ピクピクと動いたり感情を表現するかのような尻尾や耳は彼らの良い所だが、王族としてその姿が好ましいかと言えばそうではなかった。
「……わたくし、証拠は、と聞いたのですが。それは証言なのではありませんか? ああ、ですが、もしその証言を証拠にしたいのでしたら私に考えがありますわ」
「……なに?」
「我が国ソリティアの国宝を使うのです。嘘つきには死を、正直者は門をくぐれる”裁きの門”ですわ。もちろんご存じでしょう?」
「そ、れは、国宝だろう? そなたが使いたいと言って使えるものではない」
「いえ、使えますよ。むしろ喜んで使わせてくれると思います。100年前に使った記録はあるものの実際に使った所を見た人物はいませんからね。実験……いえ、正確な記録のためにも許可は下りるはずです」
「──いや、それはだめだ。100年前の記録しかないのであろう? ならば嘘ではなくとも誤作動を起こす可能性がある。そのために危険を顧みず証言してくれた者たちを死なせるわけにはいかぬ」
「そうですか。いえ、そう答えるだろうと思いましたが……残念です。では証言を証拠にすることもなく、彼ら彼女らの証言だけでイディナ様を処罰するおつもりなのですね」
ふぅ、としょうがない子どもを見るような目でエリリックを見た後にイディナへ向き直った。
そしてチラリと王子の側近が持つ重罪と記された書状を見た。罰状は追放刑と書かれている。
「追放刑になったのですね。ふふっ、それならば、私の国へ来ませんか? 客人として歓迎いたしますし、城で暮らすのが嫌ならば住居をご用意しますわ」
「……私は、……行きます。クリスティーヌ様のご厚意に甘えさせていただきます」
「ええ。いいんですのよ。さぁ、行きましょう」
自分の手を汚さず、されど重い刑罰。平民ならまだしも貴族の令嬢が追放刑となれば死よりも辛い目に遭うことは容易に判断がつくだろうに。
番とはいえ、平民をいじめたくらいで王妃になるはずだった女性が追放刑?
内心ブチ切れ状態になったクリスティーヌは怒りが一周回り、逆に冷静になって落ち着き始めた。
「待て!」
そんな彼女に後方から声がかかる。
「どうしました? エリリック殿下?」
「勝手に連れて行くな! これはこの国の問題だぞ!」
あらあらと頬に手を当てながら彼女は嗤う。
「わざわざ私も出席する祝いの場で事を起こしておいてこの国の問題ですか……調子の良いことですね。内々に済ませたかったのならこの場ではなく、パーティーの終わった後でもよろしかったのではないですか? ああ、ですが。退室する前に、一つ感謝の気持ちを述べさせてくださいませ」
「……なんだと」
「獣人とは何か、番とは何か。身をもって経験させていただきましたわ。知識としては知っていましたが、番を見つけた方と会話するのは初めてですから大変勉強になりました。……ふぅー。番というのは厄介ですわね。優秀だったあなた様をそこまで狂わせるのですから。なので私、決めましたわ。私のお友達には、獣人の妻にならない方が良いと助言しておきます。別にこちらは、わざわざ獣人じゃなくとも、構わないのですから」
フフッと自然と出てきた笑いを隠さずにクリスティーヌは言った。
ポカンとした顔になったエリリック。何を言われているのかよく分からないといった顔だ。
(まぁ、そうでしょうね。殿下には関係のないお話でしょうから)
そう、番のいる男には関係のない。
関係があるのは未婚の貴族男性くらいだろう。
「騒がせて申し訳ありませんでした。今度こそ、イディナ様と一緒に退室致しますね? ごきげんよう」
綺麗なカーテシーを披露し、出口へ行く。
行きと同様に人並みは割れ、行く手を阻まれることなく会場を後にした。
誰も止めない。取るに足らない、お姫様のおせっかいだとでも思われているのかもしれない。
けれどクリスティーヌは嗤う。
「あ~あ。どうなっても知りませんわよ」
(今すぐ追いかけてみっともなく謝罪してくれば見逃したものを)
ソリティア国の第一王女。社交界を牛耳る者。
彼女の一声は貴族女性──特に未婚の少女らの総意へと繋がる。




