術式論結論
「私は事件の瞬間、それと思われる音を聞きました。思い返せばシマバキ=ガトレが留置所を去った後の事です。少ししてから、水が降ってくる様な音を聞きました。雨は降っておらず、雨漏りではないでしょう。その後に聞こえたのは、水を撒いた様な音と、物が倒れる様な音。私はここから、被告人が水を用いた何らかの魔術でイパレアを殺したと思い、証言を行ったのです」
ストウの再度の証言によって変わったのは、ガトレが犯人であるという主張ではなく、事件時に何らかの水音が発生したという事である。
魔術の使い方は多岐にわたる。術式さえ知っていれば、雨を降らせる様な魔術だって使える。もちろん、水の槍で貫く事だって。
「証言によれば、事件は被告人が立ち去った後に発生した事。デリラ卿よ。これは、被告人が犯人である事を否定するものか」
「たはは……。そうとは限りませんよ。魔術陣の様に、後から魔術を発動させる設置型の魔術も可能ですからね」
「では、法務官として新たな可能性を主張する事」
「かしこまりました」
現時点では状況からガトレが殺人を犯したと判断されている状況であり、その具体的な方法までは不明な段階であった。
しかし、ストウの発言で事件の輪郭が露わになり、初めて法務官側からの主張が可能となる。
「法務官側は証人の証言を受け、被告人は殺人を行う事が可能であったと主張します。まず、証人は英雄殺しとして留置所にいた期間がありました。仕込みはその時からしてあったのです」
デリラの話だと、かなり遡る事になる。ガトレが留置所にいたのは、英雄殺しの裁判が始まるまでの期間だ。
「被告人は事前に牢の床に魔術陣を用意し、そこに入った者を殺害できる様にしていたと考えられます。動機は憂さ晴らしで十分でしょう。死刑の確定をただ待つ身。道連れが欲しくなったのではないでしょうか」
「異議あり!」
デリラから語られたのが思わぬ暴論であった為、ナウアはつい挙手をしてしまった。しかし、返す言葉は用意の上だ。
「被告人は英雄殺しの裁判において、判決までの猶予を与えられる程の抵抗をしています。道連れを作る為に魔術陣を用意したというのはおかしいです」
「動機なんてどうでも良いんですよ。だって、証明できませんから。何なら、八つ当たりだったって言うのでもいい。一つ一つ否定していきますか?」
デリラの言う通りであった。ここで必要なのは、動機の否定ではない。動機に主軸を置いては、否定と主張を互いに繰り返すだけになる。
「分かりました。動機があったという主張には否定しますが、一旦は受け取ります」
「賢明です。それに、当時の被告人は拘束された身ではなかった。魔術陣を描く事も簡単です」
「しかし、その後、留置所には火柱の裁判においてアラクモと、恐らく死罪の確定したシズマ氏。それから、先日の裁判では私が留置所にいました。偶然、今回の被害者が引き当てたと?」
「動機からして無差別な犯行ですから。誰でも良かったと考えれば自然な事です」
穴のある主張だが、その一つ一つを潰していくには厳しいとナウアは感じた。そして、この主張に付き合う事自体が罠に違いないと判断する。
「法務官の主張では魔術陣を設置したと言いますが、その根拠はあるのですか? 魔術陣が残っている様には見えませんでした」
「消したのでしょう。空中に描くのを術式、地面や紙、平面上に描く主に円形の術式を魔術陣とした時、通常、魔術陣は使用前は魔力に満ちて輝き、使用後は描かれた場所に痕を残します。この痕を消せば、問題はありません」
「消すと言ったって、どの様にですか? 火柱の裁判では破砕の術式により魔術陣が壊れていましたが、今回はそんな様子はありませんでした」
ドリトザは破砕の魔術紋を持っていた。その為に、魔術陣の使用後、地面が抉れるような現象が起きた。
しかし、ガトレの魔術紋には術式を確認出来ていない。魔術陣に破砕の術式を組み込めば地面を抉る事は可能だが、牢内の床は削れていなかった。
その疑問に対する答えは至って単純なものであった。
「削り取ったのですよ」
「……それは、どういう」
原始的な回答にナウアは困惑する。デリラは面白がる様子を隠さずに答える。
「魔術陣の痕跡は刻まれた物体に残る。それは、魔術陣に込められた術者の魔力が、物体の持つ自然魔力を上書きしてしまう為です。つまり、この痕跡というのは魔力起因でありながら、物理的なもの。地面、床、紙、何だって構いませんが、表面を削り取れば痕跡も消す事が出来ます」
デリラは懐から一枚の厚紙を取り出し、周囲に見せつける。何やら魔術陣が描かれている。
両手で掴んだその紙をストウの方に向け、魔力を込めると陣から溢れた水が水鉄砲となってストウの頬を撃った。
それから紙の表面の魔術陣は何かに擦られる様に薄くなり、そして消える。
「これは厚さのある紙ですが、予め表面を削る術式を魔術陣に仕込んでおけば、発動後に魔術陣の痕跡を消す事だって可能ですよ。大抵のものなら目立つでしょうが、牢の岩なら一目では分かりにくいと思いますし」
確かに魔術陣の消えた厚紙は表面がボロボロになっていて、削られた事は明らかであった。しかし、硬い岩肌であればそうはならないのだろう。
「そんな手法があるのなら、魔術陣で害を為そうとする全員が使うじゃないですか!?」
「知らなければ使えません」
ナウアの指摘にデリラは尤もな反論を返す。
「であれば、被告人もその手法は知らず、利用できなかったと考えられます。それこそ、研究を行っている究謀門の方でなければ」
問題となるのは魔術陣を消し去る程の術式を知って知るか否か。ナウアはその点に焦点を当てて否定する。
しかし、デリラはナウアの考えを証拠によって棄却する。
「物理的な痕跡は消せても、魔力残渣、ああ、魔力の痕跡です。これは消せません。トレアリアが牢の中で被告人の魔力を検出しているという報告がある以上、被告人が牢の中で何らかの方法で魔力を行使したという事実は覆せませんよ」
ナウアはミルモウから事前に聞いていた話を思い出した。床に広がったイパレアの血液からは、ガトレの魔力が検出されている。デリラはそれを論拠としている。
しかし、ナウアは即座に否定する材料について思い当たった。ただ、それは英雄殺しを解決する為にナウアが考えていた説を立証できなくなる可能性にも繋がる考えであった。
「代弁士よ。法務官側の主張によれば、被告人は事前に用意した魔術陣を使って、牢の中にいた被害者を殺害したと見られている。その根拠となるのは、牢の中で検出された被告人の魔力である。これはかなり有力な主張である事。否定する材料の持ち合わせがあれば述べる事」
ナウアは顔だけ振り向き、瞑目するガトレを見る。
集中しているらしく、ガトレは一切身動きしていなかった。分担するというナウアの提案通り、ガトレはガトレの役目を負っている。
であれば、ナウアもこの先の事は一旦考えない事にした。目先に集中して、まずは乗り越えなければならないと。
「分かりました。それでは、代弁士側から法務官に、いえ、究謀門のデリラ様とピューアリア様に問います。直近で、魔力水の盗難が発生していませんか?」
ナウアにとって、それは確証のある推測であった。それは推論から導き出された逆説的な確証だ。
英雄殺しの際、ガトレに罪を被せる為にガトレの魔力水が使われたという推論。成立させる為には、犯人に魔力水を自由に使える状況が必要。故に、麒麟のアビト族であるジュナフへ魔力水の盗難を尋ねた。
「隠すつもりなら無駄ですよ。究謀門で実験中の水人形。その開発者であるジュナフ氏から事前に聞き出しています」
正確にはそれらしい反応を得ただけだが、ナウアはダメ押しも加える。
「たはは……。まあ、良いでしょう。事実として、魔力水の紛失は発生しています。盗難かは分かりませんけどね」
「そして、それは被告人のものだったのでは?」
「ええ、認めます。紛失されたとする中には、被告人、シマバキ=ガトレの魔力水もあります」
得たかった回答を耳にして、一度聞きたくないものに踏み込まずナウアは主張する事にした。
「それなら、一つの可能性が考えられます。牢の中で検出された被告人の魔力は、魔力水によるもの。魔術陣の使用が原因ではなかった可能性があります!」
「それを証明する事」
アミヤに証明を求められ、ナウアは少し考える。魔術陣の痕跡を消す事は理論上可能と説明されてしまった。それなら、別の観点が必要だ。
思い出されるのは牢の中の様子。そして、ストウの証言だ。
「牢の床に撒かれた血液は、時間が経ったにも関わらず乾き切っていませんでした。また、ストウ氏の証言から、現場で液体が使われた事は間違いありません。これらの事から、床に撒かれたのが被害者の血液だけでなく、魔力水も含まれていた為に、吸水や乾燥が遅れたのだと考えられます」
話しながらナウアは、殺害方法を考え出していた。最初は土爪魔術で魔力中枢を貫かれたと考えられ、今では水を使った魔術で貫かれたと考えられている。
牢の中に残ったのがガトレ様の魔力だけなら、犯人はガトレ様の魔力水で犯行を行った事になる。でも、魔力水をどの様に使えばそんな事が可能なのだろうか。
「ふむ。確かに、状況からその様に考える事は可能だが、しかし、代弁士の主張と証人の証言から、事件が発生したのは被告人が立ち去った後で、第一発見者のレシル氏が立ち入る前と考えられる。犯行が可能な人物は存在したのか」
「はい。他にも疑わしい人物はいたはずです」
犯行方法はわからないが、犯人の候補ならナウアにも示す事ができる。最も疑わしい最後に会った者と、第一発見者を除いて、残った犯人の候補は三人。
「事件発生前後、付近にいた空圏管の兵士がいたはずです。私はチュユン捜査士官が聞き込みをしている瞬間を目撃しました。恐らく、この法廷にも来ているのではないでしょうか?」
聞き込みをした以上は証人として召喚される可能性がある。それならとナウアは考えた。
「代弁士はこの様に言っているが、デリラ卿よ。如何か」
「ええ。呼ばれていますよ。空圏管の兵士が三名ほど。証人としては扱いにくいので、こちらから積極的に出す事は控えていましたが」
「扱いにくい?」
「話を聞けば分かります。三名とも証言台にいらしてください」
デリラが傍聴席に呼び掛けた。すると最初に一人立ち上がり、その後にもう一人が立ち上がって後ろに寄り添う様についていく。最後の一人は舞いながら二人の後を追う。
周囲に胡乱な視線を向けられながら証言台に向かうのは、ナウアが見た三名の鳥人だ。
未だ犯行方法は見えないが、ここまでの推理から、犯人はこの三人の中にいるはずだとナウアは考えていた。
ようやく引っ張り出した証人らの証言を、一言も聞き漏らすつもりはない。ナウアは両頬を叩いて気付けした。
そして、いよいよ退屈そうな表情になり始めたピューアリアにも警戒心を強める。




