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流れ魔弾と救国の英雄  作者: 天木蘭
3章:最後の裁判

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融けかけの悪感情

身体の構造上、運動機能の衰えというものがないヒト族であっても、疲れを感じている事にナウアは気づいた。


アビト族と異なり筋肉がなく、身体の器官がほぼ全て魔力で形作られているヒト族は、鍛えれば肉質が変わるという事もない。


であれば、疲労感はあくまでも精神的側面から来るものなのだろうと認識しつつ、ナウアは木製の扉にもたれ掛かる。


ナウアが今いるのはロローラの住まいと教わった建物の前であった。その扉を何度か叩いてみるものの返答は得られず、途方に暮れて立ち尽くした瞬間、急に身体が重くなったのだ。


それが何らかの魔術によるものではないというのは、すぐに分かった。魔術であれば自身の魔力に対する干渉があるはずだが、その感覚は内側から来るものであったからだ。


それから、身体を苛むのが疲労であると結論付けたは良いものの、それで身体が回復する訳でも、問題が解決する訳でもないという無力感を得る。


求めていない対価がのしかかり地面に落ちたナウアの視界に、影が生えた。


「あら、あなたは……」


聞き覚えのある声に幻聴を疑いつつも、ナウアは首だけ動かして視界を持ち上げる。


「……ロローラさん?」


困った様な様子で薄く愛嬌のある笑みを浮かべている山羊人がそこにいた。


「確か、医圏管師の……」

「ナウアです。覚えなくても良いですが」

「ああ、そう! ナウアさんね! どうしてここへ?」


ナウアが名乗るとロローラは疑問が解消した様に気持ちの良い笑顔に変わる。何かを引きずっている様子は一切見られない。


「私がここへ来た理由に心当たりはありませんか? お分かりにならないのならお答えしますが」


ナウアはそう言って扉の方に目を向ける。


「……そう。多分、サラエさんの事ね」


ナウアが視線を引き戻すと、ロローラは憐憫とも言うべき表情をしていた。


「扉を開けるわ。どうぞ中に入って」


ロローラに場所を譲り、扉が開かれる。まだ昼前にも関わらず、玄関のすぐ側は仄暗か感じられた。


疲れのせいか、何かを持っていかれそうな気がして、ナウアは一歩目を躊躇ったが、意を決して家の中へと入る。


後から入ったロローラが、扉を閉めて鍵を掛けた。振り返ると、暗くて表情の見えない影の口元から声が発される。


「サラエを呼ぶわ。座って待っていて」


影が持ち上げた腕が示す先には、蝋燭が立っていた。それが机であるという事は、その唯一の光源が示していた。


「わかりました」


ナウアが答えると、影はその場を離れて行く。ナウアはそのまま座る気にもなれず、少し室内を見回した。


どうして家の中がこんなにも暗いのかという疑問は、明かりを中心として周囲を見渡せば解決する。窓には布が掛けられて、外からの光が遮られているからだ。


何故その様な事を、とは思うが、ロローラも気丈に振る舞っているだけなのだろうか、とナウアは考え出した。それとも、客人の存在を隠す為か。


そう長い時間ではなかった。ナウアの微睡にも似た思考を床の軋む音が打ち破る。


「連れて来たわ」


暗がりから声がして、近づいて来るのがわかる。ナウアはそこでようやく、蝋燭に近づき席に着いた。


揺らめく炎に照らされて、二人の姿が浮かび上がる。ナウアは一瞬、怖気が走った。


表情のないロローラは、頭から生えている巨大で曲がった角も相待って恐ろしい化物に見えた。対してサラエは、炎の前でなお存在感が希薄で生気がなく、終のヒト族が目に見えるものであったなら、このような姿なのではないかと思われた。


二人揃って、いや、二人揃ってこそ、ナウアには目の前にいる存在が、この世のものではない様に思えた。


「それで、ご用件は? サラエを連れ戻しに来たのかしら」


席にスッと音もなく座ったロローラから、ナウアが明言しなかった来訪理由を訊ねられる。その間に、サラエもゆらりと着席していた。


「それが本題ではありませんが、頼まれたので言及はしておきます。サラエ、こんな所で何をしているの?」


黒い山羊人から話は聞いていた。それでも、ナウアは直接サラエの口から語られる言葉を聞きたかった。


しかし、サラエは顔を僅かにナウアへ向けた後、興味を失った様に机と向き合った。代わりに、ロローラが口を開く。


「サラエさんは、私とイパレアの子供を連れ去ろうとしているの」

「……ある方から、サラエは子供が産まれるのを待っていると聞きましたが。産まれる子供を連れ去ろうというのですか?」

「少し違うわ。これから産まれるのは、私とあの人、黒い山羊の人の子供。サラエさんが連れ去ろうとしているのは、既に産まれた私とイパレアの子供よ」


ナウアは自身の認識違いに気づく。悪いのは黒い山羊人の言い方だが、そういえばロローラとイパレアの子供は既に産まれているのだ。


それから再び妊娠したという可能性も無くはないが、今お世話をしているのが第一子で、イパレアは一ヶ月ほど足を欠損し療養室にいた。


「……ロローラさんは、それで良いんですか?」

「良いとか悪いとか、よく分からないわ。だって、イパレアに愛は無かった。そして、罪を負った人でもあるの。そんな人との間にできた子供を、どうすれば良いの?」


ロローラは驚くほど淡々と、感情を抑え込んでいる様な話し方だった。困惑に翻弄されるのを防ぐかの様に。


「我が子は愛しいわ。何も知らずに育てて来たこの数ヶ月間、本当に、大変で、だけど嬉しい事も沢山あった。それは、愛の結晶とも呼べる存在だったからよ。だけど、それが全て裏返ってしまって、あの人が支えてくれて、そんな状態で、私はどうすれば良いの?」


裁判から、たった一日しか経っていない。心が離れ始めていたとはいえ、夫が殺されたと知り、浮気を指摘され、実は生きていたと言われ、愛は無かったと証明された。


それらが引き起こした情緒の変動が、限界点を超えてしまったのかもしれない。だからこそ、ロローラは情報量を減らしたかったのかもしれない。それで、この部屋は完成したのではないか。


ナウアは、ロローラに掛けるべき言葉を考える事から逃げて、そう現状を分析したつもりになった。


「だから、サラエさんが急に来て、子供を引き取りたいと言って、私は反対する理由が浮かばなかったの。もう、分からないから。何も考えられないから。考えたくないから」


遠ざけたいから。

表には出てこなかったが、ナウアは脳裏に浮かんだ言葉が続く気がした。


そして、その感情を否定する気にはなれなかった。否定しなければならない。我が身の生まれを呪うナウアには、そうしなければならない理由があった。


しかし、説得できる理由がなかった。このままロローラの元にいて、その子が幸せになれる理由も見つけられなかった。


「なら、良いんじゃないでしょうか」


医圏管師でありながら、毒にも薬にもならない言葉を投げ掛けるしかできなかった。


余裕が無いからだと、自分に言い聞かせる様に言い訳をして、ナウアはサラエに向き合う。


「私はサラエの選択を止めないよ。止める資格があるのは、ロローラさんだけだから。止めることができるのは、サラエだけだけど」


ロローラが考えを改めたところで、サラエを止められるとは限らない。サラエが止まるとも思えない。今のサラエには、きっと、イパレアとの間に出来た子供しか目には映らない。


しかし、それでは困るのだ。


「だから、サラエ。今は一つだけ教えて。あなたは、イパレアの遺書を持っている?」


一切合切の都合を無視してぶつけたナウアの問いに、サラエの肩がピクリと跳ねた。

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