過程を見守る者
二人の医圏管師が消えた療養棟には、既に新しい医圏管師が配属されていた。長期滞在している患者がイパレアくらいのものだったのもあり、繁忙には見受けられず、説明を受けている医圏管師の姿が見えた。どうやら、医圏管師としても新人の様だ。
「へえ、調理室なんてあるんですね」
「私たちは料理しませんけどね。必要な時は糧圏管から料理人を呼ぶだけです」
そんな会話も漏れ聞こえてきた。
研修の邪魔まではする気になれないが、そうなると休憩に入るのを待つしか無い。今のところ、サラエの元の職場以外に頼りがない以上、穏便に済ませたいというのもあった。
しかし、時間が無いのも事実であり、受付のある一階で立ち尽くしていたナウアだったが、そこへ声を掛ける者がいた。
「見覚えがある顔だ」
ナウアが振り返ると、黒毛の山羊人が近くにいた。
「あなたは、受付の方ですね」
ナウアも名前は知らないが、療養棟へ来た際に何度か受付で見かけた事があった。ただ、それよりも何か、印象的な事があった様な気がして、それを思い出す。
「ロローラさんの、浮気相手」
思わず漏れてしまった声に気付き、ナウアは慌てて両手で口を押さえたが、山羊人の耳にはしっかり届いていた様で、バツの悪い表情を浮かべる。
「良くない知られ方ですね」
「すみません。裁判で聞いてしまったので」
ガトレがロローラの浮気相手として指摘したのは、黒い山羊人という情報だった。ナウアがそれを聞いて反射的に浮かんだのは、目の前にいる山羊人の姿であった。
「間違いではありません。罪だとも感じていませんが」
「私も糾弾するつもりはありませんよ」
他者の人間関係に口を出すほどお節介ではないとナウアは自認している。ただ、記憶の中からほんの少し顔を覗かせた過去のサラエは愛しく思えた。
「それで、どうかしましたか?」
「いえ、見掛けた顔だと思い声を掛けただけです。逆に聞きますが、どうしてここへ?」
「サラエに会いに来たのです。既に休暇に入っているのは知っていますが、誰か行き先を知っている方がいないかと探しています」
「なんだ。それなら、私が知っていますよ」
ナウアの焦燥感を知らないせいか、事も無げに山羊人はそう答えた。
「本当、いや、何故、いえ、どこにいるのですか?」
ナウアは何から聞こうか迷った末に、最も重要な点を疑問にした。
「サラエさんは、ロローラさんと共に過ごしていますよ」
そう言ってから、山羊人は表情を変える。
「とても、困っています。引き取って頂けませんか?」
諦めを孕んだ表情なのがナウアには不思議だった。困るというのはなんとなく理解できるし、ナウアはサラエの元同僚だ。引き取って欲しいと言われて、無碍に断る程の間柄ではない。
であれば、その理由がどこにあるのかと考えて、サラエにあるのだろうと理解する。
「サラエが望めば、引き取りますよ。ですが、本人が望んでいるのなら、説得する余裕が今の私にはありません」
「それでも構いませんよ。場所をお伝えします」
山羊人の表情は晴れぬまま、居住区とロローラの住まいをナウアに伝える。内容を控えてから、ナウアは訊ねる。
「ところで、サラエはどうしてロローラさんのところにいるのですか?」
傷心による休暇であれば、イパレアの事など忘れてしまいたいはずだ。関係者のところにいる必要なんてない。
そう考えたナウアに、山羊人は視線を逸らして答える。
「あの人は、ロローラさんの子供が産まれるのを待っているんです。引き取って、自分の子供とする為に」
「…………」
ナウアは何も返す言葉がなかった。
それが本当なら、サラエはイパレアの事を忘れるどころか一層の執着を帯びているではないか。あるいは、失われた自身の子供への執着なのか。
いずれにしても、ナウアには何か歪んだ情から来る行動の様に思えた。
「それでは、頼みましたよ」
山羊人は無責任に言い残して、ナウアの元から逃げる様に去って行く。
少しの間、ナウアはその場を動けなかったが、後方で研修中の医圏管師が資料を落とした音によって時間を取り戻した。
それから、深い穴倉に入って行く様な面持ちで、次の行き先へと向かい始めるのだった。




