英雄の死体
「おう? 安置室へこんなにお客様が来るとは珍しいのう」
扉の奥は正方形の個室であった。右側に長椅子が置かれ、左側に受付がある。更に奥へと道が続いており、そこには入口と似た黒い扉が設置されていた。
「観光ではありませんけど」
ナウアが端的に嗜める。受付にいたのは年老いた亀人であった。正確には、話ぶりや緩慢な動きから年老いて見えるだけであり、実際の年齢まではガトレにもわからない。
「まあまあ。こんな所じゃ、客人なんて死人くらいのもんでな」
「こんなに、と言ってましたが、他にも誰か来たのですか?」
直近であれば英雄の死体がここへ運ばれたはずだ。何か得られる情報があるかもしれない。そう考えて訊ねたガトレだったが、答えは拍子抜けするものだった。
「おうおう、サジが来ておったよ。久しぶりに話したが、楽しそうにしておったよ」
「ああ、そうですか」
衛生門の門頭であれば、ここへ来るのもおかしくはない。こんな場所に来て楽しそう、というのは気になるが。
「無駄話してる暇があったら、早く手続きを済ませたいのですけど」
「おうおう。ヒト族の若人はせっかちじゃのう」
露骨に辛辣なナウアをガトレは訝しんだ。
特段、ここまでに不快な要素はなかったはずだが。
「まあ、物言わぬ死人と仲良くやってるのが、ワシにはお似合いって事じゃろうな」
「ええ、そうですね」
「ナウア? 少し、彼に対する当たりが強くないか?」
敬老精神を持ち合わせているわけではないが、ストウに対する心労が目の前の亀人にぶつけられているのではないかと危惧して、ガトレはつい指摘する。
「すみません。色々ありまして。気になる様なら、先に中へ入る事をお勧めします」
「そうそう。色々あってな。気にせんで良いぞ、優しい若人や。……ところで、ヌシの顔に見覚えがある様な気がするのう」
「では、気にしません。ヒト族として普遍的な顔ですので、見覚えがあるのも当然でしょう。先に中へ行かせてもらいます」
英雄殺しが英雄の死体を見に来たとなれば、何かを勘繰られてしまうかもしれない。そう考えたガトレはナウアの態度に対する疑問を切り捨てて、扉の方へと向かう。
いつか、保身のせいで痛い目に遭いそうな気がするな。扉の前に立ちながら、ガトレはそう考えた。
そして、ふと後ろを振り向く。
見張りはこんな所でも来れるのだろうか。しかし、来なければならないはずだ。
そんなつもりは全くないが、俺が英雄の死体を偽装する可能性だってある。自分の死を秤に掛ければ、それくらいの事をやってもおかしくはない。
本当に、見張りなんてついているのだろうか。いっそ、ナウアが実は見張り役だったと言われた方が、まだ納得は行くが。
答えが出ない問いに悩み出したと気づいたガトレは、張り切る様にして扉を開け、暗がりに一歩、足を踏み入れるのだった。
「うぉだっ!」
床があると思って踏み抜いた場所に何もなく、ガトレが前のめりになったところで他に足がついた。
どうやら、扉の先は急に階段になっていたらしい。
細い道だが明かりもなく、壁に手を当てて降りていく必要がありそうだ。
「おう、ここに始めて来るモンには言わなきゃならなかったな。その先は階段だから気をつけるんじゃ」
「もう少し早く言って欲しかったです」
後方から聞こえた声に感謝もなく、ガトレは階段を下っていく。
事前の忠告が無ければ階段から落ちて負傷する事もあり得る。何らかの目的を持って急ぎ突破しようとすれば、恐らくはそうなるだろう。この階段は、一種の防犯的役割も兼ねているのかもしれない。
死体の運搬は大変そうだが、魔術を使えば苦でもないか。
一歩一歩、硬い感触の階段を降りていくごとに、ガトレは気温が下がっていく様な気がした。その一方で、微かだった異臭は強さを増していく。
そんなに深くまで降ったわけではない。そうガトレが感じる程度の場所に、最後と思われる色の塗られていない木製の扉があった。
これだけ扉を挟んでいるのは、この臭気を隠す為なのだろう。
ガトレは壁から手を離し、左手で鼻を摘みながら、右手で扉を押し開けた。
中に入って最初にガトレの目を惹いたのは、床に描かれた巨大な魔術陣の光だった。
魔力が込められて発動している。おおよその形から、恐らく氷系統の軍式魔術を書き換えたものだと思われた。この場に漂う冷気の原因だろうとガトレは判断する。
天井には黄晶石が見えるが、今は光を帯びていない。だが、死体を軽く確認する程度なら、魔術陣の光でも十分可能に思えた。
魔術陣が描かれた石床の上には、足つきの分厚い硝子床が作られており、二段構造になっている。
その硝子床に、無数の白い木箱が並んでいた。木箱はいずれも長方形型だが大きさは異なる。蓋が閉まっているものとないものとが存在しているようだ。
恐らく、蓋が閉まっている箱の中には、何物かの死体があるのだろう。
死んでしまえば、英雄も一兵卒と変わらない扱いか。
蓋のついた箱は五つほどあった。燃えて死体が消えてしまったノトスはいないはずだ。いずれかが英雄で、それ以外は戦死者などだろう。
ガトレは敬礼をしてから蓋に手を掛ける。箱は事前に作られているのだろうが、箱の大きさは死体に合わせられているらしい。
英雄の死体ならば、せめて大きな箱に入っているかと考えて開けると、中にいたのは熊人の死体であった。
焦げた体毛と皮膚に抉れた腹。左胸に傷は見られなかったが、雷系統の魔術などにより、体内の魔力循環器は損傷しているのだろう。
腐敗もなく、死体はまだ新しく感じられた。
これが、英雄を失った代償なのか。
自分に非は無いはずなのに、襲いくる罪悪感に押しつぶされたガトレは、頭を下げてから蓋を閉じる。
次は英雄の姿を思い出しつつ、ガトレはヒト族の大きさに近い箱の蓋を開けてみた。
そして、そこに英雄の死体はあった。
何故か、微笑んでいる。英雄の顔に浮かぶのは、苦しみではなかった。
英雄は衣服を脱がされており裸だった。生殖器が存在しないヒト族の身体は一切の凹凸がなく、死体となってなお、磨かれた金属の様に艶があった。
そんな人形の様な身体に刻まれた傷はただ一点、左胸の欠損である。ガトレの魔弾が食いちぎった英雄の左胸は、側面の皮を残して真円に近い空洞になっており、円状に箱の底も見える。
だが、ガトレにはそれが不可解に思えた。
「傷が、大きい? それに……」
ガトレの魔弾は、魔力の消費を最低限に抑えてある。弾数を減らしながら、効率よく魔弾を撃つためだ。
つまり、英雄を撃つことになったあの時も、ガトレは妖魔の左胸目掛けて魔弾を放ったのだ。効率を重視して込める魔力を調整した、細い魔弾を。
それも、斜め上に向けて。
岩壁に隠れる事を繰り返しながら行動していたガトレには、岩壁から飛び出してそのまま狙い通りに魔弾を撃つのが困難であった。
だからこそ、狙いをつけて安定した魔弾を放つ為には、射撃時に片膝を地面に着けて姿勢を制御する必要があった。
そして、片膝立ちで直立した妖魔の左胸を貫くには、射線を上げなければならなかったのだ。
となれば必然的に、上から真っ逆様に落ちてきた英雄の左胸も、その様な傷になっているはずだ。
しかし、英雄の胸に残った傷はガトレの印象よりも真円、かつ真っ直ぐに撃ち抜かれている。そこから導き出されるのは──
「俺が撃った後に、もう一度撃たれている?」
──二発目の魔弾が存在する可能性であった。




