終曲を奏でる
「初めに、現場で事件を発生させるにはいくつかの条件がありました。その中で最も重要となるのは、魔力的干渉が部屋の上下からしか与えられないという点です。四方からでは感応術式に阻害されてしまうのです」
この条件設定はナウアにとって、ガトレを守る意味でも重要な部分であった。
「つまり、外からの干渉は床か天井からしか行えない。床に大きな空洞でもない限り、天井からの干渉と考えるのが自然で、それなら内部ではなく外部からの犯行と考えるべきです」
「デリラ卿が述べた魔術陣についてはどう考える」
否定し切れなかった以上、やはり思考の拘束力を持った論であったらしい。アミヤからの指摘に、ナウアは理性的に反論する。
「やはり、不自然です。被害者は魔力循環器を貫かれて死んでいます。魔術は自動で魔力循環器を貫いてはくれません。術式に高さ、距離の情報を与えて、初めて対象を狙えるのです」
ナウアは医圏管師なので実体験としては覚えがないが、最低限の術式で組まれた軍式火柱魔術はその様な仕組みだと聞いた。
「被害者への殺意があったのなら入れられる牢を予想した事になりますし、誰でも良かったのなら自分の身長に合わせた設定ではなく、栗鼠人の身長の魔力循環器が貫かれるというのはおかしいでしょう」
ガトレの身長は一般的なヒト族と変わらない。殺すのが誰でも良いという人間であったなら、自身の身体を基準として殺害用の術式を組むだろう。
「しかし、相手は誰でも良かった。殺すつもりはなく、害を与えられれば良い。そういう考え方であれば如何か」
「逆に問います。アミヤ様は、二度の裁判を代弁士として乗り越えた被告人が、その様な動機で魔術陣を描くと思われますか?」
「……愚問であったな」
アミヤが自身の非を認める。幸いな事に、誰も名を知らず英雄殺しの汚名しか被っていなかったガトレは、二度の裁判を経て裁判における能力を認められていた。
少なくとも、無差別に他者を害する様な人間ではないとの評価を得た。裏を返せば、計画的に他者を害する能力を有すると判断されたとも言えるが、ナウアにとっては追い風だ。
「よって、魔術陣が描かれたという説は否定します。その後、被害者を除いて牢の中に魔術陣を描く機会はなかった事でしょう。仮にあったとして、都合よく被告人との面会中に発動しなかったとも思えません」
「それなら、被害者が魔術陣を描いたという可能性は残りますね」
「デリラ様は被害者が自身で描いた魔術陣を誤って発動したというのですか? だとしても、ガトレ様が犯人ではなく、事故だということになります。そもそも、被害者は両手を拘束されており、魔術陣を描く事はできなかったはずです」
デリラは緩やかに首を振って否定する。
「被告人は両手が塞がれても尾があります。器用に尻尾を使って魔術陣を描いた。もちろん、目的は脱出の為です。そして、その魔術陣を誤って発動する様に、被告人に促された。これなら殺人と言っても差し支えないでしょう」
代弁士であるナウアには思いつかなかった殺害手段だった。しかしナウアは同時に、そこまで思いつくのであれば、デリラも既に自分と同じ結論に至っているのではないかとも感じた。
「事件の発生は被告人が立ち去った後です。それに、その場合、魔術陣は被害者の魔力で発動した事になり、被告人の魔力が牢の中に残るのはおかしいはずです」
「なるほど。確かにその通り」
デリラはあっさりと引き下がる。しかし、引いた身体はすぐに戻される。
「だとすれば、魔術陣を否定した上で、被告人の魔力が牢の中に残った理由をどう説明します?」
こちらの指摘が本命であったのだろうとナウアは気づいた。しかし、その答えはもう出揃っている。
「盗まれた被告人の魔力水が、その正体です。被害者の血液は半日ほど経っても乾き切っていませんでした。魔力水による水分が蒸発を阻害したのでしょう」
最初は石材の吸水率が低い、言い換えれば水捌けが悪い環境であったとナウアは判断したが、実際には、環境の問題ではなく水分の方が過剰だったのだ。
「私が考えた殺害方法を説明します。まず、犯人は留置所の上から土爪魔術を応用し、屋上から天井に通じる小さな穴を開けたものと思われます。魔力を込める事で物体を尖らせたり変容させる魔術ですから、可能なはずです」
「異議はないですよ。土爪は俺が開発した魔術ですが、あれは魔力で岩の隙間を埋め尽くして突出させる様な仕組みですから。置き換わるみたいなもんで、込めた魔力の分、飛び出してくるわけです。飛び出す方向を上下ではなく左右に変えれば、穴を開けるだけの事も可能でしょう。まあ、使い方はどうとでもなりますけどね」
ナウアの推論はデリラの魔術論によって補強される。一つの答えに導かれていそうな気がするが、ナウアももう止まる事はできない。
「ありがとうございます。穴が小さい理由は、工作に気づかれにくくする為です。私も捜査時点では見つけられていませんので、再捜査をお願いいたします。ストウ氏の証言から、水が侵入する隙間があったのは確かです」
「私から指示を出そう」
アミヤがデュアリアを操作する。完了する前にナウアは話を続ける。
「運が良ければ留置所の屋上から、犯人の魔力が検出されるかもしれません。屋外なのと、魔力が籠った物質があるか定かでないので、確証はありませんが。それに、穴を塞がれている可能性もあります」
「まあ、塞いでいると思いますけどね。いくら小さい穴とは言っても、見つかれば証拠になってしまいますから」
デリラは当然の様に言う。証拠は見つからないと考えていたからこそ、ナウアの推論を補強までしたのかもしれない。
しかし、証拠を探している最中なら、まだ可能性は途切れていない。
「犯人は屋上から開けた穴の中に、魔力水を流し込みます。それから、その魔力水に魔力を込めて、魔術を発動させる。ストウ氏がした最初の証言の様に、水の槍で貫いたのかもしれません。こうして、外にいながら中で事件を発生させたのです」
そして、それができるのは事件が起きた時間に、留置所の付近にいた人物。ただ一人だけだ。
ナウアはその人物を指摘しようと口を開いたところで──
「異議あり」
──それを遮る声があった。
「……異議をお聞かせ頂けますか? デリラ様」
何度も異議を挟み込まれてきたが、今回の異議はナウアが結論を語るのを防ぐようなものである。ナウアは、ついてきた勢いを削がれたような気がした。
「代弁士の語った殺害方法は不可能です」
「どうして、そんな事が言えるのですか?」
「簡単な事です。凶器に魔力水を選んだからですよ」
「魔力水を選んだ事の何が問題なのですか?」
「魔力水は、魔力水だという事です」
不可解を示したのはナウアだけではなかった。デリラもその反応は予想していた様で、余裕の表情を浮かべている。
「被告人の魔力水は実験の為、術式が多重に書き込まれていました。その術式の内容は人型への復元。復元先に対となる台座を対象として指定されています。つまり、その術式を書き換える技術でもない限り、魔力水に魔力を込めても発動する術式は水人形生成の魔術になるのです」
「あっ!」
それはナウアの見落としていた点であった。
水の槍で被害者を貫いた後、その魔力水を台座へと戻し証拠を隠滅したと続けるつもりであった。しかし、その結論が先行してしまい、魔力水の特性を過程に組み込むことを失念してしまったのだ。
「で、ですが、それなら魔力水を牢の感応術式に当てたとすれば如何でしょうか! 外からでも窓から触れさせる事は可能です。それなら、魔力水をただの水にして、魔術に使う事も出来るはずです!」
「魔力水の中に組み込まれた魔術陣も魔力によって作られたもの。確かに牢の窓にぶつければ魔力が消費され、術式は破損しただの水になります。ですが、それなら最初から普通の水を使えば良いのでは?」
「うっ!」
確かにその通りだとナウアは認める。加えて、ナウア自身、反論に穴がある事を理解していた。
「それに、お忘れですか? 牢の中から検出された魔力は被告人のものだけです。普通の水を使ったのなら、犯人の魔力も現場に残るはずですよ」
ナウアの気づいていた隙もデリラはきっちりと突いてきた。いよいよ声も出ない。
魔力水が使われたのは確かだ。しかし、現場に犯人の魔力は残っていない。他にどの様な事が考えられるか。
もっと、考えるんだ。否定されはしたけど、その間違っている点だけを修正できれば、いや、何度だって修正すれば、答えに辿り着けるはず。
ナウアは推論を再構築する。最早変えることのできない部分はそのままに、変えなければいけない部分は変えていく。
そうして見えた、もう一つの真実。
それは、思っていたよりも原始的で、だからこそ、否定できる要素も少ない方法。
さっきの答えは惜しかった。そして、やはりデリラは、結論に至っている様な気がした。ナウアはその思いが拭い切れない。
デリラは味方で導いてくれているのか、あるいは、ナウアの見えていない何かを見ているのか。
それはわからないが、進むしかなかった。
「すみません。言われて思い出しました。ですが、安心してください。殺害方法は、わかりました」
「では、どうぞ、ご説明を任せますよ」
「はい。途中までは変わりません。天井に通ずる穴は開けられています。魔力水も注がれます。そこから先が異なっていたのです」
さっきは魔力水が凶器になったという説を立てて失敗した。だからこそ、魔力を残さない凶器が必要となった。
「結論から話しましょう。凶器は、嘴だったのだと思われます」
「嘴だと?」
アミヤがまさに己の嘴を打ち鳴らしながら疑問を呈する。
「以前、アビト族は身体にまとう自身の魔力を消す事が出来ると聞いた事がありました。それなら、鳥人にとって、嘴から魔力を消す事も可能なのではないですか?」
「……可否を求められれば、可能と言わざるを得ない事」
「ありがとうございます。犯人は、牢の窓から嘴を差し込み、被害者の魔力循環器を貫いたのです」
あまりにも原始的な方法だ。しかし、ヒト族には出来ない方法でもある。
普段の殴り合いですら、魔力をまとった拳で行うものだ。魔力は魔力と干渉する。魔力を纏わなければ干渉しない。アビト族の交尾について知識がなければ、思い浮かべようもない手段だ。
「し、しかし、窓から嘴を入れて、被害者の胸に届くものか?」
「たはは……。俺から言わせてもらいますと、普通には無理ですね。上面図ではわかりにくいですが、牢は半分地下に埋まっている様な状態です。被害者の身長では、跳ねてやっと顔が窓の下に届くくらいでしょう」
「ならば、被告人に翼でも生えていない限りは不可能な話だ。代弁士よ。どう説明するのか」
ナウアが結論を先に述べたのには二つの理由があった。一つ目に、凶器が嘴だという点を飲み込ませる事で、犯人が鳥人であるという印象を植え付ける事。
そして二つ目に、不可能に思える事を証明し切る事で、説得力を持たせる事だ。
「はい。説明させて頂きます」
ナウアはアミヤの問いに笑みを浮かべる事さえできた。
「魔力水が使われたのです。犯人は恐らく、水人形の台座を窓際に置いていました。すると、魔力水を部屋の中に注いだ後、魔力水はイパレアの身体に触れ、術式を発動させます。魔術は障害物を認識しません。魔力水は台座へ向かって一直線に向かうでしょう。そして、被害者の身体もその運動に巻き込まれます」
ナウアが考え抜いた凶器こそ原始的な手段だが、その過程は考えられた仕掛けであった。それも、魔力の性質に理解していなければ、思いつく事は出来ないような方法だ。
「魔力水の運動方向は台座の置かれた窓の方。斜め上方です。ただの水であれば被害者の身体の表面を流れていったかもしれませんが、今回使われたのは魔力水です。作者によれば、術式は誰の魔力でも発動出来るのだとか。つまりは、被害者の魔力にも干渉して被害者を窓近くまで運んで行った事でしょう。魔力水は被害者の上半身に集中し、顔を覆い声も上げられなかったものと思われます」
全てが突然の事であったのなら、悲鳴や動揺する声の一つをストウが聞いていても不思議ではない。しかし、ストウを信じるのであれば、証言には声についての言及がなかった。
「窓に魔力水や被害者の肉体が触れた瞬間、電撃が発生します。ここで被害者が意識を失った可能性もあります。いずれにせよ、被害者の魔力も奪われていき無防備になったところを、犯人は嘴で貫いたのです」
「ひ、ひどい暴論ですわ!」
誰もがナウアの話を聞くままでいたが、いよいよ声を挙げる者が現れた。
「鳥人の嘴を飾りとでも思ってるんですわ! 嘴だって痛みを感じますわ! 電撃だって痛いのに耐えられませんわ!」
「耐えられはするでしょう。死ぬほどの電撃を受けるのでは、囚人を牢の中に置く事すら出来ません。それに、犯人が普段から言葉少なであったなら、痛み等の影響も気づかれないでしょうね」
もしかすると、口内に火傷の痕があるかもしれない。電撃は身体の中に影響を与える。それが無いのであれば。
「また、電撃を受けない事もできます。被害者が魔力欠乏を起こすまで待つ事です。魔力水は最初に被害者の魔力で術式を発動させています。一方で窓は被害者の身体で塞がれ、全ての魔力水が窓に触れることは敵わず台座に向かい続けますから、被害者が窓際に磔となった瞬間も訪れるはずです」
そこを嘴で貫けば、窓には一切魔力を通さず、嘴だけが通る事も可能だ。
「そこからは先は想像が出来る事。犯人が台座の位置を動かせば、魔力水も合わせて動く。回収できた魔力水は戻り、感応術式に触れた魔力水は牢の中に残ったという事」
「その通りです。その際に磔から解き放たれた被害者も床に倒れ込んだのでしょう。同じく留置所の中にいたストウ氏が聞いた音とも一致します。回収し切れなかった魔力水は、被害者から得た魔力を失った後、床に落ちて被告人の魔力を伴い血に混じったと考えられます」
こうして、ガトレ様の魔力だけが現場に残ってしまった。犯人は、自身の魔力をほとんど使わずに犯行を成立させてしまったのだ。
突発的な犯行ではない。計画的な犯行だ。だけど、それはきっと、他に考えた人がいたのだ。
ナウアの中では、実行犯と立案者が分かれていた。まだ、立案者については不透明な部分も多いが。
「異議あり。果たして、そんなに都合良く進むものですかね。被害者だって多少は抵抗するでしょう? 頭も回る様でしたから、暴れるなり、それこそ犯人と同じ様に身体の魔力を消して水を受け流す事も出来たのでは?」
デリラが冷静な立ち位置から反論を述べるが、ナウアには援護射撃にすら思えた。
「いいえ。被害者は抵抗出来なかったはずです」
「何故です?」
「動機が口封じだと考える事が出来る為です。脱走に失敗した以上、間諜から口封じされる可能性は考慮していたでしょう。被告人に遺書の事を伝えた事からもそう考えられます。だったら、自分が抵抗する事で家族に危険が及ぶかもしれないと思い、犯人の指示には全て従った可能性まであります」
デリラ様はガトレ様がイパレアを誘導して、魔術陣を誤発させた可能性を提示した。だけど、イパレアがガトレ様の指示に従う理由はない。
イパレアが指示に従う理由があるとすれば、家族の為、間諜からの指示だったからだ。
「さて、代弁士よ。貴公は犯人が鳥人であると可能性を指摘した。そして、現場付近にいた鳥人は三人。犯人だと思うものを示す事」
未だ伏せられ続けた犯人の名前。クロウは顔を下に向け、スワローテは拳を震わせ、マイズは目を閉じている。
今回の推論は鳥人であれば誰にでも出来るというものでない。牢の壁は決して薄くない。つまりは、窓を挟んだ被告人までの距離も同じ事だ。
その上で、実行可能なのは。
「マイズ=ノレハさん。代弁士側は、貴方を本事件の犯人として告発します!」
鶴という鳥の特性を引継ぎ細く長い嘴を持った鳥人。寡黙で言葉を踊りに託す得意な人物だ。
「舞台は用意しました。好きなだけ踊ってもらいましょうか。歌い手は不肖ながら私が務めます」
ナウアの目はピューアリアから外れて、マイズの方を向いていた。マイズも閉じていた目を開き、それを真っ向から受け止める。
「歌詞だけならば不要だ。時に踊りはそれ単体で物語を奏でるのだから」
マイズは大きく翼を広げると、爪同士を合わせ擦って乾いた音を打ち鳴らした。