第34話 即席浴場は大わらわ
半年ぶりです。お待たせしました。
大泣きした山城さんは泣き腫らした真っ赤な目をしていたが、それでも恥ずかしさよりは気分がすっきりした比率の方が多いんだろう。さっきよりは落ち着いている。
「瞼、冷やした方がいいよ」
絞った濡れタオルを瞼にのせてベンチに寝そべっている山城さんの近くにいる。
「……氷、作れるといいですね」
「うん?そうだね。楽になると思うよ」
「ちょっとやってみます」
ベンチからよいしょと起きて、袖を捲った腕の内側に括り付けてあった15cm程度の木の杖で地面を引っかく。
ベースは円。そこに三角、四角や記号などを配置していくようだ。
「水で、次に風?ううん、多分これで大丈夫なはず。発動できますか?」
「それが、私には発動するのは難しいかもしれない。口で説明するよりやってみせよう」
陣に触れながら魔力を送るわけだが、指先まではすんなり流れるのに指先から流し込む段になると抵抗が異様に強い。歩行に例えるなら、陸上を歩いていたら途中から股下まで浸水したレベルの歩きにくさ。
昔、水槽内で水深、水流の強さを変えて体験する実験があったのでやったが、ありゃ疲れるなんてもんじゃない。
結局、小さな陣1つに魔力を流すだけで肩で息するほど疲弊した。心臓破りとか冗談じゃないぞ。
「こうなるから、人を介して、流した方が、効率的な訳で」
「ものすごく分かりました!どうすればいいですか?」
「じゃあ、手を出してくれるかい?よし、流すよ」
「ええと…はい、来ました!いきます。…うわ、早い」
人を媒介させた方が伝導性がいいってのも困ったもんだ。魔法陣に魔力を流して氷が生成されていくのを目を輝かせて見ている山城さんをよそに、複雑な気分を飲み下した。
15分で掌一杯分の小さなキューブアイスを生成して冷気を堪能していたところへ、ブレザーを着て赤毛を逆立たせた若い男が大股で近づいてきた。顔立ちはまあ二枚目だろう。全身から噴き出す尊大さと目の下にある隈さえなければ。
「山城、さっさと来い。追加訓練するぞ。…誰だ、そいつ」
藤堂という男が来た時にさっと目を伏せていた山城さんだが、声をかけられたら顔が強張っているし震えだしている。嫌な兆候だ。
「丸橋だ、よろしく。君は?」
「藤堂。山城、来い。お前が鈍くさいから俺の足を引っ張っているんだ。その分挽回しないといけないだろ。ほら早く」
肩に手をかけて無理矢理にでも引き摺って行きそうな雰囲気だったので、お節介かもしれないけど制止した。
「藤堂くん、ちょっと待った」
「待たない。こいつがノロいせいで俺が迷惑してるんだ」
「君の都合はわかったよ。でも山城さんの都合は聞いたかい?それに彼女の体調はどうかな?」
「は?そんなのいいに決まってるだろ。第一、何で関係ないアンタが首を突っ込んでくるんだよ?」
これである。気の短い奴なら既に拳が出ているし、気の長い方でも苛立つもんだ。
「一応、これでも年長者だからね。それはそうと、君達の技能には必ず【リターン】が入っているよね?何回対策しないで死んだの?」
かっと顔を赤く染めた藤堂くんが腰に佩いた剣を抜こうとしたが、先に間合いを詰めて剣の柄頭を押し込む。藤堂くんは目を白黒させた後に躍起になって剣を抜こうとして、発想の逆転で鞘の方から抜こうと左手に力をかけた。
ついでにもっと剣を押し込みながら左足を踵から優しく払うと、「あっ」という短い悲鳴を上げて藤堂くんは左に体を傾けながら地面に倒れた。こっちを見上げる顔はもはやどす黒い。
たまたまそこへ、胸甲とヘルメットを身に着けた衛兵が現れ藤堂くんへ言伝を伝えたので、これ幸いと山城さんと逃げてきた。…でもさっきの衛兵、見たことない顔だけど新人さんかな?
さっきの藤堂くん封殺のタネ明かしはこうだ。
親戚に俺を可愛がってくれた居合道の師範がいる。その人が冠婚葬祭や年末年始などで顔を合わせた時や家にお邪魔した時に教えてくれた事の1つに、「居合いのカウンター」があった。
今思うと何てもの教えてくれたんだと思うが、裏のない人だし、確か息子さんが遠くにいてなかなか会えないとかで年齢の近い俺と息子さんを重ねていたのかもしれないと周囲から聞いたら、怒る気持ちも萎んだ。
話を元に戻そう。「居合いのカウンター」は2つ。財布なんかの金目の物を投げて逃げるか、逆に間合いへ入って刀を押さえるなり何なりして相手へ仕掛けるか。
財布を相手の顔めがけて投げれば、一瞬でも飛来物へ視線を合わせたり顔を守ろうと払いのけるか背けるかする。その隙に逃げるわけだ。
間合いの内側に入る。こちらの方は難易度が高い上に、タイミングが合わなかったら攻撃されてしまう。
リスキーだったが、仕方なかった。
後ろを歩いているアイザックへ山城さんが興奮覚めやらぬ状態で話しかけているのをそれとなく聞き耳立てながら隣のカムデンに説明すると理解したらしい。
「なるほど、度胸があるね」
「それでも一番いいのは自衛、危ないところは行かないってこと」
「確かに一番だ」
「あー!お兄さんやっと見つけた!」
角を曲がったところで、向こうから全力疾走してくるのは昨日も会ったリュートだ。肩で息しながら俺の手をぐいぐい引いてどこかへ連れて行こうとする。
「1日探し回ってたんですよ!早く来て!僕たちじゃ捌ききれなくて」
「待って待って、一体何の話?」
「何って、お兄さんご指名のお客さん達だけど」
聞いたがきょとんとした顔で首を傾げられ、ますます俺の頭は混乱してくる。ご指名?何で?
「リュート、いらん誤解を招きそうだからせめて歩きながらでも説明してくれるよな?」
「ああ!ようやく来てくれたね、あんた!」
昨日通った道の角1つ手前で暗い表情の女将さんがそわそわしていたが、俺達を見てぱっと顔が明るくなった。
「女将さん、リュートくんからの説明でもさっぱり理解できなかったので、詳しい説明をお願いします」
「おやまあ、どこからどこまでが理解できなかったんだい?」
「全部です。何であんなに人が集まるんですか?」
酒場の周辺は黒山の人だかり。ついでに小さいけど馬車もあるけど、危なくないんだろうか。
「そりゃあんた、皆あんたの知恵が欲しいからだよ」
…………「俺は某百科事典じゃない!!」と怒らなかったが、せめて協力してもらいましょう?
そう思ってにっこり笑いかけた女将さんの顔が若干引きつった。
昨日も世話になった古着屋で古着を人数分、併設されている古道具屋で古びてはいるが頑丈な風呂桶に手桶、使い古した切れていないロープが数十巻き、どっかから来た板塀の残骸と柳の籠を山盛り、トドメに大工道具を購入。
そして薬局で髪洗い用の石鹸を大量購入。…念を入れて、お酢も買おう。
「丸橋さん、こんなに色々買って何をする気ですか?」
両腕でロープ数巻きを抱えた山城さんが声をかけてきた。
「楽しい肉体労働だよ。それと、山城さんは人前に出るのは得意?苦手なら裏方って選択肢もあるから無理はしないでね」
「ええと、が、がんばります…」
うん、無理させないで裏方の軽作業に回そう。
酒場の近くの廃屋を使用する許可を得て、まずは中の設備を確認。
この廃屋、元の店舗部分と思しき区画は間口が小さく、奥へと続く細長く狭い通路が1本。
通路の左側にほぼ同じ構造の小部屋が7部屋。
通路の最奥は煉瓦塀でぐるりを囲まれた裏庭へと続き、塀にある小さな木戸から廃屋脇を通って正面まで戻って来られる。
造りとしては京都の町屋を彷彿とさせるが、あまりの狭さに騎士は絶対嫌がるだろうなと思っていたら案の定だった。こんな狭くちゃ剣なんて振れないもんな。
一番手前の区画、厨房の中にあった井戸はまだ生きていた。おまけに手押しポンプまで付いていたのはありがたい。
物珍しさからか、手押しポンプをぎこぎこ漕いで出てきた水にはしゃいでいる山城さんの隣で、外側に水漏れやひび割れがないか見ようとポンプ本体に手をかけたが、意外なものを目にする羽目になった。
ポンプ本体がフレームのみになり、内部機構も丸見え、おまけに内部に刻まれた陣も発見できた。
しかし発見した陣は妙な出来だ。ある部分はよく出来ているのに、別の部分は杜撰もいいところ。文字の綴り間違いに魔力の流し方にも無駄がある。
「丸橋さん、怖い顔してますけど、このポンプ何かあるんですか?」
「うん。今書くからちょっと紙とペンを」
書き写しながら神経が研がれささくれ苛立つ。
誰が作ったかは知らないけど馬鹿じゃないか。構想はいいのに無駄が多すぎる。
書き写した魔方陣を見せると山城さんも「うわぁ」と顔をしかめた。
「ひどい。ひどすぎて見てられないです。どうせ改造するならこれもいじっちゃいましょう。ここのラインとここを書き換えると水質や水量が変わるみたいですし」
「分かった。山城さんのやりたいようにしていいよ」
「やった!」
ご機嫌になった山城さんがポンプの内側の陣に触れずに書き換え、ついでに竈まで散々いじくり倒した事を知ったのはこの即席浴場騒ぎが一段落した頃だった。
今回改造した廃屋は、即席だが風呂にする事にした。
一番手前が脱衣所。服を入れた籠を持って小部屋5部屋を奥へ奥へと進んでいく。一番庭に近い最奥で服を着て、裏庭の木戸から脇の通路を通って表へ戻ってくる構造だ。
板塀の残骸で床に敷くすのこ、長さを合わせる為に切り飛ばした木端に縄を巻いてボディブラシの代用。
経費ケチってはいないけど、ナイロンタワシがあれば楽なんだけどなあ。
木端に縄を巻き、縄の端を結び留めて切っては次の木端を掴んでいる俺の周囲には、こちらもせっせとボディブラシ擬きを作っているリュートとエリスに飲み屋の女将さん、後は運悪く捕まった常連さんも3人。
「何で俺達まで…」と恨めしそうな顔をされたが、「全部終わったら奢りますよ」の一言でころりと機嫌が直った。
1つ仕上げる間に2つか3つは俺が作るので「あんた速いねえ」と女将さんに言われたので「ありがとうございます」と答えたが、本題はデカい。未経験者に仕事を教えるのはいつでも大変だ。
即席浴場は開場早々に大混雑した。
何しろ来る人来る人、全員の垢やフケがすごいので最初のうちは説明しながら洗っていたが、途中から説明に割く余裕がなくなり、ひたすら髪や体を洗って泡まみれにして隣の部屋に送ることにした。1つの部屋で洗って流すよりも、隣に送った方が効率がいいからな。
最後のお客が捌けた後、よろよろしながら酒場に入ってぬるいエールを一口だけ飲んだ筈だが、気付いたらバラン家の部屋で午後3時の鐘をぼうっと聞いていた。背伸びをしたら全身の骨がボキボキ鳴り、腕や腰、足にも筋肉痛がある。
即席浴場が終わった後日、山城さんからは「台湾シャンプーみたいだったね」と言われて首を傾げたが、説明を聞いて納得した。確かに似てる。
「汲み上げポンプと竈弄りまくって楽しかった?」
「凄く!」




