5.決別
「はっ」
辺りを見渡す。
過呼吸寸前の自分の呼吸音と心音が聞こえる。
「・・・・・ここは?」
なぜ、私は生きているのだろう?助かったのか?いや、そんなはずがない。
私は確かに死んだ。意識が、遠ざかる。心音が弱くなっていく。どんどん、体が冷えていく。死を確信した。
「どうして、私はここに戻って来たの?」
懐かしいこの狭くて古い部屋は子供の頃私が住んでいた場所だ。
「・・・・・夢?それともここが天国なの?」
取り敢えず起きてみることにした。
「えっ、どういうこと?」
部屋にある古びた姿見に映ったのは一八歳の大人になった自分でも、実験のせいでズタボロになった自分の姿でもない。子供の自分だった。
「アリステア、いつまで寝ているの?早く起きて手伝いなさい」
手伝う?今のは間違いなく母の声だ。
取り敢えず下に行くと、そこには着古した服を着た母がいた。その姿はまるで平民のようだ。
「いつまでもボーっとしてないで早くご飯食べて仕事を手伝ってよ。あんたの食い扶持を稼ぐのに母さんがどれだけ苦労しているか分かる?分かっているなら少しは母さんを助けなさい」
母さん?お母様じゃなくて?この人も死んだの?もしそうなら、ここは天国じゃない。だって、この人が天国に行けるわけない。
私を見捨てた人、私を戦場に送った人。この人にとって私は娘だけど、娘じゃなかった。
あなたにとっての私は何?ねぇ、母さん。どうして私を産んだの?
「ちょっと、いつまでボーっとしているの?母さんの話しを聞いてた?」
「・・・・うん」
状況がよく分からない。でも、取り敢えず言われた通り用意された食事を口に運ぶ。
懐かしい素朴な味。死んでも、お腹って空くんだ。
「母さん、先に行くからね。あんたも食べたらさっさと来なさいよ。いい、無駄飯ぐらいなんて家には必要ないんだからね。ご飯を食べたいならその分、働きなさい」
貴族の婦人になった母が働くことはなかった。それでも毎日、豪華な食事を摂って、高価な宝石やドレスを買い漁っていた。
「母さん、私って何歳だっけ?」
「は?何?寝ぼけんての?十二歳でしょう。バカな質問してないで早く食べてっ!」
「・・・・・はい」
私、本当に死んだの?状況がまるで分からない。
死ぬ前の記憶があるので私にとっては随分前のことになるので朧げな記憶を辿りながら取り敢えず一日過ごすことにした。
「あんた、今日は本当にどうしたの?手際悪すぎ」と母には怒られてしまったけど。仕方がない。仕事内容も手際も殆ど覚えていなかったのだから。それだけ貴族として生きた時間が長かったのだ。
そこまで考えて自嘲してしまった。
「貴族扱いどころか人扱いすらされない人生だったわね」
「さっさと食べて寝なさい。明日も同じ感じだと許さないからね。いい、うちには穀潰しを置いておく余裕はないの。ご飯にありつきたかったら役に立ちなさい」
そう言って母は私の前で硬いパンと味の薄いスープを口に運ぶ。昔はこれが当たり前の食事だった。貴族になってから。この人の食事は比べ物にならないぐらい豪華になったけど、その反面私の食事は今の方がマシな程粗末で質の悪いものだった。
「ねぇ、聞いてるの?あんた、今日は変よ」
この人は私を見捨てたんだ。
私が王宮で何をされていたのか知ってたんだろうか?私が地獄にいる間、子爵夫人として裕福な生活を堪能していたのだろうか?
自分の息子が娘の殺害に手を貸していたと知ったらどうするのだろうか?私の死を悲しんでくれたのだろうか?
それとも邪魔者がいなくなったと喜んだのだろうか?
貴族の血を引かない、前夫の娘、必要のない存在
「母さん、出かけるから。あんたは早く寝なさいよ」
「どこに行くの?」
「どこだっていいでしょう。子供には関係のないことよ」
ああ、あの男に会いに行くのね。ローティス子爵
「分かった」と言うだけ。寝たふりをして、出かける母の後をついて行った。平民が絶対に買うことができない高級な布で誂えたドレスを着て、高価な宝石を身につけ、それをローブで隠した母は迎えに来た馬車に乗り込んで行った。
だからどこに行ったかは分からない。でも子爵に会うのだからきっと高級なレストランで食事でもするのだろう。娘は硬いパンと具のない薄いスープしか口にできないので常にお腹が空いている状態なのに。
「身につけている宝石のどれか一つでも売ったら一年は遊んで暮らせるだけの生活ができるだろうに」
まぁ、自分のものを娘のために売るような人ではないということだろう。彼女は子爵から支援をされているから本当の意味で生活に困っていないのだから。ただ、愛人という不安定な立場だから念の為働いてるということか。
「馬鹿らしい、寝よ」
起きたら、十八歳に戻っているのだろうか?今、私はとても長い夢を見ているだけなのだろうか?その答えは明日になれば分かるだろう。
***
「・・・・夢じゃない」
起きたらそこはやはり懐かしい平民の時に暮らしていた部屋で、私は幼い姿をしていた。数日、普段通りに過ごしてみたけど十八歳に戻ることはなかった。
ならば、十八年生きたという事実が夢なのだろうか?と思いそうになったけどすぐに否定した。
魔力を魔石に入れている時のあの魔力が枯渇する感覚、そして何より実験台にされた時に味わった苦痛は今でもはっきり覚えている。そのことを考えるだけで体は震え、吐き気がおさまらなくなるのだ。これが夢であるはずがない。
ならばいい加減に事実を認めるべきだろう。理由も理屈も分からない。でも私は過去に戻ったのだ。
「なら、これはチャンスね」
もう誰かに踏み躙られる人生なんて御免だ。私の人生は私が守り抜く。
「今日から私たちは貴族になるのよ」
やって来た運命の日、ここからだ。私の人生が地獄に変わったのは。
「感謝しなさいよ、アリステラ。格式高い貴族様だから本来ならあんたは連れていけないの。でも、私がお願いしたから特別にあんたも貴族に名前を連ねることができるんだから」
感謝?するわけないでしょ。
「私は行かない」
「は?」
全く予想だにしていなかった言葉に母は怪訝な顔をする。そうでしょうね。だって、記憶がなかったらついていく以外の選択なんてなかったもの。
「せっかく貴族になれるチャンスなのよ?あんたにはこのチャンスが見えないの?」
私は貴族扱いされなかった。お義兄様だって、半分は平民の血を引いているからって馬鹿にされていたわ。私たちは受け入れられないのよ。
「平民が貴族になれるわけがない」
「普通ならね。でも。母さんがその普通ではない機会を作ってあげたのよ」
「貴族は私たちを受け入れないわ。一生馬鹿にされる人生を送ることになる」
「そんなの分からないじゃないっ!私は日陰ものみたいな人生は嫌よ」
「愛人になんかなるからでしょっ!後ろ指さされる人生が嫌なら、もっと真っ当な付き合いをすれば良かったのよ」
そこまで言って私は母に頬を叩かれた。きっと痛いのだろう。でも、実験台にされてから味わった苦痛の方が何百倍も酷かった。だから痛みなんて感じなかった。
「私が、どんな思いだったかなんて知らないで」
知らない。知るわけがない。あなただって知らなかったでしょう。知ろうとしなかったでしょう。自分の娘がどんな思いで生きていたかなんて。自分のことしか考えてなかったあなたにとっては瑣末な事だったのだろう。だから痩せ細り、傷だらけでうずくまる娘の姿から目を逸らし続けた。
「死んでこい」と戦場に送られる娘の姿でさえあなたの目には映らなかった。
「興味ないわ、母さんがどんな思いで生きてきたかなんて」
お互い様ね。
「とにかく、私は行かない。行くのなら一人で行って」
「あんた、人生舐めてんじゃないわよ。子供が一人で生きていけると思ってんの?」
あんな人生をもう一度送るぐらいなら死んだ方がマシよ。
「前妻を追い出した、卑しい女の娘と無関係な私まで後ろ指を刺されながら送る人生よりマシだとは思ってる」
母は再び私を叩こうと手を振り上げた。図星を指されて逆ギレするなんて本当に恥ずかしい人。
二度も叩かれてあげるつもりはないので私は振り上げた母の手を掴み、身体強化で握力を上げた上で握り締めた。
「痛いっ」と叫び、顔を歪める母に私は失笑した。この程度で「痛い」なんて。
「私は行かない」
再度、戦場で習得した殺気を放って言うと母は「ひっ」と喉を鳴らして怯えた。すぐにそんな自分を恥じるてキッと私を睨みつけた。
「もういいわ、母さん一人で行く。勝手にしなさい。助けないからね、後になって私を訪ねてきても」
そんなことするわけがない。
「分かった。じゃあ、もう今日から私たちは他人だね。さようなら、母さん」
私は少ない荷物を持って家を出た。振り返らなかったから、母さんがどんな表情で私を見送っていたかは分からない。でも、きっと平気だろう。母さんにとって私は必要のない存在だろうから。




