2.ヴィクトリア
「王宮においで」
「えっ」
戦争が落ち着き、いつもの日常が待っている。また魔石に魔力をこめるだけの孤独な日々が。そう思っていた矢先、殿下に声をかけられた。
「君の魔力は王宮にいてこそ役に立つ。私には君が必要なんだ」
「私が、必要?」
「ああ」
「本当ですか?必要なんですか?」
「当たり前だろ」
ああ、私を必要としてくれる人間はこの世界にいてくれたんだ。
殿下に誘われて王宮に行くことが決まると「よくやった」と父が褒めてくれた。
「お前を育ててやった甲斐があった。子爵家である我が家が王宮と関係を持てるなんて、これ以上ない幸運だ」
「ええ、本当だわ。あなたを産んで良かった。王宮でしっかりやるのよ」
母もいつになく嬉しそうだ。
みんなが喜んでくれている。私の存在を認めてくれている。殿下と出会ったことで全てが好転していく。何もかも殿下のおかげだ。殿下に会えて良かった。
「行って参ります」
殿下が用意してくれた迎えの馬車に乗って私は王宮へ行った。今日から王宮で寝泊まりするように言われている。
私は馬車に乗る前に自分が今まで過ごしてきた屋敷を振り返る。
大きく聳え立つその姿は一生出ることの叶わない牢獄のようだった。そこから出て初めて、私は息ができたような不思議な感覚に陥った。
もしかしたら、出ようと行動に移せばいつでも出られたのかもしれない。ただ自分が勝手に諦めていただけで。そう思うと涙が込み上げてくる。
「どうかされましたか?」
「・・・・いいえ、何でもありません」
殿下に言われて、迎えに来てくれた騎士の方に気づかれないよう私はそっと涙を拭った。
「では、行きましょう」
「はい」
今、ここから始まるんだ。私の人生が。私だけの人生が。
そして私は希望を胸に王宮へ赴いた。この先に地獄が待っているなんて思いもせず。
「ここが王宮」
元平民が貴族の令嬢になれるだけでもあり得ないことなのに、まさか殿下の目に止まり、更には王宮で暮らせるようになるなんて。
「初めまして、アリステアさん」
王宮に着くとすぐ、騎士から格式高さを体現したかのような女性に引き継がれ、思わず身構えてしまった。でも、それは間違いではなかった。
私は元平民だけど、今は一応アリステア・ローティス子爵令嬢だ。その私を家名ではなくファーストネームで呼ぶことは「身の程を弁えて、今すぐ王宮から出て行け」と言っているのだ。
「私は王宮の侍女を統括しています。侍女長のコンスタシア・クリスティーヌ伯爵夫人です。伯爵夫人と呼びなさい」
王宮で働いている時は身分に関わらず、使用人扱いになるので身分ではなく役職で呼ぶと家庭教師に習った。
元平民でも子爵家の養女になるから恥をかかせるなとお義父様から家庭教師をつけられていたので最低限の宮廷マナーは分かる。
ここは指摘すべきだろうか?
でも、初日で揉めて殿下に迷惑をかけてしまったら?ここを追い出されたらまた屋敷に戻されてしまう。
「やっぱりダメな子だったな」と失望されて、魔石に魔力を込めるだけの日々を過ごすことになるのは嫌だ。せっかく、私の存在を認めてもらえたのに、ここからが第一歩なのに。
「そこで何をしているの、侍女長」
鈴を鳴らすような声に視線を向けると絵本から出てきたお姫様のような人がそこにいた。
「これはヴィクトリア王女殿下」
コンタスタシアが礼を取ったので私もそれに倣う。
ヴィクトリア王女殿下は確か、ラトゥーム王国の姫君だったはず。隣国との戦争に敗れ、国自体は滅亡したけど王女だけはここナハトに亡命してきたのだ。
彼女の母親、つまりラトゥーム国の王妃はイヴァン殿下の母君、ベアトリス王妃の友人で、イヴァン殿下とも幼馴染だったと聞いたことがある。
お義兄様が「顔しか取り柄のない、お姫様気分が抜けない間抜けだ」と嘲笑していたのを覚えている。
「その人はだぁ~れ?」
歯に奥歯が詰まったような、幼さを残したかのような話し方をされるのだな。彼女の容姿だけを見ればその話し方は似合っている。でも、彼女は気品ある王女、そして私の情報が間違っていなければ御年二十四歳という見方をすると場違いというか、「年齢を考えろよ」と言われてもおかしくはない。
「アリステアさんです。イヴァン殿下の命令で本日より王宮に住まうことになりました。アリステアさん、こちらはヴィクトリア王女殿下であらせられます。ご挨拶を。できますよね?」
「分不相応にも貴族の名を連ねているのだから」という副音声が聞こえるのは私の心が歪んでいるからなのだろうか。とりあえず、言われた通りにしておこう。
「アリステア・ローティスと言います。この度、魔力量の高さを殿下に買っていただき、仕えることになりました」
「・・・・アリステア・ローティス・・・・・アリステアさん、アリステアさん、ああっ!」
私の名前を繰り返したかと思うと両手をパンっと合わせて「思い出したわ」と花が綻ぶような笑顔を見せた。
それだけですれ違った男性の文官は見惚れていた。私も思わず見惚れてしまうところだった。
「お友達に聞いたことがあるわ。確か子爵の後妻の連れ子よね」
間違ってはいないけど、廊下のど真ん中で、大きな声で言うことではないと思う。侍女や周囲にいる人の反応を見るに、身分に対するこだわりが強いのが分かる。
きっと生まれながらの王女様だからそういうのに鈍感なのね。
「すごいなぁと思っていたのよ、あなたたちのこと」
「王女殿下が、私たちのことを、ですか?」
「ええっ!だって、あなたも、あなたのお母様も平民だったのでしょう。本来なら貴族とは無縁の生活だったと聞くわ。それなのに子爵と出会って、恋に落ちて、平民から貴族になるなてまるで物語のようで胸踊ったわ」
「・・・・・そうですか」
そんなに美しいものではないけど。
「平民だから王宮のことで分からないことが多いでしょうから気兼ねなく何でも聞いてね」
「ありがとうございます」
「フフッ、何だか妹ができたみたいで嬉しいわ」
「光栄です」
多分、社交辞令だろう。
***
「先ほどの皇女殿下の御言葉ですが、間に受けないでくださいね」
王女と別れ、用意された部屋に案内された途端、侍女長が釘を刺してきた。
「平民ごときが高貴なお方と関係を築けるなど馬鹿な妄想はしないように」
「はい」
大人しくしておこう。私は殿下に必要とされて来たのだから。余計な波風を立てて殿下の迷惑をかけるわけにはいかない。
そう、思っていたのに・・・・・。
「いらっしゃい、アリステアさん」
「・・・・・お招きありがとうございます、殿下」
イヴァン殿下から執務室に来るよう命令を受けているのは三日後だ。それまでは王宮の暮らしに慣れるよう言われている。その間に王女からお茶会に招待された。
貴族が、それも力のない子爵家の令嬢が断れることではない。
「どうぞ、お掛けになって」
「失礼します」
お茶会には王女だけではない、他の令嬢も参加していた。
「殿下、その方が?」
「ええ、イヴァン様が招いたそうなのよ」
まぁ、王太子殿下が。失礼ですが、どこの令嬢ですの?あまり見かけたことがないのですが」
社交界に姿を見せない田舎者と遠回しに、馬鹿にしているのだろう。貴族の言い回しは一言一言に何かが込められているから疲れる。
「アリステア・ローティスと言います」
「ああ、ローティス子爵の。子爵令嬢が王太子殿下に声をかけていただけるなんて、あなたは幸運に恵まれましたわね」
にっこりとその令嬢は私に微笑む。言葉一つ一つに棘を入れながら。私はそれに気づかないふりをして笑顔を返す。
早く終われと心の中で思いながら。
「どのようにして出会われたのですか?」
「・・・・・先の戦争で、徴兵令に従い、そこで私の魔力量の多さが殿下の・・・・・あの、どうかされましたか?」
なぜか、どの令嬢も顔を青ざめさせている。それだけではない。明確に私から距離を取ろうとしているのだ。なぜ?
「戦場に、お出になっていたのですか?」
令嬢を代表するように王女が聞いてくる。
「はい」と答えるとなぜか悲鳴が上がった。何?
「なんて恐ろしい」
「令嬢としてあるまじき行為だわ」
「いくら田舎者でも野蛮すぎますわ」
何?どうして非難されなくてはいけないの?
脳裏には「死にたくない」「痛い、嫌だ」と「帰りたい」と言って死んでいった戦友たちの姿が浮かんだ。
命をかけて祖国のために尽くしたのに安全な場所でお茶を飲んでいただけのお嬢様方に非難されることなの?
「徴兵令は国が出したものです。私はその指示に従っただけです。王命に従うことに何の問題があるのでしょう?」
不敬ではないかと言葉の裏に隠して言うとさすがに令嬢たちは黙った。しかし、それで黙らないのが王女様だった。
「普通はね、傭兵を雇うものなのよ。まぁ、騎士団所属の《《令息》》は出陣されるけど。名誉なことだわ。でも、令嬢は守られてこそなの。ここで殿方の無事を祈り、殿方の帰りを待つのが令嬢のすべきこと。殿方に混ざり、武器を振り回すのは、はしたない行為よ」
王女様は自分の国のために戦ったものたちですらも貶していることに気づいているのだろうか?
戦場がどんな場所かも知らないのに。
湧き上がる怒りを私はグッと堪えた。ここでは大人しく、目立たないようにしなくてはいけない。私が一番弱い立場だから。
「ローティス子爵家は傭兵を雇わず、令嬢であるあなたに行かせたのね。子息もいるのに」
「・・・・・っ」
「可哀想に。いくら、あなたが後妻の連れ子で、元平民だからってひどすぎるわ」
「・・・・・平民」
「えっ、平民なのですか?」
「平民が高貴な私たちのお茶会に参加していたの?」
ああ、王女様以外私の出自を知らなかったのか。
「皆さん、落ち着いてください。《《元》》ですよ」
「ですが、王女殿下。我々のように青き血が一滴も流れていないのは事実です。なるほど、子爵も戦場に行かせるわけです。平民は平民らしく、大人しく戦場で死んでいればいいものを」
「まぁ、なんてことを言うの」
王女殿下が庇ってくださり、その場を収めたのでことなきを得たがそうでなければあの後、どうなっていたのだろうか?
そう考えると体が震えた。
「今日は私のせいで、ごめんなさいね。皆さんがあのような酷い言葉をかけるなんて夢にも思わなかったわ。余計なことを言ってしまいました」
「いいえ、殿下のせいではありません。あの、殿下、平民は、生きることすら許されないのですか?」
部屋まで送ると言った王女に私は思わず問いかけてしまった。
「そのようなこと、ありませんわ。平民には平民の、貴族には貴族の役割があるの。どちらが欠けては国として成り立たない。ただ、そのことを知らぬ者が多いだけ。恥ずかしいことにね」
私はこの時、王女の言葉の真意に気づけなかった。そういう積み重ねが破滅の一歩へと近づいていく結果になったのだろう。




