1.嫌悪
「きゃあっ!誰かぁっ!誰か来てっ!アリステアさんが毒を、毒を飲んだわっ!」
違う。
私は見た。毒を飲んで倒れる瞬間の、この女の喜色を。
私は聞いた。
「大丈夫よ。あなたが死んでも悲しむ人間は一人もいないから。あなたがいなくなっても誰も困らないから心配しないで」
そう言った女の言葉を。
「王女殿下、どうされましたっ」
「イヴァン様のお傍にはいられないって、そう言って毒を飲んだの」
女は部屋に入って来た騎士にそう説明した。
本当は違うのに、私は毒を飲まされたのだ。この女に。
でも、否定するための言葉が出てこない。
喉をやられている。
『あなたが死んでも悲しむ人間は一人もいないから』
この女の言うことは正しい。
「ああ、アリステア、なんて愚かなことを」と、言いながら跪くのは私の義兄だ。私の死を嘆いているように見えるけど、口元が笑っている。
あなたも関与しているのね。私はずっとあなたのために生きて来たのに。
私の意思ではなかったけど、それでもあなたのために生きたことに変わりはない。その結果がこの仕打ちなの?
「・・・・・・に」
何のために・・・・・何のために私は生まれて来たのだろう。
***
私の名前はアリステア
「今日から私たちは貴族になるのよ」
そう喜んでいるのは私の母、エルビラだ。父は大店の商人だったけど一年前、行商中に事故に遭い亡くなった。エルビラとの婚姻に元々反対だった父側の親族は私たち親子をすぐに追い出した。
エルビラも「お前たちのような薄情者、こっちからごめんよ」と啖呵を切って縁を切った。
「感謝しなさいよ、アリステラ。格式高い貴族様だから本来ならあんたは連れていけないの。でも、私がお願いしたから特別にあんたも貴族に名前を連ねることができるんだから」
まさか父が死んで一年後には次を見つけるなんて思いもしなかった。それも貴族だなんて、平民の私たちには荷が重すぎないだろうか。
「貴族様って、本気なの?母さん、騙されてるんじゃないの?」
「そんなわけないでしょっ!それに向こうは奥様と離婚したし、奥様との間には子供もいないらしいわ」
・・・・・それってつまり、浮気してたってこと?奥さんがいる相手と付き合って、母さんが原因で離婚?全然大丈夫じゃない気がする。こっちに慰謝料請求とか来たりしないのかな?
「それに、旦那様との間には子供がいるの」
「は?嘘でしょう?妊娠してたの?いつ?」
「あんたが生まれる前よ。夫にバレないようにするために嘘までついて一年近く家を空けたの。バレるんじゃないかとヒヤヒヤしてたけど、産んだ甲斐はあったみたいね」
おかげで貴族になれると母さんは喜んでいた。
「・・・・・何歳なの?」
「あんたより一歳上だから十三歳よ」
喜んで荷造りする母を見て、私は嫌悪感でいっぱいだった。きっと父さん側の親戚は母さんの本性を見抜いていたんだろう。そりゃあ、追い出されるよね。
あの人たちが薄情なんじゃない。母さんが最低なだけだ。そして、生きるためにそんな母さんについていかなければならない私もきっと最低な存在なんだろう。
***
「アリステア、魔石に込める魔力をわざと少なくしただろう」
そう言って義兄であるエリシュアは私の頬を叩く。倒れた私の髪を掴んで持ち上げ、何度も叩く。周囲には人がいる。でも、止める者はいない。これがこの屋敷での日常だ。
母さんが再婚してから一年が過ぎた。最初の半年はまだ平穏だった。お母様もお義父様も私には無関心で、空気のような存在のように扱われても。平民の子供でお義父様とは血が繋がっていないからと使用人に軽んじられようと、お義兄様にイタズラをされようと。
それでも今よりかは平穏だったと言える。その平穏が崩れたのは半年後の魔力測定が行われた時だ。
子供は成長期ゆえに魔力が不安定だからと十四歳になってから測定が行われる。
魔力含有量の多さは貴族の証だ。でも、お義兄様には魔力がなかった。平民と同じように。
そして、なぜか貴族の血を引いていない私の魔力量は測定器が壊れるほど多かった。
平民の血が流れていることに陰口を言われているのか、そこにコンプレックスを持っているお義兄様としては許されることではなかった。それはもちろん、お義父様たちも同じだった。
だって、私はこの家で唯一家族ではない。部外者に該当するから。
だからお義父様たちはその場にいた者たちを口止めした。そしてその日から私の地獄が始まったのだ。
まず私は大量の魔石に魔力を込める作業をする。魔力が空になるまで。
魔力が空になると目眩、吐き気、頭痛がする。そして倒れても誰も助けてはくれない。この屋敷で私は魔石に魔力を込めるただの道具だ。
「エリシュア、どうかしたのか?」
怒るお義兄様の声を聞きつけたお義父様に頬を打たれ、倒れている私には一瞥もせずやって来る。
「お父様、アリステアが魔石に魔力を少なめに込めたのです。今日は王太子殿下と狩を一緒にする日だったのに。おかげで恥をかきました」
「なんだと」
魔力がないお義兄様は魔石に込めた私の魔力を使って魔法を使用しているように見せているのだ。
「違います、お義父様。私はちゃんと魔力を込めました」
「じゃあ、どうして途中で魔法が使えなくなったんだよっ!」
「それは」
それは、魔石に入っている魔力量のことを考えずに魔法を使ったからだろう。と、喉まで出かけたけど口にはしなかった。きっと、言ったところで「俺が悪いって言うのか」と激昂され、暴力を振るわれる時間が長くなるだけだ。
「アリステア、反省部屋に行きなさい」
「っ」
お義兄様は満足げに笑い、逆に私の体と顔は強張る。
反省部屋は私のためだけにある部屋だ。
誰もが好きに私をそこへ閉じ込められる。そして、好きにできるのだ。
そこで私を鞭で打っても、殴っても、ただ閉じ込めるだけでもいい。そこに入れられるようなことをした私が悪いのだ。
「暫く、反省してろ」
一秒が、一分が、とてつもなく長く感じる時間が終わった。冷たい床には私の血が付着し、私はそこに横たわる。
もう指一本動かすことができない。
「・・・・して」
どうして、私を引き取ったの?
どうして、私をこの屋敷に連れて来たの?
邪魔なら、無関心なら最初から捨てれば良かったのに。
子供が一人で生き残れるほど世の中は甘くない。だからついて来た。死にたくはなかったから。
でも、まさか貴族になったスラムの子供のように腹を空かせる日々を送ることになるとは思わなかった。
まさか、死にたくなくて貴族の養女になった私が死ぬことを望むようになるとは思わなかった。
「アリステア、あなたって本当にダメな子ね」
頭上から聞こえる声に視線だけを向けると母が反省部屋に来ていた。
・・・・・・助けて。
声は出なかった。でも、何とか口だけは動かすことができた。
けど、母には届かなかった。
「これ、今日のノルマ分よ」
そう言って母は魔石が入った木箱を私の前に置く。
「これ以上、私の足を引っ張らないで。誰のお陰で今、生きていると思っているの?」
死んだ方がマシだ。
「私のお陰で貴族になれたのよ。その恩を返しなさい」
貴族になんてなりたくはなかった。
「・・・・・れか」
母は出て行き、閉じかけた扉から見える木漏れ日に手を伸ばす。
誰か助けてくれという想いを込めて。
けれど、扉は無情に閉じられ、私は暗く冷たい部屋の中で声と心を殺して涙を流すしかなかった。
何のために、私は生まれたのだろう。
何のために、私は生きているのだろう。
この先もずっとこんな人生が続くのだろうか。
「・・・・・・れか、誰か・・・・・・助けて」
助けてくれる人なんてどこにもいなかった。
そんなことを繰り返す内に私自身、助けを求めるということを意図的に忘れていった。
救いはない。絶対に。だから望まなくなったのだ。
だけど、神様は本当にこの世にいるんだという出来事が起こった。
それは戦争が始まり、貴族の義務として出兵命令が出たことがきっかけだった。私は当然、生贄のように差し出された。
私の魔力量の多さは戦場において様々な場面で役に立った。そのお陰で殿下の目に留まることができた。
「君のように優秀な人材が側にいてくれると嬉しい」
嬉しかった。私自身を見てくれているのだと感じて。そんな人は今までいなかったから。




