#72 姉妹喧嘩—弐—
三十年前、橘家の長男である橘凛とその夫人の間に双子の姉妹が生まれた。双子の姉には『麻里香』、妹には『由里香』と名付けられ、二人は元気にすくすくと育っていった。
二人が小学校に入学すると、父である凛により英才教育が始められた。勉強塾にバイオリン、水泳、空手、新体操。他にも様々なスポーツや稽古事に取り組んだ。そのやり方は、名のある専属の指導者を家に出向かせたり、集団の習い場に行かせたりとその技を習得するためにより適した形で。橘の人間たるもの賢く、逞しく。それが凛の考え方であった。
小学二年生にもなると、二人の出来不出来が顕著になってきた。姉である麻里香は頭の回転が速く、学問を次々に吸収していった。妹である由里香は麻里香ほど勉強はできなかったが、そこそこの成績を収めていた。
芸能やスポーツに関しては、麻里香も由里香もあまり興味を示さなくなってしまっていた。ただ、不思議なことに二人とも空手だけは楽しく続けることができていた。
凛は、勉強塾と空手以外の習い事をすぐに辞めさせた。勉学はともかくとして、他のやりたくないことを続けさせていても、あまり効果はない。それに有限である時間を分散させるより、一つの物事、この二人で言えば空手に集中させた方が人間としてもはるかに成長する。凛はそう考えていたし、何より子供の意思を尊重したかった。
小学三年生になると、麻里香と由里香は空手のあまたの大会で一位、二位を取り争うほどになっていた。それは彼女らが成長して中学生になっても変わらず。空手界の人々は麻里香と由里香のことを神童とすら呼ぶようになっていた。
そして由里香と麻里香が中学三年生となった夏——
「せええええい!!」
麻里香と由里香が通う、街の空手道場。鮮やかなステップを踏んだ少女から華麗な蹴り技が繰り出される。そしてそのしなやかな足は、相手の少女の側頭部で寸止めされた。
「一本!」
コーチから発せられたポイントコールとほぼ同時に、ブーブーと試合終了のブザーが鳴り響く。
「試合終了、勝者由里香」
「いえい!」
試合終了とともにヘッドガードを外した由里香は、満面の笑みで右手を天高く突き上げた。
「いやあ、さすがユリだわー。全然かなわんよ」
「そんなことないよ。やっちゃんもすごく上達してる! ポイント取れたのギリギリだったもん」
「そんなん言ってー、ほんとはちょっと手加減してたんじゃないのー?」
練習試合の相手、由里香の仲良しの友達でもある阿久津八重に意地悪そうに問い詰められる。
「違う違う。そんなことないよー」
「わかってる。わかってる。ほんとユリは可愛いやっちゃなー。よしよししちゃう」
たじろぐ由里香の頭を、八重はにししと笑いながら撫で回した。
「次! 麻里香。由里香と試合だ」
コーチの呼びかけで、競技場の隅で体育座りをしていた麻里香が立ち上がった。
「よし、やるよ! お姉ちゃん!」
競技場内のど真ん中、由里香は麻里香に向かってガッツポーズをしてみせた。
「うん。この試合、私が勝つ」
ギラついた目を由里香へと向ける麻里香がゆっくりと歩いて競技場に入ってくる。
二人は向き合い、コーチの「始め」の合図とともに腕を構えながらステップを踏み始めた。
「すごい気迫だなー二人とも」
競技場外で二人の試合を見る八重が、同道場生の窪田凪沙に話しかけた。
「そら当たり前よー。もうすぐ都大会やもん。気合いも入るわー」
凪沙は関西弁風の喋りで八重に答えた。
「そかー。でも、二人なら楽勝で全国に進めるっしょー」
「まあそうかもやけど……やっぱ二人が目指してんのは一位やもん。勝ち進んで行けば必然的に自分の姉妹にぶち当たる。一番近くにいる存在で一番の強敵。熱くなるのも当然よ」
「確かに……家族だけには負けたくないけど、それが一番の強敵ってのも難儀ねー」
「せやせや。特にマリの方は最近戦績が落ちてきてる。それでさらに躍起になってるんかもなー。姉として妹に負けるってんもプライドが許さないんやろなー」
「姉って言っても、先に出てきたってだけで二人は双子だろー?」
「それでも『姉』という肩書きには抗えんのや」
「そーゆーもんなのか」
「そーゆーもんや。っとほら、試合が動いたで」
凪沙が言うと同時に「有効」と言うコーチからのコールがかかる。由里香から麻里香への鮮やかな突き攻撃が決まったのだ。
空手の組み手は、「有効」、「技あり」、「一本」の三種の得点基準があり、それによってポイントが加算されていく。そして試合時間である二分の間でより多くのポイントを獲得していた方が勝者となる。
今、由里香の技は有効と判定されたため、一ポイントの獲得となった。
「おおー、一瞬の隙をついての先制ポイント。見事だな」
「ユリは野生の動きと言うか、直感的に瞬時に攻撃する感じがすごいわ。考えるよりも体が先に動いてる」
「でもマリも食らいついて行ってる。今までの経験から次の動きを予測して攻撃を繰り出してる。ほら」
由里香が突きを繰り出した瞬間、麻里香は一歩引き下がると、すかさず由里香の腰部にカウンターの蹴り技を放った。
「技あり!」
「きた! マリ! いいぞー!!」
麻里香に二ポイントが入る。
「ちょっとやっちゃん! 私への応援はー?」
「おうおう、ユリも頑張れー!」
「なーんか適当だなー」
試合は進んでいき、最終的には三ポイント対四ポイントで麻里香の勝利となった。
「二人ともお疲れさん」
競技場に入ってきた凪沙から由里香と麻里香に、ペットボトルが渡される。
「ありがとーナギ」
由里香が水を飲んでいると、麻里香が腰を小突いてきた。
「ちょっと由里香。手加減してたんじゃないでしょうね」
「ええ? 手加減なんてしてないよ」
「……動きが悪かった」
「うーん、ちょっと疲れてたかな」
由里香は困ったように笑ってみせた。それがさらに麻里香の気に触ったようで、さらに麻里香の口調は強くなる。
「次は絶対に手加減ないでよね!」
麻里香はそう言い残すと、更衣室へと去って行ってしまった。
「ちょーっと最近、ユリへの当たりがきついなー」
八重が由里香の隣で腰を曲げながら口を窄ませる。
「まあ、しゃあないんやないの? 思うように動けへんくて焦ってるんやろ」
凪沙がそう言いながら由里香の肩に腕をかけた。
「うーん。前みたいに楽しく試合ができるといいんだけどなぁ」
「ユリは純粋で良い子やね。その心意気、絶対に忘れたらあかんで」
凪沙に頬ムニムニと摘まれ、「ふぁい」と由里香が腑抜けた返事をした。
「私らも負けてらんない。今年は絶対に全国に行くんだから!」
「せやな! まだまだ特訓や。やっちん、自主練するで。秘密の特訓や」
そして、都大会当日。鍛え抜いた中学生たちによる激しい戦いが繰り広げられた。
結果、八重と凪沙は惜しくも予選敗退。決勝まで勝ち進んだ由里香は、他道場の選手と当たり見事勝利を収める。一方、麻里香は準決勝で敗れてしまい、決勝で妹である由里香との対戦は敵わず。三位決定戦にてぎりぎりの勝利を掴みとった。
よって、由里香と麻里香は中学生空手全国大会へと駒を進めることになった。




