下
あれから3日が経った。
二人は昼夜を惜しまずに、かね子の姉を探し回った。しかし、どこを探してもよね子はいなかった。ごくたまに、
「北の方で見たかもしれないねえ」
という情報はあったのだけど、結局、まだ見つかっていなかった。
「あああ、どうしましょう! 今日見つからなかったら」
かね子が自転車のかごでもだえている。
「見つからなかったら、どうなるの?」
小津はその理由をいまだに知らなかった。お人好しにもほどがあるというものだ。
「大変なことが起こるわ。そんなことになったら世も終わりよ。絶対にイヤ!」
しかしかね子の執念が実ったのか、有力な情報を得た。それを元に、二人はあるところへ自転車をかっとばした。
小さな町を越えて、塗装道路からいつしかまた砂利道となった。そして着いたのは見渡す限りの草原だった。情報ではここにかね子に似たキジトラの猫がいるというのだ。かね子もここに姉がいるような気がした。
かね子は自転車を降り、走り出した。
「姉さま! 姉さま! どこなのー」
小津も自転車を置いて、背の低い草の間を見て周る。情報の通り、そこは猫がたくさんいた。そしてハタと目が合ったのが、かね子と同じような模様の可愛らしい猫だった。
「あ」
と言った時には、その猫はダーっと向こうへ駆け出していた。
「かね子さん! あの猫!」
小津が叫ぶと、かね子はすぐにそちらに駆けだした。
「姉さま! 姉さま! こらっ、よね子おおー!」
四足の動物が走るとあんなにも速いのかと、小津が面食らうほどに、2匹は速かった。
逃げていたはずの猫は、“よね子”と呼ばれた途端に、踵を返しかね子の方へと突進してきたのだ。猛スピードで2匹が近づく。
ぶつかると思ったその時、2匹は同時に猫パンチを繰り出した。
「よね子って呼ぶなあ!」
「逃げるなって言ってんでしょ!」
「なによお!」
すごい修羅場だった。
彼女たちは目にも止まらないほどの猫パンチと言葉の応酬を繰り広げている。このままでは一方が死んでしまうのではないかというほどだ。
「ちょっと! まった、待った!」
そこに果敢にも間に入ったのは小津だった。
「痛い、痛っ、痛い痛い痛い! ストップ、スト―――――プ!」
小津は両手で猫たちの首根っこをなんとか引っ掴み、顔の前にぶら下げた。それでも猫たちはまだパンチをしようともがいている。
「よね子って呼ぶなって言ってんでしょ! バカ妹」
「だって、逃げるんだからしょうがないじゃない、よねよね、よね子」
「当たり前でしょ! かね子とは一緒にいたくないんだから!」
「だからって猫になって逃げることないじゃない! 急がなないと私たち、」
「猫になって、ってどういうこと?」
もがきながらも舌戦を繰り広げる猫たちに、小津が割り込んだ。
小津の目の前で、小津に首根っこを持ち上げられた状態の猫たちは小津の顔の方へとくるりと向き直った。
「今日で私たち、化け猫になっちゃうって言ってんの」かね子が答えた。
「化け猫?」
「そうよ、猫は100年生きると尻尾が二つになってしまうのよ」
「知らないわよ! だったら、かね子ひとりで人間に戻れば良いじゃないの」
「違うわっ、姉さまが勝手に変な魔法使いに猫にされちゃったから、私まで巻き添え食ったのよ!? 二人一緒じゃなきゃ人間に戻れないって、言われたのよ!」
「誰によ!?」
「魔法使いよ!」
「どこのよ!?」
「前に会ったヤツよ!」
「誰なのよ!」
小津そっちのけでかね子とよね子のケンカは続いた。
二人のケンカを呆れ顔で見ていた小津は、さすがに腕が疲れてきたため、二人を地面に下ろした。
草の上に降り立った2匹は、睨み合ったまま口だけを動かしている。
しばらく舌戦を繰り広げた2匹は、ハタと気づき、そして小津を見た。
「だったら二人揃ってんるんだから、人間に戻してもらいなさいよ。そこの魔法使いに!」
姉猫が叫んだ。
そこの魔法使いというのは、小津のことだ。
「そ、そうね」
「でも、私は猫のままがいいわ。人間に戻すのはかね子だけよ」
「いいわよ! さ、小津、私を人間に戻しなさい」
「え」
いきなり話しをふられて、小津は戸惑った。
「それって、かね子さんが昔、魔法使いに猫にされたのを、今、人間に戻すのを俺がやるってこと?」
「そうよ。アナタちゃんと話し聞いてた? これだけ状況説明してあげてるんだから、ちゃんと把握しなさいよ」
小津は今までの口げんかが状況説明だとは思わなかった。
そして重大な問題がある。小津にはそんな魔法ができるはずがない。自分の使い魔も召喚できないのだ。変化の魔法など高等魔法ができたら苦労しない。
「わかりました。じゃあ」
小津はとりあえず、魔法陣を描くことにした。その間に、術が失敗しても怒られないような言いわけを考えていた。
魔法陣を描くと、小津は言った。
「では、かね子さん、ここに来て」
「下手くそな魔法陣ね。あの辺歪んでるけど、大丈夫なの?」
「はあ、まあ。あ、そこで良いよ。そこに立っててね」
術など発動するはずがないのだ。歪んでいようが線が足りてなかろうが関係ない。しかし小津はとりあえず人間に戻す魔法をする姿勢を見せていた。
「念のため聞くけど、お姉さんは良いんですね?」
「私は猫のままで結構。見ててあげるからちゃっちゃとやってちょうだい」
さすが双子。言葉づかいも似ている。
「では、やります」
小津は杖を振り上げ、言葉を発しようとして、また手を下ろした。
「もう一度聞くけど、人間に戻すんだよね?」
「そうよ! 早くしてちょうだいったら」
「だって、かね子さん100歳なんでしょ?」
「そ、そうよ」
「人間に戻ったら、しわしわのお婆さんってことだよね?」
「う・・・」
「それか、人間の形をしている妖怪か」
「そこまで言う?」
かね子は小津を睨んだ。しかしそうだ。かね子は齢100歳。人間に戻ったらあのころの姿ではない。
「今のままだったら、可愛い猫さんで通るのに、よぼよぼのお婆さんになりたいのか」
小津が追い打ちをかける。
「いいわよね、かね子。あなた、よぼよぼのしわくちゃ婆さんになりたいんでしょ? 私はこのまま可愛い猫でいるけどね」
横からよね子が茶々を入れる。
「そ・・・うーん」
「じゃ、そういうことで」
小津がまた杖を振り上げ、何かを言おうとした時、
「ちょっと待って、やっぱやめる!」
かね子が叫んだ。
小津は心中ホッとしながら、そしてどこかニヤリとして、かね子を見た。
「やめる?」
「やめるわ。だって、婆さんだなんて」
「良いの?」
その時、よね子が声を上げた。
「かね子ちゃん! 尻尾!」
かね子が振り返ると、彼女のすんなりと伸びた美しい尻尾が今まさに二つに分離するところだった。
「いやあああああ!」
「ぎゃあっ、私も!?」
見ればよね子の尻尾も二つに分かれていた。
これが100歳の猫の姿だ。かね子が恐れていた、世の終わり。猫又の完成だ。
猫又の姿になったかね子は短い手で頭を隠すように突っ伏して泣いていた。
「かね子さん」小津はおろおろと声をかけた。「あの。俺、それくっつけようか?」
それ、とは二つに分かれた尻尾のことだろう。
ガバっとかね子が顔を上げた。
「できるの!?」
「はあ、まあ」
人間に戻す魔法から比べたら屁のようなものだ。
「じゃあ私もやってちょうだい」
よね子がかね子のそばにやってきた。
「なによ、姉さまは私と一緒にいるのがイヤなんでしょ? 来ないでよ!」
「そっちこそ、私のおめざ、食べちゃったくせに!」
「違うって言ってんでしょ!あの時は、女中が間違えたのよ? 私のせいじゃないわ」
「でも食べちゃったんじゃない」
「だからって、猫になって逃げることないでしょ!」
「だいたいあなたが・・・」
2匹が言い合いをしていると、いつのまにか二人の尻尾は元の形に戻っていた。それは小津が彼女たちに気づかれないうちに魔法陣を描き、魔法を発動していたからだ。
「かね子さん、これ、よね子さんにあげてよ」
小津が小さなチーズのかけらをかね子に見せると、かね子は毛を逆立てた。
「なんで姉さまに!いやよ!」
「かね子さんのはここにあるから。ね、これをあげて、仲直りしなよ」
小津は二人の言い合いで分かった、ケンカの原因となった“おめざ”の代わりに、チーズで仲直りしてもらおうと思ったのだ。
自分の分もちゃんとあると聞いて、かね子は渋々よね子にチーズをあげることを承知した。
「姉さま、これ、お詫びのしるし」
「なによ、これ」
よね子はその小さな白い塊を見て鼻を鳴らした。しかしその塊からは美味しいとわかる香りが漂っている。
よね子は好奇心を持ってその塊を口に入れた。決して妹の謝罪を受け入れたわけではなかった。しかし、口に入れた時にその思いはなくなった。
美味しかったのだ。
「うわあ、ちょっとコレ、なんなの?美味しいわ」
「まあね。姉さま、それはチーズという食べ物よ。小津が特別に私のために用意してくれたものをあげたんだから、よく味わってよね」
かね子は得意げに説明をした。
「わかったわ、かね子。おめざのことは水に流してあげる。それに、あなたの魔法使いが尻尾も付けてくれたし、これで帳消しね」
「ええ」
小津は2匹のやり取りを見て、生ぬるい顔をして微笑んでいた。
「あなたの使い魔になる気はないけど、良いわよ、一緒にいてあげるわ」
2匹はなぜか小津に懐いてしまった。
こうして使い魔を召喚することに失敗した小津は、魔法の練習をしながら、2匹の生意気なお姫様と一緒に旅を続けることとなったのだった。