第三十九話 体育祭だよドリームナイツ!
今回はロボ戦がありません
ちょっと矛盾があるように見えますが、気にしないでください
ドン、ドドドドン!
蒼穹に五度の爆発音が響いた。
五段雷と言われる、音だけの花火だ。
一般的に何らかの行事を行う、という合図に用いられる。遠足の朝、運動会の朝。待ちきれなく早起きしていると、よく聞ける音だ。
「わ。」
美咲がベッドから飛び起きた。
パジャマのままトタトタ階下に降りていく。台所に向かう途中でエプロンを装着し、スキップするように駆けていく。
「おべんと♪ おべんと♪」
炊飯器いっぱいの炊きたてご飯はおにぎりに。色鮮やかな卵焼きや揚げた香りがたまらない唐揚げ。次々に大きな重箱を埋めていく。ミニトマトやブロッコリーで彩りと栄養バランスを添えるのも忘れない。
重箱三段重ねは小柄な少女一人には多すぎる量だが、
「喜んでくれるかな。」
嬉しそうに料理をする姿を見れば誰かのために作っているのは容易に想像できる。まぁ、その「誰か」が一人だけじゃなさそうなのが、重箱の大きさでこれまた容易に想像できるのだが。
一通り重箱が埋まると、美咲は再び二階へ上がろうとして、途中で思い直してバスルームへと向かう。水音がしばし聞こえたかと思うとバスタオルを身体に巻いただけの姿で階段を駆け上がっていく。
彼女をよく知る者がこの光景を見たら――見ることはあり得ないだろうが――女の子としての慎みを若干でも憶えたことに驚いたかもしれない。そんなごく僅かな変化ではあるが、美咲も変わりつつあった。……バスタオル一枚でたとえにするのも心苦しいが。
程なく、ジャージ姿で降りてくる。忘れ物がないかを全身見渡してから、蒸気が収まるまで置いていた重箱の蓋をして風呂敷に包む。
風呂敷包みを手に美咲が朝の街を駆けると、少しして一件の家の前で立ち止まった。
ガチャ。
インターフォンを鳴らす前に内側からドアが開く。
「よぉ。」
「隼人くん、おはよう!」
美咲が笑顔を浮かべると、隼人がどこか眩しそうに「お、おう。」と目をそらす。幸せそうに微笑む美咲だが、手の中の荷物に気づいて、はい、と差し出す。
「あ、そだ。これ、和美ちゃんに。」
「和美に?」
手渡されたのが中身の入った重箱というのは分かるが、何となく中身が少ないような気がする。
まぁいいか、と内心首を傾げつつ玄関を開けようとする前に、再度内側からドアが開く。
「はいは~い、これはこちらで受け取るから、隼人ちゃんは逢瀬を重ねててね。」
ひょい、とスカイハンターが顔を出して、隼人の手から重箱を受け取ると、何かから逃げるように――具体的には隼人の怒りだが――家の奥へと戻る。
言葉の意味が分からない美咲に対して、実は文系の成績がいい隼人が何か言いかけるが、無駄なエネルギーの消費と思って面倒くさそうに首を振る。
「ほら行くよ、隼人くん。」
少女としては全く自然に隼人の手を取るが、暖かさと柔らかさにドギマギしながらも顔に出さないよう努力する。
「そんなに急いでもな……」
とはいえ、その小さな手を振り払えないのが微妙なところである。
引っ張り、引っ張られながら二人はいつもの通学路を歩くのであった。
と、場所は変わって大神家。
「お兄ちゃんたち、もう行ったんだ。」
「早すぎよね~ もう子供みたい。」
スカイハンターの茶化すような口調に、強く否定できないのか乾いた笑いしかでない。
美咲はともかく、彼女の兄の隼人も「勝負事」には血が騒ぐらしい。結構早い時間から美咲が来るのを玄関で待っていたくらいだ。
「さ~て、和美。」
スカイハンターが背中に回していた重箱を取り出す。
「美咲が作った今日のお・べ・ん・と・うなんだけどぉ、」
今日の予定では、開会式が終わったあたりで和美が重箱を持って行くので、まだ時間に余裕がある。
「あれ?」
受け取った重箱は思ったよりも軽いような気がする。疑問符を浮かべる和美の手を引いて、台所まで導く。
なんか嫌な予感がする。
セットした記憶もない炊飯器が今まさに炊きあがる寸前で、何故か卵と鶏肉が出してある。
「え~と……」
一度重箱を置いて、包んでいる風呂敷をほどく。三段重ねの下の段がおにぎりで、上の段がおかずのようだ。
「…………」
真ん中の箱はほとんど空っぽだった。
「……どこから始めたらいいかな?」
「お、やる気ね~」
和美は美咲から料理を習っている。普段は甘いくらいに優しい美咲だが、こと料理となるとなかなか厳しい。結構な無茶ぶりをされるが、まさか本人がいないところで来るとは思わなかった。
「たぶん作らなきゃならないのが、おにぎりと鶏の唐揚げ、それに卵焼き、ってとこかな?」
「一応作り方は習ってるんでしょ?」
「う、うん……」
さすがに不安だ。
おにぎりはともかく、卵焼きは火を、唐揚げなら更に油を使う。
禁止されているわけじゃないが、一度ボヤ騒ぎを起こしかけた身としては火を使うのは緊張する。
振り返る。
「ん? どうしたの?」
スカイハンターの鋼の顔からは表情が伺えないが、おそらくはそのためにいてくれているのだろう。
よし。やったろうじゃん。
「ねぇ、ただ作るだけじゃ勝負にならないよね? 何かいい方法ないかな?」
「お、やる気だねぇ~」
それなら、と新しい材料を取り出す。
「おにぎりは俵おにぎりにするかな? 卵焼きは伊達巻き風にして、唐揚げは米粉を使って食感を変えてみましょう。」
「あたしにできるかな?」
まだ不安げな和美にスカイハンターがチッチッチと指を振る。
「料理は思い切りよ。それに美咲はできないことは求めないわよ。」
そう言われたらそうかも知れない。
腕まくりをして手を洗い、準備を始める。
順番を考えると鶏肉から。縮むことも考えて大きめに切ったもも肉に醤油・酒・塩こしょうに少量の水を加えて揉み込む。下味をつけている間に卵焼きに取りかかる。
小鉢に一個ずつ割って確認してから、砂糖やみりん、だし汁を加え、はんぺんを千切ってミキサーに。なめらかになったところで漉して卵焼き器へ。ゆっくり火を通して、焼けた卵を丸めてラップでくるんで冷ます。
ご飯をボウルにいれて塩をふる。ざっくりまぜてから熱いのをこらえて俵型に。三角おにぎりがまだ苦手な和美にはありがたい。
(手の大きさは同じなんだけどなぁ。)
師匠の美咲とは身長がほぼ同じなので、手の大きさもそんなに変わらない。でも美咲が握ると、実に軽やかにきれいな三角おにぎりになる。魔法みたいで不思議だと思う。
味がしみた鶏肉に米粉をまぶしていく。また少し置いて馴染ませてから、高温の油に少しずつ落としていく。
結構な量を作りたいから一気に入れたい気持ちを抑えて、少しずつ油の温度が下がらないように、お互いくっつかないように揚げる。
きつね色の揚げ色がついたところでバットで油を切る。
「あら、おいし♪」
「あ~ あたしもまだ味見してないのに!」
先につまみ食いされてスカイハンターにめっと怒るが、意に介した様子もない。ところでハンターチームが物を食べられるか、という疑問だが、間諜である以上、毒を判別するための味覚はある、ということだ。でも食事の必要が無いため、食卓を囲むことはない。ただ、このようなつまみ食いのシーンを何度か見かけたのだが、実際に食べているところを見たことないのでどうやって食べているかは未だに不明である。
あら熱をとってから重箱に詰め込んで、風呂敷で包み直して完成だ。
「いってきま~す!」
手を振るスカイハンターに見送られて、重箱を手にした和美が家を出る。
急ぐ訳じゃないが、何となく小走りになってしまう。自分もどこかウキウキしているに違いない。
と、
「え? 何々お弁当?」
「いいねぇ、俺たち腹減ってるのよ。」
「俺たちと一緒にお出かけする?」
ガラの悪いのに絡まれかける。
まだ遠くから声をかけられただけだが、よほど暇なのか、こちらに近づいてくる。
運の悪いことに人通りが全くなく、刺激しないように走り抜けたいが、なんかタイミングが悪そうだ。
大声を出そうか、一応は持ってる防犯ベルを鳴らそうか。でも防犯ベルを鳴らすためには重箱を地面に置かないと駄目だし、なんて思っていると、聞き慣れた声が背後から聞こえてきた。
「参ったな。また格好いいところを見せなきゃならないじゃないか。」
どきん、と心臓が跳ね上がる。
「な、カズミ?」
振り返ると長身の若者が和美にウィンクをした。
若者――バロンが一睨みで和美の安全を確保すると、少女を背中にかばうように三歩前に出る。
「さて、どうする?
俺としてはどっちでもいいだけどな。」
見上げるほどの長身に、鍛え上げられた体躯。見る人が見れば分かる隙のない構え。
そもそも単に絡んでみたいだけの不良と、女の子を背にしたバロンではモチベーションが違う。
ち、行こうぜ、と興が冷めた不良たちが後ずさりしながら立ち去っていく。見方によっては「逃げた」でも問題ないような気もする。
不良たちの姿が見えなくなって、やっと和美はふーっと息を吐いた。
「ええと、何度目か分かりませんけど、ありがとうございます。」
「おや、今何かあったっけ?
……久しぶり、かな? カズミ。」
いつも通りのマイペースなバロン。相変わらず可愛いな、と少女を赤面させるのも忘れない。
「もう…… 格好良すぎてズルいです。」
そんな和美の小さな呟きも聞こえてるのか聞こえてないのか、大きく伸びをしてから、ふと和美の手の中にある重箱に気づく。
「ん? それは?」
重箱の中身と行き先を説明すると、バロンの顔に喜悦の色が浮かぶ。たぶん次に彼が言うことも容易に想像できた。
「面白そうだな。俺も行っていいか?」
やっぱり、と思いつつ、更に騒がしいことになりそう、と確信しながらも、バロンと一緒にいられることが嬉しい和美であった。
美咲たちの学校の体育祭は、午前中は百メートル走、二百メートル走、などと単純に運動能力を競うような競技が集中している。
また、最近は外部に公開しないところも多いが、校風もあってか父兄だけでなく町内からも見に来たり、雄志参加の競技もあって、地元のちょっとしたイベントの一つとなっている。
そのイベント性は昼食の頃から始まり、商店街から様々な屋台がグランドの端に並び、当然ながらアルコールは出ないが、様々な飲食が楽しめる。まさにお祭りの一環だ。
さて、午前最後の競技は四百メートルリレーである。クラス単位でチーム分けされた代表四人が走る。運動部を中心とした俊足自慢が走る。午後からはバラエティ豊かな競技が続くので、真剣勝負のリレーは山場の一つだ。配点も高いからか、生徒たちの注目も高い。
ピストルが鳴り、一斉に走り出す。
事前に猛特訓をしていたのか、バトンパスでもコンマ一秒を競う勝負だ。生徒たちの歓声の中、抜きつ抜かれつの僅差の勝負を繰り広げる。
そんな色んな声が飛び交う中、来賓用のスペースにビニールシートを敷いて場所を確保したバロンがどこかつまらなそうに腕を組んでいた。
「どうかしたんですか?」
和美の問いに、ん、ちょっとな、と返す。
「あの程度か、思ってな。」
はい? と首を傾げる和美に、バロンが自信たっぷりな笑みを浮かべる。
「あれなら俺やハヤトの方が速いな。
まぁ……」
と、不意に言いにくそうに口ごもる。
「あの距離ならハヤトの方が速い、か。」
ちょっと悔しそうな口調は彼としては珍しい。逆に言えば、負けず嫌いだが、それだけ隼人を認めている証拠だ。
そんな公平なところもバロンの素敵なところだ、と和美は思っている。
歓声が一際大きくなった。どうやら勝負がついたらしい。
和美もバロンも高校の生徒のことなんか知らないので、それがどうも盛り上がれない理由だろう。
この競技の配点と、合計点数がアナウンスされる。一部から大きな歓声と、別のところから落胆の声が聞こえたところを見ると、どうやら結構な逆転劇になったらしい。
その後、昼食も含めて一時間の休憩後、午後の競技が始まる、とアナウンスされて、生徒たちが腰を上げる。
友達同士で、はたまた見に来た家族と弁当を囲んだり、出店を物色したりと人の流れが激しくなる。
「あ、そうだ。バロンさん、ちょっと立って立って。」
「?」
訳が分からないが、和美の言うがままに立ち上がる。次の瞬間、殺気というほどではないが、鋭い「気」が叩きつけられて反射的に振り返る。
「なんでお前がここにいる……」
「旨そうな匂いがしたんでな。」
現れた隼人とバロンが睨み合いしたかと思うと、同じようなタイミングで腰を下ろす。
「あら、もう終わり。残念ね。」
「きっと僕たちが来たからじゃないですかね?」
麗華と謙治もやってくる。さすがに長身二人が立っていると見つけやすい。無論、美咲は隼人と一緒で、ついでに法子も。
「お、いつか見たカッコいいお兄さん! こちらには今日はどうしてこちらへ?」
早速、メモ片手に法子がバロンに迫る。
「そうだな…… どういう理由がいい? キュートなジャーナリストさん?」
おう、と法子が一瞬怯む。
真顔で褒められてあの法子ですら一瞬頬を熱くする。それと同時に和美がむーとちょっと不機嫌な顔をしたのが視界の隅で見えた。
(なるほどー 大神隼人のライバルで、和美ちゃんはちょっとホの字、ってわけだ。そりゃ大神隼人が嫌がるわけだ。)
それでも追い返したりしないところを見ると、それなりに通じる物があるようだ。
「はーい、みんな。ご飯の準備できたよー」
色んな思惑が渦巻く中、何も気にした様子もなく美咲が紙皿や割り箸を並べる。
隣では和美がバロンの方を気にしながらも紙コップを用意し、麗華と謙治が買ってきたペットボトルのお茶を注ぐ。
「今回のお弁当はボクと和美ちゃんの合作なんだよ。」
和美ちゃん、頑張ったんだから、と重箱を開いていく。
「わ。」「ほぉ。」「へぇ。」「あら。」
色鮮やかな中身に周囲から感嘆の声が漏れる。
失礼ながら、美咲と和美の作った物にもう少し分かりやすい差が出るかと思われていた。ところがどっこい、推測はできるが断定できないくらいの見栄えであった。
それでもまぁ、
「これとこれとこれ、か?」
「ほぉ、その心は?」
「……先に作る方はまず、定番の物を作るだろ。それにそういう物ほど、上手に作るのは難しいしな。」
「なるほど、な。」
あっさりと美咲作のおかずを見抜いた隼人に、バロンが感心したようにうなずいた。箸には慣れてないのか、ややぎこちなく卵焼きの一つをつまんで口に運ぶ。
「……旨いな。」
他のみんなほど、美咲の手料理を食べてないので、その味に思わず声が漏れる。
いつもと変わらずニコニコ顔の美咲と対照的に、和美はどこか悲しげな寂しげな顔をしている。無論、それに気づかないようなバロンではない。
次の箸は、もう一種類の卵焼きをつまむ。確かに美咲の作った物と比べると、焼き方にムラがあったりするが、十分「料理上手」を自称できるだろう。
じらしているわけではないのだろうが、バロンの食べる姿をジッと見つめる和美に、周りも何となく箸が出せない。
「最初の奴の方が旨いが、」
バロンの感想に和美の視線が下がるが、そんな少女にも分かるように優しい笑みを浮かべる。
「でもこっちの方が好みだ。俺は気持ち味がしっかりしているのがいいからな。」
ぽん、と和美の頭に手を乗せる。
端から見ても真っ赤になった和美が、それでも取り皿に次々とおかずを乗せてバロンに差し出す。顔も上げられず、声も出せないが、指しだした皿が必死さに震えていた。
余波を受けた法子が「これはキくわー」とメモを取りながらも、視線をそらしながら顔を赤らめる。
後の女性陣では麗華が少し動揺していたようだが、当然というか美咲には分かって無いどころか、逆に何故皆が急に無口になったかと首を捻っているところだった。
ちなみに隼人は大変面白くない状況なのだが、下手に口を出すと墓穴を掘るのだろう、と思って我慢している。
「はい、隼人くん。」
「おう……」
和美に対抗したわけでなく、こうしたらいいんだ、と思ったらしい美咲が、おかずを取り分けて隼人に渡す。
と、皿を受け取ったときに、軽く指先が触れた。
「?」
美咲が首をかしげたのは、反射的に手を引っ込めてしまった自分に対しての疑問だった。自分の指先と隼人の指先を見比べて、もう一度不思議そうに首をかしげる。
何だろ? という顔をしながらも、結局分からなかったのか、考えるのをやめたらしい。他の人たちが自分で取り皿を持っているのを見て、自分の分の皿を取る。
あちこちから、いただきますの声が聞こえて、昼食の始まりとなった。
「よし、食った食った。」
ゴロンと横になりたいところだが、和美がうるさいし、レジャーシートにそこまでのスペースはない。
「午後はなんだったかな……?」
自分のはもうどこかに行ってしまったが、謙治が持っていたプログラムを拝借すると、午後の競技を確認する。
そんな隼人に、バロンがちょっと探るような視線を向ける。
「どうした?」
「いや、結構色んな競技があるもんだな、ってな。」
「もしかしてもしかすると、お兄さんも出たいんですか?」
ひょい、と二人の間に法子が現れる。
「ん? 出られるのか?」
出現には驚きもしないが、その内容には興味を引かれたのか、横からプログラムを覗き込む。
と、その端正な顔に疑問符が浮かぶ。
同じ表情を隣の隼人も浮かべた。
「去年は半分以上サボってたが、こんなに変な競技ばかりだったか?」
言葉の前半で微妙に美咲が非難するような目を向けていたが、無視無視。
ともかく、午前中は自分の出る競技だけ見ていたので気づかなかったが、午後の競技は最後に「~レース」「~競争」と申し訳程度に書いてあるだけで、内容が想像できない。
この「プリンセスレース(ただしイケメンに限る)」というのはいったい何だ?
「今年の体育祭運営委員会は頑張ったらしいよぉ。」
法子の言葉に嫌な予感しかしない。
「こんなこともあろうかと!」
拳を握りしめ突き上げる法子に嫌な予感が増大する。
「二人はプリンセスレースにエントリーしといたわ。」
返ってきた非難や驚きの声は華麗にスルーする法子であった。
「あ、ボクそろそろ行かなきゃ。」
「サキちゃんが行くならあたしも行かなきゃー。」
昼休みが終わる前に立ち上がった美咲が校舎に入っていく。法子は法子でどこかに走り去っていく。
隼人たちも程々には自分のクラスの場所に戻らなければならない。
サボろうか、という甘美なささやきが脳裏をよぎるが、一般観覧席に妹と面倒なのが同席しているのを見ると、監視を怠るわけにはいかない。別に危害を加える心配をしているわけでもなく、逆にボディガードと考えると全く問題はない。
もう一つの心配事があるのだが、それに関しては半ば諦めている。美咲のことがあるせいか、そういうことにはやや寛容になっているような気がする。ただ単に面白くないから、というくだらない理由ではあった。
(楽しそう、なんだよな。)
遠目ではあるが、妹の和美が楽しげにバロンに話しかけているのが見える。家では兄妹の二人きりだが、あんまり会話が弾まない。というか、一方的に話しかけられるのに相づちを打ってるような感じだ。
それでも和美や、それこそ美咲も満足らしい。こちらとしては気の利いたことを返したいところだが、うまくできずに心苦しいところなのだが。
『プリンセスレースに出場する予定のイケメンは至急、待機所Cに集まってください。』
何とも気力の失せるアナウンスだ。別に出なくたっていいんじゃないか?
『なお、呼んでも来ない自称イケメンは後で晒し者にするので覚悟するように。』
アナウンスの続きで隼人は素早く立ち上がった。周囲の視線が微妙に生温い。自薦他薦ありなのだが、自薦と思われたら痛い人と思われそうだ。とはいえ、ここで法子が勝手に、なんて言ったところで、言い訳にしか聞こえないだろう。微妙に悔しいが沈黙を貫いて逃げの一手しかあるまい。
グラウンドの隅に幾つか設置された待機所の一つに向かうと、確かにそこにはイケメンが揃っていた。比べる気は無いが、その中で一人だけ異彩を放つ、というか目立つ男がいた。
「ハヤトは三番目のようだな。俺は二番目らしい。」
人付き合いの悪い隼人なので、校内の友達どころか知り合いも多くない。男女関係なく興味が無いので、顔を憶える気もない。下手すると教師の顔も怪しいくらいだ。だが逆に隼人の顔はなぜか憶えられている。
そんな学内の人間よりも顔なじみのバロンが一人だけ体操着ではないので、なおさら目立っていた。そんなバロンが自分になれなれしく声をかけてくる。
目立ってしょうがない。
とはいえ、よくよく考えたところで、目立とうが目立たなかろうが、気にしなかったはずだ。
(俺も変わったのか……?)
「お、あれ見ろ、あれ。」
相手したくないのを考えにふける振りして誤魔化そうとしたが、相手が許してくれない。面倒くさそうにバロンが指さす方を向く。
と、思わず目が離せなくなってしまった。視界の隅でバロンがニヤニヤしているのが見えたが、構うもんか。
隼人は熱心にその光景を見つめた。
ちょっと時間は戻る。
『押忍!』
校庭の一角で変形学ランに身を包んだ屈強の男たちが野太い声を上げる。続いて太鼓の音が鳴り響く。古き良き応援団の姿だ。
ちなみに、この学校にはこんな応援団は存在しない。チア部はあるのだが。
運動部から厳選したのか、まさに壁のような男たちがずらりと並ぶ。太鼓が打ち鳴らされるたびに、巨大な団旗が垂直に立ち上がっていく。
『押忍!』
後ろ手を組んだ男たちが再び野太い声を上げる。揃いも揃って素肌の上に学ランを着ているので、鍛え上げられた胸板が観客席かをら黄色い声を上げさせる。
「演舞ぅ~ 開始!」
『押忍!』
太鼓の音に合わせて、空手の正拳突きを繰り返す応援団の面々。迸る汗が太陽に照らされてキラキラ光る。
『押忍!』
最後にダダンと太鼓が打ち鳴らされると、一糸乱れぬ動きで応援団が構えをとる。
「団長の御出座ーっ!」
肉の壁が左右に分かれ、中央から誰かが降りてくる。まだその姿は遠くに見えるが、迎える応援団員の緊張感が半端無い。
その雰囲気に飲まれそうなるが、不意にその人影がやけに小さいんじゃないのか、という気がしてきた。
「みんなー がんばれー!」
それまでの重厚な空気を一気に吹き飛ばすような、どこか気の抜けた女の子の声に、左右で壁になっていた応援団員がひな壇からテレビの芸人のように崩れ落ちる。
そこまで知らされていなかったのだろうか、応援団長役の女の子――美咲が困ったような顔で首をかしげる。
他の応援団員と同じような変形学ラン姿で、幸か不幸か素肌の上に直接ではなく、明るい色のシャツを中に着ていた。
どこかシュールなコントに場が盛り上がったところで、明るい音楽が流れ始め、左右からチアガールの集団が現れた。
その音楽に追い立てられるように漢たちがひな壇を片づけながら退場していく。
一人残された美咲の姿がチアガール達に囲まれて見えなくなる。
頭一つ以上小さいため、どうなっているかが全く見えないが、その中から美咲が着ていた学ランとかズボンが飛び出すと、あり得ない期待と微妙な不安がよぎる。
『ハイ!』
チアガールの壁が左右に分かれると、周りと同じチアガール姿の美咲が現れた。当然のことながら学ランの下に着込んでいたようだ。
ポンポンを手に少しぎこちないながらもチアの演技をしている。一人だけ小さいので、中心に立たされてイヤでも目立ってしまう。が、本人は緊張のためか気づいてない。
もう一つ気づいてないのは、バク宙とか他の人とは違う高さのジャンプとかをコッソリやらされていることだろうか。
美咲の運動能力に合わせた演技を加えて派手になったアクションに観客が盛り上がる。
最後は通常のタワーのトップから美咲が伸身前方宙返りに捻りまで加えて着地して、驚きと喝采でわき上がった。
ちなみに法子は助手二人と複数台のカメラを駆使して、美咲のベストショットを撮っていた。目に見えるほどの熱意で縦横無尽に動き回って、少女の躍動感を後世に残そうと魂を燃やしていた。
そのおかげか、変にチアに近づいて不埒なアングルの写真を撮ろうとする者はいなかった。というか、そもそも近づけなかった。
「目の保養になったな。」
「……そうだな。」
ムキになって否定するのも思うところがあったのか、バロンの軽口に簡単に返す隼人。
チアのパフォーマンスが終わり、次は「プリンセスレース」が始まる、とアナウンスが告げた。
最初の組が呼ばれて、トラックの端に並ばされる。遙か先にゴールのテープが見えて、どうやら到着する速さを競うものらしい。
しかし、スタート地点から少し走ったあたりに、なぜか封筒が何枚も落ちていた。
バロンはともかく、隼人は何となくそういう競技を見たことあるような気がする。プリンセスレースという名前、それに封筒となると……
『この競技は一種の借り物、と言いますか、借り人競争となります。封筒の中に書いてある条件を満たした女の子をお姫様だっこで連れてゴールしてください。』
「……は?」
隼人のあげた間抜けた声も知ったことではなく、アナウンスは続く。
『女の子は中学生以上に限ります。落としたら当然失格です。また、女の子の側は、競技者が気に入らない場合は拒否してもOKです。』
「…………」
想定以上に過酷な競技だ。
後々のことを考えると、リタイヤも視野に入れておいた方がいい。というか、ただでも無いやる気が失せる。
「面白そうだな。」
隼人とは対照的にバロンは静かに闘志を燃やしているようだ。
スタートのピストルが鳴ると、一斉にイケメン達が封筒目指して走り出す。封筒の内容に一喜一憂するが、それでも観客席に向かって走り、紙を見せては交渉する姿が見える。
何人にも断られて走り回る者。一応は了承を得られたものの、横抱きに失敗して落とす者もあり、なかなかゴールできない。
ちょっと考えれば分かるように、基本的に男側に結構な腕力が求められる。また、お互いが密着すると安定感が高まるが、そこまで親密じゃないと密着できずに中途半端になり更なる体力が必要とされる。抱え上げたとしても、そこから走るのだ。生半可なイケメンでは無理である。
結局、一組目は全員失格かリタイヤでゴールできる者はいなかった。
絶望感が広がる中、バロンの二組目が呼ばれた。
ピストルの音と共に二組目が走り出す。スタートダッシュしても意味がないと判断したバロンは程々の位置をキープしながら、封筒の置いてある場所に到着する。半分くらい残っている封筒の中から、一枚を選び開く。
『学外の女性』
ということは、美咲や麗華、あとあの法子という少女もダメということだろう。顔見知りであればまだ頼みやすいかと思ったが……
(いや、ツキは俺にあるな。)
まるで枷を外された野獣のような勢いでグラウンドを横断する。来賓席の手前で大きく跳躍した。
ふわり。
「!」
まるで重さを感じさせずにビニールシートに着地する。ちょっとは期待していたものの、驚きで目を白黒させる和美の前に膝をついて恭しく頭を垂れる。
「姫、その御身を私に預けてはくれませぬか?」
「は、はい……!」
紅潮しながらもどうにかそれだけ答えると、立ち上がった和美の腰に手を回し、屈んで逆の手を膝裏にあてる。ちゃんとスカートごと押さえ、恥ずかしいことにならないようにするのが紳士の義務だ。
そのまま軽々と持ち上げ、腕の中の少女にウィンクすると、颯爽と走り出した。
小さく悲鳴を上げてバロンの胸元にしがみつくのを確認すると、更に速度を上げる。
『おーっと、飛び入り参加のバロン選手。小柄な少女を抱え上げると風のように走り出しました!
これはまさしく騎士と姫だ! あの安定感。まさにあの腕の中はどんな刃も通さない地上で一番安全な場所なのでしょう!
姫の全てを任せきった表情が全てを物語っています! ……なんて言ってる間にゴールテープを切りました!』
まだ硬直している和美をゆっくり下ろして、その手の甲にキスをすると、観客席から黄色い声が上がる。そのままくるりと回りながら優雅に一礼し、和美を連れて来賓席へと戻っていった。
次の組で待っている隼人に意味ありげに視線を向けるのも忘れない。遠目でも睨んできているのが分かる。
くくっ、と喉の奥でつい笑ってしまう。そんなバロンを和美が不思議そうに見上げるが、その頭をポンポンと叩いてはぐらかした。
(あのヤロウ……)
冷静に考えると、バロンが妹と仲良くしてようとも特に文句は無いはずなのだが、どうもイライラしてしまう。
そうしている内にも妹を連れたバロンが来賓席に戻ったのが見えた。次の組、と呼ばれたので仕方なく気持ちを切り替える。
バロンが先に一位をとってしまったので、自分も一位にならないと後で何を言われることか。
スタートラインに並ぶと、ピストルが鳴る。バロンと同じ、というわけではないが、中間くらいの位置で封筒にたどり着く。
(何となくだが……)
予感、というわけじゃないが、何となく封筒の中身が想像できた。
『同じ学年の女生徒』
同級生、じゃなくて良かったと安堵。
このプリンセスレース(以下略)を引き続き応援しているチアの一団に足を向けると、その真ん中でポンポンを振っていた少女がいきなり駆けだした。
ポンポンを持ったまま腕をブンブン振って少女――美咲が近づいてくる。何も言葉を交わしてないが、後数歩くらいの距離で美咲が跳んだ。
跳んで首に抱きついてきた美咲の勢いを回転しながら吸収して、そのついでに体勢をお姫様だっこに切り替える。ポンポンを持ったままなので首筋がくすぐったいのは、まぁご愛敬だ。
スカートは短いが、チア用の衣装なので、アンダースコート装着済みだから安心だ。
(いくぞ。)
(うん!)
アイコンタクトしただけで、隼人が全力疾走に入る。美咲が動きの邪魔にならないようにしっかりしがみついているので、美咲の重さの分くらいのハンデしかない。さっきのバロンを超える速度でグラウンドを駆け抜けた。
『おーっと、これぞまさに人馬一体! あの密着度と一体感はなんだー!
気づいているかどうか分かりませんが、あの二人、一言も言葉を交わしていません。まさに阿吽の呼吸! ……なんて言ってる間にゴールテープが切られました! さっきのバロン選手よりも速いぞぉ!』
……やりすぎた。
バロンに勝てたことと、美咲の笑顔が見られたことに溜飲が下がったが、思いっきり目立ってしまったことに後悔。
「どうしたの?」
地面におろした美咲に、別に、と適当に誤魔化す。あの面倒なパパラッチが、もう面倒な競技を振ってこないだろう。
決めた。
後はサボる。
「隼人く~ん。」
(……なんで見つかるんだろ。)
こっそり屋上でサボっていた隼人に、ジャージに着替えた美咲がやってきた。
「法子ちゃんがさ、隼人くんにも来てほしい、って。」
「断る。」
「え~」
そんなこと言わないでさ、と腕をグイグイ引っ張られると、強く出られない。法子本人が来たら、きっぱり断るか逃げる自信がある。
「……俺じゃなきゃダメなのか?」
一応抵抗してみる。
「えっとね、ボクと、麗華ちゃんと、隼人くんと、バロンくんでリレーだって。」
「なぁ、あの高橋って縄で縛っておけないのか?」
心底疲れた顔で隼人がボヤくが、美咲は美咲でちょっと寂しげな笑みを浮かべる。
「法子ちゃん、縄くらいじゃムリ……」
なんか過去に色々あったらしい。
「これも運命か……」
脳内でドナドナを奏でながら、美咲に腕を引っ張られてグラウンドに戻るのであった。
「というわけで、有志による変形スウェーデンリレーに乱入します!」
『…………』
昼ご飯の時のようにみんなが集まったところで、法子が拳を高らかに突き上げた。
「気のせいだが、微妙に不穏な単語が聞こえたんだが?」
「いい質問だよ、大神隼人!
リレーの説明は後回しにして、毎回毎回有志、なんて言いつつ、陸上部が優勝しているわけだよ。」
いつも以上にテンションが上がって口調も変になった法子。
「そんな出来レース、一度ぶっ壊すべき!
……そんなわけでヨロシク!」
「帰っていいかしら?」
慣れつつあるも、呆れ顔の麗華が立ち上がろうとするのを慌てて引き留める。
「せめて最後まで話を聞いて~」
必死な様子に腰を浮かしかけていた麗華と隼人が座り直す。
法子の説明では、毎年体育祭の最後は「変形スウェーデンリレー」で、事前に参加表明したり、当日の飛び入りで参加できるのだが、その割には毎度毎度陸上部の精鋭チームが優勝している、というのだ。
「つまんないのよー そんなの。
でも勝てるチームが作れなかったのよー。でも陸上部とガチで勝負出来る人なんかいないわけよ。でも……」
法子の目が美咲・麗華・隼人・バロンを順に見る。
「そっちのお兄さんもいればいける! マジで! だから力を貸して!」
「ふぅん、」
法子のお願いに麗華が挑発的な笑みを浮かべる。
「面白そうじゃない。」
「そういうことなら俺も異存は無いな。」
麗華の言葉にバロンも乗っかる。となると、元々反対していない美咲なので、残りは隼人だけになる。でも美咲とバロンが向こう側に行ってしまったので、それぞれ違う理由で断りづらい。
「……仕方ねぇな。」
隼人にはそう答えるしかなかった。
ここでこの「変形スウェーデンリレー」について説明しよう。
スウェーデンリレーとは四人で百・二百・三百・四百メートルを走り、合計で千メートルを走るリレーである。
変形、となっているのはこれを四人で五十・百・二百・四百メートルを走るリレーである。また、男性二人・女性二人で走るルールなので、どの距離を誰が走るかが重要なポイントとなる。
法子の采配により、第一走者から、麗華・隼人・バロン・美咲の順番となった。法子曰く、麗華と美咲の場所は最初から決めていたが、隼人とバロンのどちらを百メートル走にすべきか分からなかったそうだ。
が、バロンが「その距離ならハヤトの方が速い」と言ったので、その順番となった。
更にバロンは美咲が四百メートル走らせるのは負担が大きいと反対していたが、そこは法子が通した。見てれば分かる、とのことらしい。
そして、最終競技の「変形スウェーデンリレー」の開始がアナウンスされた。
第一走者
走る距離が五十メートルと短いせいか、スタートラインは全て女性で占められた。高校生から有志の大人もいる。その中で麗華は一人目立っていた。
モデルのようなスタイルに美貌。普段とは違い、長い髪をまとめている姿はグラウンドに降りた妖精のようだ。
「On your mark.」
トラックの関係上、横一列ではないが、スタートラインに六人の女性が地面に指を置き、膝をつける。
「Get set.」
腰を浮かせて、号令を待つ。エキシビジョン的な競技ではあるが、真剣な空気に観客も固唾を呑んで静まりかえる。
「Go!」
ピストルが鳴ると、六人が一斉に走り出した。美咲や隼人に隠れてしまっているが、麗華の運動神経は悪くはない。スタートダッシュさえミスしなければ、それなりの順位をキープできる自信はある。
『美女達が一斉にスタート!
おーっと、意外と言っては失礼だが、深窓のお嬢様と思われた神楽崎選手、なかなかのスプリンターだぁ!』
所詮は五十メートルなので、すぐに第二走者にたどり着いた。麗華の想定通り、おそらく陸上部と思われる女生徒と同じくらいのタイムで走り抜けられた。
第二走者
おそらく、麗華のことだから全力で走るだろう。となると、バトンパスのタイミングはこっちでとれ、でいいはずだ。
(……ったく、面倒な。)
だが手を抜く気はこれっぽっちも無かった。どのみちこんなレースに出た時点で目立ってしまうのは変わりない。ビリになろうが一位になろうが大きな差は無いだろう。
それなら当然、美咲にゴールテープを切らせる以外の選択肢はない。
(と、来たか……)
麗華の足音が聞こえてきた。彼女の運動能力に関する評価を自分の中で少し上位修正しておく。
後ろに手を伸ばし、走り出しながらバトンを待つ。指先にバトンと、麗華の意志が触れた瞬間にバトンを掴んで一気に全力を出した。
次の瞬間、会場から全ての音が消えた。
『な、何だ今のは!
大神選手、一瞬消えたかと思うような猛ダッシュだ! まさに疾風! 分かりづらいですが、おそらく優勝候補の陸上部の選手を一気に抜いたはず! 我が校にこんな逸材がいたとは誰もが予想できませんです!』
再び盛り上がる歓声の中に「お兄ちゃんがんばれー!」と和美の声が聞こえて、内から湧き上がる力に身体が軽くなる。
シェイプシフトしたウルフブレイカーのイメージでトラックを一気に駆け抜けた。
第三走者
(そうこなくちゃな。)
どちらかというと面倒くさがりな隼人だが、一度始まった勝負を途中で投げ出すような腑抜けではない。更にいえば、自分と同じ理由で今回のレースは負けられない。
(来たな。)
どこか涼しげで鋭い気配が近づいてくるのが感じられる。
(今だ!)
スタートを切って、数歩目で右手を後ろに回す。予想通りのタイミングでバトンに触れたので、一気にトップギアに切り替えた。
『バトンパスもスムーズだ! 後ろに目があるんでしょうか!
速い! これまた速い! 差がどんどん広がって行きます! その走る姿はまさにサバンナを走る黒豹!』
歓声の中に、和美の応援の声が聞こえて、やっぱりいいところを見せたくなってしまう。
『なにぃ! まだスピードが上がるだと!
ただアンカーの四百メートルは小柄な橘選手だ! このリードをキープできるか!』
アナウンスの声に内心ほくそ笑む。
(そいつは考えが甘いぜ。)
第四走者
アンカーの美咲がブンブンと手を振って、バロンが来るのを待っている。その様子に他の選手も苦笑するが、その少女のいるチームが先頭を走っているかと思うと、そうも笑ってはいられない。
バロンのバトンをチラチラ後ろを見ながらおっかなびっくりで受け取る。
その姿を見て、もしかしたら逆転できるか、と他のチームが一瞬希望を抱くが、次の瞬間、それは打ち砕かれることになる。
『おーっと、これも速い! でも速すぎる! あのペースで四百メートルは無理じゃないかー!』
短距離走並の走り方で飛び出した美咲。
普通ならその速度のまま走り切るのは困難のはずだ。だが、百メートルを超えても足が遅くなる様子もない。
「サキちゃんの一番の強みは力でも速さでもないのよ。」
ゴールシーンを撮るためのカメラを用意しながら、法子が立ち上がる。一緒に来賓席で見ていた謙治と和美も一緒に来るように促す。
「恐ろしいまでの体力と精神力。どんな苦難にも耐え、集中を絶やさないところ。
……だからあの子は強いのよ。」
すでに独走状態になった美咲。遅れて元々優勝候補だった陸上部のアンカーが全力で追いかける。しかし、後先考えない全力疾走で、一瞬は差が詰まったが、すぐに耐え切れずに速度が落ちる。それでも意地や根性で走るが、差は徐々に広がっていく。
『ダメだー! 全然追いつけない!
あの小さな秘密兵器がこれまでのリードをキープどころかさらに広げていくぞぉ!!』
逆に美咲は少しずつだが、スピードが上がっているように見えた。
見えたのだ、ゴールが。
ゴールテープを左右で謙治と麗華が持っている。麗華の後ろで和美がピョンピョン跳ねながら声援を飛ばしている。
法子はゴールの瞬間のシャッターチャンスを狙っている。
隼人とバロンがいつものようにお互いを牽制しながらゴールテープの向こうで待っていた。
それまで少し苦しそうな表情をしていた美咲だが、それが分かった瞬間に満面の笑顔となった。さらに加速したような気がする。
『毎年恒例変形スウェーデンリレー! 今年はなんとなんとの大番狂わせ!
否! これが歴史の必然! はたまたパラダイムシフトか!
立て! 臣民よ! 絶対的強者はいない! 下剋上はいつ起きてもおかしくない!』
ハイテンションのアナウンスに押されるように最後の直線を走り抜ける。
『ついに長い戦いが終わります! さぁ、今ゴールテープが…… あぁっ!』
最後の最後で嬉しくなった美咲が、ゴールテープを飛び越えるような大跳躍を見せて、向こうで待っている隼人とバロンに飛び込んでいった。
ゴールテープを持っていた麗華も謙治も呆然とそれを見送る。二人は想定済みだったのか、対美咲に関するエキスパートになっていたのか、そんなに慌てなかった。空中の美咲の腕と肩を片方ずつ掴み、空中で止まった少女を振り下ろす。
美咲の脛あたりでゴールテープを切ると、上向きのベクトルを与えながら、引っ張る。特に打ち合わせも目配せもせずに同じ動作ができるのだから、反発している割には息がピッタリである。
何事もなかったかのように両足で着地して、狐につままれたような顔の美咲に、隼人もバロンも苦笑しつつも、その健闘を称えるようにポン、と肩を叩いた。
「よくやった。」
「頑張ったな、ミサキ。」
それだけでなく、麗華が、謙治が、和美が、法子までが撮影を忘れて、美咲の周りに集まってくる。次々にかけられる賞賛の声に、遅ればせながらゴールした他の選手たちの姿に、やっと実感がわいてきたのか、その小さな身体を興奮で震わせる。
「やったーっ!!」
感極まって隼人に飛びつこうとするのが、想定済みだったので避けようと身をかわす。と思ったら、引き足をバロンに止められて動けなった。
首に重みと一緒にぬくもりと柔らかさがしがみつく。
いつものように邪険にもできず、満面の笑みで頬ずりまでしてくるのを黙って耐える。
目立つ。
とにかく目立っている。
どっかの丸メガネのせいで写真もたくさんあるだろう。さっきのプリンセスレース(以下略)のことも印象に残っているに違いない。
しばらく学校休むかな……
隼人一人が微妙に遠い目をしていたが、大歓声の中、体育祭は(おそらく)無事に終わった。
……あんなことさえ無ければ、もしかしたら叶ったかも知れない光景であった。




