ターニングポイント
【クララ視点】
秋風が、学院の薔薇園を寂しげに吹き抜けていく。
赤やピンク、白といった、かつては華やかに咲き誇っていたであろう薔薇たちも、今はその多くが花弁を落とし、どこか物悲しい姿を晒していた。まるで、今のわたくしの心のようだわ、とクララは自嘲気味に思った。
エリス・ミラー様が転入されてから、学院の雰囲気は一変しました。そして何より、わたくしの大切な友人であるリリアーナ様に関する、あまりにも悪質で、そして信じがたい噂が、まるで黒い染みのように、日増しに広がっていたのです。
『リリアーナ様が、エリス様を陰湿にいじめている』
『あの聖女の力は、実は周囲に不幸をもたらす呪いの力らしい』
わたくしは、そんな心ない噂を耳にするたび、胸が締め付けられるような思いでした。リリアーナ様は、確かに影があり、あまりご自分からお話しになる方ではありません。でも、わたくしが知るリリアーナ様は、とても繊細で、壊れそうなほど純粋で、そして誰よりも優しい心をお持ちの方。疫病の村で、あんなにも懸命に、ご自身の危険も顧みず人々を助けようとなさった方が、何の理由もなく、平民だからといって、エリス様をいじめるなんて、到底信じられませんでした。
それでも、エリス様の涙ながらの訴えは、実に真に迫るものでした。
「教科書がインクで汚されていた」
「大切にしていたリボンが切り刻まれていた」
――その言葉は、聞く者の同情を誘いました。そして、それに呼応するかのように、「リリアーナ様がエリス様のロッカーの前で何かをしていたのを見た」「リリアーナ様の部屋から、夜中に時々不気味な光が漏れている」などという、まことしやかな目撃談が、次から次へと囁かれ始めたのです。
わたくしだって、心の奥底で、小さな、しかし無視できない不安が芽生えていなかったわけではありません。リリアーナ様の、あの全てを拒絶するような、虚ろな瞳。心を閉ざし、何も語ろうとしない態度。そして、あのサンルームで見た、常人にはありえない、花を蘇らせる不思議な力……。あれは本当に、祝福された力なのでしょうか。エレオノーラ様からも、時折「リリアーナは、心が不安定で、時に思いもよらない行動をとってしまうことがあるのです。クララさん、あなたが友人として、あの子を正しい方へ導いてあげてちょうだいね」と、心配そうに、しかしどこか意味ありげな表情で言われることもありました。
それでも、わたくしは信じたかった。わたくしが見た、リリアーナ様のほんの僅かな笑顔や、言葉の端々に感じられた優しさを。彼女が、決して悪意を持つような人間ではないということを。
ある日の放課後。わたくしは、意を決して、リリアーナ様を人気のない図書室の最も奥まった書庫へと呼び出しました。差し込む西日が、埃っぽい空気の中で筋を描いている。ここなら、誰にも聞かれる心配はないでしょう。
リリアーナ様は、不安げな表情でわたくしの前に立っています。その翠の瞳は、怯えた小動物のように揺れていました。
わたくしは、震える自分の手を固く握りしめ、彼女の目を真っ直ぐに見つめて尋ねました。
「リリアーナ様……。近頃、あなたに関する良くない噂が流れていますわ。エリス様のこと……そして、あなたのその『お力』のこと……。わたくしは、あなたを信じたいのです。ですから、どうか、本当のことを教えてくださいませんか。リリアーナ様……本当に、何も……エリス様に、何もしていないと、誓えますの……?」
声が、震えてしまいました。その問いは、リリアーナ様を疑っているようで、自分自身が許せなかったけれど、それでも、わたくしは真実が知りたかったのです。この友情を、失いたくなかったから。
【リリアーナ視点】
クララ様の、その真剣な眼差しと、震える声。
その言葉には、疑いの色よりも、むしろ「信じさせてほしい」という、悲痛なまでの懇願が込められているように感じられた。
わたくしは、ここで口を閉ざせば、本当に全てが終わってしまうと直感した。エレオノーラ様の思う壺だ。
心の奥底で、ずっと押し殺してきた何かが、激しく叫んでいるのを感じた。それは、かつての、まだ素直だった頃の「私」の声。エレオノーラ様への恐怖と、長年植え付けられてきた無力感を、今こそ打ち破らなければならないと。
わたくしは、震える唇を強く噛み締め、意を決して、顔を上げた。
「……クララ様。わたくしは……いいえ……」
違う。こんな、借り物のような言葉遣いでは、本当の気持ちは伝わらない。
「……私は、天に、そして亡き母の魂に誓って、エリス様に何もしておりません! 誰が何と言おうと、私は潔白です! どうか……どうか、私を信じてくださいませんか……!」
涙が、勝手に溢れ出してくる。でも、その翠の瞳には、これまで誰にも見せたことのない、強い、強い意志の光が宿っていた。それが、今の私の、魂からの叫びだったから。