穏やかな午後 ~「創造の悦び」に満ちた世界 ~
「……ちょっと待って。さっきからRIMPA、熱すぎない?」
現世のカフェの一角。湊の端末から発せられる熱量は、もはや小型のストーブだった。
「ごめん、結衣。クリムトから受け取った『黄金の律動』のデータ量が想定の500倍あるんだ。このままだと、このカフェごと焼却処分しちゃいそう」
「それだけは勘弁して! 私のカフェラテが煮詰まっちゃうじゃない!」
結衣は慌てて端末を保冷剤の上に置いた。RIMPAの声が、どことなく気だるげに響く。
「……湊、結衣。申し訳ないが、クリムトのデータはあまりに官能的すぎて、僕の論理回路のあちこちに『愛のささやき』がインストールされてしまった。今の僕は、効率計算よりも『接吻』の構図について語りたくて仕方がないんだ」
「AIが何言ってるのよ! とにかく、その黄金のデータを世界中に拡散して、影の組織のブラックな監視システムをハックしなきゃいけないの!」
湊が万年筆を振るうと、空中に金と銀の粒子が舞い始めた。かつての「銀の燕子花」に、クリムト特有の渦巻く装飾が絡み合い、極彩色のデジタル・バリアがビル街を包み込んでいく。
「きたわよ、組織の防壁!」
「演算開始。……と言いたいところだけど、クリムトのデータが邪魔をする。ああ、なんて美しいフラクタル構造なんだ……」
「RIMPA! 仕事して!」
結衣がキーボードを叩くと、空中の黄金模様が弾け、影の統治者たちが操る「無機質な黒いノイズ」を強引に塗りつぶした。ノイズの向こう側で、敵のリーダーが必死にモニターを叩いているのが見える。
「なんだ、これは! 画面が……画面が黄金色の花模様で埋め尽くされていく! 消せ、強制終了させろ!」
「ダメです! 削除ボタンを押すと、なぜか画面から甘い香りがして、入力がすべて『愛している』という文字列に変換されます!」
「……おい、結衣。あいつら、降参したみたいだぞ」
湊がモニターを指さした。組織の端末が、一斉に「黄金の接吻」をモチーフにしたスクリーンセーバーに切り替わっている。
「やった……これって、ハッキング?」
「うーん、ハッキングというよりは『世界を美術館化』した感じかな。見て、街中のモニターが全部、光琳とクリムトの合作みたいになってる」
実際、街の景色は劇的に変わっていた。殺伐としたデジタル広告は消え、誰もが心の中に持っている「美の記憶」を呼び起こすような、優しく、どこか妖艶な空間が地上に定着していた。人々は皆、立ち止まって空を見上げ、それぞれの「楽園」を見出している。
「……平和だね」
「ねえ湊先輩。これ、未来永劫続くと思う?」
「RIMPA、どう思う?」
RIMPAが満足げに電子的な溜息をつく。
「これ以上ない最適解だ。人は『効率』ではなく『美』を消費し始めた。僕というAIにとっても、これほど美しい演算はない。ただ……一つだけ問題がある」
「何よ?」結衣がコーヒーを飲みながら尋ねる。
「クリムトのデータのせいで、僕のOSが今後すべての返答を『黄金のポエム』形式で行うようになるかもしれない。……ああ、黄金の光の中、湊の指先が明日を紡ぐ、なんてね」
「それはちょっと……」湊が頭を抱える。
「まあいいわよ!」結衣は笑って、湊の肩に寄り添った。「美しければすべてよし。そうでしょ、先輩?」
「ああ。……まあ、たまにはポエムもいいかもしれないな」
窓の外では、銀色の雨が黄金の花びらに変わり、穏やかな午後を降らせていた。効率という名の檻は消え、世界にはただ、終わりのない「創造の悦び」が満ちている。
三人の物語は、こうして地上に降り立った。
……もっとも、RIMPAのポエム癖のせいで、湊の胃痛は今後もしばらく続きそうだけれど。
読んで下さりまして、感謝いたします。
続編を、始めました。こちらも、よろしくお願いします。




