6話 疑惑の薫衣草《くんいそう》(後編)
「来るぞ」
第二王妃がこちらに歩いてくるのを察知して、ノアは立ち上がった。一拍遅れて緑も立ちあがる。
「ノア王子、本日はお越しくださりありがとうございます。嬉しいですわ、来てくださって」
「本日はお招きありがとうございますヘレン様」
「……それで。そちらが、新しく入られた方ですね?」
「はい。我が家で雇った薬師です」
「そう。お兄様は、本当に残念でしたものね。私たちも対策を考えなければと思っているところですのよ」
羽の扇で顔を隠し、目だけで緑を見ながら彼女は笑う。
――よくもまあ、平然と言ってくれる。
兄の生前、あの手この手で嫌がらせをしてきたのは誰だったか。湧き上がる怒りを、ノアは笑みを強めることで誤魔化した。
「あら、ノア様、あまりお飲みになられてませんね?」
第二王妃はノアの手元に置かれたティーカップを見て顔を曇らせた。
「私の好きなラベンダーティーは、お口に合わなかったかしら?」
ノアのティーカップには一切口を付けられていない紅茶がなみなみと残っている。
「申し訳ありません。花の香りはあまり得意ではなく」
「あら、残念。このお茶は、リラックス効果がありますのよ? 貴方に合うと思って用意しましたのに」
「……お心遣い、ありがとうございます」
先ほどから続く嫌味をノアは笑顔で受け流す。
彼の反応は望んだものではなかったのか、第二王妃は少し冷たい目をした後、緑に視線を移した。
「貴女、毒見ができるんでしょう? 見せてくださらない?」
唐突に第二王妃はそう言うと、侍女に何かを指示した。そして侍女が持ってきたのは、三つのグラス。
「どれが毒入りか、当てて見せてくださいな。大丈夫。少し痺れがでるかもしれませんが、死にはしません。毒を飲んだら、貴女面白いことが起きるのでしょう?」
庭園にいる全ての人物の視線が緑に注がれる。ノアの笑顔が強張った。
――この女、リューが花を吐くことを知っている。
「どう、いたしましょうね?」
緑はゆっくりと頬に手を当てて首を傾げる。
「毒を当てたら、なにかいいことがあるのかしら?」
「あら、ご褒美が欲しいというの? わがままな方。いいですわ。見事当てたら、貴女の望みを一つ叶えて差し上げましょう」
「では、今度お願いしますわ」
褒美をもらう前提の緑の返事に周囲がざわついた。ノアも困惑した表情で見守る。
――なにを、望むつもりだ。それよりこの大衆の前で花を吐くのはまずい。だが、ここで無理に退席すれば角が立つ。どうする。
「せっかちな方。まずはお飲みなさいな」
「飲まなくても、わかりますもの」
すっと、緑の黒い目が細まる。薬草茶とは違う、強い匂いが先ほどからグラスからしていた。
不意に、ひやりとした冷気をノアは足元に感じる。
赤い唇が弓のように曲がった。
「これ、全部に毒が入っていますでしょう?」
第二王妃もノアも、事の成り行きを見ていた者全てが目を見開く。
第二王妃は、即座に言葉を返さなかった。微笑んだまま、ピクリとも動かない。
「まさか、第二王妃がそんな罠のようなことをされるなんて」
誰かが言った。第二王妃の視線が素早く動く。紫の瞳に射抜かれて、声を発した婦人はピクリとも動けなくなった。
その様子を視界の端で捉えていたノアは彼女に憐れみを向ける。
――ああ、彼女の家は終わったな。
「このように見世物にされるのは心外です」
わざと棘のある声をだしてノアは立ち上がった。緑にも続くように指示を出す。
「公務もありますので、我々はこれで失礼します」
そう言って、ノアは緑を連れて足早に庭園を出る。
無言のお茶会が後に残った。
「よくやった、リュー」
第二王妃の領域を出て、自室に帰ったノアは上機嫌だった。
「あの妖婦の鼻を明かせたのは大きい」
「旦那様のお役に立てたなら、良かったですわ」
襟元を緩めてソファーに腰を下ろすノアに緑がしなだれかかる。それをノアは笑顔で受け入れていた。
「報酬にはなにを要求するつもりだったんだ?」
「旦那様が欲しいものを。私の欲しいものは旦那様がくださいますもの」
義理堅い緑の言葉に、ノアの心が揺らいだ。絆されそうになるのを、薄皮一枚でぎりぎり耐える。
「私、もう一つ気づいたことがありますの」
「言ってみろ」
ゆっくりと緑は部屋の隅で紅茶の準備をしている一人の侍女を指さした。大人しく小柄で、内気な侍女だった。
「彼女……」
緑がノアの耳元で囁く。
「第二王妃と同じ、あの薬草茶の香りがいたします」
第一王妃の宮殿で働く侍女は基本的に王妃が自国から連れて来た者たちだ。けれど中には、この国で雇ったこの国の貴族もいる。
彼らを雇う時、十分に家柄を調べ、第二王妃との繋がりが一切ない家を選んでいた。
――同じ香りを纏うことは、あってはならない。
上機嫌だったノアの金色の瞳が、剣のように鋭くなった。
第二王妃との政争劇、始まりました。
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